ハルヲンテイムへようこそ

坂門

文字の大きさ
上 下
96 / 180
モモ・ルドヴィアの当惑

モモ・ルドヴィアの当惑

しおりを挟む
 街に出れば否が応でも目に入る【ハルヲンテイム】。その様子を見る度に、私の醜い劣等感が顔を出して本当にイヤだった。
 しばらくもしない内に、優しい顔した男性が受付に増えていたわ。
 アウロさんね。
 順調に邁進している姿を気が付けば睨んでいたの。歩みを止めていたのは自分自身なのにね。今、考えると何を考えていたのかさっぱりよ。ハルさんに当たるのなんて御門違いもいい所。でも、何かのせいにして逃げていないと、あの時は無理だったのかも知れない。空っぽの自分を突きつけられた時の恐怖。崖の縁でユラユラと揺れているくらい、心のバランスは危うかった。一歩間違えば、谷底。何が一番危ういって、私自身その事に気付いていなかったのよ。
 本当、バカよね。


 ある日、街を歩いていたハルさんを見つけてしまったの。両脇に大きな専門書を抱えて、店に戻る途中だったのでしょう。
 見るなって思えば思うほど、視線はそちらに向いてしまう。ハルさんの抱える大きな本が目に入ると、私に変なスイッチが入ってしまったの。
 その大きな本は外科医ご用達の専門書。私の心の中でカチリとイヤな歯車が嚙み合ってしまう。

 何で調教師テイマーが? 無用の長物でしょう? かっこつけ? 冷やかし?

 そんな訳無いのにね。今、思い出しても本当に恥ずかしい。どうでもいい小さな劣等感が私を押し潰した。

「あなたなんかに必要無いでしょう?」

 酷くない? 
 この間助けてくれた人に言う言葉じゃないわよね。どうでもいいほど小さなプライドが、私にそれを言わせていた。

「ああっ!? って、あんた? この間の⋯⋯」

 私って気が付いたハルさんの怪訝な表情ったらなかったわ。首を傾げてびっくりしていた。それはそうよね。助けてあげた女が、まさかマウントを取りに来るなんて思ってもみなかったでしょうね。

あなたテイマーが、それを読んでどうするの? 外科医の本よ」

 私のどうでもいい一言に、怒ってもいいはずのハルさんはひとつ嘆息して上目で私を見つめた。その視線に急激に恥ずかしくなって、カッーって顔に熱が帯びるのが分かった。言ってしまった後悔もあって、さらに自分が惨めに感じってしまったの。

「へぇー、これが外科医向けの本って分かるんだ?」
「だ、だったら何よ」
「いや、別に。あんな場末の酒場に行く人間じゃないんじゃないかってね」
「あなたには関係無いでしょう」
「そうだね、関係無い。それと調教師テイマーに必要無いかどうかは、あんたが決める事じゃない。私が決める事。あんたは関係無い。人も動物モンスターも同じ。目があって口があって、心臓が動いて血を巡らせている。胃で消化して、肛門や膀胱から余分な物を排泄する。まだ必要? もっと言おうか?」
「ふん」

 もう顔から火が出るほど、本当に恥ずかしかった。何であんな声を掛けてしまったのだろうってね。逃げるようにその場から立ち去るのが精一杯。
 
 もうなるべく【ハルヲンテイム】には近寄らないよう心掛けた。わざと遠回りしたりしてね。でも、そういう時に限って【ハルヲンテイム】に行かなくてはならなくなるのよ。
 
 移転先で忘れ物がある事に気付いて、旧【ルドヴィアホスピタル】、今の【ハルヲンテイム】に確認をしに行かなくてはならなくなってしまったの。あいにくミドラスに残っているのは私だけ。
 その内容を伝えるヴィトリアからの早駆けゆうびんを開いた時は、イヤ過ぎて見なかった事にしようかとも思ったわ。でも、流石にねぇ。仕方なく私は【ハルヲンテイム】に確認をするべく、渋々と向かったの。


「あ、あのう。すいませ⋯⋯」
「ちょっと! どけ! ハル!!!」

 窓口を覗く私を押しのけて、猟犬バウンドドックを抱えた冒険者が都合5名。それと血塗れの猟犬バウンドドックが5頭。
 リン! リン! リン! 
 と受付のベルを三回、けたたましく鳴らした。
 奥の扉からハルさんが飛び込んで来ると、表情は一瞬で険しくなる。私は日が悪かったと思って出直そうとすると、凄い力で腕を掴む人⋯⋯それがハルさん。

「あんた、手伝って! この間助けてやったろう。借りを返せ!」
「ちょ、ちょっと何言っているのよ。無理よ」
「あんた、外科医だろう。いいから来い! 人も動物モンスターも一緒だ! アウロ! 緊急手術オペ! 術の準備! 患畜は猟犬バウンドドックが5! あんたらは奥に運んで! 早く! 早く! こっちだ! ほら、あんたもサッサと動け!」

 もう、強引もいい所。考える間すら与えてくれない。私はハルさんの馬鹿力に押されて手術室の中へと押し込まれた。
 心臓はバクバク言い始めて、頭の血は下がって行く。立っているのがやっとって状態なのに、ハルさんはお構いなしに指示を飛ばすのよ。

「この感じ、内臓もやられての出血だ。出所を探して塞げ! ほら、あんた! ボーっとしてないで、手を動かせ!」

 固まっている私にメスを強引に握らせるの、もう倒れるかと思うくらい血の気が引いているのが分かった。そこに届くのはハルさんの怒号。

「おい! 何やってる! サッサと手を動かせ! 目の前の仔を見ろ! 辛いのは誰か考えろ! 人だの動物モンスターだのグダグダ言ってんな!」

 ハルさんは私が動物モンスターだから躊躇していると思っていたみたい。でも、視線を落とすと、だらしなく舌を垂らして苦しそうにしている。私の手は反射的に動いていた。この仔達を助けなきゃ、ハルさんに焚きつけられて意地を張ったのかも知れないわね。


「この仔の血抜きを。もう少し術野を広げます、鉗子で上をもう少し開いて下さい。そう、その辺り⋯⋯あった。酷いわね⋯⋯とりあえず止血クリップで止めて⋯⋯ダメな臓器が多過ぎる⋯⋯これは⋯⋯」
「諦めるな。まずは、出来る事を出し尽くせ。結果を自分で決めるな」

 私の後ろで黙々と手を動かすハルさんに負けられないって始めたけど、術を進める内にハルさんの熱にすっかり当てられていた。
 私はいつ間にかに忘れていた事を思い出していた。
 やり尽くす、ベストを尽くすって事を。


「次は?」
「次はこの仔で」

 私は無心でアウロさんの指す仔に対峙していった。成功させるでは無く、救う。一見似ているようで、熱量の矛先が違う。それが正しいとかどうでも良くなっていた。ただひたすらに目の前に集中していった。

 手術オペは終わって、点滴がぶら下がる仔達の意識の回復を待った。主である冒険者達と一緒に祈りながら。
 ふと我に返る瞬間。必死に回復を祈っている自分に私自身が首を傾げていた。
 震える指先は握力を失い、力の入っていた足は膝が笑って立っているのがやっと。やり切ったという思いが私を祈らせていたのね。
 でも、一頭また一頭と息を引き取って行く。力の入らない体で必死に心臓マッサージをして命を繋ごうとした。
 報われない思いと祈り⋯⋯。

 結局、二頭しか救えなかった。側で見守っていた冒険者達は涙を隠さない。私は疲れと少し混乱する頭で立ちすくんでいた。
 
 動物モンスターの為に泣くの??
 
 そんな事が頭を過った瞬間ハルさんの言葉を思い出した、“人も動物モンスターも同じ”ってね。
 大切な物を失えば悲しい、そんな当たり前の事を今の今まで考えていなかった事を恥じた。私が見ていたのは病気や怪我の症状で、本当に診るべきものはそこにある思い。そんな至極当たり前の事に気付いていなかった自分が悔しかった。

「ごめんね。救ってあげられなかった」

 ハルさんの言葉にうな垂れながら首を横に振る冒険者の姿が、胸を抉る。術の後に広がる光景を、私は見た事も考えた事も無かった事に気付かされる。
 救えなかった事に、暴言は吐く者がいない。私はそれが不思議だった。でもそれは出し尽くしたからなのだと、後になって気付いた。

 悔しさ、悲しみが充満しているこの部屋に突然パン! と乾いた音が響いた。ハルさんが両頬を叩くと、青い瞳はしっかりと前を向いて進む意志を見せていた。
 その姿にみんなが顔を上げて行く、ハルさんの思いが悔しさと悲しみを塗り潰して前を向けと背中を押す。
 それは、私の小さな劣等感や醜い思いも塗り潰してくれた。そしていつの間にか、手術室に緊張を見せていた自分はどこかへ消えていたの。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

3歳で捨てられた件

玲羅
恋愛
前世の記憶を持つ者が1000人に1人は居る時代。 それゆえに変わった子供扱いをされ、疎まれて捨てられた少女、キャプシーヌ。拾ったのは宰相を務めるフェルナー侯爵。 キャプシーヌの運命が再度変わったのは貴族学院入学後だった。

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

【完結】父が再婚。義母には連れ子がいて一つ下の妹になるそうですが……ちょうだい癖のある義妹に寮生活は無理なのでは?

つくも茄子
ファンタジー
父が再婚をしました。お相手は男爵夫人。 平民の我が家でいいのですか? 疑問に思うものの、よくよく聞けば、相手も再婚で、娘が一人いるとのこと。 義妹はそれは美しい少女でした。義母に似たのでしょう。父も実娘をそっちのけで義妹にメロメロです。ですが、この新しい義妹には悪癖があるようで、人の物を欲しがるのです。「お義姉様、ちょうだい!」が口癖。あまりに煩いので快く渡しています。何故かって?もうすぐ、学園での寮生活に入るからです。少しの間だけ我慢すれば済むこと。 学園では煩い家族がいない分、のびのびと過ごせていたのですが、義妹が入学してきました。 必ずしも入学しなければならない、というわけではありません。 勉強嫌いの義妹。 この学園は成績順だということを知らないのでは?思った通り、最下位クラスにいってしまった義妹。 両親に駄々をこねているようです。 私のところにも手紙を送ってくるのですから、相当です。 しかも、寮やクラスで揉め事を起こしては顰蹙を買っています。入学早々に学園中の女子を敵にまわしたのです!やりたい放題の義妹に、とうとう、ある処置を施され・・・。 なろう、カクヨム、にも公開中。

【完結】言いたいことがあるなら言ってみろ、と言われたので遠慮なく言ってみた

杜野秋人
ファンタジー
社交シーズン最後の大晩餐会と舞踏会。そのさなか、第三王子が突然、婚約者である伯爵家令嬢に婚約破棄を突き付けた。 なんでも、伯爵家令嬢が婚約者の地位を笠に着て、第三王子の寵愛する子爵家令嬢を虐めていたというのだ。 婚約者は否定するも、他にも次々と証言や証人が出てきて黙り込み俯いてしまう。 勝ち誇った王子は、最後にこう宣言した。 「そなたにも言い分はあろう。私は寛大だから弁明の機会をくれてやる。言いたいことがあるなら言ってみろ」 その一言が、自らの破滅を呼ぶことになるなど、この時彼はまだ気付いていなかった⸺! ◆例によって設定ナシの即興作品です。なので主人公の伯爵家令嬢以外に固有名詞はありません。頭カラッポにしてゆるっとお楽しみ下さい。 婚約破棄ものですが恋愛はありません。もちろん元サヤもナシです。 ◆全6話、約15000字程度でサラッと読めます。1日1話ずつ更新。 ◆この物語はアルファポリスのほか、小説家になろうでも公開します。 ◆9/29、HOTランキング入り!お読み頂きありがとうございます! 10/1、HOTランキング最高6位、人気ランキング11位、ファンタジーランキング1位!24h.pt瞬間最大11万4000pt!いずれも自己ベスト!ありがとうございます!

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

祝・定年退職!? 10歳からの異世界生活

空の雲
ファンタジー
中田 祐一郎(なかたゆういちろう)60歳。長年勤めた会社を退職。 最後の勤めを終え、通い慣れた電車で帰宅途中、突然の衝撃をうける。 ――気付けば、幼い子供の姿で見覚えのない森の中に…… どうすればいいのか困惑する中、冒険者バルトジャンと出会う。 顔はいかついが気のいいバルトジャンは、行き場のない子供――中田祐一郎(ユーチ)の保護を申し出る。 魔法や魔物の存在する、この世界の知識がないユーチは、迷いながらもその言葉に甘えることにした。 こうして始まったユーチの異世界生活は、愛用の腕時計から、なぜか地球の道具が取り出せたり、彼の使う魔法が他人とちょっと違っていたりと、出会った人たちを驚かせつつ、ゆっくり動き出す―― ※2月25日、書籍部分がレンタルになりました。

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

処理中です...