143 / 180
裏通りの薬剤師
いつも通りの一日が始まります
しおりを挟む
ハルさんに教えて貰った、共同墓地の小高い所にある一本の大木。
その根元に、ネインさんは眠っていました。厳密には腕だけしか見つからず、ここにあるのはネインさんの一部だけ。
それでもハルさんは、『私達を守ってくれた腕。盾を握り締め、みんなを守ってくれたネインの腕。それが見つかっただけでも幸運よ。普通、あの状況なら何も残っていないもの』と、おっしゃっていました。
色鮮やかな花々が、悲しく彩ります。派手な事を好まないネインさんは苦笑いをしているかも知れませんね。
私もその彩りに花を捧げ、さらに彩ります。
大きくない墓石はネインさんらしく、何も細工はされていませんでした。
ただ、一言。
【我の守護者たらんネインカラオバ・ツヴァイユースここに眠る】
そう記されていました。
ネインさん。
ハルさんを、キノを、キルロさんを、フェインさんを、マッシュさんをユラさんを⋯⋯みんなを⋯⋯守ってくれてありがとうございました。
眠るネインさんに感謝の一礼。
ネインさんからの返答はありません。いつものように優しい笑顔を見せてくれたのでしょうか? 少し戸惑いながら照れているのでしょうか?
今はもう確認する術はありません。それがとても寂しいです。
風に揺れる木々のざわめきが、ネインさんの代わりに返事をしているみたいですね。
俯いたまましばらくの間、そのざわめきに耳を傾けました。大木の葉が揺れる度に、ざわざわと優しい音を奏でます。
優しく頬を撫でる風が吹き抜け、私は顔を上げて行きました。
◇◇◇◇
「さぁ、今日も一日よろしくね」
「「「はい!」」」
開店前のハルさんの呼び掛けに、私達は元気に答えます。パンパンと軽く両頬を叩き、一日の始まりを自身に伝えました。
「よし」
「それじゃあ、行くよー」
フィリシアが扉を開け放つと、動物を抱えた皆さんが、雪崩のごとく押し寄せました。
『『ようこそ! ハルヲンテイムへ!』』
向か入れる準備は万端です。次から次へと押し寄せるお客さんを手際よく、対応して行きますよ。
待合の喧騒が、いつも通り一日の始まりを告げました。
◇◇
「今日は、いかがなさいましたか?」
私の目の前に置かれた小さなキャリングバッグ。不安を隠さない若いご夫婦と、まだ小さな女の子。お父さんが、ゆっくりと蓋を開けて行きます。お母さんの袖口を掴み心配そうな女の子。お母さんは女の子の小さな手に優しく手を添え、心配無いと笑みを作っていました。
「は、拝見いたします」
私はキャリングバッグの蓋を開き上から覗き込むと、そこにいたのは胴の短い狸猫でした。
三角の短い耳からぴょんと長い毛が飛び出し、潰れ気味の愛嬌ある顔は、どこか表情が硬く見えます。綺麗にブラッシングされているのが分かる茶色と白の斑。鼻が半分白い毛に覆われていて印象的な模様を見せています。きっとこの模様で、すぐにこの仔だと分かるでしょう。
「だ、大事にされていますね。この仔のお名前は?」
「アグーです。一昨日の夜から便が出ていなくて、ご飯も食べないし、うずくまって動かないのです。大丈夫でしょうか?」
「わ、分かりました。お通じに問題ですか。ちょっとこのままお腹を触りますね。⋯⋯アグー、ごめんね」
うずくまるアグーのお腹に手を差し入れて行きます。少し嫌がる素振りを見せましたが、触らせてくれました。そこに私は違和感を覚えます。狸猫はお腹を触られるのが嫌いなので、こんなに簡単にお腹を触れる時点で、何かしらの異常があるに違いありません。
「何か悪い病気でしょうか? 変な物を食べてしまったとか?」
触診姿を覗き込みながら、お父さんは不安を見せます。
「今の段階では何とも、い、言えませんが、変な物を口にしたのなら下痢を起こすのが通常ですので、それは無いかな⋯⋯と思います」
「そうですか⋯⋯」
お父さんの必死な姿に早く何とかしてあげたいと思うのですが、焦ったあげくに間違った答えを出してはいけません。慎重な判断を心掛け、焦る心を飲み込んで行きます。
聴診器を当て心臓と肺の音を確認。そこに大きな異常は無いようです。
と、なると、下腹に感じる張り。これが原因だと思います。
一番に考えられるのは⋯⋯。
「ラーサさん、ちょっといいですか?」
「うん? いいよ」
私は一旦席を離れ、ラーサさんに確認を取りに行きます。単独での判断は怖くてまだ出来ません。
「一昨日から便通が止まっている狸猫です。心拍は少し早くてちょっと苦しそうです。呼吸音に問題はありません。下腹に張りがあって、腸に便が詰まっていると思います。アロリ油にロルーエの葉を溶かして、肛門部から0.2単位注入で大丈夫⋯⋯でしょうか?」
チラリとラーサさんの反応を伺います。少し間を置き、ラーサさんは口端を上げてくれました。
「いいんじゃない。早く処置してあげて、楽にしてあげな。あ! でも、あの仔の大きさなら0.1で様子を見て、効きが悪かったら増やす感じでいいんじゃないか」
「分かりました! ありがとうございます」
ラーサさんは後ろ手に手をヒラヒラさせながら、自分の仕事へと戻られました。私も、待っているご家族の元へと急ぎます。
「お、お待たせいたしました。この仔の下腹にある張りから、狸猫に良くある便秘だと思います。お尻からお薬を注入して、詰まっている便をまずは出してみましょう。それで、改善が見られなければ、ほ、他に原因があると思いますので、改めて確認させて下さい」
「よろしくお願いします!」
「は、はい! すぐに処置して参ります!」
元気良く頭を垂れるお父さんに少しびっくりしながら、私はすぐに裏の処置室へアグーを運んで行きました。
その根元に、ネインさんは眠っていました。厳密には腕だけしか見つからず、ここにあるのはネインさんの一部だけ。
それでもハルさんは、『私達を守ってくれた腕。盾を握り締め、みんなを守ってくれたネインの腕。それが見つかっただけでも幸運よ。普通、あの状況なら何も残っていないもの』と、おっしゃっていました。
色鮮やかな花々が、悲しく彩ります。派手な事を好まないネインさんは苦笑いをしているかも知れませんね。
私もその彩りに花を捧げ、さらに彩ります。
大きくない墓石はネインさんらしく、何も細工はされていませんでした。
ただ、一言。
【我の守護者たらんネインカラオバ・ツヴァイユースここに眠る】
そう記されていました。
ネインさん。
ハルさんを、キノを、キルロさんを、フェインさんを、マッシュさんをユラさんを⋯⋯みんなを⋯⋯守ってくれてありがとうございました。
眠るネインさんに感謝の一礼。
ネインさんからの返答はありません。いつものように優しい笑顔を見せてくれたのでしょうか? 少し戸惑いながら照れているのでしょうか?
今はもう確認する術はありません。それがとても寂しいです。
風に揺れる木々のざわめきが、ネインさんの代わりに返事をしているみたいですね。
俯いたまましばらくの間、そのざわめきに耳を傾けました。大木の葉が揺れる度に、ざわざわと優しい音を奏でます。
優しく頬を撫でる風が吹き抜け、私は顔を上げて行きました。
◇◇◇◇
「さぁ、今日も一日よろしくね」
「「「はい!」」」
開店前のハルさんの呼び掛けに、私達は元気に答えます。パンパンと軽く両頬を叩き、一日の始まりを自身に伝えました。
「よし」
「それじゃあ、行くよー」
フィリシアが扉を開け放つと、動物を抱えた皆さんが、雪崩のごとく押し寄せました。
『『ようこそ! ハルヲンテイムへ!』』
向か入れる準備は万端です。次から次へと押し寄せるお客さんを手際よく、対応して行きますよ。
待合の喧騒が、いつも通り一日の始まりを告げました。
◇◇
「今日は、いかがなさいましたか?」
私の目の前に置かれた小さなキャリングバッグ。不安を隠さない若いご夫婦と、まだ小さな女の子。お父さんが、ゆっくりと蓋を開けて行きます。お母さんの袖口を掴み心配そうな女の子。お母さんは女の子の小さな手に優しく手を添え、心配無いと笑みを作っていました。
「は、拝見いたします」
私はキャリングバッグの蓋を開き上から覗き込むと、そこにいたのは胴の短い狸猫でした。
三角の短い耳からぴょんと長い毛が飛び出し、潰れ気味の愛嬌ある顔は、どこか表情が硬く見えます。綺麗にブラッシングされているのが分かる茶色と白の斑。鼻が半分白い毛に覆われていて印象的な模様を見せています。きっとこの模様で、すぐにこの仔だと分かるでしょう。
「だ、大事にされていますね。この仔のお名前は?」
「アグーです。一昨日の夜から便が出ていなくて、ご飯も食べないし、うずくまって動かないのです。大丈夫でしょうか?」
「わ、分かりました。お通じに問題ですか。ちょっとこのままお腹を触りますね。⋯⋯アグー、ごめんね」
うずくまるアグーのお腹に手を差し入れて行きます。少し嫌がる素振りを見せましたが、触らせてくれました。そこに私は違和感を覚えます。狸猫はお腹を触られるのが嫌いなので、こんなに簡単にお腹を触れる時点で、何かしらの異常があるに違いありません。
「何か悪い病気でしょうか? 変な物を食べてしまったとか?」
触診姿を覗き込みながら、お父さんは不安を見せます。
「今の段階では何とも、い、言えませんが、変な物を口にしたのなら下痢を起こすのが通常ですので、それは無いかな⋯⋯と思います」
「そうですか⋯⋯」
お父さんの必死な姿に早く何とかしてあげたいと思うのですが、焦ったあげくに間違った答えを出してはいけません。慎重な判断を心掛け、焦る心を飲み込んで行きます。
聴診器を当て心臓と肺の音を確認。そこに大きな異常は無いようです。
と、なると、下腹に感じる張り。これが原因だと思います。
一番に考えられるのは⋯⋯。
「ラーサさん、ちょっといいですか?」
「うん? いいよ」
私は一旦席を離れ、ラーサさんに確認を取りに行きます。単独での判断は怖くてまだ出来ません。
「一昨日から便通が止まっている狸猫です。心拍は少し早くてちょっと苦しそうです。呼吸音に問題はありません。下腹に張りがあって、腸に便が詰まっていると思います。アロリ油にロルーエの葉を溶かして、肛門部から0.2単位注入で大丈夫⋯⋯でしょうか?」
チラリとラーサさんの反応を伺います。少し間を置き、ラーサさんは口端を上げてくれました。
「いいんじゃない。早く処置してあげて、楽にしてあげな。あ! でも、あの仔の大きさなら0.1で様子を見て、効きが悪かったら増やす感じでいいんじゃないか」
「分かりました! ありがとうございます」
ラーサさんは後ろ手に手をヒラヒラさせながら、自分の仕事へと戻られました。私も、待っているご家族の元へと急ぎます。
「お、お待たせいたしました。この仔の下腹にある張りから、狸猫に良くある便秘だと思います。お尻からお薬を注入して、詰まっている便をまずは出してみましょう。それで、改善が見られなければ、ほ、他に原因があると思いますので、改めて確認させて下さい」
「よろしくお願いします!」
「は、はい! すぐに処置して参ります!」
元気良く頭を垂れるお父さんに少しびっくりしながら、私はすぐに裏の処置室へアグーを運んで行きました。
0
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
3歳で捨てられた件
玲羅
恋愛
前世の記憶を持つ者が1000人に1人は居る時代。
それゆえに変わった子供扱いをされ、疎まれて捨てられた少女、キャプシーヌ。拾ったのは宰相を務めるフェルナー侯爵。
キャプシーヌの運命が再度変わったのは貴族学院入学後だった。
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
【完結】言いたいことがあるなら言ってみろ、と言われたので遠慮なく言ってみた
杜野秋人
ファンタジー
社交シーズン最後の大晩餐会と舞踏会。そのさなか、第三王子が突然、婚約者である伯爵家令嬢に婚約破棄を突き付けた。
なんでも、伯爵家令嬢が婚約者の地位を笠に着て、第三王子の寵愛する子爵家令嬢を虐めていたというのだ。
婚約者は否定するも、他にも次々と証言や証人が出てきて黙り込み俯いてしまう。
勝ち誇った王子は、最後にこう宣言した。
「そなたにも言い分はあろう。私は寛大だから弁明の機会をくれてやる。言いたいことがあるなら言ってみろ」
その一言が、自らの破滅を呼ぶことになるなど、この時彼はまだ気付いていなかった⸺!
◆例によって設定ナシの即興作品です。なので主人公の伯爵家令嬢以外に固有名詞はありません。頭カラッポにしてゆるっとお楽しみ下さい。
婚約破棄ものですが恋愛はありません。もちろん元サヤもナシです。
◆全6話、約15000字程度でサラッと読めます。1日1話ずつ更新。
◆この物語はアルファポリスのほか、小説家になろうでも公開します。
◆9/29、HOTランキング入り!お読み頂きありがとうございます!
10/1、HOTランキング最高6位、人気ランキング11位、ファンタジーランキング1位!24h.pt瞬間最大11万4000pt!いずれも自己ベスト!ありがとうございます!
【完結】私だけが知らない
綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
祝・定年退職!? 10歳からの異世界生活
空の雲
ファンタジー
中田 祐一郎(なかたゆういちろう)60歳。長年勤めた会社を退職。
最後の勤めを終え、通い慣れた電車で帰宅途中、突然の衝撃をうける。
――気付けば、幼い子供の姿で見覚えのない森の中に……
どうすればいいのか困惑する中、冒険者バルトジャンと出会う。
顔はいかついが気のいいバルトジャンは、行き場のない子供――中田祐一郎(ユーチ)の保護を申し出る。
魔法や魔物の存在する、この世界の知識がないユーチは、迷いながらもその言葉に甘えることにした。
こうして始まったユーチの異世界生活は、愛用の腕時計から、なぜか地球の道具が取り出せたり、彼の使う魔法が他人とちょっと違っていたりと、出会った人たちを驚かせつつ、ゆっくり動き出す――
※2月25日、書籍部分がレンタルになりました。
【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?
みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。
ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる
色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く
私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?
新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。
※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!
《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。
友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」
貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。
「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」
耳を疑いそう聞き返すも、
「君も、その方が良いのだろう?」
苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。
全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。
絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。
だったのですが。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる