97 / 152
第11章 至誠にして動かざるは未だこれ非ざるなり
8 寅次郎対江戸幕府
しおりを挟む
藩邸内における周布との会話から約十五日後、寅次郎は遂に評定所に呼び出されて幕吏から訊問されることになった。
寅次郎は幕府の下級役人達によって評定所のお白洲の場へと連行されると、そのまま御座の上に無造作に座らされ、真夏の炎天下の中、奉行達の到着を待っていた。
すでに覚悟が固まっていた寅次郎は、涼し気な顔をしながら奉行達がやって来るのを待ち、やがて町奉行の石谷因幡守穆清と勘定奉行の池田播磨守頼方、寺社奉行の松平伯耆守宗秀の三奉行が姿を現して着座すると、動揺の色一つ見せることなく深々と頭を垂れて平伏した。
「面を上げよ」
三奉行の一人である池田播磨守が仏頂面で寅次郎に命じると、寅次郎はその言葉に従って面を上げた。
「長州浪人吉田寅次郎。これよりお主をこの評定所にて吟味致す」
池田播磨守は仏頂面のまま訊問の開始を告げる。
「お主に問いたきことは二つある。一つは梅田雲浜との密議について、もう一つは御所内で見つかった落文についてじゃ」
松平伯耆守が険しい表情で言うと続けて、
「お主が二年程前に梅田雲浜と萩で会って話をしているということは既に調べで分かっておる。梅田雲浜は京の公卿達を焚きつけて、先の条約調印に必要な勅許の会得を妨害した大罪人。その大罪人の雲浜がわざわざ京からお主のおる萩まで足を運ぶとは、余程大事な密議があったに相違ないと儂は見ておる。もし何か異議があるならば、今この場で申してみよ」
と寅次郎に雲浜との関係性を問いただした。
「確かに梅田雲浜と萩でお会いましたが密議などはしちょりませぬ。ただとりとめのない世間話をしただけであります」
寅次郎は至極冷静な様子で伯耆守の質問に答える。
「そもそも僕の志は彼の志とは異なりますので、行動を共にするなど決してありえぬことなのであります。じゃけぇ僕にはこれ以上梅田雲浜について話すことはござりませぬ」
寅次郎はきっぱりと雲浜との関係について否定した。
「相分かった。ではもう一つ、御所内で見つかった落文についてはどうじゃ?」
伯耆守は険しい表情を一切崩すことなく二つ目の質問をすると、懐から書状を取り出して寅次郎に見せつける。
「この落文に書かれておる内容は御政道への批判が主であり、巷ではお主の筆跡とよう似ているという噂が立っている。これはお主が書いたものに相違ないか?」
伯耆守が尋ねると寅次郎は軽く笑って、
「僕はそねー姑息な真似は致しませぬ。僕はあくまでも公正明大であることを好むけぇ、どねーして落文などの隠事を致しましょうか。それにその筆跡は僕のものではなく、また落文に使われた紙と僕がいつも使っちょる紙は違うものじゃけぇ、疑われるのは筋違いであります」
と落文の容疑についても否定した。
「左様か。ならば吟味はこれで終いじゃ」
松平伯耆守は訊問の終わりを告げると、寅次郎は拍子抜けしたのか、大層驚いた表情をしている。
「最後に何か申したきことがあれば、遠慮なく申してみよ」
驚いた表情をしている寅次郎に対して伯耆守が質問を促すと、寅次郎は我に返って自説をべらべらと語り始めた。
「ぺルリの黒船に密航するんに失敗して幽閉の身となってからも、帝のため、国のためを思い様々な策を講じ、この神州を侵略せんとしちょる夷狄を憎まなかったことは、ただの一度もございませんでした」
自説を語る寅次郎は吟味中ずっと日差しに晒されていたせいもあってか、いつも以上に熱気を帯びている。
「昨年勅許がないままメリケンと通商条約を結んだのは、世界の情勢を鑑みても止むを得なきことと承知しちょりますが、尊王の志厚き者達を不当に捕縛せしめ、苛烈な拷問に処したことは許されざる愚行じゃと僕は思うとります。じゃけぇ僕は大原卿を長州に出迎えて挙兵する策を練ったり、元凶たる間部老中を京にて誅殺しようと試みましたが全て失敗に終わりました」
寅次郎の自説を聞いていた三奉行達は終始眉をひそめていたが、間部暗殺の下りを聞いた辺りで遂に堪忍袋の緒が切れたのか、町奉行の石谷因幡守が声を荒げて、
「卑しき身の上の分際で、国家の事を議するとは甚だ不届きである! それに御老中の間部様の暗殺を企もうなど言語道断! 覚悟はできておるのであろうな?」
と寅次郎を詰問した。
「覚悟なら当にできちょります。僕が此度この評定所に出向いたのは、貴方方幕府の役人の過ちを正すためであり、その為に命を落とすこととなったとしても後悔はないのであります。このまま有志の者を捕縛し続けるのであれば、この神州はきっと夷狄の餌食となりましょう。そねーなことになる前に、今一度お考えをお改め下さいますようお願い申し上げまする」
寅次郎は因幡守に怯むことなく、あくまでも自身の主張を貫き通す。
「なるほど、お主の国を憂うる心はよう分かった」
池田播磨守が落ち着き払った様子で言う。
「じゃが奉行としてお主の言動をこのまま捨て置くわけにはいかぬ。よってお主には伝馬獄の西奥揚屋入りを命ずる。伝馬獄内で己の罪と存分に向き合うがよい」
播磨守は寅次郎に伝馬獄入りを命ずると、側にいた下級役人達に命じてお白洲の場から寅次郎を退場させた。
寅次郎は幕府の下級役人達によって評定所のお白洲の場へと連行されると、そのまま御座の上に無造作に座らされ、真夏の炎天下の中、奉行達の到着を待っていた。
すでに覚悟が固まっていた寅次郎は、涼し気な顔をしながら奉行達がやって来るのを待ち、やがて町奉行の石谷因幡守穆清と勘定奉行の池田播磨守頼方、寺社奉行の松平伯耆守宗秀の三奉行が姿を現して着座すると、動揺の色一つ見せることなく深々と頭を垂れて平伏した。
「面を上げよ」
三奉行の一人である池田播磨守が仏頂面で寅次郎に命じると、寅次郎はその言葉に従って面を上げた。
「長州浪人吉田寅次郎。これよりお主をこの評定所にて吟味致す」
池田播磨守は仏頂面のまま訊問の開始を告げる。
「お主に問いたきことは二つある。一つは梅田雲浜との密議について、もう一つは御所内で見つかった落文についてじゃ」
松平伯耆守が険しい表情で言うと続けて、
「お主が二年程前に梅田雲浜と萩で会って話をしているということは既に調べで分かっておる。梅田雲浜は京の公卿達を焚きつけて、先の条約調印に必要な勅許の会得を妨害した大罪人。その大罪人の雲浜がわざわざ京からお主のおる萩まで足を運ぶとは、余程大事な密議があったに相違ないと儂は見ておる。もし何か異議があるならば、今この場で申してみよ」
と寅次郎に雲浜との関係性を問いただした。
「確かに梅田雲浜と萩でお会いましたが密議などはしちょりませぬ。ただとりとめのない世間話をしただけであります」
寅次郎は至極冷静な様子で伯耆守の質問に答える。
「そもそも僕の志は彼の志とは異なりますので、行動を共にするなど決してありえぬことなのであります。じゃけぇ僕にはこれ以上梅田雲浜について話すことはござりませぬ」
寅次郎はきっぱりと雲浜との関係について否定した。
「相分かった。ではもう一つ、御所内で見つかった落文についてはどうじゃ?」
伯耆守は険しい表情を一切崩すことなく二つ目の質問をすると、懐から書状を取り出して寅次郎に見せつける。
「この落文に書かれておる内容は御政道への批判が主であり、巷ではお主の筆跡とよう似ているという噂が立っている。これはお主が書いたものに相違ないか?」
伯耆守が尋ねると寅次郎は軽く笑って、
「僕はそねー姑息な真似は致しませぬ。僕はあくまでも公正明大であることを好むけぇ、どねーして落文などの隠事を致しましょうか。それにその筆跡は僕のものではなく、また落文に使われた紙と僕がいつも使っちょる紙は違うものじゃけぇ、疑われるのは筋違いであります」
と落文の容疑についても否定した。
「左様か。ならば吟味はこれで終いじゃ」
松平伯耆守は訊問の終わりを告げると、寅次郎は拍子抜けしたのか、大層驚いた表情をしている。
「最後に何か申したきことがあれば、遠慮なく申してみよ」
驚いた表情をしている寅次郎に対して伯耆守が質問を促すと、寅次郎は我に返って自説をべらべらと語り始めた。
「ぺルリの黒船に密航するんに失敗して幽閉の身となってからも、帝のため、国のためを思い様々な策を講じ、この神州を侵略せんとしちょる夷狄を憎まなかったことは、ただの一度もございませんでした」
自説を語る寅次郎は吟味中ずっと日差しに晒されていたせいもあってか、いつも以上に熱気を帯びている。
「昨年勅許がないままメリケンと通商条約を結んだのは、世界の情勢を鑑みても止むを得なきことと承知しちょりますが、尊王の志厚き者達を不当に捕縛せしめ、苛烈な拷問に処したことは許されざる愚行じゃと僕は思うとります。じゃけぇ僕は大原卿を長州に出迎えて挙兵する策を練ったり、元凶たる間部老中を京にて誅殺しようと試みましたが全て失敗に終わりました」
寅次郎の自説を聞いていた三奉行達は終始眉をひそめていたが、間部暗殺の下りを聞いた辺りで遂に堪忍袋の緒が切れたのか、町奉行の石谷因幡守が声を荒げて、
「卑しき身の上の分際で、国家の事を議するとは甚だ不届きである! それに御老中の間部様の暗殺を企もうなど言語道断! 覚悟はできておるのであろうな?」
と寅次郎を詰問した。
「覚悟なら当にできちょります。僕が此度この評定所に出向いたのは、貴方方幕府の役人の過ちを正すためであり、その為に命を落とすこととなったとしても後悔はないのであります。このまま有志の者を捕縛し続けるのであれば、この神州はきっと夷狄の餌食となりましょう。そねーなことになる前に、今一度お考えをお改め下さいますようお願い申し上げまする」
寅次郎は因幡守に怯むことなく、あくまでも自身の主張を貫き通す。
「なるほど、お主の国を憂うる心はよう分かった」
池田播磨守が落ち着き払った様子で言う。
「じゃが奉行としてお主の言動をこのまま捨て置くわけにはいかぬ。よってお主には伝馬獄の西奥揚屋入りを命ずる。伝馬獄内で己の罪と存分に向き合うがよい」
播磨守は寅次郎に伝馬獄入りを命ずると、側にいた下級役人達に命じてお白洲の場から寅次郎を退場させた。
0
お気に入りに追加
13
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
不屈の葵
ヌマサン
歴史・時代
戦国乱世、不屈の魂が未来を掴む!
これは三河の弱小国主から天下人へ、不屈の精神で戦国を駆け抜けた男の壮大な物語。
幾多の戦乱を生き抜き、不屈の精神で三河の弱小国衆から天下統一を成し遂げた男、徳川家康。
本作は家康の幼少期から晩年までを壮大なスケールで描き、戦国時代の激動と一人の男の成長物語を鮮やかに描く。
家康の苦悩、決断、そして成功と失敗。様々な人間ドラマを通して、人生とは何かを問いかける。
今川義元、織田信長、羽柴秀吉、武田信玄――家康の波乱万丈な人生を彩る個性豊かな名将たちも続々と登場。
家康との関わりを通して、彼らの生き様も鮮やかに描かれる。
笑いあり、涙ありの壮大なスケールで描く、単なる英雄譚ではなく、一人の人間として苦悩し、成長していく家康の姿を描いた壮大な歴史小説。
戦国時代の風雲児たちの活躍、人間ドラマ、そして家康の不屈の精神が、読者を戦国時代に誘う。
愛、友情、そして裏切り…戦国時代に渦巻く人間ドラマにも要注目!
歴史ファン必読の感動と興奮が止まらない歴史小説『不屈の葵』
ぜひ、手に取って、戦国時代の熱き息吹を感じてください!
旧式戦艦はつせ
古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。
北武の寅 <幕末さいたま志士伝>
海野 次朗
歴史・時代
タイトルは『北武の寅』(ほくぶのとら)と読みます。
幕末の埼玉人にスポットをあてた作品です。主人公は熊谷北郊出身の吉田寅之助という青年です。他に渋沢栄一(尾高兄弟含む)、根岸友山、清水卯三郎、斎藤健次郎などが登場します。さらにベルギー系フランス人のモンブランやフランスお政、五代才助(友厚)、松木弘安(寺島宗則)、伊藤俊輔(博文)なども登場します。
根岸友山が出る関係から新選組や清河八郎の話もあります。また、渋沢栄一やモンブランが出る関係からパリ万博などパリを舞台とした場面が何回かあります。
前作の『伊藤とサトウ』と違って今作は史実重視というよりも、より「小説」に近い形になっているはずです。ただしキャラクターや時代背景はかなり重複しております。『伊藤とサトウ』でやれなかった事件を深掘りしているつもりですので、その点はご了承ください。
(※この作品は「NOVEL DAYS」「小説家になろう」「カクヨム」にも転載してます)
思い出乞ひわずらい
水城真以
歴史・時代
――これは、天下人の名を継ぐはずだった者の物語――
ある日、信長の嫡男、奇妙丸と知り合った勝蔵。奇妙丸の努力家な一面に惹かれる。
一方奇妙丸も、媚びへつらわない勝蔵に特別な感情を覚える。
同じく奇妙丸のもとを出入りする勝九朗や於泉と交流し、友情をはぐくんでいくが、ある日を境にその絆が破綻してしまって――。
織田信長の嫡男・信忠と仲間たちの幼少期のお話です。以前公開していた作品が長くなってしまったので、章ごとに区切って加筆修正しながら更新していきたいと思います。
ラスト・シャーマン
長緒 鬼無里
歴史・時代
中国でいう三国時代、倭国(日本)は、巫女の占いによって統治されていた。
しかしそれは、巫女の自己犠牲の上に成り立つ危ういものだった。
そのことに疑問を抱いた邪馬台国の皇子月読(つくよみ)は、占いに頼らない統一国家を目指し、西へと旅立つ。
一方、彼の留守中、女大王(ひめのおおきみ)となって国を守ることを決意した姪の壹与(いよ)は、占いに不可欠な霊力を失い絶望感に伏していた。
そんな彼女の前に、一人の聡明な少年が現れた。
半妖の陰陽師~鬼哭の声を聞け
斑鳩陽菜
歴史・時代
貴族たちがこの世の春を謳歌する平安時代の王都。
妖の血を半分引く青年陰陽師・安倍晴明は、半妖であることに悩みつつ、陰陽師としての務めに励む。
そんな中、内裏では謎の幽鬼(幽霊)騒動が勃発。
その一方では、人が謎の妖に喰われ骨にされて見つかるという怪異が起きる。そしてその側には、青い彼岸花が。
晴明は解決に乗り出すのだが……。
三国志〜終焉の序曲〜
岡上 佑
歴史・時代
三国という時代の終焉。孫呉の首都、建業での三日間の攻防を細緻に描く。
咸寧六年(280年)の三月十四日。曹魏を乗っ取り、蜀漢を降した西晋は、最後に孫呉を併呑するべく、複数方面からの同時侵攻を進めていた。華々しい三国時代を飾った孫呉の首都建業は、三方から迫る晋軍に包囲されつつあった。命脈も遂に旦夕に迫り、その繁栄も終止符が打たれんとしているに見えたが。。。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる