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第13章 晋作の婚姻

6 利助と文之輔

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 年が明けて、安政七(一八六〇)年一月。
 寅次郎が死んだことによる悲しみがまだ癒えずにいた利助は、その悲しみを癒すべく、品川宿の飯売旅籠屋である上総屋に入り浸っている。
 元々女好きであった利助は、京や長崎にいた時も暇を見つけては遊郭で遊んでいたが、江戸で寅次郎の死に接して以降、女遊びが益々ひどくなっていった。
「酌をしちょくれ、お冨」
 上総屋にあるわずか四畳ほどの一室で、膳の上にのっている白米と沢庵を頬張りながら、利助が猪口を片手にぶっきらぼうに言った。
「今日もよくお酒をお飲みになられますね、利助さん」
 利助が懇意にしている飯盛女のお冨が微笑むと、徳利の中の酒を利助の猪口に注ぐ。
 猪口に酒が注がれたのを確認した利助はぐいっと飲み干すと、
「いつものわしじゃったら、ここだけに留まらず、品川にある土蔵相模屋や吉原遊郭、深川の岡場所などにも繰り出したいものじゃとゆうところじゃが、今はそねーなことゆう気分にはなれん」
 とぼやいたので、お冨は少し心配そうな表情を浮かべて、
「例の寅次郎先生のことが理由ですか? いくらお酒をお飲みになられても、私を抱かれても、悲しみは癒えませぬか?」
 と尋ねた。
「癒えぬ。むしろこねーして酒やおめぇに溺れれば溺れるほど、癒えるどころかむしろ虚しさばかりが募っていく一方じゃ。何故なのか、わしにも皆目見当がつかんけぇのう」
 やるせない表情を浮かべながら利助が愚痴を零すと、突然部屋の前の襖が倒れ、一人の侍が利助たちのいる部屋の中にふっ飛ばされてきた。
「な、一体何が起きたのじゃ?」
 いきなり侍がふっ飛ばされてきたことに対し、利助とお冨はただただひたすら驚き、動揺している。
「これでどうじゃ? この薩摩の芋め!」
 血気だった体格の良い一人の侍が利助達のいる部屋の中に乗り込んできて、ふっ飛ばされて倒れている侍に対し吐き捨てるようにして言うと、倒れている侍は激高して、
「おのれ、長州の田舎侍め! 許さんど!」
 と言うや否や立ち上がって、その血気だった体格の良い侍に殴り掛かったので、体格の良い侍はひらりと身を躱して、そのまま腕をねじ上げた。
「どこまでも馬鹿な奴じゃ! お吉はおめぇなど好いちょらんことがまだ分からんか!」
 薩摩の芋の腕をねじ上げながら、長州の田舎侍が怒鳴った。
「黙れ! おはんに何が分かるでごわんどか! おいがお吉にどげん金をつぎ込んだかち思う! それなのにあん女子、おいよりもおはんの方がええなどととぬかしおって、誠に許せん!」
 薩摩の芋は腕をねじ上げられながらも、じたばた抵抗して何とか長州の田舎侍に反撃しようとしている。
「それはおめぇに侍としての、いんや男としての魅力が欠けちょったからじゃろうが! そねーなことも分からず、わしを逆恨みして殴り掛かってきよるとは一体どねーな料簡じゃ! 少しは頭を冷やしてよう考えや!」
 長州の田舎侍は怒鳴り散らしながら言うと、薩摩の芋の腕をねじ上げる力をさらに強めた。
「いい加減にせんとこの腕、本当にへし折るぞ! まともに刀を握れんようになりたくなかったら、素直にお吉を諦めると言え!」
 長州の田舎侍が腕をねじ上げる強さはますます強くなっていき、ごきごきと変な音が鳴りだしたところで、
「分かり申した! お吉にはもう二度と近づかん! 早う離してくいやい!」
 腕の痛みのあまり、薩摩の芋は泣きそうになりながら懇願している。
「やっと観念したか! この分からず屋が! 二度とお吉に近づくな!」
 薩摩の芋が降参宣言すると、長州の田舎侍は薩摩の芋の腕を離したので、薩摩の芋はそのまま一目散に上総屋から逃げていった。
「いやあ、お楽しみのところを邪魔して、まっことすまんかったのう」
 二人の喧嘩を唖然となって見ていた利助達に対し、長州の田舎侍が申しわけなさそうに謝罪する。
「いえ、わしらは別に怪我したわけではないけぇ……何も気にしちょりはしませんよ……」
 利助は長州の田舎侍に対し、恐怖の念を抱きながら恐る恐る答えた。
「ん? その言葉遣い、おめぇもわしと同じく長州の者か?」
 利助が自分と同じ長州出身の者だと気づいた田舎侍はうれしそうな様子でいる。
「そうです。わしは毛利家家中の伊藤利助であります」
「おお! まさかこねーなところで同じ長州の者に出くわすとは夢にも思わなんだ! そうじゃ、お楽しみを邪魔してしもうた罪滅ぼしではないが、わしと一緒にこれから相模屋に行かんか? なに、金は全部わしが持つけぇ、心配せんでもええぞ」
 長州の田舎侍は豪快に笑いながら利助を誘ってきた。
「あ、はあ。わしも同行してもええっちゅうなら喜んで……」
 利助が呆気に取られながら返答すると田舎侍は、
「そうかそうか、それはよかった! では早う相模屋に急ごうっちゃ。あ、そうじゃ、自己紹介がまだであったな。わしもおめぇと同じ毛利家家中で名は志道文之輔じゃ。よろしく頼むぞ」
 とますます上機嫌になった。
 志道文之輔、この男こそ後の井上馨その人であり、利助とは五十年近くの長い付き合いになるのだが、そんなことはこの当時の二人にはまだ知る由もなかった。
 

 


 
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