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第2章 黒船来航

11 江戸行きを志願する息子

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 その夜、晋作は高杉家の座敷で一人本を読んでいた小忠太の元に押しかけ、江戸行きを懇願した。
「一生のお願いでございます! 何とかしてわしが江戸に行けるように都合をつけてはもらえんでしょうか? 父上」 
 晋作は土下座しながら小忠太に懇願した。
「ならぬ。お前には江戸に行くよりも前に萩でもっと学ぶべきことがいろいろあるじゃろう。それにお前は江戸に行って一体何をしようというのじゃ?」
 小忠太は半ば呆れた様子でいる。
「ペルリや黒船を見物したいのです! 今江戸では黒船が来航して騒ぎになっちょると耳にしちょります。私は何としてでも江戸に行ってこれらを見たく存じます!」 
 晋作は思いの丈を精一杯小忠太にぶつけた。
「ならぬ! 黒船やペルリが理由なら尚更江戸行きを認める訳には行かんのう。全く世間は近頃やれ黒船だやれペルリだなどと馬鹿みたいに浮かれちょるが、それが一体なんじゃとゆうのじゃ!」
 小忠太は憤慨して声を荒げる。
「わしは何も物見遊山で見物したいと申している訳ではありませぬ! いずれ毛利家の、いんや日本の脅威になるであろう黒船をこの目で見て自分の進むべき道を見定めたいのです!」 
 晋作も負けじと声を張り上げて小忠太に言い返す。この時晋作の頭にはかつて秀三郎がよく話していた西洋の文明のことが思い浮かんでいた。
「くどいぞ! ならぬものはならぬのじゃ! 夜も大分更けたからいい加減就寝せえ!」
 息子のしつこさにうんざりした小忠太は、晋作を無理矢理座敷から追い出した。

 


 翌日、小忠太は呉服町の茶屋の縁台で同僚の長井雅樂と団子を食べながら、息子の晋作のことを話していた。
「黒船やペルリの見物は別として、一度御子息に江戸行きを経験させるのはええことではありませぬか?」
 小忠太から晋作の江戸行きについての一部始終を聞いた長井が小忠太に助言する。
「晋作はまだ元服を済ませ月代を剃ったばかり、江戸行きはまだ早いと儂は思うちょる」
 小忠太はにべもなく長井の助言を否定した。
「じゃが晋作があれだけ儂に嘆願して食ってかかったのは生まれて初めてのこと、正直どねーするか今迷うちょる所じゃ」
 晋作の江戸行きの都合をつけるか否か、判断に困った小忠太は頭を抱えている。
「ならば若殿様に頼んでみるのはどうじゃろうか? 若殿様は近々江戸に参府して公方様に御目見することが決まっちょる。高杉殿はその若殿様の御供の一人として江戸に参勤することも決まっちょる。それをうまく利用すれば御子息は江戸に行けるやもしれぬぞ」 
 長井は再び小忠太に提案し、串に刺さっている食いかけの団子を食べ始めた。
「じゃが若殿様が果たしてそねーなことお許しになるじゃろうか?」
 小忠太は不安げな様子で長井に尋ねる。
「恐らく大丈夫じゃろう。御子息は以前若殿様の前で弓を披露した際、若殿様から高く評価されちょったしのう」
 長井が自信満々に言った。
「……相分かった。長井殿の申される通り、若殿様に一度相談してみることにするけえのう。今日は儂のために付き合うてもろうてかたじけない」
 小忠太はしばらく考え込んだ後、何かを決断したような顔をすると長井に対して礼を言った。




 その後小忠太は長井の提案に従い、明倫館の新御殿にいた騄尉に晋作の江戸行きを嘆願した。
「今回の若殿様の江戸参府には儂だけなく、倅も同行させることをお許し頂けますでしょうか?」 
 小忠太は頭を畳にこすりつけながら土下座をして懇願している。
「決して若殿様や他の者達の御迷惑にならぬよう私が責任を持って同行させまする! 何卒この小忠太の願いをお聞き届け下されますよう、宜しくお願い申し上げ奉りまする!」
 小忠太は息子の江戸行きを実現させるために、さらに深く頭を畳にこすりつけながら土下座をして嘆願した。
「面を上げよ。小忠太」
 騄尉の言葉に従って小忠太は恐る恐る頭を上げた。
「わしが萩の御殿様の養子になって以降、お前にはいろいろと世話になった。じゃけぇ今回限り特別にお前の倅の同行を許したいと思う」
 騄尉はにっこり笑って言うと、小忠太は衝撃のあまり固まっている。
「それにお前の倅の見事な弓術を見て以来、わしの頭からお前の倅が離れなくて仕方がないのじゃ」
 騄尉は冗談めいた口調で言った。
「ありがたき幸せ! この小忠太、今まで以上に若殿様に忠節を尽くす故……」
「よいよい! これからも宜しく頼むぞ、小忠太」
 騄尉は笑いながら言うと部屋を後にした。




 その夜、晋作は家の者が集まる夕餉の席で小忠太から、騄尉の計らいで江戸に行けるようになったこと旨を伝えられた。
「わしが父上と供に若殿様の御一行に加わることになったというのは誠ですか?」
 晋作は驚きのあまり口から野菜を飛ばした。武や栄、そして出産から回復した道も驚きを隠せずにいる。
「誠じゃ。若殿様から特別にお許しが出た」 
 小忠太は晋作の無礼を意にも介さず落ち着き払った様子で答えた。
「おお! これでわしもついに江戸に行くことができるぞ!」
 晋作は喜びを抑えられず立ち上がって雄叫びを上げた。
「あまり浮かれるでない! あくまで特別にお許しが出ただけじゃ! これで黒船やペルリの見物をできるようになったなどとゆめゆめ思うでないぞ! 江戸滞在中は藩邸から一歩も外に出ぬというのが今回若殿様に特別に同行するための条件じゃ」 
 小忠太は有頂天になっている晋作に対し厳しい口調で言う。
「それでも構いませぬ! 念願の江戸行きが叶ったことには変わりありませぬから!」 
 晋作は満面の笑みを浮かべている。




 年が明けて、嘉永七(一八五四)年一月二十五日。
 小忠太や晋作を含む騄尉の行列は、江戸の将軍に御目見すべく萩城を出立した。
 この行列は騄尉が乗った駕籠を中心として、小忠太等側近がその周りを固め、行列の前方を先手足軽、徒士、大組の一団で、後方を侍医や右筆、鋏箱はさみばこ合羽籠かっぱかごを運ぶ使用人、騄尉の日常品を運ぶ荷駄でそれぞれ編成されていた。
 晋作は今回、小忠太と供に騄尉の側近の一人として、江戸に参勤することになった。
「江戸には一体どねーな人や物がおるんじゃろうか?」
 萩往還沿いの涙松を過ぎ、城下町が遠目でも見えなくなったのを確認した晋作は思わず、にやにやしながら独り言を言ってしまった。
「これ、黙って歩かぬか。それに若殿様の御供をしている最中にそねーな顔をするでない」
 騄尉の乗った駕籠の側にいた小忠太は慌てて、にやにやしながら歩いている晋作を小声で窘める。
「待っちょれよ! わしは今から江戸に行くからのう!」
 晋作はまだ見ぬ江戸に思いを馳せながら一歩一歩を踏みしめた。


 

 
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