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第14章 三度目の江戸

5 丙辰丸の盟約

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 万延元(一八六〇)年七月。
 江戸下谷にある酒楼「鳥八十」にて、長州藩士の桂小五郎と松島剛蔵が水戸藩士である西丸帯刀と長州水戸間の盟約を結ぶための会合を開いていた。
「お初にお目にかかります。僕が毛利家家中桂小五郎であります」
 涼し気な顔で桂が西丸に自己紹介をする。
「お主があの桂小五郎殿か」
 西丸は感心したように言うと続けて、
「儂が水戸家中の西丸帯刀だ。噂でようその名を耳にしたが、実際にお会いしてみて改めて実感させられたわ。お主、なかなかの偉丈夫じゃな。長州一の侍と言ってもええかもしれん」
 と桂のことを褒めちぎった。
「それは西丸殿の買い被りでございますよ。僕は未熟な若輩者でまだ藩を動かせるほどの力はありませぬ」
 桂が謙遜すると、西丸は笑いながら、
「やはり偉丈夫じゃな、桂殿。謙遜する言動一つをとってもどこか気品を感じさせる。儂が今まで会ってきたどの侍も桂殿の足元にも及ぶまいて」
 と桂のことを絶賛した。
「西丸殿、桂君を褒めるんはそれくらいにして早う例の話をしましょうぞ」
 剛蔵が少し焦ったような顔で西丸に話を進めるよう促す。
「剛蔵殿。そうせっつかんでもこれから話そうと思うていたところじゃ」
 剛蔵にせかされながらも西丸は自分の調子を崩すことなく、
「お主らは和宮様についてご存じか?」
 と桂達に盟約とは関係のないことについて尋ねてきた。
「西丸殿! 今日は例の話をするために儂等はここに参ったのですぞ! 関係のない話をされるのでしたら儂等はこれで」
「存じております」
 西丸に抗議しようとする剛蔵を遮るようにして桂が答える。
「天子様の妹御で熾仁様とご婚姻なさっているお方でございましょう。その和宮様と本日の会合が一体如何なる繋がりがあるというのでしょうか?」
 桂が西丸に尋ね返すと、西丸は、
「流石桂殿。やはりご存じであったか」
 と笑いながらうんうんと首を縦にふる。
「和宮様は確かに熾仁様とご婚姻なさっておられるが、近々婚姻を解消されて江戸の公方様に降嫁されることになるやもしれんみたいなのじゃ」
 西丸が衝撃の事実を語ると、桂と剛蔵は大層驚いた顔をしながら、
「何! それは真の話なのですか? 西丸殿」
 と尋ねた。
「真じゃ」
 今まで笑っていた西丸の顔が真剣そのものになる。
「儂の従兄弟が和宮様の叔父であらせられる橋本実麗卿にお仕えしており、その筋から得た知らせだから間違いはない。この婚姻話は井伊掃部頭が討ち取られたことで地に落ちた幕府の権威を取り戻すために、老中の安藤対馬守と久世大和守が仕組んだ卑劣な計略じゃ。対馬守等は朝廷と幕府、公と武が一和になった上で異国と対峙するのが肝要と申しておるそうじゃが、実際は朝廷の権威を幕府に取り込んだ上で従属させ、有志の者達を再び弾圧しようというのが本音であろう。本日の会合はそれを阻止するのが狙いの一つだと考えてもらっていい」
 西丸が安藤対馬守等の卑劣な計略について語ると、少し冷静さを取り戻した桂が、
「なるほど、和宮様と本日の会合についての繋がりはよう分かりました。よう分かりましたが一つ腑に落ちないことがございます」
 と言って西丸に何かを尋ねたそうにしている。
「何じゃ。申してみよ」
「そもそも天子様や和宮様が此度の婚姻話をお認めになりましょうか? 将軍がいるこの関東は今や穢れた異人共が跋扈する所であり、高貴な皇族の御方がいらっしゃるような所では到底ございませぬ。特に天子様は他の誰よりも異人共を憎んでおられます。その憎むべき異人共が蔓延る関東に大事な妹をみすみす差し出すはずがないと僕には思えてならないのです」
 桂が自身の疑問を述べると西丸は、
「桂殿の仰る通りじゃ。天子様も和宮様もそのような婚姻話をお受けになるはずがないと思うのがものの道理というもの。じゃが仮に天子様が不承知でも、前年の井伊掃部頭の仕打ちで朝廷も大分力を削がれており、対馬守等の姦計をはねのけるのが難しくなっている。天子様の近臣であった近衛様や鷹司様等が掃部頭によって辞官落飾させられたことはかなりの痛手じゃ。対馬守等はそこを突いて此度の婚姻話を成立させようと企んでおる」
 と残念そうな表情を浮かべながらその疑問に答えた。
「それに奴ら和宮様の降嫁だけでなく、横浜でのさばっている異人共やその異人共に食物や金を根こそぎ買い占められている現状に対して、何ら策らしい策を講じることもなく時を徒に浪費しておる。この現状を打破し、幕政改革を行えるのは儂等水戸と長州の志士をおいて他にない。対馬守等の好き勝手をこれ以上許すわけにはいかぬ」
 西丸が持論を展開すると、桂はその通りだと言わんばかりにうんうんと頷いて、
「西丸殿の話を聞いて目から鱗が落ちました。今こそ長州と水戸が一丸となって対馬守等の愚行を食い止めねばなりませぬな。でなければこの神州は異人共に屈服することとなる」
 と水戸と長州の盟約の締結に改めて意欲を燃やした。
「桂君のゆう通りじゃ。儂等もかような所で時を無駄にしている暇はない。早う盟約を結ばねば」
 剛蔵も桂に同調する。
「お二方に儂の話を分かって頂けて何よりじゃ。さて盟約じゃが、ここでは人目がつくからどこか人目がつかぬところで結びたいと思うのだが、如何かな?」
 西丸が桂達に提案する。
「それもそうで御座いますな。あと人目のつかぬ所なら儂が艦長を務めとる丙辰丸の中が丁度良いかと思いますが如何でしょうか?」
 剛蔵が西丸に提案し返した。
「丙辰丸? 長州の軍艦か?」
「左様でございます。丙辰丸は今品川沖に停泊しており、そこなら関係のない誰かに盟約の内容が漏れることもないかと存じています。また儂等が会う表向きの名目を水戸の大豆と長州の塩の交易とすれば、誰からも疑いの目を向けられることがないかと」
「これはかたじけない。今日はお主らにお会いできて本当によかった。次は丙辰丸でお会いしましょう」




 この会合から十日後、長州藩士の桂小五郎及び松島剛蔵と水戸藩士の西丸帯刀等との間で、後に丙辰丸の盟約と呼ばれることになる盟約が結ばれた。
 この盟約は水戸藩が老中安藤対馬守の誅殺や横浜の異人襲撃を行うことで世を混乱させ、その混乱に乗じて長州藩が幕政改革を行うといった内容であり、後に水戸藩はこの盟約を元に異人や幕閣の襲撃を企てていくこととなる。

 


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