8 / 152
第1章 長州の風雲児
8 秀三郎と玄機
しおりを挟む
仕置見物をしたその夜、秀三郎は自宅の縁に腰掛けながら一人ぼんやりと夜空を眺めていた。
はじめて見た仕置の衝撃の余韻が残ってるのか、いつもなら宵五つ(午後八時)ごろにはとっくに就寝しているのに、夜四つ(午後十時)になってもまだ目が冴えて眠れずにいた。
「まだ眠れずにおったんか? 秀三郎」
二十歳近く年の離れた兄玄機が秀三郎に声をかけた。玄機は長州藩を代表する藩医であり、好生館の本道科教授も務めている。
「昼間の仕置の光景がまだ鮮明に残っちょっててどうしても寝れんちゃ」
秀三郎は堰を切ったようにして、玄機に昼間の仕置の事について赤裸々に話し始めた。
「最初威勢よく吠えちょった罪人が抜き身の刀を前にしたとたん、急に怖気づいて命乞いしよってそれで……」
秀三郎は話していくうちにだんだんと興奮してきたことに気付いた。
「貴重な経験ができてよかったのう。そういえば腑分の見学をすることはできたんか?」
玄機が秀三郎に尋ねる。秀三郎が腑分について興味を持っていた事を玄機は以前から知っていた。
「いんや腑分の見学をすることはできんかった……藩医の子とはいえ十三の小僧では全く相手にされんようじゃ」
秀三郎は落胆したような表情をしている。仕置が終わった後、秀三郎は役人たちに腑分の見学の直談判をしたが、にべもなく断られてしまったからだ。
「そねー気を落とすことはないっちゃ。そのうち好生館への入学の許可もでるじゃろうし、腑分を見学する機会はまだ幾らでもあるじゃろう」
玄機はにっこり笑って秀三郎を励ます。
「そうじゃの! 兄上の申す通り、またそのうち見学できる機会があるかもしれんの! ところで兄上は村田様に具申する海防策の意見書は完成したんか?」
気を取り直した秀三郎が玄機に尋ねる。玄機は蘭学を学んでいた関係上、海外の事情にも精通しており、かつて長州藩の家老だった村田清風に海防に関する意見をしきりに求められていた。
「意見書はすでにできちょる。あとは清書するだけじゃ!」
玄機は自信満々な様子でいる。
「ええか、前にもゆうたがこの日本は四方を海に囲まれちょるけぇ、異国船がどこからやって来たとしても全くおかしくない状況なんじゃ。この防長二州もまた四方を海に囲まれちょるけぇ、異国の脅威からは逃れられん。じゃけぇ異国船に備えて海軍を創設し、沿岸に砲台を建造せねばいけんのじゃ」
完成した意見書がよほどの自信作だったのか、玄機は得意げにかねてからの持論を突然語り始めた。
「それに異国船は船全体が黒い鉄の塊でできておって、風がなくても石炭を燃やして蒸気の力だけで動きよるみたいじゃ。これに対抗するにはこちらも異国船と同じ船を作る術を取り入れる必要があることを、今回村田様への意見書で申し上げるつもりなのじゃ」
玄機は蒸気船の解説をすると、『海国兵談』と記された小さなぼろぼろの本を取り出して秀三郎に手渡した。
「これは林子平が書いた『海国兵談』じゃ! わしはこれを読んで海防について学び始めた。お前も蘭学を学ぶ者の一人なら読んどいて損はないじゃろう」
『海国兵談』を読むよう弟に勧めた玄機は、完成した意見書を推敲すべく自分の部屋へ戻って行った。
「蒸気で動く船かあ……一体どねーな船なんじゃろうか。全く想像できん」
秀三郎は玄機からもらった本を捲りながら一人考えていた。
はじめて見た仕置の衝撃の余韻が残ってるのか、いつもなら宵五つ(午後八時)ごろにはとっくに就寝しているのに、夜四つ(午後十時)になってもまだ目が冴えて眠れずにいた。
「まだ眠れずにおったんか? 秀三郎」
二十歳近く年の離れた兄玄機が秀三郎に声をかけた。玄機は長州藩を代表する藩医であり、好生館の本道科教授も務めている。
「昼間の仕置の光景がまだ鮮明に残っちょっててどうしても寝れんちゃ」
秀三郎は堰を切ったようにして、玄機に昼間の仕置の事について赤裸々に話し始めた。
「最初威勢よく吠えちょった罪人が抜き身の刀を前にしたとたん、急に怖気づいて命乞いしよってそれで……」
秀三郎は話していくうちにだんだんと興奮してきたことに気付いた。
「貴重な経験ができてよかったのう。そういえば腑分の見学をすることはできたんか?」
玄機が秀三郎に尋ねる。秀三郎が腑分について興味を持っていた事を玄機は以前から知っていた。
「いんや腑分の見学をすることはできんかった……藩医の子とはいえ十三の小僧では全く相手にされんようじゃ」
秀三郎は落胆したような表情をしている。仕置が終わった後、秀三郎は役人たちに腑分の見学の直談判をしたが、にべもなく断られてしまったからだ。
「そねー気を落とすことはないっちゃ。そのうち好生館への入学の許可もでるじゃろうし、腑分を見学する機会はまだ幾らでもあるじゃろう」
玄機はにっこり笑って秀三郎を励ます。
「そうじゃの! 兄上の申す通り、またそのうち見学できる機会があるかもしれんの! ところで兄上は村田様に具申する海防策の意見書は完成したんか?」
気を取り直した秀三郎が玄機に尋ねる。玄機は蘭学を学んでいた関係上、海外の事情にも精通しており、かつて長州藩の家老だった村田清風に海防に関する意見をしきりに求められていた。
「意見書はすでにできちょる。あとは清書するだけじゃ!」
玄機は自信満々な様子でいる。
「ええか、前にもゆうたがこの日本は四方を海に囲まれちょるけぇ、異国船がどこからやって来たとしても全くおかしくない状況なんじゃ。この防長二州もまた四方を海に囲まれちょるけぇ、異国の脅威からは逃れられん。じゃけぇ異国船に備えて海軍を創設し、沿岸に砲台を建造せねばいけんのじゃ」
完成した意見書がよほどの自信作だったのか、玄機は得意げにかねてからの持論を突然語り始めた。
「それに異国船は船全体が黒い鉄の塊でできておって、風がなくても石炭を燃やして蒸気の力だけで動きよるみたいじゃ。これに対抗するにはこちらも異国船と同じ船を作る術を取り入れる必要があることを、今回村田様への意見書で申し上げるつもりなのじゃ」
玄機は蒸気船の解説をすると、『海国兵談』と記された小さなぼろぼろの本を取り出して秀三郎に手渡した。
「これは林子平が書いた『海国兵談』じゃ! わしはこれを読んで海防について学び始めた。お前も蘭学を学ぶ者の一人なら読んどいて損はないじゃろう」
『海国兵談』を読むよう弟に勧めた玄機は、完成した意見書を推敲すべく自分の部屋へ戻って行った。
「蒸気で動く船かあ……一体どねーな船なんじゃろうか。全く想像できん」
秀三郎は玄機からもらった本を捲りながら一人考えていた。
0
お気に入りに追加
13
あなたにおすすめの小説
満州国馬賊討伐飛行隊
ゆみすけ
歴史・時代
満州国は、日本が作った対ソ連の干渉となる国であった。 未開の不毛の地であった。 無法の馬賊どもが闊歩する草原が広がる地だ。 そこに、農業開発開墾団が入植してくる。 とうぜん、馬賊と激しい勢力争いとなる。 馬賊は機動性を武器に、なかなか殲滅できなかった。 それで、入植者保護のため満州政府が宗主国である日本国へ馬賊討伐を要請したのである。 それに答えたのが馬賊専門の討伐飛行隊である。
織田信長に逆上された事も知らず。ノコノコ呼び出された場所に向かっていた所、徳川家康の家臣に連れ去られました。
俣彦
歴史・時代
織田信長より
「厚遇で迎え入れる。」
との誘いを保留し続けた結果、討伐の対象となってしまった依田信蕃。
この報を受け、急ぎ行動に移した徳川家康により助けられた依田信蕃が
その後勃発する本能寺の変から端を発した信濃争奪戦での活躍ぶりと
依田信蕃の最期を綴っていきます。
花倉の乱 ~今川義元はいかにして、四男であり、出家させられた身から、海道一の弓取りに至ったか~
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
今川義元は、駿河守護・今川氏親の四男として生まれ、幼くして仏門に入れられていた。
しかし、十代後半となった義元に転機が訪れる。
天文5年(1536年)3月17日、長兄と次兄が同日に亡くなってしまったのだ。
かくして、義元は、兄弟のうち残された三兄・玄広恵探と、今川家の家督をめぐって争うことになった。
――これは、海道一の弓取り、今川義元の国盗り物語である。
【表紙画像】
Utagawa Kuniyoshi, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
白狼 白起伝
松井暁彦
歴史・時代
時は戦国時代。
秦・魏・韓・趙・斉・楚・燕の七国が幾星霜の戦乱を乗り越え、大国と化し、互いに喰らう混沌の世。
一条の光も地上に降り注がない戦乱の世に、一人の勇者が生まれ落ちる。
彼の名は白起《はくき》。後に趙との大戦ー。長平の戦いで二十四万もの人間を生き埋めにし、中国史上、非道の限りを尽くした称される男である。
しかし、天下の極悪人、白起には知られざる一面が隠されている。彼は秦の将として、誰よりも泰平の世を渇望した。史実では語られなかった、魔将白起の物語が紡がれる。
イラスト提供 mist様
呂公伝 異聞「『奇貨』居くべし」
itchy_feet
歴史・時代
史記の「奇貨居くべし」の故事を下敷きにした歴史小説になります。
ときは紀元前260年ごろ、古代中国は趙の国
邯鄲の豪商呂不韋のもとに父に連れられ一人の少年が訪れる。
呂不韋が少年に語った「『奇貨』居くべし」の裏にある真実とは。
成長した少年は、『奇貨』とは一体何かを追い求め、諸国をめぐる。
はたして彼は『奇貨』に出会うことができるのか。
これは若き呂公(呂文)が成長し、やがて赤き『奇貨』に出会うまでのお話。
小説家になろうにも重複投稿します。
【完結】船宿さくらの来客簿
ヲダツバサ
歴史・時代
「百万人都市江戸の中から、たった一人を探し続けてる」
深川の河岸の端にある小さな船宿、さくら。
そこで料理をふるうのは、自由に生きる事を望む少女・おタキ。
はまぐり飯に、菜の花の味噌汁。
葱タレ丼に、味噌田楽。
タケノコご飯や焼き豆腐など、彼女の作る美味しい食事が今日も客達を賑わせている。
しかし、おタキはただの料理好きではない。
彼女は店の知名度を上げ、注目される事で、探し続けている。
明暦の大火で自分を救ってくれた、命の恩人を……。
●江戸時代が舞台です。
●冒頭に火事の描写があります。グロ表現はありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる