1 / 152
第1章 長州の風雲児
1 二人の年老いた元勲
しおりを挟む
明治四十二(一九〇九)年九月、滄浪閣。
大磯にある約五五〇〇坪の邸内の一室にて、一人の着物姿の老人が瞑想に耽っている。
その一室には彼が尊敬してやまない大久保利通、木戸孝允、岩倉具視、三条実美等四人の政治家の像が祭られており、部屋の名を四賢堂といった。
韓国統監の職を辞してこの館に帰って以来、瞑想することは彼にとって一種の習慣になっており、毎日欠かさず行っている。
瞑想に耽ってから一時間が過ぎようとしたとき、部屋の外から使用人の声が聞こえてきた。
「旦那様、井上様がお見えになりましたが如何なさいますか」
声に気付いたその老人はゆっくりと目を開けてつぶやく。
「うむ、すぐに通すがよい」
「例の碑文が完成したというのは誠なのか? 伊藤」
その老人が明治帝から下賜された絵襖が飾られている廊下を足早に歩いて、洋間の一室に入ると一人の男が声をかけてきた。
男の名前は井上馨。幕末のころは井上聞多の通称で知られたこの男も今年で齢七十四、前年には病にかかり重態になるも何とか一命をとりとめ、今は元老の一人として政財界ににらみを利かせている。
「誠じゃ、大分時がかかってしまったがようやく高杉さんの碑文を完成させることができた」
伊藤は一人掛けのソファに座って、コーヒーカップを手にとりながら言った。
山縣有朋、杉孫七郎、井上馨、伊藤博文等かつての長州の維新志士達によって、高杉晋作の顕彰碑を建てることが計画されたとき、伊藤自らが顕彰碑の碑文の作成を志願したが、それからもう二年近い歳月が流れていた。
「そうか、それは何よりじゃ!」
井上はうれしそうに言うと続けて、
「ぜひ儂にもその碑文を読ませてはもらえんか?」
と懇願してきたので伊藤はテーブルの上にあった碑文の原稿をこの訪問客に手渡した。
「なかなかの銘文じゃ。地下の高杉さんも喜んでおるじゃろう」
三〇分後、完成した碑文の原稿を全て読み終えた井上がつぶやく。
「思えば初めて高杉さんと会うたのは文久の頃じゃった。金沢の外人襲撃に御殿山の焼打ちに、お国のためとはいえ、高杉さんと供に随分乱暴なことをやったものじゃ」
往事のことを思い出しながら井上は感慨にふけっている。
「伊藤、お前が高杉さんと初めて知り会うたのは確か松陰先生の塾であったな?」
井上は碑文の原稿を伊藤に返すと長年の疑問をぶつけた。伊藤との付き合いはもう五十年近くになるが、高杉との出会いについてはまだ一度も話を聞いたことがなかった。
「高杉さんと初めて出会うたのは、松下村塾に入塾するより前、儂が萩へまだ移ったばかりのころじゃった……」
返却された原稿をじっと見つめた後、何かを思い出したかのように伊藤は語り始めた。
大磯にある約五五〇〇坪の邸内の一室にて、一人の着物姿の老人が瞑想に耽っている。
その一室には彼が尊敬してやまない大久保利通、木戸孝允、岩倉具視、三条実美等四人の政治家の像が祭られており、部屋の名を四賢堂といった。
韓国統監の職を辞してこの館に帰って以来、瞑想することは彼にとって一種の習慣になっており、毎日欠かさず行っている。
瞑想に耽ってから一時間が過ぎようとしたとき、部屋の外から使用人の声が聞こえてきた。
「旦那様、井上様がお見えになりましたが如何なさいますか」
声に気付いたその老人はゆっくりと目を開けてつぶやく。
「うむ、すぐに通すがよい」
「例の碑文が完成したというのは誠なのか? 伊藤」
その老人が明治帝から下賜された絵襖が飾られている廊下を足早に歩いて、洋間の一室に入ると一人の男が声をかけてきた。
男の名前は井上馨。幕末のころは井上聞多の通称で知られたこの男も今年で齢七十四、前年には病にかかり重態になるも何とか一命をとりとめ、今は元老の一人として政財界ににらみを利かせている。
「誠じゃ、大分時がかかってしまったがようやく高杉さんの碑文を完成させることができた」
伊藤は一人掛けのソファに座って、コーヒーカップを手にとりながら言った。
山縣有朋、杉孫七郎、井上馨、伊藤博文等かつての長州の維新志士達によって、高杉晋作の顕彰碑を建てることが計画されたとき、伊藤自らが顕彰碑の碑文の作成を志願したが、それからもう二年近い歳月が流れていた。
「そうか、それは何よりじゃ!」
井上はうれしそうに言うと続けて、
「ぜひ儂にもその碑文を読ませてはもらえんか?」
と懇願してきたので伊藤はテーブルの上にあった碑文の原稿をこの訪問客に手渡した。
「なかなかの銘文じゃ。地下の高杉さんも喜んでおるじゃろう」
三〇分後、完成した碑文の原稿を全て読み終えた井上がつぶやく。
「思えば初めて高杉さんと会うたのは文久の頃じゃった。金沢の外人襲撃に御殿山の焼打ちに、お国のためとはいえ、高杉さんと供に随分乱暴なことをやったものじゃ」
往事のことを思い出しながら井上は感慨にふけっている。
「伊藤、お前が高杉さんと初めて知り会うたのは確か松陰先生の塾であったな?」
井上は碑文の原稿を伊藤に返すと長年の疑問をぶつけた。伊藤との付き合いはもう五十年近くになるが、高杉との出会いについてはまだ一度も話を聞いたことがなかった。
「高杉さんと初めて出会うたのは、松下村塾に入塾するより前、儂が萩へまだ移ったばかりのころじゃった……」
返却された原稿をじっと見つめた後、何かを思い出したかのように伊藤は語り始めた。
0
お気に入りに追加
13
あなたにおすすめの小説
希うは夜明けの道~幕末妖怪奇譚~
ぬく
歴史・時代
古来より人間と妖怪という二種が存在する国、「日ノ本」。その幕末、土佐の貧しい郷士の家に生まれた岡田以蔵は鬼の血を色濃く継いだ妖怪混じり。兼ねてより剣にあこがれていた以蔵は、ある朝家の近くの邸宅の庭で素振りをしていた青年を見かける。彼の名は武市半平太。その邸宅の主であり、剣術道場を営む剣士であった。彼の美しい剣に、以蔵は一目で見とれてしまう。そうして彼はその日から毎朝そっと、邸宅を囲む生垣の隙間から、半平太の素振りを見るようになった。
やがて半平太は土佐勤王党を結成し、以蔵をはじめ仲間を伴い倒幕を目指して京に上ることになる。彼らは京で、倒幕派と佐幕派、そして京都の鬼を中心勢力とする妖怪たちの戦いに巻き込まれてゆく。
これは武市半平太の陰で動く岡田以蔵の、闘いと葛藤、選択を描いた物語。
*これはpixivで連載しているものを修正したものです
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
妖戦刀義
和山忍
歴史・時代
時は日本の江戸時代初期。
とある農村で、風太は母の病気を治せる人もしくは妖怪をさがす旅に出た父の帰りを待っていた。
しかし、その父とは思わぬ形で再会することとなった。
そして、風太は人でありながら妖力を得て・・・・・・。
※この物語はフィクションであり、実際の史実と異なる部分があります。
そして、実在の人物、団体、事件、その他いろいろとは一切関係ありません。
平隊士の日々
china01
歴史・時代
新選組に本当に居た平隊士、松崎静馬が書いただろうな日記で
事実と思われる内容で平隊士の日常を描いています
また、多くの平隊士も登場します
ただし、局長や副長はほんの少し、井上組長が多いかな
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
大江戸怪物合戦 ~禽獣人譜~
七倉イルカ
歴史・時代
文化14年(1817年)の江戸の町を恐怖に陥れた、犬神憑き、ヌエ、麒麟、死人歩き……。
事件に巻き込まれた、若い町医の戸田研水は、師である杉田玄白の助言を得て、事件解決へと協力することになるが……。
以前、途中で断念した物語です。
話はできているので、今度こそ最終話までできれば…
もしかして、ジャンルはSFが正しいのかも?
天竜川で逢いましょう 起きたら関ヶ原の戦い直前の石田三成になっていた 。そもそも現代人が生首とか無理なので平和な世の中を作ろうと思います。
岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。
けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。
髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。
戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる