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第8章 江戸へ

2 堀田老中、京に上洛す

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 この頃、時の帝である孝明天皇から日米修好通商条約調印の勅許を得ることを目的に、堀田備中守が目付の岩瀬肥後守忠震と勘定奉行の川路聖謨を引き連れて京に上洛していた。
 ハリスが将軍家定に謁見を果たした後、堀田備中守達とハリスとの間で通商条約調印に向けて何度も談判が重ねられ、その大部分を取り纏めることに成功していたが、前水戸藩主である徳川斉昭を筆頭に、諸大名間で条約反対の声が日増しに強くなっていったため、それを抑えて条約を調印するには帝の勅許が必要不可欠となっていた。
 この日も二条城の近くにある堀田備中守の屋敷にて、備中守達は条約締結の事について話し合いをしていた。
「やはり帝から勅許を得るには、日本国を取り巻く世界情勢を申し上げた上で奏上するのが一番で御座りましょう」
 川路聖謨が厳しい表情をしている。
「ハリスが申していたように、清に攻め込んでおるエゲレスやフランスの艦隊がこの日本国に攻めてきて、その武の前に屈して開国するようなことになれば、この国の要である幕府の威信は間違いなく地に落ちることになりましょう。またエゲレス人達によって阿片が持ち運ばれるような事になれば、その毒によってこの国は荒廃し滅び去ることになりましょう。蒸気機関を発明し強大な艦隊と銃火器を有する西欧列強と、戦国の世さながらの火縄銃や鎧兜しか持たぬ我等とでは、戦わずとも勝敗は見えております。そのことを正直に帝に申し上げれば、きっとご納得頂けるのではないかと存じまする」
 ハリスが本格的な条約の談判に入る前に行った話を聴いていた川路は、何としてでも艦隊と阿片がこの国に入ってくるのを阻止せねばと決意を固めていた。
「左衛門尉殿の申すとおり、確かに今の我等ではどうあがいたところで、エゲレスやフランスに勝ち目などござりませぬ」
 川路同様ハリスの話を聴いていた岩瀬肥後守も険しい表情をしている。
「じゃがメリケンと通商条約を結び、下田・函館の他に神奈川や新潟、長崎、兵庫の港を開港し、江戸や大阪を開市すればその状況はかわるやもしれぬ。我等の方から様々な品をメリケンの商人達に売りつけて富を蓄え、その富を最新鋭の艦隊や武器の購入につぎ込み、西欧列強に比肩しうるほどの力を身に着けることができれば、幕府を、日本国を奴らから守り抜くことも容易となりましょう。いやそれどころか、かつての秀吉のように清や朝鮮に覇を唱え、東洋の覇者となることも夢ではないかもしれませぬぞ」
 兼ねてから西欧の文化や技芸に興味を持っていた岩瀬は、この条約締結を機に日本を完全に開国させることはもちろん、海外にも積極的に進出していく腹積もりでいた。
「そうは申しても果たしてそれを帝や公卿共に理解してもらえるどうかは分らぬぞ」
 憂いに満ちた表情で堀田備中守が言う。
「ぺルリ来航時の和親条約は通商を認めず、食料や薪水をメリケンの船に与えるというような内容だったから、事後報告でも帝や公卿共から何も咎められることはなかったが、此度のように対等な立場で通商となるとまるで話は違ってこよう。ただでさえ朝廷は政の場から長いこと遠ざけられておる関係上、無知で世間知らずなことこの上ないのに、そこに尊王攘夷を主張して止まない斉昭公が諸侯だけに留まらず、朝廷内の公卿や帝にまで条約反対を煽っている現状ではなかなか難しいものがある。聞くところによると、帝も公卿共も異人のことを禽獣だの夷狄だのと盛んに申しておるそうではないか」
 堀田備中守が深いため息をつく。当初はまだ何とかなると楽観視していた堀田も、この京の現状を知ったことですっかり意気消沈しきっていた。
「お言葉ですが、備中守様!」
 岩瀬は強い口調で前置きすると、
「仮に朝廷が条約反対で纏まっていたとしても、このままむざむざ江戸に引き下がる訳にはいかぬのではありませぬか。この日本国を取り巻く危機的状況は一刻の猶予も許さぬところまできております。もし我らが打つ手を間違えれば、この国はたちまち西欧列強の属国と相成りましょう。ここは何としてでも、帝や公卿達に条約を調印することの利についてご納得頂けるよう奏上する他はありますまい。それに朝廷には少ないながらも九条関白のように我々の味方になって下さる御方もおります故、希望はまだ潰えたわけではないと存じまする」
 と堀田備中守を叱咤激励した。
「頼もしい限りじゃ、肥後守。お主の申す通り、希望はまだ潰えてはおらぬ。九条関白が帝への奏上に助力してくれれば、この苦難乗り越えられるやもしれぬな」
 九条関白の存在を思い出して少し気が楽になったのか、堀田備中守の表情が和らぐ。





 だが堀田達の淡い期待は裏切られることとなった。
 頼みとしていた九条関白こと、九条尚忠が岩倉具視や中山忠能、大原重徳等の攘夷派公卿八十八名による抗議活動の的となってしまったのだ。
 この八十八名の公卿達は九条邸の前に座り込み、尚忠が幕府に肩入れするのを止めると誓わぬ限り退かない姿勢を見せたため、尚忠は泣く泣く彼らの要求を飲むこととなった。
 また岩倉達の抗議活動を受け、ますます攘夷への決意を固めた孝明天皇は、条約調印の勅許を与えることを拒否し、終生攘夷の意思を持ち続ける事となった。
 これ以後、朝廷は政治の表舞台に本格的に登場することとなり、逆に幕府はその力を弱めていくことになる。
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