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坂門

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黒、困惑、混乱

焦りが運ぶ不安

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 床に転がるふたりを見つめるモモの瞳は厳しさを増していた。
 暗鬱な空気は容赦なくモモを押しつぶしに掛かり、不安は休みなく襲い掛かる。
 何も出来ないもどかしさは相変わらず。ふたりの状態は思わしく無く、悪化の一途を辿っていた。隔離室に漂う焦燥は、天井知らずに上がって行き、暗鬱な空気はモモを無力感へと誘う。
 モモは抗った。
 何度となく顔を上げ、暗鬱な空気と、不安と対峙した。
 先の見えない様がモモの心を折りに掛かる。
 それに抗う。
 ゴーグルの奥の瞳は光を失う事なく、真っ直ぐ前を見つめていた。
 
 早く浅い呼吸を繰り返すアウロ。
 突然苦しそうに体を折るエレナ。

 お腹を押さえるエレナの小さな呻きが耳朶を掠める。
 見ているだけで疲弊してしまう。何とかしたいという思いだけが積み重ねって行った。
 苦しそうに呻き、体を折っているエレナの背中をさする。意識が無いのはふたりにとって幸いなのかも知れないと吐息を零した。

「エレナ、大丈夫よ。もう少しだけ頑張って」

 悔しさを噛み殺し、小さな背中をそっとさすっていく。
 何も出来ない自分が悔しく、当て布の奥で唇を噛んだ。
 アウロが体を大きく反らす。意識の無いアウロの体が悲鳴を上げている。苦し気な呼吸は、いつ間にか微かな吐息となっていた。
 
 マズイ。
 限界がすぐそこまで来ている。何の手立ても無いまま時間は無情に過ぎて行く。苦しみから逃れようとアウロの体は必死な抵抗を見せていた。
 何も出来ない。
 見ている事しか出来ない自分に、無力感しか無かった。
 一体どうしたらいいのよ。
 苛立ちは限界を越え、不安で心は満たされてしまう。
 答えなど出るはずも無い。
 限界⋯⋯。
 頭を過る言葉が心を折りに掛かった。

「まだよ。頑張って!」

 その言葉を自身にも向けていた。
 すがる思いは、伝声管を激しく掴む。
 伝声管のベルを三回鳴らす。悔しさと焦りを乗せるベルの音が、激しく鳴り響いた。

◇◇◇◇

 亜種エリートの確認。
 傍らに白精石アルバナオスラピスを置いていたコーレ菌を、ログリは覗いていた。この短時間で成果が出るのかと部屋の空気は疑心が渦巻く。
 微細で構わない。
 部屋の空気は変化が起きている事を願っていた。
 ログリは倍率を微調整しながら顕微鏡を覗く。押し黙る部屋に緊張が流れる。ログリの一挙手一投足に集中し、彼の言葉を待った。
 ログリが顔を上げる。視線を感じるとすぐに頷いて見せた。

「店長さんの予想通りです。黒味が薄くなっている。この菌はコーレ菌亜種エリートと考えられます」

 予想通りであった事に安堵は無かった。原因は分かったが、対抗するすべはまだ見つかっていない。
 ログリは再びコーレ菌を白精石アルバナオスラピスの傍らへと置き直した。

「もう少し変化を観察しましょう」
「そうね。それじゃあ、次は抗生剤を垂らした皿の確認を⋯⋯」

 リン! リン! リン! と急を告げるベルの音がハルの言葉を遮った。部屋の空気が一変する。緊迫が部屋を一気に覆い尽くし、誰もがドクンとイヤな拍動をして見せた。ハルは伝声管に飛び付き叫ぶ。

「モモ! どうしたの!?」
『マズイ⋯⋯マズイわ! アウロさんが急変! 今なんとかバッグしている。エレナも激しい痛みに襲われて、痙攣を起こしてしまっているわ! ラーサに早くしろって!』
「くっ⋯⋯急ぐ、耐えて。お願いモモ」
『分かっているわ。でも、もう⋯⋯』
「モモ!? モモ!!」

 途切れるモモの声。
 見えない圧が襲う。もう時間は許してくれない、一刻の猶予すらありはしない。
 ヒリつく空気は思考を緩慢にする。
 どうすればいい? 自問を繰り返すだけで、答えは出ない。
 頭を過るのは最悪の状況シチュエーション。考えたくもない結末が、一同の頭を過って行った。

 誰もが焦燥と無力に襲われる中、ひとり顕微鏡を覗いていたラーサが伝声管に飛び込んで行った。ハルを押しのけ、勢いのまま叫んだ。

「モモ!! 点滴を引っこ抜け! 早く! 早く!!!!」
『え?!』
「いいから! 言われた通り早くしろ!!」
『わ、分かった』

 ラーサは大きく息を吐き出し、天を仰ぐ。その表情は厳しいまま。
 唯一の手立てであったはずの点滴を抜けという指示に、一同は困惑の色を強める。
 対抗する唯一のすべを放棄してしまうのかと⋯⋯。
 ラーサが一同を見渡し、口を開いていった。

「こいつらは抗生剤を餌にして増殖する」

 困惑は混乱に近い様相を見せて行く。ハルとデルクスは、顔を見合わせて困惑の色を隠さない。ただ、ログリはひとりラーサの言葉を冷静に受け止めていた。

「それは、耐性どころでは無いという事か?」
「そうだ。この極めて短い時間で目視出来る程増えている。ずっと抗生剤を入れっぱなしの体。体内で菌が増殖していたと考えていいと思う」
「なるほど。体調が悪化している原因として、辻褄は合うな。ラーサの仮説が正しければ、点滴を止める事で、これ以上の悪化を食い止めるという事だ」
「正しければな。ただ、所詮机の上での話。確証は正直無いよ」
「あとはふたりの回復を願いつつ、こいつをもう少し洗おう」

 ラーサとログリが再び顕微鏡に対峙して行く。見えて来る情報を逃すまいと、集中を見せて行った。
 
 ふたりのやり取りを見つめ、ハルの頭は冷静になっていく。
 コーレ菌亜種エリート。これはきっと間違いない。ただ亜種エリート黒素アデルガイストがある程度濃くなければ、存在しないはずだ。何かがしっくりと来ない。
 いや、今考えるのは隔離部屋のふたりの事。余計な事は後回しにしよう。
 

 ラーサとログリは幾つものサンプルを次から次へと覗いて、対抗するすべを求めていた。
 押し黙る伝声管から、モモの声は聞こえない。
 隔離室の状況を打ち破る事は出来たのか? いや、きっと答えはまだ出ていないのだ。何も言わないという事は、状況は変わっていないという事。それはきっと悪い方にも転がっていないという事。
 最悪の危機は逃れた? 大丈夫きっといい方に転がる。
 悲観が何度も飲み込もうとした。そして、何度となく同じ言葉を心の中で繰り返す。
 きっと大丈夫。

 まんじりとしない夜が過ぎて行く。答えを急ぎ、焦る長い夜。
 言葉数は極端に少なくなり、静かな夜は部屋の空気を嘲笑うかのようにゆっくりと流れて行った。

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