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case of チェルシー
29.Change of mind
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「彼を死なせないで、フューリー!!」
「彼」は、不自然な角度のまま、その時を止めていた。
いや、彼だけでなく、この空間全ての物がその動きを止めていた。
舞い上がった花弁はそのまま空中で停止し、庭園の花はまるで精巧な作り物のように生命力が抜けていた。
わたしと、「彼」の側に浮かんでいるフューリー以外は。
「今のは『命令』?」
甲高い声が問う。
「彼」の側に揺蕩う精霊は、輪郭すらぼやけるほど自ら発光していた。
その光を纏った姿はそう、あの自称神のようだった
「この結末は、チェルが望んだことだろ?」
その言葉は重石のように、心臓に落ちて来た。
後悔と懺悔の日々を。
行き場のない、やるせない思いを。
孤独と絶望を。
思い知らせて、最後に止めを刺したかった。
でも、「彼」は――
「……違う。これは、わたしの願った終わりじゃない」
頭を振れば、金糸の髪が顔の左右で揺れた。
わたしは知っていた。
「彼」が毒殺の後遺症から目覚めた後、その体の持ち主に恥じぬよう、どれほど努力をしてきたのかを。体の持ち主は、神童と呼び称賛されるほどの天才。何も知らない世界に放り出された「彼」が、その役を務めることはさぞ困難だったろう。
それでも、「彼」は自分の力でできる限り、努力は惜しまなかった。
そして、次なる毒殺や謀殺を恐れながら、必死に生きていた。
「彼」の平凡にまで落ちた才能により、兄との確執とそれに付随する暗殺の危機は減った。
ある時は、心許した友の幼馴染を婚約者とした。
ずいぶん下衆い悪趣味だと思っていたら、それはその友と彼女を守るための防波堤の役だった。いつか自分が泥をかぶることで、友と彼女の未来のために、と一計を案じたのだ。
またある時は、友とその想い人との長くこじれた関係の修復のお節介をしていた。
互いの距離を縮めさせ、素直になれるよう尽力していた。
そして産まれにより傷つき、頑なな心を持った友に、よき理解者として接し、彼の唯一となる――わたしのお姉さまとの仲を取り持った。
一月前には、王太子に待望の第一子である男児が生まれ、国を挙げて沸き立った。「ろくでなし」、という「彼」の悪評と相対するように王太子の株は上がっている。
偶然ではない。
それらは、全て計算の上で行っていたのだ。
なぜなら「彼」はこの時を、この瞬間のために。
「彼」が婚約破棄をし、その噂が収まる頃。
王国に次なる後継者が誕生し、次代のスペアとしての必要性が希薄になる時を。
ずっと、待っていたのだ。
愚か者を演じ続け――自らの価値を落として、「私」の復讐のために自死するこの瞬間を。
彼は王族だ。
その死に不自然なところがあってはならない、とこの手段を選んだのだろう。
この世界で生きる「わたし」に後顧の憂いが残らぬよう……
「あなたに『命じる』わ――彼を助けて、『フィリエール・フィバルト・フィランディア』!」
「チェルの心のままに」
その言葉を言い終わる前に、不思議なことが起きた。その動きが固まったままだった第二王子が、動き出した。
彼の動きを逆トレースしたかのように、彼が柵から離れてこちらへと戻って来る。
それはまるで動画の逆再生のようだった。
こんな時でもなかったら、思わず笑ってしまったかもしれない。
「もう少し、やりようはないの?」
「時に干渉するのは結構大変なんだよ。これで勘弁してよ」
その説明に納得したわけではないが、わたしは第二王子の袖をギュッと握った。
彼が再び一人で歩きださないよう、同じ選択をしないように。
「『彼』の時を、動かすよ」
コクリと了承の意を示すと、虚ろだった第二王子の瞳に生気が宿った。
「――ネメシス?」
夢から覚めた人のように、第二王子はぼんやりとその名を口にした。
わたしは頭を振って、否定した。
「違うわ。わたしはチェルシー・ミューズリー、伯爵令嬢よ」
もう十年も前に、過去の名前も姿も何もかも、捨ててきた。
ここにいるのは、今の「わたし」なのだ。
「もう十分だわ。十二分過ぎたわ。わたしの、いいえ、『私』のせいで、今までごめんなさい」
「君が……貴女が謝ることではない」
自分の右手の袖をつかむ私の手に気付いたのか、第二王子は戸惑いの色が滲むその青い瞳でわたしを見つめた。
「あなたが何をしてきたか知ってるわ。あなたは、自分以外の誰かのためだけに生きてきた。そのための舞台も着実に整えて来たわね。自分に心残りがないように……でも、残された者は?貴方を慕っている方たちは?」
グッと、喉の奥が詰まったような音が、第二王子の口からこぼれた。
「でも、罪は消えない。過去の貴方たちにしたことは……」
「ならば、『私』が犯した罪も消えない。勝手に貴方をこの世界に生まれ変わらせたこと。最期の記憶だけ残したこと。十年もの時間、苦しめ続けたこと。一時の激情にかられ、愚かなことをしたのは、このわたしだわ」
袖を持つ指に力を入れると、指先が血の気を失い白くなった。
「それよりも勘違いしないで。断罪のために、わたしは貴方に会いに来たわけじゃない」
わたしの頭に編み込んでもらった、彼の瞳と同じ青色の花を、彼を掴む手とは逆の手で差し出した。
「これを与えるためよ」
その小さな可憐な花を手に載せられた彼は、戸惑いの表情を浮かべた。
「この花は……」
「ネモフィラ。花言葉を知ってるかしら?」
ゆるゆると首を振る彼に、わたしもぎこちない笑みを浮かべた。
「『あなたを許します』」
「彼」は、不自然な角度のまま、その時を止めていた。
いや、彼だけでなく、この空間全ての物がその動きを止めていた。
舞い上がった花弁はそのまま空中で停止し、庭園の花はまるで精巧な作り物のように生命力が抜けていた。
わたしと、「彼」の側に浮かんでいるフューリー以外は。
「今のは『命令』?」
甲高い声が問う。
「彼」の側に揺蕩う精霊は、輪郭すらぼやけるほど自ら発光していた。
その光を纏った姿はそう、あの自称神のようだった
「この結末は、チェルが望んだことだろ?」
その言葉は重石のように、心臓に落ちて来た。
後悔と懺悔の日々を。
行き場のない、やるせない思いを。
孤独と絶望を。
思い知らせて、最後に止めを刺したかった。
でも、「彼」は――
「……違う。これは、わたしの願った終わりじゃない」
頭を振れば、金糸の髪が顔の左右で揺れた。
わたしは知っていた。
「彼」が毒殺の後遺症から目覚めた後、その体の持ち主に恥じぬよう、どれほど努力をしてきたのかを。体の持ち主は、神童と呼び称賛されるほどの天才。何も知らない世界に放り出された「彼」が、その役を務めることはさぞ困難だったろう。
それでも、「彼」は自分の力でできる限り、努力は惜しまなかった。
そして、次なる毒殺や謀殺を恐れながら、必死に生きていた。
「彼」の平凡にまで落ちた才能により、兄との確執とそれに付随する暗殺の危機は減った。
ある時は、心許した友の幼馴染を婚約者とした。
ずいぶん下衆い悪趣味だと思っていたら、それはその友と彼女を守るための防波堤の役だった。いつか自分が泥をかぶることで、友と彼女の未来のために、と一計を案じたのだ。
またある時は、友とその想い人との長くこじれた関係の修復のお節介をしていた。
互いの距離を縮めさせ、素直になれるよう尽力していた。
そして産まれにより傷つき、頑なな心を持った友に、よき理解者として接し、彼の唯一となる――わたしのお姉さまとの仲を取り持った。
一月前には、王太子に待望の第一子である男児が生まれ、国を挙げて沸き立った。「ろくでなし」、という「彼」の悪評と相対するように王太子の株は上がっている。
偶然ではない。
それらは、全て計算の上で行っていたのだ。
なぜなら「彼」はこの時を、この瞬間のために。
「彼」が婚約破棄をし、その噂が収まる頃。
王国に次なる後継者が誕生し、次代のスペアとしての必要性が希薄になる時を。
ずっと、待っていたのだ。
愚か者を演じ続け――自らの価値を落として、「私」の復讐のために自死するこの瞬間を。
彼は王族だ。
その死に不自然なところがあってはならない、とこの手段を選んだのだろう。
この世界で生きる「わたし」に後顧の憂いが残らぬよう……
「あなたに『命じる』わ――彼を助けて、『フィリエール・フィバルト・フィランディア』!」
「チェルの心のままに」
その言葉を言い終わる前に、不思議なことが起きた。その動きが固まったままだった第二王子が、動き出した。
彼の動きを逆トレースしたかのように、彼が柵から離れてこちらへと戻って来る。
それはまるで動画の逆再生のようだった。
こんな時でもなかったら、思わず笑ってしまったかもしれない。
「もう少し、やりようはないの?」
「時に干渉するのは結構大変なんだよ。これで勘弁してよ」
その説明に納得したわけではないが、わたしは第二王子の袖をギュッと握った。
彼が再び一人で歩きださないよう、同じ選択をしないように。
「『彼』の時を、動かすよ」
コクリと了承の意を示すと、虚ろだった第二王子の瞳に生気が宿った。
「――ネメシス?」
夢から覚めた人のように、第二王子はぼんやりとその名を口にした。
わたしは頭を振って、否定した。
「違うわ。わたしはチェルシー・ミューズリー、伯爵令嬢よ」
もう十年も前に、過去の名前も姿も何もかも、捨ててきた。
ここにいるのは、今の「わたし」なのだ。
「もう十分だわ。十二分過ぎたわ。わたしの、いいえ、『私』のせいで、今までごめんなさい」
「君が……貴女が謝ることではない」
自分の右手の袖をつかむ私の手に気付いたのか、第二王子は戸惑いの色が滲むその青い瞳でわたしを見つめた。
「あなたが何をしてきたか知ってるわ。あなたは、自分以外の誰かのためだけに生きてきた。そのための舞台も着実に整えて来たわね。自分に心残りがないように……でも、残された者は?貴方を慕っている方たちは?」
グッと、喉の奥が詰まったような音が、第二王子の口からこぼれた。
「でも、罪は消えない。過去の貴方たちにしたことは……」
「ならば、『私』が犯した罪も消えない。勝手に貴方をこの世界に生まれ変わらせたこと。最期の記憶だけ残したこと。十年もの時間、苦しめ続けたこと。一時の激情にかられ、愚かなことをしたのは、このわたしだわ」
袖を持つ指に力を入れると、指先が血の気を失い白くなった。
「それよりも勘違いしないで。断罪のために、わたしは貴方に会いに来たわけじゃない」
わたしの頭に編み込んでもらった、彼の瞳と同じ青色の花を、彼を掴む手とは逆の手で差し出した。
「これを与えるためよ」
その小さな可憐な花を手に載せられた彼は、戸惑いの表情を浮かべた。
「この花は……」
「ネモフィラ。花言葉を知ってるかしら?」
ゆるゆると首を振る彼に、わたしもぎこちない笑みを浮かべた。
「『あなたを許します』」
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