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日常の非日常
こちらもあちらもびっくりですよ
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「それでは、登録はこちらで致しますので、こちらの書類に御署名をお願いします」
「はい⋯⋯これでいい?」
私は署名を確認して、大きく頷いて見せました。
「ありがとうございます。必要な物は一式揃っていますので、足りない物はないと思います。一週間くらいはベタベタせずに様子を見て下さい。環境に慣れれば、この仔から寄って来ますので」
「分かったわ。ソフィーも分かった」
「はい。お姉ちゃん、ありがとう」
「ソフィーちゃん。何か気になったり、分からない事があったらいつでも来てね」
「そういえばあなた、お名前は?」
「あ! 申し訳ありません。エレナ・イルヴァンと言います。今後とも宜しくお願いします」
私は急いで立ち上がり、頭を下げました。
「アンナよ。こちらこそ宜しく。この子がここにこだわる理由が分かった気がします。エレナ、あなたね。あまりにガラガラだから不安だったけど、お願いして良かったわ」
「あ、いえ、そ、そんな⋯⋯こちらこそありがとうございます」
細くて綺麗な指先。
差し出された手を両手で包み込み何度も頭を下げてしまいます。照れもありますし、褒められ慣れていないので、どう返せばいいのか困ってしまい、焦るばかりです。
「でも、どうしてこんなにお客さんがいないの? お店の雰囲気も悪くないし、対応も丁寧なのに?」
「それが⋯⋯その⋯⋯根も葉もない噂が立っておりまして、何ともなのです」
「そうなの。それは何と言うか、かわいそうね」
「でも、今日はおふたりの笑顔を見る事が出来て、良かったです。些細な事でも結構ですので、気になる事がありましたら、いつでもお声掛け下さい」
「ありがとう。ソフィー、行くわよ。エレナお姉さんにちゃんと挨拶しなさい」
「お姉ちゃん、ありがとうございます」
「ソフィーちゃん、仲良くしてあげてね。ありがとうございました」
軽く一礼をこちらに見せて、母娘は出口へと向かって行きました。
母親は口元のマスクとフードをそっと外し、店の外へ。
私達からは、その凛とした後ろ姿だけが映ります。
『『『きゃあああああ!!!』』』
「ああああああああ!!!!」
へ? 何?
外からは悲鳴のごとき歓声。店の中ではフィリシアが、契約書を手に目を剥いていました。
街から届く歓声やどよめきは大きくなる一方、フィリシアは叫んだまま固まっています。
え? だから何?
私達も思いも寄らぬ状況に固まっていました。
ガラガラと遠ざかる馬車の音。歓声やざわめきは、おさまりましたが、街中のざわつく空気は店内まで届きます。
「フィリシア、どうしたの?! びっくりしたよ」
「ア、 アンナ・ネレーニャ⋯⋯」
『『『え? ええっー??!!』』』
モモさんやラーサさん、アウロさんまで絶句しています。
アンナ・ネレーニャ⋯⋯何か聞いた事ある名ですね。
「エ、エレナ! 握手したよね?! ね!? ね!!」
「え? うん。したよ」
「いいなぁ~いいなぁ~いいなぁ~」
「どうしたの?」
「もしかして、覚えていないの? 一緒に芝居観に行ったでしょう? ほら、デルクスさんからチケット貰って」
「行ったね」
「お姫様だよ。あの時の」
「?⋯⋯??⋯⋯ええええええええええええーーーー!! うそ、うそ、うそ!!」
「本当だって! ほら、署名見てごらんよ。しかもあの歓声、外出る時に顔を出したんだよ。店でもマスク取ってくれれば⋯⋯」
「はぁ⋯⋯」
あの時のお姫様⋯⋯今さらながら心臓がバクバクして来ました。びっくりですね。あの子のお母さんが女優さんとは。どうりで雰囲気のある方ですよ。いっぱいお話ししちゃいました。何だか頭の中がぐるぐるして、いろいろな事が吹き飛んでしまうほどびっくりです。
「これサインだよね。どうする? 飾る?」
「何言ってんだよ、ギルドに提出する書類だろう」
「ぬああー!? そうだった。サイン貰えば良かったー!」
「ちょっと落ち着きなさいよ、フィリシア。お客さんなのだから、サインなんてねだったら失礼でしょう」
「でもさ、欲しくない? アンナ・ネレーニャだよ。くぅー」
ラーサさんとモモさんはだいぶ落ち着かれましたが、悔しがるフィリシアのテンションは相変わらず高めです。
「いやぁ、びっくりだね。久々のお客さんが、超大物とは」
アウロさんも笑顔を見せます。暗い話題が続いていた店内が一気に華やぎました。女優さんの力って凄いのですね。
「あ! アウロさん。オルンモンキーを勧めたのはどうでした? 犬や猫の方が良かったですかね?」
アウロさんは、少し間を置きます。その間に少しドキっとしましたが、すぐに相好を崩し親指を立ててくれました。
「あれは良かったよ。いい選択だったね」
「良かった」
アウロさんのお墨付きを貰えたのは自信になります。
仲良くやってくれるといいなぁ。ソフィーちゃんなら大丈夫か。
根拠はないのですが、きっと大切にしてくれるに違いないと確信しました。
友達。
出来るといいね、ソフィーちゃん。
アンナさん母娘が現れてからは、ポツポツとお客さんがまた来始めました。数日後には、前とほとんど変わらないほどのお客さんが来て下さり、【ハルヲンテイム】にも日常が戻って来ました。
「ねえ、アンナ・ネレーニャはいつ来るの? また来る?」
なんて聞いて来るお客さんもチラホラ。どうやら汚染された店から、有名女優ご用達の店とイメージが上書きされたみたいです。アンナさんのオーラにどうしようもない噂など吹き飛んでしまいました。凄い方を接客してしまったと、時間が経てば経つほど実感します。
帰り際にマスクを取ってくれたのは、きっとこうなると分かっていたのでしょうね。次、お会いする事があれば、ちゃんとお礼を言わないと。
お店の危機を救って頂きありがとうございましたって。
◇◇◇◇
力無く座り込む兎人達。たわわな実を実らせる大木が並ぶ【果樹の森】に、お伽噺から抜け出た稀少種が100名ほどが座り込んでいた。
長い手足に長い耳。自慢の長い耳は力無く垂れ、無気力に座り込む様に心が痛む。
森で困っている人を見つけたら、手を差し伸べるという兎人としての矜恃。その矜恃が、悪い方へと転がった。差し伸べられた手を取り、恩を仇で返した獣人の影。兎人の隠れ里を潰すきっかけを作った犬人に一同は憤りを感じていた。
疲れ切った人々を先導する若いふたりの兎人、カズナとマナル。カズナは戦士としての怒りを露わにして、マナルは同胞の行く末を憂いていた。
何て事のない冒険。それがこんな結果を生むなんて、誰も予想など出来るはずは無かった。
「まさか兎人に出会うとは、相変わらずここは面白いな」
マッシュは飄々としながらも、瞳には鋭さを含んでいた。
「何、呑気な事言っているのよ。間違いなく、面倒を押し付けられるのよ」
「好きでやっているんだ、構わないさ。それより気にならないか、隠れ里を襲ったヤツらが欲しがった兎人の持つ何か⋯⋯」
御伽話と同じ、彼らは一族の秘術を使い、助けた人を酩酊させていた。そうする事に寄って兎人の存在自体をあやふやにし、自らを自衛していたそうだ。
「人を酩酊させるってやつ? お酒じゃないのよね」
「ああ。だいたい、記憶が混濁するほど酩酊するって酒なんかより相当強力だ」
「確かに。悪用しようと思えば、いくらでも出来そうね」
「多分、ヤツらは手に入れた。それが何か教えてくれれば、話は早いんだがな⋯⋯」
「一族の秘密じゃあね」
「ま、思わぬ所での収穫だ。しかも、かなり臭うと思わんか?」
「【反勇者】と繋がる感じ?」
「ああ」
【反勇者】。読んで字のごとく、勇者に仇なす者達。北から迫る脅威(黒素)が刻々と世界を陥れていると言うのに、何を目的に仇なすのか理解不能だ。団体なのかひとりなのか、それも不明。ひとつ言えるのは、非常に厄介で危険な存在という事だけ。
「そっち方面から当たって行くの?」
「そうなるかな。しかし、次から次へとウチの団長は面白いな」
「面白くないわよ」
「実家とはいえ世界最大の治療院を自分達の傘下に入れたと思ったら、今度は兎人だぞ。誰が想像つく?」
「想像つくわけないじゃない。頭が痛いだけよ」
ハルは苦い顔で何度も首を横に振って見せた。
次から次へと厄介事を抱え込むキルロを、苦虫を嚙み潰した時のような、とびきりの苦い表情で見つめる。ただ、いくら抱え込もうと、結果的に良い方向へと転がるから無下にも出来ない。それがまたモヤモヤとして、諦めに近い嘆息を零すだけだった。
「はい⋯⋯これでいい?」
私は署名を確認して、大きく頷いて見せました。
「ありがとうございます。必要な物は一式揃っていますので、足りない物はないと思います。一週間くらいはベタベタせずに様子を見て下さい。環境に慣れれば、この仔から寄って来ますので」
「分かったわ。ソフィーも分かった」
「はい。お姉ちゃん、ありがとう」
「ソフィーちゃん。何か気になったり、分からない事があったらいつでも来てね」
「そういえばあなた、お名前は?」
「あ! 申し訳ありません。エレナ・イルヴァンと言います。今後とも宜しくお願いします」
私は急いで立ち上がり、頭を下げました。
「アンナよ。こちらこそ宜しく。この子がここにこだわる理由が分かった気がします。エレナ、あなたね。あまりにガラガラだから不安だったけど、お願いして良かったわ」
「あ、いえ、そ、そんな⋯⋯こちらこそありがとうございます」
細くて綺麗な指先。
差し出された手を両手で包み込み何度も頭を下げてしまいます。照れもありますし、褒められ慣れていないので、どう返せばいいのか困ってしまい、焦るばかりです。
「でも、どうしてこんなにお客さんがいないの? お店の雰囲気も悪くないし、対応も丁寧なのに?」
「それが⋯⋯その⋯⋯根も葉もない噂が立っておりまして、何ともなのです」
「そうなの。それは何と言うか、かわいそうね」
「でも、今日はおふたりの笑顔を見る事が出来て、良かったです。些細な事でも結構ですので、気になる事がありましたら、いつでもお声掛け下さい」
「ありがとう。ソフィー、行くわよ。エレナお姉さんにちゃんと挨拶しなさい」
「お姉ちゃん、ありがとうございます」
「ソフィーちゃん、仲良くしてあげてね。ありがとうございました」
軽く一礼をこちらに見せて、母娘は出口へと向かって行きました。
母親は口元のマスクとフードをそっと外し、店の外へ。
私達からは、その凛とした後ろ姿だけが映ります。
『『『きゃあああああ!!!』』』
「ああああああああ!!!!」
へ? 何?
外からは悲鳴のごとき歓声。店の中ではフィリシアが、契約書を手に目を剥いていました。
街から届く歓声やどよめきは大きくなる一方、フィリシアは叫んだまま固まっています。
え? だから何?
私達も思いも寄らぬ状況に固まっていました。
ガラガラと遠ざかる馬車の音。歓声やざわめきは、おさまりましたが、街中のざわつく空気は店内まで届きます。
「フィリシア、どうしたの?! びっくりしたよ」
「ア、 アンナ・ネレーニャ⋯⋯」
『『『え? ええっー??!!』』』
モモさんやラーサさん、アウロさんまで絶句しています。
アンナ・ネレーニャ⋯⋯何か聞いた事ある名ですね。
「エ、エレナ! 握手したよね?! ね!? ね!!」
「え? うん。したよ」
「いいなぁ~いいなぁ~いいなぁ~」
「どうしたの?」
「もしかして、覚えていないの? 一緒に芝居観に行ったでしょう? ほら、デルクスさんからチケット貰って」
「行ったね」
「お姫様だよ。あの時の」
「?⋯⋯??⋯⋯ええええええええええええーーーー!! うそ、うそ、うそ!!」
「本当だって! ほら、署名見てごらんよ。しかもあの歓声、外出る時に顔を出したんだよ。店でもマスク取ってくれれば⋯⋯」
「はぁ⋯⋯」
あの時のお姫様⋯⋯今さらながら心臓がバクバクして来ました。びっくりですね。あの子のお母さんが女優さんとは。どうりで雰囲気のある方ですよ。いっぱいお話ししちゃいました。何だか頭の中がぐるぐるして、いろいろな事が吹き飛んでしまうほどびっくりです。
「これサインだよね。どうする? 飾る?」
「何言ってんだよ、ギルドに提出する書類だろう」
「ぬああー!? そうだった。サイン貰えば良かったー!」
「ちょっと落ち着きなさいよ、フィリシア。お客さんなのだから、サインなんてねだったら失礼でしょう」
「でもさ、欲しくない? アンナ・ネレーニャだよ。くぅー」
ラーサさんとモモさんはだいぶ落ち着かれましたが、悔しがるフィリシアのテンションは相変わらず高めです。
「いやぁ、びっくりだね。久々のお客さんが、超大物とは」
アウロさんも笑顔を見せます。暗い話題が続いていた店内が一気に華やぎました。女優さんの力って凄いのですね。
「あ! アウロさん。オルンモンキーを勧めたのはどうでした? 犬や猫の方が良かったですかね?」
アウロさんは、少し間を置きます。その間に少しドキっとしましたが、すぐに相好を崩し親指を立ててくれました。
「あれは良かったよ。いい選択だったね」
「良かった」
アウロさんのお墨付きを貰えたのは自信になります。
仲良くやってくれるといいなぁ。ソフィーちゃんなら大丈夫か。
根拠はないのですが、きっと大切にしてくれるに違いないと確信しました。
友達。
出来るといいね、ソフィーちゃん。
アンナさん母娘が現れてからは、ポツポツとお客さんがまた来始めました。数日後には、前とほとんど変わらないほどのお客さんが来て下さり、【ハルヲンテイム】にも日常が戻って来ました。
「ねえ、アンナ・ネレーニャはいつ来るの? また来る?」
なんて聞いて来るお客さんもチラホラ。どうやら汚染された店から、有名女優ご用達の店とイメージが上書きされたみたいです。アンナさんのオーラにどうしようもない噂など吹き飛んでしまいました。凄い方を接客してしまったと、時間が経てば経つほど実感します。
帰り際にマスクを取ってくれたのは、きっとこうなると分かっていたのでしょうね。次、お会いする事があれば、ちゃんとお礼を言わないと。
お店の危機を救って頂きありがとうございましたって。
◇◇◇◇
力無く座り込む兎人達。たわわな実を実らせる大木が並ぶ【果樹の森】に、お伽噺から抜け出た稀少種が100名ほどが座り込んでいた。
長い手足に長い耳。自慢の長い耳は力無く垂れ、無気力に座り込む様に心が痛む。
森で困っている人を見つけたら、手を差し伸べるという兎人としての矜恃。その矜恃が、悪い方へと転がった。差し伸べられた手を取り、恩を仇で返した獣人の影。兎人の隠れ里を潰すきっかけを作った犬人に一同は憤りを感じていた。
疲れ切った人々を先導する若いふたりの兎人、カズナとマナル。カズナは戦士としての怒りを露わにして、マナルは同胞の行く末を憂いていた。
何て事のない冒険。それがこんな結果を生むなんて、誰も予想など出来るはずは無かった。
「まさか兎人に出会うとは、相変わらずここは面白いな」
マッシュは飄々としながらも、瞳には鋭さを含んでいた。
「何、呑気な事言っているのよ。間違いなく、面倒を押し付けられるのよ」
「好きでやっているんだ、構わないさ。それより気にならないか、隠れ里を襲ったヤツらが欲しがった兎人の持つ何か⋯⋯」
御伽話と同じ、彼らは一族の秘術を使い、助けた人を酩酊させていた。そうする事に寄って兎人の存在自体をあやふやにし、自らを自衛していたそうだ。
「人を酩酊させるってやつ? お酒じゃないのよね」
「ああ。だいたい、記憶が混濁するほど酩酊するって酒なんかより相当強力だ」
「確かに。悪用しようと思えば、いくらでも出来そうね」
「多分、ヤツらは手に入れた。それが何か教えてくれれば、話は早いんだがな⋯⋯」
「一族の秘密じゃあね」
「ま、思わぬ所での収穫だ。しかも、かなり臭うと思わんか?」
「【反勇者】と繋がる感じ?」
「ああ」
【反勇者】。読んで字のごとく、勇者に仇なす者達。北から迫る脅威(黒素)が刻々と世界を陥れていると言うのに、何を目的に仇なすのか理解不能だ。団体なのかひとりなのか、それも不明。ひとつ言えるのは、非常に厄介で危険な存在という事だけ。
「そっち方面から当たって行くの?」
「そうなるかな。しかし、次から次へとウチの団長は面白いな」
「面白くないわよ」
「実家とはいえ世界最大の治療院を自分達の傘下に入れたと思ったら、今度は兎人だぞ。誰が想像つく?」
「想像つくわけないじゃない。頭が痛いだけよ」
ハルは苦い顔で何度も首を横に振って見せた。
次から次へと厄介事を抱え込むキルロを、苦虫を嚙み潰した時のような、とびきりの苦い表情で見つめる。ただ、いくら抱え込もうと、結果的に良い方向へと転がるから無下にも出来ない。それがまたモヤモヤとして、諦めに近い嘆息を零すだけだった。
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