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珠と逆鱗

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「あれ?及川君。なんだかいつもより縮んだんじゃないの?」
「縮んでません。いつもよりヒールの低い靴を履いているだけです」
顔を合わせるなり、目ざとくそこに気づいた主任に指摘された通り、本日履いているのはぺったんこシューズ。
見た目パンプスのように見えて、その実ヒールはぺったんこという足に優しい仕様だ。
「珍しいね?何かあった?」
―――確信犯だな、おい。
「……その、って所に妙なアクセント置くのやめてもらえます??というか、昨日主任が私のことを部長に押し付けたって聞きましたよ!なんてことするんですかっ!」
「え?俺的には援護射撃のつもりだったんだけど」
「なんの援護ですか」
呆れながら瞬間的に突っ込んだ高瀬には返答せず、「そりゃぁさぁ…」と意味深ににやける主任。
「怪我の功名というか、ようやく谷崎のやる気スイッチもONになったみたいだし…」
「?」
「あ、というかむしろこれからは及川君自身が谷崎の「やる気スイッチ」になるのかな?」
「塾のCMみたいなセリフで誤魔化そうったってそうは行きませんよ、主任」
「我ながらピッタリだと思うんだけどなぁ…。ま、及川君はむしろ、あのおっかないの”掌中の珠”か」
それは、竜が大切に守る宝玉。変わりのない、唯一のもの。
高瀬の幼なじみであるにかけた、彼にしては最高級の褒め言葉のつもりだったが、それに対して高瀬の反応は冷たい。
「そんな言葉じゃごまかされませんよ、主任!!」
「ええー?うまいこと言ったと思ったのに」
「むしろうまいこと言おうとしてる段階で馬鹿にしてますよね」
反省の色は皆無と見た高瀬。
低いヒールを残念に思いながらも、「えいや!」と声を上げながらぐりぐりと主任の革靴を思い切り踏みつける。
「痛い痛い」と言いながらも、蚊ほどもダメージを受けていないのはバレバレだ。
ちっ。
「及川君、舌打ちするならせめて心の中だけにしておいてね。俺も一応君の上司だから」
靴の上に盛大に足跡をつけてやったところで妥協すれば、近くにあったティッシュをとってさっさとその汚れをぬぐい去る主任。
わざとらしい舌打ちを咎められた高瀬は、そこで既に話が終わったと思っている主任に、一言だけ訂正する。
「さっきの話ですけど、私は竜児にとって掌中の珠とは呼べません」
「そう?随分大切にされてると思うけど…」
納得がいかないと首をかしげる主任に、高瀬は断言する。
「私は彼らにとっての、「逆鱗」ですよ」
宝物ではなく、自身の一部であり、絶対に触れてはならない場所。
自らがそうだと言い切った高瀬に、主任が絶句する。
「……本当に面白ね、君たちの関係って」
絞り出したのは、面白いという言葉とは裏腹な、苦り切った苦笑。
なんの気負いもなく語られたそれは、確かな事実でしかない。
自意識過剰ですらなく、自分が相手にとって一番触れてはならない場所だと言い切れる人間が、どれだけ存在するだろうか。
しかもその相手は、親兄弟、恋人や伴侶ではなく、ただの幼馴染だ。
一体どれほどの絆を構築すれば、ここまで傲慢なほどの自覚を得るというのか。
正直、想像もつかない。
「……まいったね、こりゃ」
ようやく前に進めるかと思った矢先、目の前に巨大な壁を見つけた気分だ。
先は果てしなく厳しい。

「そういや主任、部長は?」
「あぁ…。出社直後に社長室に呼び出しがあって、そのまま帰ってこないね」
「社長室??」
なんてことない口調であっさりと言われて驚いた。
「部長、何かやっちゃったんですか!?」
「及川君じゃあるまいし、そんなわけ無いでしょ…。なんか、身内の話らしいけど」
さらりとしたそのセリフに、思い出すのは社内の噂。
「部長が社長の親族っていう話、本当だったんですか」
「うん。そう。むしろよく知ってたね?」
興味なさそうなのにさ、というセリフとともに向けられた視線に、少し言葉に詰まった。
確かに、ものすごく興味があるかと言われればそうでもない。
噂話としてちょっと耳に入っていたという程度の事。
「……なんか非難されてる気がするのは気のせいですか?」
「いやいや、及川君らしいなと思ってるだけだよ。普通はもっとそこを気にするものだからさ」
「はぁ…」
玉の輿だなんだ、確かにそんな話を聞いたこともあるような気はするが。
正直、どうでもいい。
「――――だって、部長が私なんかを選ぶわけないじゃないですか」
部長ですよ、あの部長、と重ねて言えば、非常に大きなため息が。
「どの部長か知らないけど、それ、谷崎には言わないようにね…」
「はい?」
「ショック受けたら可哀想だろ」
「……?」
ショックを受ける要素がどこにあったのかさっぱりわからない。
それでも、長年付き合いのある主任がいうのだから間違いないだろう。
「絶対、本人には言わないように」
重ねて言われた珍しい真剣なセリフに、大人しく頷く意外の選択肢はない。
だが、気になることがひとつあった。
「身内の話…って、なんなんですかね?」
「さぁねぇ…。そういえば以前、見合い話を持ってこられたって文句を言ってたことはあったけど」
「見合い!」
やっぱりあるのか、そういうの。
「妬ける?」
「え?」
「……なわけないか」
その反応の悪さに、なぜかがっかりと肩を落とす主任。
なぜ今の会話の流れでヤキモチを焼く話になるのだろうか。
気にはなったが、墓穴を掘るのを恐れてあえて話を戻す。
「今までいい女の人とかいなかったんですか?」
「いたらもう結婚してるって」
「確かに」
なるほど、それは最もだ。
「大体さ、親戚から持ち込まれる縁談なんて大抵ろくなもんじゃないってのが定番だよ?下手に受けると断りづらいし」
「あぁ、それは言えてますね」
「顔を立てて会うだけでも、なんて言われてその気になったら、もうその場で婚約まで決まってたなんて話も耳にするしね」
「セレブのやることってえげつない」
「そうそ。油断大敵なの」
怖い怖い、と冗談半分に話す主任は、ようやく調子が戻ってきたようだ。
「だから見合いだとしたら今回もあっさり断ってくるはずなんだけど…。それにしては帰ってくるのが遅いんだよね」
かれこれ、1時間以上は席を開けているらしい。
出勤してからすぐまた別部署に呼び出され、レンタル業務を行っていたのだが、午後からはようやく例のの派遣社員が出勤してくるということで、ようやく戻ってきて見れば、肝心の部長はおらず。
結果として、主任と二人冒頭の会話に発展したわけなのだが…。
「まさか、見合い受けたんですかね」
「それこそまさかでしょ。……そろそろ帰ってくるとは思うけど…」
そう言ってちらりと扉に視線を向けたとき。
タイミングよく開いたドアからやってきた部長に、「よぉ、遅かったな!」と声をかけた主任が、その背後に見えた姿に、一瞬にして凍りついた。

「―――――社長?」


え。マジですか。
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