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第13章 晋作の婚姻

4 婚礼話

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 村塾での集会を終え、己の屋敷に帰った晋作は父の小忠太に呼び出され、息つく間もなく奥座敷へと向かった。
「わしに大事な話とは一体どねーなことでございましょうか? 父上」
 小忠太だけでなく、母の道も神妙な顔をして奥座敷で一緒に正座しているのを確認した晋作は、身構えずにはいられない。
「お前の婚礼についてじゃ、晋作」
 小忠太の代わりに、道が神妙な顔のまま晋作の問いに答えた。
「婚礼でございますか? このわしの?」
 突然の縁談話に衝撃を受けた晋作は、驚きの余りに言葉を失っている。
「そうじゃ。相手は町奉行である井上平右衛門殿のご息女で、名はお雅と申す。年は十五でお栄と同い年の女子じゃ」
 道が花嫁について晋作に簡潔に説明すると、今度は小忠太が、
「平右衛門殿は儂が明倫館に通っちょった頃からの付き合いで、井上家の家格は我が高杉家と同じ大組、婚姻を結ぶには申し分ない家柄じゃ。婚礼の儀は年が明けたらすぐにでも行うつもりでおるけぇ、よう肝に銘じちょけ」
 と重々しい声で花嫁と結婚をする時期について告げた。
「ちょっと待って下され、父上!」
 衝撃から少し立ち直った晋作は突然の縁談話に抗議し始める。
「わしはまだ明倫館の書生で何のお役にもついちょらん身であります! そねー半端者のわしが妻を娶るなど、余りにも分不相応ではござりませぬか? 他家から妻を娶る話は、わしがお殿様から正式にお役を頂いてから後でも遅くはないと思いまするが!」
 元々孔子の教えに習って三十で嫁を迎えるつもりでいた晋作は、今回の縁談話にはどうしても納得がいかない。
「いんや、お前が妻を娶る機は今をおいて他にない。吉田寅次郎が斬首された今をおいてな」
 小忠太が険しい表情をしながら言った。
「もう何度もゆうちょると思うが、お前は高杉家唯一の男子なのじゃぞ。お前の身に何かあれば、洞春公以来三百年続いた高杉家は絶えてなくなる。吉田寅次郎が死んだ今こそ、妻を娶って高杉家の跡取りたることを再度自覚し、ゆくゆくは高杉家の主となって子孫を残し、高杉の家を、血筋を守る。それは武家に生まれた者ならば必ず背負わねばならぬ定めなのじゃ」
 小忠太は滔滔と家を守ることの大事さについて語るも、当の晋作は不承知な様子でいる。
「高杉の家を、血筋を守ることこそがお前の役目であり、儂がお前に望む全てじゃ。じゃけぇ今後松本村の松下村塾に行くことはもちろん、村塾の塾生達の活動に関わることは一切許さん。もしお前がこのまま奴らと関わり合いになり続けるのであれば、お前を勘当して他家から婿養子を迎えることも考えるつもりじゃけぇ、ゆめゆめ忘れるでないぞ」
 小忠太が息子に最後通告をすると、息子もついに折れざる負えないことを悟ったようで、
「かしこまりました。井上様のご息女との婚礼、謹んでお受け致します。寅次郎の一党にも関わらぬようにしますけぇ、どうかご容赦下さいますよう、よろしくお願い申し上げまする」
 としぶしぶながらも父母に誓いを立てた。





 萩の江向十日筋にある井上平右衛門の屋敷の座敷では、倅の井上権之介が妹の井上雅と婿になる予定の晋作のことで話をしていた。
「しかし、おめぇもまっこと気の毒よのう。父上の意向とはいえ、萩城下一の美人と評判のおめぇが、あの高杉の家の小豆餅の嫁になるのじゃからな」
 権之介がおもしろ半分に晋作の悪口を言うと、雅は不安そうな顔をしながら、
「小豆餅とはどねーなことでございましょうか? 高杉の婿殿はそねーひどい風貌の御方なのでございますか?」
 と兄に尋ねる。
「ああ。鼻梁と鼻翼のところが特に痘痕まみれで、それはそれは見事な小豆餅じゃそうな。それに謹厳実直な父の小忠太殿とは全くの真逆で、傍若無人、破天荒、生粋の無頼者と専らの評判みたいじゃけぇ、おめぇに高杉の婿殿の妻が務まるかどうか、わしは気がかりでならん」
 権之介は雅の身を案じたような事を言いつつも、その顔はおもしろそうににやにや笑っている。
「なるほど、それはまっこと難儀な婿殿でございますね……」
 雅が表情を曇らせながら呟いた。
「じゃが江戸におる御父上が決めた縁談じゃけぇ、例え小豆餅じゃろうが、源氏の荒くれ武者の如き御方じゃろうが、私は高杉の家に嫁入りをせねばなりませぬ。それがこの井上の家を守ることに繋がります故。それが武家に生まれた女子の定めにございまする故」
 晋作の悪評を兄に聞かされてもなお、雅は晋作に嫁ぐつもりでいる。
「つい最近までおめぇを子供じゃ思うとったが、それはどうやらわしの勘違いであったようじゃ」
 雅の覚悟のほどを聞いた権之介はすっかり感心し、妹をからかうことを止めた。
「おめぇはもう立派な武家の女子じゃ。江戸におる御父上が今のおめぇの言葉を聞けば、きっとお喜びになるじゃろう。高杉の家に嫁ぎ、しかと武家の女子としての務めを果たせ、雅。くれぐれも井上家の名を辱めることのないようにな」
 権之介が激励すると雅はにこやかに笑いながら、
「兄上に申されるまでもございませぬ。私は必ず立派な武家の妻になってご覧に入れまする」
 と誓った。
 
 
  
 


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