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case of チェルシー
43.夢から醒めて――それから
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夜闇に溶けるような漆黒の色。
さらりとまとめられたその髪は、記憶よりも長くうなじでひとまとめにされていた。
前髪が丁寧に上げられてるおかげで、右ほおの傷がよく見える。でも少し、傷跡が薄くなったような気がする。肌の状態がいいせいか、はたまた時が過ぎたせいか。
その身を包む衣服は見慣れない意匠と色合い。体から発されるオーラは、明らかに王者の風格。
一瞬にしてその鋭さが氷解し、細められた目とその笑みは、懐かしいあの人のもの。
「お嬢、お美しく成長されましたね」
夢?
だって、あの人とは二度と会えないと思っていた。
――いつか忘れてください。
忘れない。忘れるわけない。
だって、貴方は――
その声はずっと耳の奥に残っていた。
わたしを呼ぶ声。
恋愛感情の色はなくとも、慈しむような、強面の顔には似合わない優しい声。
「ヤンさ……」
掠れたような声よりも先に、視界が揺らいだ。
嫌だ。
わたしはまだ、あの人の顔をちゃんと見ていない。
視界を確保するために、手袋の掌底でグッと目元を押さえた。ドレスを守らねば。こんな時に何だけど、妙に冷静にロンググローブくらいならなんとか買い取れるだろうと算段をつけた。
本体のドレスを涙で汚したら、それこそ終わりだ。
視界をふさいだのはほんの数秒。
気付くと、ウェディングベールが上げられていて、無骨な指がそのまま耳へと滑らされた。
「常に――何かしら、黒いものを身に着けていると、お聞きしました」
優しく耳たぶをつままれ、ほおに熱が集まった。おかげで涙が引っ込んだ。
そういえば、今日は目立たないくらい小さなブラックダイヤモンドのピアスをしていた。
あなたの髪や瞳と同じ色だから……
見上げた私の瞳は、宵闇色の瞳と視線がしっかりとかち合った。
「まだお一人だそうですね」
「そうよ。大好きだった人のことを、忘れられないの」
「一生、結婚されないおつもりで?」
「するつもりはないわ。初恋の人以外とは」
少しかさついた指先が、私の目元を壊れ物を扱うように優しく拭った。
「お気持ちに、お変わりありませんか?」
「ええ。こう見えてわたし、不器用なの。簡単に新しい恋なんてできないわ」
あの時に比べ、精いっぱいつま先立ちすれば、届く距離。
じっと見上げる先にある真一文字に結ばれていた口元が、ふっ、と緩んだ。
「あれから六年……いえ、遠国を平定するのに、七年も待たせました。それでも、」
「答えは、『はい』よ!」
「お嬢、私は「わたし、もう待つ気はないの!絶対後悔させない。わたしが貴方を幸せにする!だから、私と結婚して!!」
人生で二度目の、一世一代の告白だ。
その漢らしく、一見すると厳つい顔がくしゃりと歪んだ。右ほおの傷のせいで、ちょっとだけぎこちない笑顔は、昔のままだった。
「まったく……お嬢には、敵わない」
「もう、お嬢ではないわ。チェル、いいえ、ルシーよ。そう呼んでいいのは、わたしの唯一の人だけよ」
「ルシー。幸せにする――いや、一緒に幸せになろう」
ヤンさんがわたしをそっとその腕の中に囲った。
幼い頃、甘えるふりして何度もその体に手を回し、自分から抱きついていた。そのたびに、困ったように頭を撫でられ、それでも甘やかしてくれる彼が好きだった。
いつか、子供の様に宥められるのではなく、女性として抱きしめてもらうことを夢見ていた。
そのいつか、が、今叶った。
「あっ、ダメよ。ヤンさん」
「おじょ――ルシー?」
わたしはヤンさんの熱い胸板に手を突き、体を逸らした。
「このお衣装は、ユアン様の物なの。シワの一つでも付けたら、大変だわ! 」
とてもじゃないが、弁償などできる額じゃないだろう。
わたしが青い顔で震えていると、ヤンさんが破顔した。
「大丈夫だ。ユアンのものなら、大公殿下がちゃんと用意してる。それは私が、ルシーのためにと作った、ルシーのためのドレスだから」
「わっ、わたしの?!」
だから、例え汚したとしても問題ない、とうなずかれたが、問題はそこじゃない。
道理できっちりとした採寸なはずのドレスが、私のサイズにぴったりだったわけだ。
「ルシーを迎えに来るにあたって、私は皇帝の座から退いた。そのための手を回しても来た。これからはこの国に住んで、遠国との外交大使補佐となることも決まってる。何も心配いらない」
いやいやいや、心配しかないです。
勢いでこちらからプロポーズしたとはいえ、今更ながらヤンさんが遠国の皇帝だった事実を思い出したわけで……しかし、気付いたと同時に、今は皇帝ではない、と否定された。確かに遠い遠国にお嫁に行くのは大変そうとは思ったので、これからもこの国に住めるのはありがたい。ありがたいけれども――
「待って。い、いろいろ情報が多すぎて」
「ついでに教えておくが、ユアンは私の実妹だ」
実妹。
妹?
国民性云々関係なく、初対面でどことなく似ていると思ったわけだ。
「ユアンには私とルシーとために、いろいろと動いてもらったからな。後でお礼を言っておかないと」
ごめんなさい、ヤンさん。
あまりにも情報過多で、わたしの脳が処理しきれません!
さらりとまとめられたその髪は、記憶よりも長くうなじでひとまとめにされていた。
前髪が丁寧に上げられてるおかげで、右ほおの傷がよく見える。でも少し、傷跡が薄くなったような気がする。肌の状態がいいせいか、はたまた時が過ぎたせいか。
その身を包む衣服は見慣れない意匠と色合い。体から発されるオーラは、明らかに王者の風格。
一瞬にしてその鋭さが氷解し、細められた目とその笑みは、懐かしいあの人のもの。
「お嬢、お美しく成長されましたね」
夢?
だって、あの人とは二度と会えないと思っていた。
――いつか忘れてください。
忘れない。忘れるわけない。
だって、貴方は――
その声はずっと耳の奥に残っていた。
わたしを呼ぶ声。
恋愛感情の色はなくとも、慈しむような、強面の顔には似合わない優しい声。
「ヤンさ……」
掠れたような声よりも先に、視界が揺らいだ。
嫌だ。
わたしはまだ、あの人の顔をちゃんと見ていない。
視界を確保するために、手袋の掌底でグッと目元を押さえた。ドレスを守らねば。こんな時に何だけど、妙に冷静にロンググローブくらいならなんとか買い取れるだろうと算段をつけた。
本体のドレスを涙で汚したら、それこそ終わりだ。
視界をふさいだのはほんの数秒。
気付くと、ウェディングベールが上げられていて、無骨な指がそのまま耳へと滑らされた。
「常に――何かしら、黒いものを身に着けていると、お聞きしました」
優しく耳たぶをつままれ、ほおに熱が集まった。おかげで涙が引っ込んだ。
そういえば、今日は目立たないくらい小さなブラックダイヤモンドのピアスをしていた。
あなたの髪や瞳と同じ色だから……
見上げた私の瞳は、宵闇色の瞳と視線がしっかりとかち合った。
「まだお一人だそうですね」
「そうよ。大好きだった人のことを、忘れられないの」
「一生、結婚されないおつもりで?」
「するつもりはないわ。初恋の人以外とは」
少しかさついた指先が、私の目元を壊れ物を扱うように優しく拭った。
「お気持ちに、お変わりありませんか?」
「ええ。こう見えてわたし、不器用なの。簡単に新しい恋なんてできないわ」
あの時に比べ、精いっぱいつま先立ちすれば、届く距離。
じっと見上げる先にある真一文字に結ばれていた口元が、ふっ、と緩んだ。
「あれから六年……いえ、遠国を平定するのに、七年も待たせました。それでも、」
「答えは、『はい』よ!」
「お嬢、私は「わたし、もう待つ気はないの!絶対後悔させない。わたしが貴方を幸せにする!だから、私と結婚して!!」
人生で二度目の、一世一代の告白だ。
その漢らしく、一見すると厳つい顔がくしゃりと歪んだ。右ほおの傷のせいで、ちょっとだけぎこちない笑顔は、昔のままだった。
「まったく……お嬢には、敵わない」
「もう、お嬢ではないわ。チェル、いいえ、ルシーよ。そう呼んでいいのは、わたしの唯一の人だけよ」
「ルシー。幸せにする――いや、一緒に幸せになろう」
ヤンさんがわたしをそっとその腕の中に囲った。
幼い頃、甘えるふりして何度もその体に手を回し、自分から抱きついていた。そのたびに、困ったように頭を撫でられ、それでも甘やかしてくれる彼が好きだった。
いつか、子供の様に宥められるのではなく、女性として抱きしめてもらうことを夢見ていた。
そのいつか、が、今叶った。
「あっ、ダメよ。ヤンさん」
「おじょ――ルシー?」
わたしはヤンさんの熱い胸板に手を突き、体を逸らした。
「このお衣装は、ユアン様の物なの。シワの一つでも付けたら、大変だわ! 」
とてもじゃないが、弁償などできる額じゃないだろう。
わたしが青い顔で震えていると、ヤンさんが破顔した。
「大丈夫だ。ユアンのものなら、大公殿下がちゃんと用意してる。それは私が、ルシーのためにと作った、ルシーのためのドレスだから」
「わっ、わたしの?!」
だから、例え汚したとしても問題ない、とうなずかれたが、問題はそこじゃない。
道理できっちりとした採寸なはずのドレスが、私のサイズにぴったりだったわけだ。
「ルシーを迎えに来るにあたって、私は皇帝の座から退いた。そのための手を回しても来た。これからはこの国に住んで、遠国との外交大使補佐となることも決まってる。何も心配いらない」
いやいやいや、心配しかないです。
勢いでこちらからプロポーズしたとはいえ、今更ながらヤンさんが遠国の皇帝だった事実を思い出したわけで……しかし、気付いたと同時に、今は皇帝ではない、と否定された。確かに遠い遠国にお嫁に行くのは大変そうとは思ったので、これからもこの国に住めるのはありがたい。ありがたいけれども――
「待って。い、いろいろ情報が多すぎて」
「ついでに教えておくが、ユアンは私の実妹だ」
実妹。
妹?
国民性云々関係なく、初対面でどことなく似ていると思ったわけだ。
「ユアンには私とルシーとために、いろいろと動いてもらったからな。後でお礼を言っておかないと」
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