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黒、困惑、混乱
オルファステイム
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朦朧とする意識が、夢と現実の境を混濁して行きます。
床でうずくまっている私の途切れ途切れの視界に見覚えのある足先が見えました。
「モ⋯⋯モ⋯⋯さん⋯⋯」
「エレナ!!」
私の微かな呼び声に反応を見せてくれます。
何故モモさんがここに? 私がどこかに運ばれた?
背中から感じる硬い床の感触から、何も変わっていないのだと悟ります。
「ア⋯⋯ウロさん⋯⋯は?」
「心配しないで、今は寝ているわよ」
「あ、あ⋯⋯の仔⋯⋯は⋯⋯?」
「何も心配しなくて大丈夫。静かに休んでいなさい、直ぐに治してあげるから。ね」
当て布越しのくぐもった優しい声に、抗う勇気を貰いました。
頬に優しく添えられた手の平の熱が、安堵を運んでくれます。安心は私の気を緩め、また意識は混濁して行きました。
これは夢? 幻かな?
私の願望が見せた夢かもしれませんね。
途切れる意識。記憶の断片は、深い所へと落ちて行きました。
◇◇◇◇
モモはエレナの頬にそっと手を添える。意識を失うエレナの姿に無力な自分が腹立たしかった。
隔離部屋の二重扉。ひとつめの扉の先に置いてあるはずの空瓶が無かった。それだけでモモの心をざわつかすのには十分。すぐに準備を整え、隔離室の中へと飛び込んで行った。
床に横たわるふたつの人影。ベッドの上で動かないセントニッシュの姿。
ベッドの上では舌をだらしなく垂らし、生気の無い目を剥いていた。
モモの心臓はドクンとひとつ高鳴りを見せる。この原因となっている菌は放っておいたら、死に至らしめるという事をこの光景が語っていた。
動物由来の感染症で死に至る物。放置したのなら、どれでもありえる話。けれど、治療はしている。
抗生剤に痛み止め、栄養剤。他に手があるのかしら?
私の知らない菌があるとか?
もっとちゃんと勉強しておけば良かったわ。
セントニッシュをシーツにしっかりと包み、除菌を施す。
アウロさんは意識を消失したまま。一瞬だが目を開けたのはエレナ。アウロさんではなく、体力の少ないエレナが目を開けた。そこも解せない。
何かが嚙み合わない心持ちの悪さを感じながら、ふたりの治療に当たっていく。
もどかしさを積み上げ、見えない先がモモを暗鬱にさせていた。
◇◇◇◇
「戻ったよ。モーラさんに現状報告しておいた。それと【オルファステイム】からは、そんな話は一切無いって。隠していたら分からないけど、あそこはそんな事はしないだろうって」
「だよね。ご苦労様、フィリシア」
「で、どう?」
ハルが首を横に振って見せると、フィリシアも冴えない表情を返すだけだった。
ふたりとも続く言葉が見つからず、院長室は押し黙る。
『ハルさん。今、隔離室。聞こえる?』
静寂を打ち破る、モモの声が伝声管を通じて聞こえて来た。ハルとフィリシアは顔を見合わせ、伝声管に飛びついた。
「どうしたの?! 何かあった?」
『空瓶が置いてなかったので、心配になって今、隔離室。正直ふたりとも芳しくないわ。エレナが一瞬意識を戻したけど、アウロさんと共に意識は消失したまま。それとセントニッシュが死亡。とりあえずシーツに包んで処理はしました。そっちは? 何か進展ありました?』
「ないわ。コーレ菌が原因じゃないかと見ているのだけど、辻褄が合わない所があって他に原因が無いか模索中」
『そう⋯⋯。正直、こっちは時間を掛けられる状況じゃないわね』
「分かった。引き続きお願い。フィリシアが待機しているから、必要な物があったらベルを鳴らして。それとモモ、自分のケアも忘れないでね」
『分かっているわ』
ハルとフィリシアはまた顔を見合わせる。
モモの言葉はフィリシアの不安を煽り、目は泳ぐ。分かっていた事とはいえ、動揺は隠し切れないでいた。
「フィリシア、ここお願い。【オルファステイム】が情報持っていないか、行って来る。すぐに戻るから。落ち着いて、しっかりね」
「うん⋯⋯」
フィリシアの肩に手を置き、院長室を後にする。不安の種がセントニッシュの死と共に芽吹き始めた。近づく時間切れに、焦るなというのは酷な話だ。
抗い、もがく。体裁なんて構うものか。
突き動かすのは絶対に救うという思い。その思いがハルの足を動かして行く。
「ヘッグ、宜しく」
『クエッ!』
アックスピークが短い羽でひとつ羽ばたいて見せると、ハルが背中に跨った。
街中を縫うように白光が駆け抜けて行く。道行く人の視線など気に留める事無く、ハルは視線を真っ直ぐ前に向けた。
◇◇◇◇
ギルドを挟み【ハルヲンテイム】の対角上に店を構える【オルファステイム】。高級ホテルを模した、煌びやかな作り。敷地は【ハルヲンテイム】に劣るが、高さは【オルファステイム】が勝っている。五階まである見上げる程の高さはギルド程では無いにしろ、街中では十分な存在感を示していた。高級感溢れる作りに安心と信頼を感じて、人々は来店するに違いない。人の流れは途切れる事は無く、入口の中へと吸い込まれていた。
吸い込まれて行く人々の目の前に、突如として現れた聖鳥とドワーフエルフ。見るも珍しいアックスピーク。その姿に街の人はおろか、【オルファステイム】の従業員までその姿をひと目見ようと体を乗り出して行く。
聖鳥から飛び降りたドワーフエルフは、そびえ立つ建物を見上げると入口へとすぐに駆け出した。焦燥が彼女の足を急がせる。
「ちょっとゴメン! すいません!」
人の流れを掻き分け、ハルは先を急いだ。
「いらっしゃいませ。【オルファステイム】です。本日はいかがなさいましたか?」
高級感を漂わす受付から、ニッコリと判で押した笑顔を見せる受付嬢を睨む。ハルの視線は左右に泳ぎ、求める先を探していた。
「ああ⋯⋯【ハルヲンテイム】のハルが来たと伝えて。ほらほら、急いで」
「え?! あ⋯⋯はい」
ハルは受付へ体を乗り出し、耳元で低く囁いた。少しばかり冒険者としての凄みを上乗せして見せると、受付嬢は強張る笑顔を見せながら奥へと急ぎ消えて行く。
「これはこれは【ハルヲンテイム】の店長様。こんな目立つ登場をして、何かのいやがらせですかな」
いつもの横柄な態度を崩さない父親のラグウス。脂の乗り切った腹をたゆませ、ゆっくりと近づいて来た。
「ねえ、あなたの所も【ライザテイム】の後始末に当たったのでしょう? 何かおかしな事は無かった?」
横柄な態度を気にも留めないハルの姿に、少しばかり怪訝な表情を見せる。口髭を愛でながら、ラグウスは目を細めて見せた。
「それは【ハルヲンテイム】では、おかしな事が起きたという事か。それはそれは。ウチはキッチリと事に当たる。おかしな事など起こるわけがなかろう。おまえの所と一緒にしないで欲しいものだな」
「そう⋯⋯。【オルファステイム】では何事も起こっていない。ねえ、内科医か薬剤師と話し出来ない? 些細な事でもいいのよ。今は情報が欲しい」
「ああ? 見て分からんのか。こっちはおまえの所の客が流れて来て大忙しなんだよ。分かったら帰れ! 帰れ!」
「父さん、いい加減にしないか。ハルさん、わざわざご足労いただいたのにすいません。こちらへどうぞ。【ライザテイム】の事を知る限りお教えしますよ」
「デルクス、貴様! 裏切るのか!」
奥からデルクスが呆れ顔を見せると、ラグウスの機嫌は急降下して行った。
「裏切るも何も客人は丁寧に扱うものですよ」
「こいつは客ではない!」
「もう、いいですよ。ハルさん気にせずこちらへ」
デルクスはいつもの柔らかな笑みで、応接室へと案内してくれた。父親の怒りは増してしまい、ハルは他人事ながら不安を少し覚える。とはいえ、父親に構っている時間など無く、無視を決め込むしかなかった。
手入れの行き届いた廊下を後に続いた。派手な赤色の絨毯の毛足は長く、踏み込む足は沈んで行く。
凡庸な扉とは趣の異なる豪華な細工に飾られた扉。デルクスはその扉をそっと開き、中へと誘った。少し過度にも見える調度品に囲まれながら、ベルベット地の柔らかなソファーへと腰を下ろす。
「大丈夫?」
「大丈夫? ⋯⋯ああ、父ですか? 大丈夫です、お気になさらず。しかし、アックスピークですよね。凄い」
「ありがとう。ねえ、早速で悪いのだけど【ライザテイム】での事を教えて貰える?」
「もちろん。あの現場は―――――」
デルクスが話し始めると、ハルは身を乗り出して行く。その真剣な姿にデルクスの表情も厳しい物へと変わっていった。それはあの日の凄惨な現場を思い出した事もあるのだろう。デルクスのひとつひとつの言葉を聞き漏らすまいと、ハルの集中は上がって行く。
語るデルクスも熱を帯びて行き、部屋の熱は否が応にも上がって行った。
床でうずくまっている私の途切れ途切れの視界に見覚えのある足先が見えました。
「モ⋯⋯モ⋯⋯さん⋯⋯」
「エレナ!!」
私の微かな呼び声に反応を見せてくれます。
何故モモさんがここに? 私がどこかに運ばれた?
背中から感じる硬い床の感触から、何も変わっていないのだと悟ります。
「ア⋯⋯ウロさん⋯⋯は?」
「心配しないで、今は寝ているわよ」
「あ、あ⋯⋯の仔⋯⋯は⋯⋯?」
「何も心配しなくて大丈夫。静かに休んでいなさい、直ぐに治してあげるから。ね」
当て布越しのくぐもった優しい声に、抗う勇気を貰いました。
頬に優しく添えられた手の平の熱が、安堵を運んでくれます。安心は私の気を緩め、また意識は混濁して行きました。
これは夢? 幻かな?
私の願望が見せた夢かもしれませんね。
途切れる意識。記憶の断片は、深い所へと落ちて行きました。
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モモはエレナの頬にそっと手を添える。意識を失うエレナの姿に無力な自分が腹立たしかった。
隔離部屋の二重扉。ひとつめの扉の先に置いてあるはずの空瓶が無かった。それだけでモモの心をざわつかすのには十分。すぐに準備を整え、隔離室の中へと飛び込んで行った。
床に横たわるふたつの人影。ベッドの上で動かないセントニッシュの姿。
ベッドの上では舌をだらしなく垂らし、生気の無い目を剥いていた。
モモの心臓はドクンとひとつ高鳴りを見せる。この原因となっている菌は放っておいたら、死に至らしめるという事をこの光景が語っていた。
動物由来の感染症で死に至る物。放置したのなら、どれでもありえる話。けれど、治療はしている。
抗生剤に痛み止め、栄養剤。他に手があるのかしら?
私の知らない菌があるとか?
もっとちゃんと勉強しておけば良かったわ。
セントニッシュをシーツにしっかりと包み、除菌を施す。
アウロさんは意識を消失したまま。一瞬だが目を開けたのはエレナ。アウロさんではなく、体力の少ないエレナが目を開けた。そこも解せない。
何かが嚙み合わない心持ちの悪さを感じながら、ふたりの治療に当たっていく。
もどかしさを積み上げ、見えない先がモモを暗鬱にさせていた。
◇◇◇◇
「戻ったよ。モーラさんに現状報告しておいた。それと【オルファステイム】からは、そんな話は一切無いって。隠していたら分からないけど、あそこはそんな事はしないだろうって」
「だよね。ご苦労様、フィリシア」
「で、どう?」
ハルが首を横に振って見せると、フィリシアも冴えない表情を返すだけだった。
ふたりとも続く言葉が見つからず、院長室は押し黙る。
『ハルさん。今、隔離室。聞こえる?』
静寂を打ち破る、モモの声が伝声管を通じて聞こえて来た。ハルとフィリシアは顔を見合わせ、伝声管に飛びついた。
「どうしたの?! 何かあった?」
『空瓶が置いてなかったので、心配になって今、隔離室。正直ふたりとも芳しくないわ。エレナが一瞬意識を戻したけど、アウロさんと共に意識は消失したまま。それとセントニッシュが死亡。とりあえずシーツに包んで処理はしました。そっちは? 何か進展ありました?』
「ないわ。コーレ菌が原因じゃないかと見ているのだけど、辻褄が合わない所があって他に原因が無いか模索中」
『そう⋯⋯。正直、こっちは時間を掛けられる状況じゃないわね』
「分かった。引き続きお願い。フィリシアが待機しているから、必要な物があったらベルを鳴らして。それとモモ、自分のケアも忘れないでね」
『分かっているわ』
ハルとフィリシアはまた顔を見合わせる。
モモの言葉はフィリシアの不安を煽り、目は泳ぐ。分かっていた事とはいえ、動揺は隠し切れないでいた。
「フィリシア、ここお願い。【オルファステイム】が情報持っていないか、行って来る。すぐに戻るから。落ち着いて、しっかりね」
「うん⋯⋯」
フィリシアの肩に手を置き、院長室を後にする。不安の種がセントニッシュの死と共に芽吹き始めた。近づく時間切れに、焦るなというのは酷な話だ。
抗い、もがく。体裁なんて構うものか。
突き動かすのは絶対に救うという思い。その思いがハルの足を動かして行く。
「ヘッグ、宜しく」
『クエッ!』
アックスピークが短い羽でひとつ羽ばたいて見せると、ハルが背中に跨った。
街中を縫うように白光が駆け抜けて行く。道行く人の視線など気に留める事無く、ハルは視線を真っ直ぐ前に向けた。
◇◇◇◇
ギルドを挟み【ハルヲンテイム】の対角上に店を構える【オルファステイム】。高級ホテルを模した、煌びやかな作り。敷地は【ハルヲンテイム】に劣るが、高さは【オルファステイム】が勝っている。五階まである見上げる程の高さはギルド程では無いにしろ、街中では十分な存在感を示していた。高級感溢れる作りに安心と信頼を感じて、人々は来店するに違いない。人の流れは途切れる事は無く、入口の中へと吸い込まれていた。
吸い込まれて行く人々の目の前に、突如として現れた聖鳥とドワーフエルフ。見るも珍しいアックスピーク。その姿に街の人はおろか、【オルファステイム】の従業員までその姿をひと目見ようと体を乗り出して行く。
聖鳥から飛び降りたドワーフエルフは、そびえ立つ建物を見上げると入口へとすぐに駆け出した。焦燥が彼女の足を急がせる。
「ちょっとゴメン! すいません!」
人の流れを掻き分け、ハルは先を急いだ。
「いらっしゃいませ。【オルファステイム】です。本日はいかがなさいましたか?」
高級感を漂わす受付から、ニッコリと判で押した笑顔を見せる受付嬢を睨む。ハルの視線は左右に泳ぎ、求める先を探していた。
「ああ⋯⋯【ハルヲンテイム】のハルが来たと伝えて。ほらほら、急いで」
「え?! あ⋯⋯はい」
ハルは受付へ体を乗り出し、耳元で低く囁いた。少しばかり冒険者としての凄みを上乗せして見せると、受付嬢は強張る笑顔を見せながら奥へと急ぎ消えて行く。
「これはこれは【ハルヲンテイム】の店長様。こんな目立つ登場をして、何かのいやがらせですかな」
いつもの横柄な態度を崩さない父親のラグウス。脂の乗り切った腹をたゆませ、ゆっくりと近づいて来た。
「ねえ、あなたの所も【ライザテイム】の後始末に当たったのでしょう? 何かおかしな事は無かった?」
横柄な態度を気にも留めないハルの姿に、少しばかり怪訝な表情を見せる。口髭を愛でながら、ラグウスは目を細めて見せた。
「それは【ハルヲンテイム】では、おかしな事が起きたという事か。それはそれは。ウチはキッチリと事に当たる。おかしな事など起こるわけがなかろう。おまえの所と一緒にしないで欲しいものだな」
「そう⋯⋯。【オルファステイム】では何事も起こっていない。ねえ、内科医か薬剤師と話し出来ない? 些細な事でもいいのよ。今は情報が欲しい」
「ああ? 見て分からんのか。こっちはおまえの所の客が流れて来て大忙しなんだよ。分かったら帰れ! 帰れ!」
「父さん、いい加減にしないか。ハルさん、わざわざご足労いただいたのにすいません。こちらへどうぞ。【ライザテイム】の事を知る限りお教えしますよ」
「デルクス、貴様! 裏切るのか!」
奥からデルクスが呆れ顔を見せると、ラグウスの機嫌は急降下して行った。
「裏切るも何も客人は丁寧に扱うものですよ」
「こいつは客ではない!」
「もう、いいですよ。ハルさん気にせずこちらへ」
デルクスはいつもの柔らかな笑みで、応接室へと案内してくれた。父親の怒りは増してしまい、ハルは他人事ながら不安を少し覚える。とはいえ、父親に構っている時間など無く、無視を決め込むしかなかった。
手入れの行き届いた廊下を後に続いた。派手な赤色の絨毯の毛足は長く、踏み込む足は沈んで行く。
凡庸な扉とは趣の異なる豪華な細工に飾られた扉。デルクスはその扉をそっと開き、中へと誘った。少し過度にも見える調度品に囲まれながら、ベルベット地の柔らかなソファーへと腰を下ろす。
「大丈夫?」
「大丈夫? ⋯⋯ああ、父ですか? 大丈夫です、お気になさらず。しかし、アックスピークですよね。凄い」
「ありがとう。ねえ、早速で悪いのだけど【ライザテイム】での事を教えて貰える?」
「もちろん。あの現場は―――――」
デルクスが話し始めると、ハルは身を乗り出して行く。その真剣な姿にデルクスの表情も厳しい物へと変わっていった。それはあの日の凄惨な現場を思い出した事もあるのだろう。デルクスのひとつひとつの言葉を聞き漏らすまいと、ハルの集中は上がって行く。
語るデルクスも熱を帯びて行き、部屋の熱は否が応にも上がって行った。
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