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坂門

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フィリシア・ミローバの逡巡

調教と決断

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 少しばかりの後味の悪さは残ったものの、思っている以上に早く片が付いた事にひとまずの安堵を見せていった。後ろを振り返るのはこれで終わり、これからは前を向いて行く。ズシリと重くのしかかっていた目に見えない圧から、ハルもフィリシアも解放された。


「あ、モーラ。登録の移行手続きするのでしょう? その時に名前をマイキーに変更しておいてよ。何か無意識だとマイキーって呼んでいるし、そんな手間じゃないでしょう」
「ああ、分かった。変更しておこう。この仔も名前を変えて心機一転って所だな」

 モーラには似合わない優しい言葉が垣間見え、ハルが少しばかり驚いて見せた。照れるモーラはフンとひとつ鼻を鳴らし、そっぽを向いてしまう。それが不器用な照れ隠しなのはバレバレだった。

「それじゃあ、こちらは帰るぞ。もう面倒な仕事をギルドに持ち込むなよ」
「モーラ、お疲れ。助かったわ、また宜しく」
「フン、人の話を聞いているのか? まったく⋯⋯」

 にこやかに手を振るハルに、ブツブツと何かを呟きながらモーラは家路を急ぐ人の波に消えて行く。

「さてと、んじゃあ、調教テイムしちゃおうか。ちょっとフィリシア、マイキーを抱いてくれる」
「え? 私?」

 診察台のマイキーを戸惑い気味のフィリシアに渡す。マイキーはフィリシアの腕の中で穏やかな表情を見せ、その姿に納得したハルはひとつ頷き、うたい始めた。

「【我に従い我は従うパクトゥムオムアエテルン】」

 かざしたハルの手の平が淡い桃色に光る。その柔らかな色合いが、マイキーへとゆっくり吸い込まれて行った。
 フィリシアは腕の中で行われている初めての調教テイムに目を見張り、その様をじっと見つめ続ける。
 時間にして数秒。光はあっという間に消えた。
 余りにも簡単な術式にフィリシアは肩透かしにあった気分。怪訝な顔でまじまじとマイキーを見つめ先程までとの差異を探した。

「ねえねえ、本当に終わったの? 何も変わって無くない?」
「無事に終わったわよ⋯⋯変わってないといえばそうかもね。調教テイムで重要なのは、術を掛ける時にその仔からどれだけ信頼を得られているか。マイキーの場合、フィリシアを信頼しきっているのがありありだからね。ウチでは無くて、フィリシアが預かるって話だったら術なんて、きっといらなかったでしょうね。あなたの腕の中にある信頼はとても大きな物、術を掛けるのなんて簡単すぎよ」
「そうなんだ⋯⋯」

 フィリシアは腕の中にある信頼をあらためて感じ取ろうと見つめ直す。そこに怯え、震える姿は皆無。穏やかに身を預ける姿にフィリシアの表情も自然と緩んでいった。

「たまにはあなたも顔を出しなさいよ。マイキーも喜ぶわ」
「⋯⋯うん」
「?」

 フィリシアの煮え切らない返事に、ハルは少しばかり困惑した。全てが丸く収まったはずなのに何かを思い詰めるかのように逡巡するフィリシアの姿。モモやラーサ、アウロもその様子に首を傾げていた。

「よし!」
「な、何? いきなり⋯⋯」

 いきなり顔を上げたフィリシア。何かを振り切ったその表情は、晴れ晴れとしたものだった。

「ハルさん、まだここにいる?」
「残務処理があるからしばらくいるけど⋯⋯何?」
「分かった! また後で来るね!」

 それだけ言い放ち、フィリシアは扉の外へと飛び出して行ってしまった。
 処置室の中はその勢いに呆気に取られ、顔を見合わせて行く。

「あいつ、どうした?」

 ラーサがポツリと呟くも、モモは肩をすくめて見せるだけ。ラーサの問いに答える事の出来る唯一の人物は、扉の外へとすでに消えていた。

「とりあえず、残っている仕事を片づけませんか? 悩むのはそれからって事にしましょう」
「アウロの言う通りね。考えたってどうせ分からないでしょう。さあ、みんな宜しくね」
『はーい』

 ハルの音頭で、各々の仕事へと戻って行った。



「お疲れさまー。みんなもういいわよ、残りはもうちょっとだし、あとはこっちでやっておくから、みんなあがっちゃって」
「いや、みんなでやってしまいましょう。手分けすれば、すぐに終わりますから」
「そうそう」
「ハルさん、ひとりで頑張り過ぎよ」

 バツの悪さを感じつつも、ハルは素直に頷き、アウロの言葉に甘える事にした。
 

 夕飯の買い出しも、家路を急ぐ足音も無くなり、灯りの灯った街からは一日の疲れを癒す酒場の喧騒が静かに届いて来る時間。
 【ハルヲンテイム】の長かった一日に、終わりがようやく訪れようとしていた。体を伸ばし、疲れた体と頭をほぐしていく。各々が一日の終わりを体で表現していた。

 バタン! 唐突に勢い良く開く表玄関。
 閉店の掛札を無視して、突然飛び込んで来たのは⋯⋯。

「フィ、フィリシア??」
「お待たせ!」

 その姿に一同が驚愕の表情を見せていく。
 先程まであったはずの背中まであった長い髪はバッサリと切り取られ、毛先がギザギザと粗さを残すベリーショートのフィリシアが満面の笑みで玄関に立っていた。

「フィリシア⋯⋯髪、どうしたの?」
「あ、これ? 前々から切りたかったんだ。へへへへ、さっぱり!」
「さっぱりって⋯⋯」

 絶句するハル達にフィリシアは怪訝な顔を見せる。ハル達の反応がどうやら気に入らないらしい。

「そんなにびっくりしなくてもいいじゃない。結構似合っているでしょう? それよりハルさん、私をここに入れて! 入れて下さい! お願いします!」

 雑に切り揃えられた頭を深々と下げていった。
 二度目の衝撃。フィリシアの言葉にハルは言葉を失ってしまう。

「え? は? えー? どういう事? 【カミオトリマー】はどうするのよ?」
「あ、辞めてきた」
「はぁ~!?」
「ここトリマーいないでしょう? 私、今日の一件で思った。もっと直接的に動物モンスター達と関わり合いたいって。【ハルヲンテイム】のみんなを見ていたら、何か眩しくて羨ましくて、そして何も出来ない自分は悔しくてさ。みんなみたいな医術は身に付けられないかも知れない。けど、ここに足りない整形と療法リハビリを猛勉強する。そして、もっとしっかりと動物モンスターに対峙したい! 力になりたい! お願い! 私をここに置いて下さい!」

 フィリシアの熱量にすっかり当てられ、茫然と見つめていた。
 ハルは大きく嘆息して見せ、バリバリと後ろ手に頭を掻く。真剣なフィリシアの瞳と視線が交わり、諦めたかのように肩を落とした。

「カミオはなんて? 本当に大丈夫なの?」
「大丈夫、大丈夫。けじめつけるって言って、目の前で髪をバサバサ切り始めたら、『分かった! 分かった! から~!』って叫んでたよ。分かってくれて良かったよね」
「それ、ただの脅しじゃん」

 さすがのラーサも、呆れて肩をすくめて見せた。

「分かった、分かった。カミオがいいって言っているなら、断る理由はないわ。動物モンスター達をつぶさに観察出来る目を持っているあなたに整形と療法リハビリはきっと合っているわ。あなたのその観察眼はきっと生きるでしょう。それでフィリシア、あなたのファーストネームは?」
「ミローバ。フィリシア・ミローバ。みんな宜しく!」
「ハルヲンテイムへようこそ、フィリシア・ミローバ。期待しているわ」
「ああああー!!」

 ラーサがいきなりらしくない声を上げた。フィリシアを見つめ驚いた顔を見せる。

「どうしたのラーサ? いきなり大きな声出して?」
「いやぁ、どっかで見た事あるって、ずっと思っていたんだけどさ。名前聞いて思い出したよ。フィリシア・ミローバ、去年のトリミングフィエスタの銀賞シルバー獲得者ホルダーだよ」
『『『えええーー!』』』

 驚愕の一同を余所にフィリシアは淡々としたものだった。

「あ、見てた? あそこまで行ったら、金賞ゴールド取りたかったよねぇ」
「でも、凄いじゃない。銀賞シルバーだって相当よ」
「何か中途半端じゃない? カミオさんも喜んでいたけど、何だかねぇ~って感じ」
「フフフフフ、いいじゃない。銀賞シルバー獲得者ホルダーのいる店、売りが出来たわ⋯⋯」

 いやらしく口端を上げるハルにラーサとモモは嘆息していた。

「店長、悪い顔になっているよ」
「そうそう。気を付けて下さいね」
「あれ? 入る店間違えたかな?」
「今さらダメよ、フィリシア。逃がさないからね」

 かしましい女性陣にアウロが首を横に振りながらも笑顔を見せた。

「ようやくらしさが戻りましたね」

 【ハルヲンテイム】にいつもの明るさが戻り、疲れを吹き飛ばす明るい声が響いていった。
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