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ミルクと白地図
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不安や絶望を置いてきぼりにして、私はハルさんに手を引かれ前へと進みます。小さな手が私の手を強く握り締めてくれると、希望は大きくなっていきました。
前を向いて歩くだけ。力の入らない足は鉛のように重いです。でも、顔を上げて前を向いて行きます。
肩を貸してくれているハルさんが、私に力をくれます。
私は重い足を引きずり、街中を進んでいました。
ハルさんは辺りを気にする素振りを見せながら、一軒の小さな家の前で止まります。
中心街から少し離れた、閑静な住宅街。子供達のはしゃぐ声だけが響いていました。
ハルさんが扉をノックすると、扉の向こうからバタバタと急ぐ忙しない足音が聞こえます。勢い良く開かれた扉からは、満面の笑みが飛び込んで来ました。
「いらっしゃいですね。エレナちゃん」
「フェインさん?」
ここはフェインさんの家でしょうか? 困惑する私にハルさんは微笑んでくれますが、状況が何とも飲み込めません。
「とりあえず、中へどうぞ」
私達は居間へと通されます。過度な調度品はなく、シンプルな白い壁と木目の美しい家具。部屋の片隅にある立派な机だけが大きな主張をしていました。
部屋の中央に鎮座するテーブルセットに腰を掛けると、温かいミルクを目の前に置いて下さいます。
「ささ、どうぞ飲んで下さい」
フェインさんが笑顔で促し、私は素直に口をつけていきました。
美味しい。
ほのかな甘みを感じます。
渇いた喉を潤しながら、空っぽの胃に温かなミルクが落ちて行くのが分かります。胃の中がポカポカ温かくなり、心が落ち着いていきました。キルロさんと初めて会った時のミルクの味を思い出します。優しい味がしたあのミルク。
何故だかフェインさんは私の様子を嬉しそうに見ていました。何だかちょっと恥ずかしいですね。
「ありがとうございます。ここはフェインさんのお宅ですか?」
「そうよ、エレナ。フェインに今後の動きを伝えてあるから心配しないで。私はもう行くね。それじゃフェイン、あとを宜しく」
「まかせて下さい」
ハルさんはそれだけ言い残して、街中へと飛び出して行きました。【ハルヲンテイム】に行くものだとばかり思っていたので、予想外の展開に戸惑いを隠せずにいます。
「フェインさん、すいません」
「いえいえ、いいのですよ。時間が来るまでここで待っていましょう。ここなら大丈夫ってハルさんが言っていたので、心配しなくていいですよ」
時間が来るまで? 何の時間でしょう?
困惑してはいるものの、フェインさんの優しい笑顔に張り詰めていた物が、一気にほぐれていきます。
緊張が緩むとお腹がぐうと鳴ってしまい、とても恥ずかしくて俯いてしまいました。
「フフ。そうでしたね。大丈夫ですよ、ハルさんから聞いていますから。今、パン粥を持って来ますね。しっかり食べて元気を取り戻しましょう」
「す、すいません。お言葉に甘えます」
「気にしないで下さいですよ。あ、この間はおめでとうございます。エレナちゃん、凄いです」
「いえいえいえ、あれはフィリシアが凄かっただけで、私は何もしていませんから」
「そんな事は無いですよ。⋯⋯はい、どうぞです。空っぽの胃がびっくりしないようにゆっくり食べて下さいね。おかわりは、いーっぱいありますよ」
コトリと目の前に置かれた乳白色のトロトロのスープ。立ちこめる湯気からミルクの優しい香りが、鼻腔をくすぐり、空っぽの胃がぐうぐうと欲します。
すくい上げたスープはスプーンからトロトロと零れ落ちていき、スプーンの上には味の染み込んだトロトロのパンが残りました。私はそれを一気に口に運び入れます。ミルクのほのかな甘さのあとに、少しピリっと香辛料が舌を刺激してきました。その刺激がミルクの甘さを引き立て、空っぽの胃はみるみる満たされていきます。
フェインさんのように優しい味。心も体も満たされていき、何だか心地よい安堵感を覚えました。
「すごく美味しいです!」
「良かったです。落ち着きましたか? 大変でしたね。【ハルヲンテイム】やキルロさんの所はきっと見張られてしまいます。でも、ここなら大丈夫。向こうも私の家は知らないですよ。ハルさんのお墨付きですから、安心して下さい。エレナちゃんには指一本触れさせませんよ!」
「はい」
鼻息荒いフェインさんに思わず笑顔が零れてしまいます。
お腹いっぱいになると、体に力が戻って来ました。改めて部屋を見回すと、隅にある立派な机の上には描き掛けの地図。部屋の壁にはとても大きな白地図が貼ってあり、書き込みがされていました。
白地図を覗くと、北から南に掛けて扇状に広がっています。最北を示す地図の頂点には【最果て】と書いてありました。そこから真っ直ぐ南に下るとほぼ最南に私達の住む【ミドラス】の記載があります。
これが私達の住む世界。私は初めて覗いた世界の広さに驚いていました。
「何だか、見られると恥ずかしいですね。この地図を完成させるのが私の目標⋯⋯夢に近いかも知れませんです。今、私達がいるのはここ【ミドラス】、そのすぐ北に位置するのが【中央《セントラル》】。勇者様がいるのですよ。【ミドラス】と並んで、この世界の中心。重責を担っている場所なのです」
「【ミドラス】だけでも広いのに、世界って広いのですね」
私は地図の側に寄りまじまじと眺めて行きます。良く見ると細かい書き込みもされていて、【吹き溜まり】、【スミテマアルバレギオ】初クエストなんて文字も見えました。
「そういえばハルさんが、優秀な地図師さんって言っていましたものね。【イスタバール】、【オルン】、【ヴィトリア】⋯⋯いっぱい国もあるのですね」
ハルさんの褒め言葉を伝えるとオロオロしながらも、地図を眺めながら教えてくれました。
「ですです。行った事の無い国もまだまだありますし、人が住めないと言われている北方、あわよくば【最果て】まで行ってみたいです」
「想像も尽きませんね」
私は白地図を眺めながら、フェインさんの話を途方も無く感じてしまいます。そして、キラキラした瞳で語るフェインさんを羨ましく思いました。
目標、夢⋯⋯。
考えた所で何も浮びません。みんな目標や夢を掲げて日々邁進しているのでしょうか? 今の生活で十分幸せで、それ以上の何かが浮んで来ません。難しいですね。
「地図を睨んで、どうしたのですか?」
「私も目標や夢を持った方がいいのかなって⋯⋯思ったのですが、何も思い浮かばなくて」
「これからですよ。きっと向こうからエレナちゃんに寄って来ます。考えないで待っていればいいと思います。さ、少し寝て下さい。今日の夜は長くなりますから」
「長くですか?」
「はい、長くです」
微笑むフェインさんに手を引かれ、大きなベッドの上にポンと投げられました。
柔らかなベッドは、ウチの硬いソファーと違ってふわっと私を包んでくれます。
不安の無い時間が私の気を緩ませると、あっという間に深い眠りについていました。
「⋯⋯ちゃん⋯⋯エレナちゃん」
揺り起こすフェインさんの呼び声。
私は飛び起きます。すっかり寝ていました。フカフカのベッドがあまりに心地良くて、一瞬で落ちていましたね。
「す、すいません」
「あ、いえいえいえ。大丈夫です。そろそろ時間なので起こしただけですから、焦らなくとも大丈夫です。ゆっくり起きて下さいね」
◇◇◇◇
辺りはすっかり暗くなり、静かな夜が訪れていました。
寝静まる街中をゆっくりと進んで行きます。フェインさんと私は声を出す事も無く、足を動かしていました。時折、辺りを気にする仕草を見せますが、真っ直ぐに進みます。その足取りに躊躇はなく、自信に溢れたフェインさんの足取りは私に落ち着きをくれました。
「止まってです」
静かなフェインさんの声に、足を止めます。建物の影からギルドを覗きました。視線の先にあるのは1番の入口。
「少し待って下さい」
ギルドを覗くフェインさんの囁きに、私もそっとギルドを覗いていきます。
行き交う人は全く無く、静かな時が流れていました。
静かな鐘の音は、日付が変わった事を告げます。その鐘の音にフェインさんの集中が上がったように感じました。
向かいの建物の影に人影が見えます。
あれはネインさんでは?
「フェインさん! あそこにいるの、ネインさんじゃないですか?」
私が静かに指を差すと、フェインさんは必死に目を凝らしています。
こんな所で獣人の血を感じながら、ネインさんを見つめ直すと大きくこちらに頷いていました。
「フェインさん、ネインさんが何か頷いていますよ?」
「本当ですか?」
「本当です」
フェインさんは建物の影に頷き返すと、私の手を強く引き1番の入口を目指し、駆け出しました。
「あわわわ」
私はいきなりの事に驚いてしまい、力強いフェインさんの引きにされるがままです。
フェインさんに引きずられ、飛び込むように1番の入口へ。ニコリと微笑む紳士さんが、受付で出迎えてくれました。
「こんな夜更けにギルドへようこそ。ご用件をお伺いいたしましょう」
「はいです!」
勝ち誇った笑みを見せるフェインさんが、力強い返事をされました。
前を向いて歩くだけ。力の入らない足は鉛のように重いです。でも、顔を上げて前を向いて行きます。
肩を貸してくれているハルさんが、私に力をくれます。
私は重い足を引きずり、街中を進んでいました。
ハルさんは辺りを気にする素振りを見せながら、一軒の小さな家の前で止まります。
中心街から少し離れた、閑静な住宅街。子供達のはしゃぐ声だけが響いていました。
ハルさんが扉をノックすると、扉の向こうからバタバタと急ぐ忙しない足音が聞こえます。勢い良く開かれた扉からは、満面の笑みが飛び込んで来ました。
「いらっしゃいですね。エレナちゃん」
「フェインさん?」
ここはフェインさんの家でしょうか? 困惑する私にハルさんは微笑んでくれますが、状況が何とも飲み込めません。
「とりあえず、中へどうぞ」
私達は居間へと通されます。過度な調度品はなく、シンプルな白い壁と木目の美しい家具。部屋の片隅にある立派な机だけが大きな主張をしていました。
部屋の中央に鎮座するテーブルセットに腰を掛けると、温かいミルクを目の前に置いて下さいます。
「ささ、どうぞ飲んで下さい」
フェインさんが笑顔で促し、私は素直に口をつけていきました。
美味しい。
ほのかな甘みを感じます。
渇いた喉を潤しながら、空っぽの胃に温かなミルクが落ちて行くのが分かります。胃の中がポカポカ温かくなり、心が落ち着いていきました。キルロさんと初めて会った時のミルクの味を思い出します。優しい味がしたあのミルク。
何故だかフェインさんは私の様子を嬉しそうに見ていました。何だかちょっと恥ずかしいですね。
「ありがとうございます。ここはフェインさんのお宅ですか?」
「そうよ、エレナ。フェインに今後の動きを伝えてあるから心配しないで。私はもう行くね。それじゃフェイン、あとを宜しく」
「まかせて下さい」
ハルさんはそれだけ言い残して、街中へと飛び出して行きました。【ハルヲンテイム】に行くものだとばかり思っていたので、予想外の展開に戸惑いを隠せずにいます。
「フェインさん、すいません」
「いえいえ、いいのですよ。時間が来るまでここで待っていましょう。ここなら大丈夫ってハルさんが言っていたので、心配しなくていいですよ」
時間が来るまで? 何の時間でしょう?
困惑してはいるものの、フェインさんの優しい笑顔に張り詰めていた物が、一気にほぐれていきます。
緊張が緩むとお腹がぐうと鳴ってしまい、とても恥ずかしくて俯いてしまいました。
「フフ。そうでしたね。大丈夫ですよ、ハルさんから聞いていますから。今、パン粥を持って来ますね。しっかり食べて元気を取り戻しましょう」
「す、すいません。お言葉に甘えます」
「気にしないで下さいですよ。あ、この間はおめでとうございます。エレナちゃん、凄いです」
「いえいえいえ、あれはフィリシアが凄かっただけで、私は何もしていませんから」
「そんな事は無いですよ。⋯⋯はい、どうぞです。空っぽの胃がびっくりしないようにゆっくり食べて下さいね。おかわりは、いーっぱいありますよ」
コトリと目の前に置かれた乳白色のトロトロのスープ。立ちこめる湯気からミルクの優しい香りが、鼻腔をくすぐり、空っぽの胃がぐうぐうと欲します。
すくい上げたスープはスプーンからトロトロと零れ落ちていき、スプーンの上には味の染み込んだトロトロのパンが残りました。私はそれを一気に口に運び入れます。ミルクのほのかな甘さのあとに、少しピリっと香辛料が舌を刺激してきました。その刺激がミルクの甘さを引き立て、空っぽの胃はみるみる満たされていきます。
フェインさんのように優しい味。心も体も満たされていき、何だか心地よい安堵感を覚えました。
「すごく美味しいです!」
「良かったです。落ち着きましたか? 大変でしたね。【ハルヲンテイム】やキルロさんの所はきっと見張られてしまいます。でも、ここなら大丈夫。向こうも私の家は知らないですよ。ハルさんのお墨付きですから、安心して下さい。エレナちゃんには指一本触れさせませんよ!」
「はい」
鼻息荒いフェインさんに思わず笑顔が零れてしまいます。
お腹いっぱいになると、体に力が戻って来ました。改めて部屋を見回すと、隅にある立派な机の上には描き掛けの地図。部屋の壁にはとても大きな白地図が貼ってあり、書き込みがされていました。
白地図を覗くと、北から南に掛けて扇状に広がっています。最北を示す地図の頂点には【最果て】と書いてありました。そこから真っ直ぐ南に下るとほぼ最南に私達の住む【ミドラス】の記載があります。
これが私達の住む世界。私は初めて覗いた世界の広さに驚いていました。
「何だか、見られると恥ずかしいですね。この地図を完成させるのが私の目標⋯⋯夢に近いかも知れませんです。今、私達がいるのはここ【ミドラス】、そのすぐ北に位置するのが【中央《セントラル》】。勇者様がいるのですよ。【ミドラス】と並んで、この世界の中心。重責を担っている場所なのです」
「【ミドラス】だけでも広いのに、世界って広いのですね」
私は地図の側に寄りまじまじと眺めて行きます。良く見ると細かい書き込みもされていて、【吹き溜まり】、【スミテマアルバレギオ】初クエストなんて文字も見えました。
「そういえばハルさんが、優秀な地図師さんって言っていましたものね。【イスタバール】、【オルン】、【ヴィトリア】⋯⋯いっぱい国もあるのですね」
ハルさんの褒め言葉を伝えるとオロオロしながらも、地図を眺めながら教えてくれました。
「ですです。行った事の無い国もまだまだありますし、人が住めないと言われている北方、あわよくば【最果て】まで行ってみたいです」
「想像も尽きませんね」
私は白地図を眺めながら、フェインさんの話を途方も無く感じてしまいます。そして、キラキラした瞳で語るフェインさんを羨ましく思いました。
目標、夢⋯⋯。
考えた所で何も浮びません。みんな目標や夢を掲げて日々邁進しているのでしょうか? 今の生活で十分幸せで、それ以上の何かが浮んで来ません。難しいですね。
「地図を睨んで、どうしたのですか?」
「私も目標や夢を持った方がいいのかなって⋯⋯思ったのですが、何も思い浮かばなくて」
「これからですよ。きっと向こうからエレナちゃんに寄って来ます。考えないで待っていればいいと思います。さ、少し寝て下さい。今日の夜は長くなりますから」
「長くですか?」
「はい、長くです」
微笑むフェインさんに手を引かれ、大きなベッドの上にポンと投げられました。
柔らかなベッドは、ウチの硬いソファーと違ってふわっと私を包んでくれます。
不安の無い時間が私の気を緩ませると、あっという間に深い眠りについていました。
「⋯⋯ちゃん⋯⋯エレナちゃん」
揺り起こすフェインさんの呼び声。
私は飛び起きます。すっかり寝ていました。フカフカのベッドがあまりに心地良くて、一瞬で落ちていましたね。
「す、すいません」
「あ、いえいえいえ。大丈夫です。そろそろ時間なので起こしただけですから、焦らなくとも大丈夫です。ゆっくり起きて下さいね」
◇◇◇◇
辺りはすっかり暗くなり、静かな夜が訪れていました。
寝静まる街中をゆっくりと進んで行きます。フェインさんと私は声を出す事も無く、足を動かしていました。時折、辺りを気にする仕草を見せますが、真っ直ぐに進みます。その足取りに躊躇はなく、自信に溢れたフェインさんの足取りは私に落ち着きをくれました。
「止まってです」
静かなフェインさんの声に、足を止めます。建物の影からギルドを覗きました。視線の先にあるのは1番の入口。
「少し待って下さい」
ギルドを覗くフェインさんの囁きに、私もそっとギルドを覗いていきます。
行き交う人は全く無く、静かな時が流れていました。
静かな鐘の音は、日付が変わった事を告げます。その鐘の音にフェインさんの集中が上がったように感じました。
向かいの建物の影に人影が見えます。
あれはネインさんでは?
「フェインさん! あそこにいるの、ネインさんじゃないですか?」
私が静かに指を差すと、フェインさんは必死に目を凝らしています。
こんな所で獣人の血を感じながら、ネインさんを見つめ直すと大きくこちらに頷いていました。
「フェインさん、ネインさんが何か頷いていますよ?」
「本当ですか?」
「本当です」
フェインさんは建物の影に頷き返すと、私の手を強く引き1番の入口を目指し、駆け出しました。
「あわわわ」
私はいきなりの事に驚いてしまい、力強いフェインさんの引きにされるがままです。
フェインさんに引きずられ、飛び込むように1番の入口へ。ニコリと微笑む紳士さんが、受付で出迎えてくれました。
「こんな夜更けにギルドへようこそ。ご用件をお伺いいたしましょう」
「はいです!」
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