上 下
100 / 152
第12章 師の最期

3 悩める若人

しおりを挟む
 数日後、晋作の元に寅次郎から長い文が届いた。
「僕去る冬以来、死の一字に大いに発明あり。死は好むべきものに非ず、また憎むべきものに非ず。道尽き心安んずる、即ちこれ死す所なりか……。さすが寅次郎先生、ゆうちょることの一つ一つがまっこと奥深いのう」
 晋作は寅次郎から届いた長文を貪るようにして読みながら感嘆の声を上げる。
「世に身生きながら心が死する者あり。身亡びても魂が存する者あり。心が死すれば生きていても益無く、魂が存すれば亡びても損無きなり。また一種大才略ある人が辱を忍びて事を為すは妙なり。また一種私欲なく私心なき者が生を愉しむは妨げられず。死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらばいつでも生きるべし。僕が所見にては生死は度外に置いて、唯言うべきことを言うのみ」
 晋作は以前寅次郎に尋ねた死についての返答の部分を一通り読むと文を机の上に置き、深いため息をつく。
「もしわしが今死んだとしても残るものは何もないじゃろう……。かとゆうてこのまま生きとっても何か大業を為せるとも思えん……。それに今のわしは先生の文に書かれちょる通り、身は生きながら心が死する者じゃ。まっこと情けないのう……」
 昌平坂学問所に入所して以降の己の言動や行動を思い起こし、自身を大いに恥じた晋作はしばらくの間うなだれていた。
 そして半刻ほど過ぎた辺りから、少し気を持ち直して再び文の続きを読み始めた。
「貴方以前問いて曰く、何をすれば可ならんかと。まず遊学を済ませ、妻を娶り官に就く等のことをひたすら父母の御心に任すべし。もし君側にお出になるのであれば、深く精忠を尽くして君心を得るべし。然る後に正論正義を主張すべし。この時必ず禍敗を取るなり。禍敗の後、人を謝絶し学を修め、一箇恬退の人となりたまわば、十年の後必ず大忠を立てる日もあらん。極々不幸にても一不朽人となるべし」
 弟子の身を案ずる寅次郎の文は見た目も内容も極めて丁寧そのものであり、荒み切っていた晋作の心をほぐすには十分すぎるぐらいだった。
「先生……」 
 自身の将来や進路について記されている箇所を読んだ晋作は、師の気遣いに感じ入ったのか、目に涙を浮かべて独り呟く。
「僕江戸に来て、墨夷の事大いに見聞して驚き、また密かに喜び、そして惜しむ。英夷かつて阿片交易の事に付き、瘍医を広東へ渡して施療治させ、之を継続させるために引痘を以ってする等苦心す。それ思慮深遠というべし。これに対し墨夷は本牧を以って足らずとし、江戸に来倨し、市中自在に横行す。これ条約等の表にては当然の事には候え共、現実に目撃すれば随分驚き申し候。またそれ人心を懐柔する手段、大いに英夷に劣るというべき事柄なり。これを以って密かに喜び申し候。しかし墨夷の所為市中の人心を失えども、又数十年無事ならば人心自ずから帖服すべし。豈に惜しからずや。幕府初めは墨夷をして諸夷を制し、諸侯を抑えんと欲すれども、今は何となく悔悟の色あり。悔悟すれども懲らしめの奇策なければ皆共に亡ぶるより他なし。ここに至りて正義を以って幕府を責めるは宜しからずと雖も、上策は井伊・間部等の所は誠実に忠告するに如かず。中策は隠然として自国を富強して、いつにても幕府の依頼となる如く心懸けるべし。今藩政府、幕府への嫌忌と見えて杉蔵等が獄さえ免ぜず、遊学生も容易には出さず、さながら事機を失うは残念なり。責めては中策にても出たせかし」
 寅次郎の幕政及び藩政に関する意見の部分も読み終えた晋作は意を決したような顔をすると、萩から持参した袋の中から『海国図誌』を取り出し、何かに取りつかれたかの如く熱心に読み始めた。
 
 
 

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

風説 戊辰女性剣士中澤琴

澤村圭一郎
歴史・時代
時は幕末。日本を植民地にと企む欧米列強の戦艦が黒光りする大砲を陸地へ向け押し寄せていた。攘夷(異人排斥)では一致していたが、国内では体制を維持し外敵に備えるというそ佐幕派と天皇を中心とする体制を築く尊皇派が厳しい対立をしていた。 将軍家茂が上洛するためのせ先遣隊が募られ二百を超える浪士が参集したが後に新選組を結成する近藤勇や土方歳三もいた。上野国(福島)からやってきたのは中澤貞祇と男装の妹琴。史上初の女性剣士誕生である。 父の孫右衛門は法神流剣道の創始で、琴は竹刀を玩具にして育ってきた。 先遣隊は将軍の一行より一日早くし出発し、奥州街道から中山道へと移動した。道中、富士を見ながら土方は言った。 「富士は大きいが人は努力すれば富士より大きくなれる。」と。 琴はそんな土方に心を魅かれた。 京に着くと隊長の清川が皆を集めて偏列を始めいきなり切り出した。 「我々が目指すのは尊皇攘夷である。江戸に戻り徳川幕府を倒す。」 正体を表したのである。 芹沢鴨や近藤・土方などが席を蹴り退場した。 琴は土方と行動を共にしたかったが兄が動かないので自重した。入隊を誘った佐々木只三郎が言った。 「清川は江戸を火の海にするつもりだ。そうはさせん。我らが江戸を守る。京は近藤さん、土方さんに任せよう。」 夜、宿にやってきた土方が琴に言った。「必ず会える日が来る。」と。 江戸に戻った清川は資金を得るため夜中に商家に押し入り大枚をせしめたが只三郎・中澤兄妹に斬り倒され一派は壊滅した。 琴たち徳川派は江戸を守る新徴組を設立し、昼夜を問わず奮闘した。 天狗党事件など幕府から追われていた相楽総三は薩摩邸に匿われ、鹿児島から送られてくる西郷吉之助(隆盛)の指示に煽られ配下達に火付や暴行を指示していたがそれも露見し新徴組を預かる米沢藩は薩摩邸を急襲した。琴に斬られじ重傷を負った相楽は妻の命乞いで一命を取り留めた。 そうして、戊辰戦争の幕が切って落とされた。 戦いに敗れた新選組が引き上げてきて琴は土方と再開した。土方は夢を語った。 「北の大地で牛や馬を育て、琴を迎えに来る。」 江戸城は無血開城され、琴は故郷の利根村に戻ったが土方が参戦している箱館戦争は終わらない。 琴は再び旅立った。蝦夷には凶暴な獣達が牙を剥いている。

沖田総司が辞世の句に読んだ終生ただ一人愛した女性の名とは

工藤かずや
歴史・時代
「動かずば、闇に隔つや花と水」 これは新選組一番隊隊長・沖田総司の辞世の句である。 辞世の句とは武士が死の前に読む句のことである。 総司には密かに想う人がいた。 最初の屯所八木邸主人の若妻お雅である。 むろん禁断の恋だ。 実の兄貴と慕う土方にさえ告げたことはない。 病身の身を千駄ヶ谷の植木屋の離れに横たえ、最後の最後に密かに辞世の句にお雅への想いを遺した。 句の中の花とは、壬生八木邸に咲く若妻お雅。 水とは、多摩、江戸、そして大坂・京と流れながら、人を斬ってきた自分のことである。 総司のそばには、お雅の身代わりにもらった愛猫ミケが常にいた。 彼の死の直前にミケは死んだ。その死を看取って、総司は自らの最後を迎えた。 総司とミケの死を知り、お雅はひとり涙を流したと言う。

シンセン

春羅
歴史・時代
 新選組随一の剣の遣い手・沖田総司は、池田屋事変で命を落とす。    戦力と士気の低下を畏れた新選組副長・土方歳三は、沖田に生き写しの討幕派志士・葦原柳を身代わりに仕立て上げ、ニセモノの人生を歩ませる。    しかし周囲に溶け込み、ほぼ完璧に沖田を演じる葦原の言動に違和感がある。    まるで、沖田総司が憑いているかのように振る舞うときがあるのだ。次第にその頻度は増し、時間も長くなっていく。 「このカラダ……もらってもいいですか……?」    葦原として生きるか、沖田に飲み込まれるか。    いつだって、命の保証などない時代と場所で、大小二本携えて生きてきたのだ。    武士とはなにか。    生きる道と死に方を、自らの意志で決める者である。 「……約束が、違うじゃないですか」     新選組史を基にしたオリジナル小説です。 諸説ある幕末史の中の、定番過ぎて最近の小説ではあまり書かれていない説や、信憑性がない説や、あまり知られていない説を盛り込むことをモットーに書いております。

新選組の漢達

宵月葵
歴史・時代
     オトコマエな新選組の漢たちでお魅せしましょう。 新選組好きさんに贈る、一話完結の短篇集。 別途連載中のジャンル混合型長編小説『碧恋の詠―貴方さえ護れるのなら、許されなくても浅はかに。』から、 歴史小説の要素のみを幾つか抽出したスピンオフ的短篇小説です。もちろん、本編をお読みいただいている必要はありません。 恋愛等の他要素は無くていいから新選組の歴史小説が読みたい、そんな方向けに書き直した短篇集です。 (ちなみに、一話完結ですが流れは作ってあります) 楽しんでいただけますように。       ★ 本小説では…のかわりに・を好んで使用しております ―もその場に応じ個数を変えて並べてます  

新選組誕生秘録ー愛しきはお勢ー

工藤かずや
歴史・時代
十八才にして四十人以上を斬った豪志錬太郎は、 土方歳三の生き方に心酔して新選組へ入る。 そこで賄い方のお勢の警護を土方に命じられるが、 彼の非凡な運と身に着けた那智真伝流の真剣術で彼女を護りきる。 お勢は組の最高機密を、粛清された初代局長芹沢 鴨から託されていた。 それを日本の為にとを継承したのは、局長近藤ではなく副長の土方歳三であった。 機密を手に入れようと長州、薩摩、会津、幕府、朝廷、明治新政府、 さらには当事者の新選組までもが、お勢を手に入れようと襲って来る。 機密は新選組のみならず、日本全体に関わるものだったのだ。 豪士は殺到するかつての仲間新選組隊士からお勢を護るべく、血みどろの死闘を展開する。

新選組徒然日誌

架月はるか
歴史・時代
時は幕末、動乱の時代。新撰組隊士達の、日常を切り取った短編集。 殺伐とした事件等のお話は、ほぼありません。事件と事件の間にある、何気ない日々がメイン。 基本的に1話完結。時系列はバラバラ。 話毎に主人公が変わります(各話のタイトルに登場人物を記載)。 土方歳三と沖田総司が多め。たまに組外の人物も登場します。 最後までお付き合い下さると嬉しいです。 お気に入り・感想等頂けましたら、励みになります。 よろしくお願い致します。

新撰組のものがたり

琉莉派
歴史・時代
近藤・土方ら試衛館一門は、もともと尊王攘夷の志を胸に京へ上った。 ところが京の政治状況に巻き込まれ、翻弄され、いつしか尊王攘夷派から敵対視される立場に追いやられる。 近藤は弱気に陥り、何度も「新撰組をやめたい」とお上に申し出るが、聞き入れてもらえない――。 町田市小野路町の小島邸に残る近藤勇が出した手紙の数々には、一般に鬼の局長として知られる近藤の姿とは真逆の、弱々しい一面が克明にあらわれている。 近藤はずっと、新撰組を解散して多摩に帰りたいと思っていたのだ。 最新の歴史研究で明らかになった新撰組の実相を、真正面から描きます。 主人公は土方歳三。 彼の恋と戦いの日々がメインとなります。

維新竹取物語〜土方歳三とかぐや姫の物語〜

柳井梁
歴史・時代
月を見つめるお前は、まるでかぐや姫だな。 幼き歳三は、満月に照らされた女を見て呟いた。 会社勤めの東雲薫(しののめ かおる)は突如タイムスリップし幼い”歳三”と出会う。 暫らくの間土方家で世話になることになるが、穏やかな日々は長く続かなかった。 ある日川に流され意識を失うと、目の前に現れたのは大人の”歳三”で…!? 幕末を舞台に繰り広げられるタイムスリップ小説。 新選組だけでなく、長州や薩摩の人たちとも薫は交流を深めます。 歴史に疎い薫は武士の生き様を見て何を思い何を感じたのか、是非読んでいただければ幸いです。

処理中です...