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その頃矢部先輩は………。
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「おい、まだ買うのか」
不機嫌そうな声の若い男の前に立つのは、きりっと化粧を施した30代も中頃の女ーーーー矢部である。
カツカツとヒールを鳴らし、颯爽と歩く姿はなかなか様になったものだが、その荷物持ちとして一緒に行動させられている男には、たまったものではない。
「しつこいわね、ハク。あなたも男なら女性の買い物くらい黙って付き合いなさいよ」
「我に勝手に名を付けるなと何度言えばーーーー」
「マルちゃんなんてダサい名前、人前で呼べるわけ無いでしょ?私にも羞恥心というものがあるの」
「我が主を愚弄するか!」
「あの子のセンスのなさを弄る気はないわ。ただどうしても我慢できないというだけの話よ」
一緒にいる間くらい偽名で我慢しろ、と上から目線に言ってのける矢部に、悔しげな視線を向ける男。
その両手には、大量の荷物。
もちろんその全ては矢部が購入したものばかり。
男自身の荷物など一つもない。
「恨むならあなたのご主人様を恨みなさいよ。
あなたに私を見張るように言ったのはあの子でしょ」
「ーーーーーー見張りではない、主はお前の為にとーーー」
「ならそのご主人様の為に荷物くらい軽く運んで見せたらどう?」
男ならグダグダ言うなと切り捨て、キツめの真っ赤な口紅を塗った口元を釣り上げる矢部。
「主のご好意を無下にーーーー!!」
「そもそも私は護衛をつけてくてなんて頼んだ覚えはないし、なんなら荷物持ちにでも使ってくれって言ったのはあの子だけど」
「ぐっ……!!」
悔しそうに唸る男。
その正体は実はーーーーー高瀬の下僕こと、白狐のマルちゃんである。
「それはお前が我の存在を不要などとたわけたことを申したからであろう……!!」
「そんなの当たり前よ。狐憑きの女なんて嫁の貰い手がなくなるじゃない」
「目当ての男一人落とせぬくせに、生意気なことーーーーーーぐはっ……!」
振り返った矢部が無表情で繰り出したヒールに思い切り足を踏まれ、ぼとぼとと両手に掴んでいた荷物を取り落とす狐。
「荷物持ちもまともにできない、口の利き方も満足に覚えられないくらいなら今すぐ帰ってくれて結構よ。
及川さんには、「役に立たなかったから追い返した」と後で連絡をしておくから」
「なーーーー!!!」
「役立たず」
「!!」
腰に手を当ててふん、と笑う矢部。
「わ、我は役立たずなどではないわ……!!」
取り落とした荷物を再びかき集め、「行くぞ…!」と歩き出す。
うまく乗せられていることには気づいているが、ここで追い返され無能のレッテルを貼られては堪らない。
人型を維持できるだけの霊力を分け与えられた上、自信満々で「我にお任せを!」と胸を張って主の同僚であるこの女の護衛を引き受けた以上、それをあっさり解かれるわけにはいかないのだ。
「ーーーーー単純ね。さすが狐」
「何か言ったか!?」
「いいえ、何も」
大人しく荷物持ちをしてくれるならそれで構わないと、あっさり狐を追い越し先をゆく矢部。
その姿はまるで若い男を侍らせた女が男を利用している姿そのもので、たまにすれ違う同年代の同性から浴びせられるのは、何とも言えない羨望混じりの嫉妬の視線。
心のどこかでその視線に優越感を覚えるのは事実だが、所詮これは借り物の下僕だ。
「次はそこの店に行くわ。
入口にロッカーがあるから、荷物は一旦そこに預けて」
大量の荷物を抱えていては目障りだと、自らの買い物を棚に上げてのたまう矢部。
まだ買うのかと呆れた顔の狐は、ぶすっとした表情のまま一度荷物を床に下ろすと、「おいお前」と偉そうに矢部を指さした。
「なによ」
「どうせ男を誑かすなら、あの男をどうにかしろ。主の側をうろつくあの谷崎とかいう目障りな男だ」
「は?」
突然何を言い出すのかと呆れる矢部。
だが狐はすっかり訳知り顔でフンと鼻を鳴らし、大量の荷物を見下ろし指摘する。
「女が服や装飾品を買うのは男を誑かすためであろう。
このほど多くの品を手に入れたのだ。せいぜい美しく装い、媚を売ってあの男に取り入るがいい」
「ーーーーーーー余計なお世話よ!!」
「ぐっ!」
一瞬絶句した矢部。
直後、反射的に繰り出した拳が、生意気なことをのたまう狐の腹にドスンと重く打ち込まれる。
「無駄口ばっかり立派ね………!!」
イライラと爪を噛むと、床に膝をついた狐に振り返りもせずさっさと歩き出す矢部。
そこへ置いていかれては大変と慌てて追いすがる狐。
さすがに言い方が悪かった事は理解したのだろう。
「も、元はそれほど悪くないのだ。
その趣味の悪い化粧と匂い、性格のキツささえなんとかすればーーーーー」
それは、狐にしては珍しくフォローのつもりだった。
だが、女性に対して禁句のオンパレードであったことには間違いない。
その場でぴたりと歩みを止めた矢部。
「今すぐああなりたい?」
たまたま近くを通った初詣帰りの客と思われる着物姿の女性を指さす。
その首に巻かれているのは、おそらく狐の毛と思われる、ふさふさのマフラーだ。
「ーーーーー剥ぐわよ」
「!!」
紛れもない本気を感じた一言に、彼は敗北した。
もちろん大した霊力もない矢部にそんなことができるはずはないのだが、主に泣きつかれては一大事。
それこそ本気で毛皮を剥がれかねない。
「口の利き方のなっていない狐よりは、まだ喋らない小鳥の方がマシね」
「ぐぅ……」
「あっちを貸してって頼めば良かったかしら」
あの一件の後から高瀬の側をちょこちょこと飛び回っている白い小鳥。
唯の小鳥ではない事は、一見して直ぐにわかった。
元はお気に入りの霊能力者が作った式神だったと聞かされ、興味が沸いていたのも事実だ。
憎まれ口半分、「今からでも交換して欲しいわ」とつぶやく矢部。
「やめておけ」
「ーーーなによ、文句でもあるの?」
「あれは八咫烏。お主程度に操れるものではない」
「……八咫烏?」
名前を聞いたことがないわけではないが、白い小鳥とその禍々しい鴉のイメージとが全く結びつかない。
「愛らしい小鳥の姿などをとっておるのは唯の擬態。
主にとって不利益とみなされれば、お前のような生意気な小娘、あっという間に奴に食われるぞ」
「ーー小娘」と、何とも言えない複雑な顔で呟いた矢部だったが、直後にあっさりと開き直り、「ありえないわね」と胸を張る。
「そんな事あの及川さんが許すわけがないでしょ」
なんだかんだ言ってお人好しの塊のような彼女が、そんな事を認めるはずがない。
そう告げる矢部に、狐は真面目な顔で首を振る。
「主の許しなどなくても構わぬのだ、あれは。
あれの存在意義そのものが主を守ることであり、そこに主の意思は関係ない。
不要どころか害をなすとみなされれば、消されるは必定。
それは我とて同じ」
「つまり、及川さんに害を及ぼすと思われれば私もあなたも消されると言うこと?」
「しかり」
だから我にしておけ、と真顔で忠告をする狐。
思ったより真摯なその答えに、気まずそうにそっぽを向きながら、ボソリと返事を返す。
「――――別に平気でしょ」
「なに?」
「今更あの子に何かしようなんて更々思っていないし、あの子から男を奪うだけの気力も残っていないってこと!要するにあの子の邪魔をしなきゃいいだけでの話なんでしょ!?」
つまりは敵と認識されるだけの理由がないと言いたかったのだが、受け取り側が驚いたのはそこではない。
「あの谷崎とかいう男はもう諦めたのか!」
「驚くのはそこ!?」
「なぜだ、なぜ諦める!?」
「うるさいわねっ!私に後輩の男に手を出す趣味はないのよ!!」
売り言葉に買い言葉、はっきり口にすれば思ったよりもすっきりした。
「ならこの荷物はなんだ!?あの男を化かすのではなかったのか!?」
「人聞きの悪いこと言わないで頂戴!!ただ安売りで買いすぎただけでしょ!?」
女ならこれくらい当たり前だと言い張る矢部。
「主がこのような買い物をしている姿は見たことがないが」
「お金をかけるところがあの子と私とでは違っているのよ」
恐らくだが、化粧や装飾品にお金を使うくらいなら趣味につぎ込みたいと考えるタイプだ、あれは。
「元がいいからできるのよ。そういうことは……」
ブツブツとぼやく矢部に、「顔の造作ならお前も十分恵まれておるだろう?」と首を傾げる狐。
「お前は上塗りしすぎなのだ。
たまには主を見習うといいぞ」
「ほとんどスッピンみたいなナチュラルメイクで仕事をしろって言うの?私には無理よ」
化粧とは女の鎧だ。
がっしり着込んでしまったその鎧を今更脱ぐことはできない。
矢部にとっては当然のその理屈に、狐は全く理解できないと眉を寄せる。
「折角あの鼻が曲がりそうな臭いの香を止めたのだ、ついでに全て止めてしまえはよいだろう。
素顔のお主の方が、我には美しく見るが」
「なっ………!!」
狼狽する矢部の顔、目に見えてが赤く染まった。
「香水は………貴方が臭い臭いとうるさいからっ………!!」
「ならばその派手な化粧もやめてしまえと申しておるのだ。
頼りない幼子が似合わぬ虚勢を張っているようにしか見えぬ」
「!」
キツイ性格と化粧に騙され、殆んど誰も気づくことのなかった素顔の幼さを初めて指摘され、驚く矢部。
「これまでに何があったかは知らぬが、それほど気を張っていて心が休まらぬであろう。
そこは主を見習えとまでは言わぬが、もう少し楽に生きてみたらどうだ」
「………………………」
周囲から愛されているあの娘と私とでは生き方が違う。
そう答えるのは簡単だ。
だが、初めて指摘されるその言葉に、心が動かさてているのも事実で。
「まぁ、我には関係のない話だがな」
思い悩む自分ををよそに、あっさりそう切り捨てた狐をじろりと睨む矢部。
「…………狐の分際で」
「いっておくが女狐はもっと狡猾だぞ」
ふんと狐らしい生意気な顔で鼻を鳴らす。
そして。
「ーーーーお主には似合わぬ」
妙に優しげなその言葉に、ぴたりと矢部の歩みが止まり、そのまま踵を返し、一言。
「行くわよ」
「…………どこへ?」
「―――――帰るのよ!!」
「………ならばどこかで我に稲荷寿司の一つも」
「作ればいいんでしょ!作れば!?材料ならもう家にあるわよ!」
「それは、重畳」
満足げに頷いた狐。
「やはり、お主には女狐は似合わぬな。
ーーーーー毛を逆なでた子猫にしか見えぬ」
くつくつと笑う狐。
「無駄口叩いてないでさっさとついて来なさいよ、馬鹿ギツネ!!」
たとえ若い男の見た目をしていようとも、中身は中身は老獪な化け狐。
どこまでが本心かなどはわからないけれど、それでも……。
ーーーーー馬鹿げてるわ。こんな狐の言うことを間に受けるなんて。
浮かれた年始の人混みを颯爽と歩く矢部の耳が、真っ赤に染まっている。
後ろを歩く狐の顔が、存外優しげなものであったことを指摘するものはーーーー残念ながら、この場には誰もいなかった。
不機嫌そうな声の若い男の前に立つのは、きりっと化粧を施した30代も中頃の女ーーーー矢部である。
カツカツとヒールを鳴らし、颯爽と歩く姿はなかなか様になったものだが、その荷物持ちとして一緒に行動させられている男には、たまったものではない。
「しつこいわね、ハク。あなたも男なら女性の買い物くらい黙って付き合いなさいよ」
「我に勝手に名を付けるなと何度言えばーーーー」
「マルちゃんなんてダサい名前、人前で呼べるわけ無いでしょ?私にも羞恥心というものがあるの」
「我が主を愚弄するか!」
「あの子のセンスのなさを弄る気はないわ。ただどうしても我慢できないというだけの話よ」
一緒にいる間くらい偽名で我慢しろ、と上から目線に言ってのける矢部に、悔しげな視線を向ける男。
その両手には、大量の荷物。
もちろんその全ては矢部が購入したものばかり。
男自身の荷物など一つもない。
「恨むならあなたのご主人様を恨みなさいよ。
あなたに私を見張るように言ったのはあの子でしょ」
「ーーーーーー見張りではない、主はお前の為にとーーー」
「ならそのご主人様の為に荷物くらい軽く運んで見せたらどう?」
男ならグダグダ言うなと切り捨て、キツめの真っ赤な口紅を塗った口元を釣り上げる矢部。
「主のご好意を無下にーーーー!!」
「そもそも私は護衛をつけてくてなんて頼んだ覚えはないし、なんなら荷物持ちにでも使ってくれって言ったのはあの子だけど」
「ぐっ……!!」
悔しそうに唸る男。
その正体は実はーーーーー高瀬の下僕こと、白狐のマルちゃんである。
「それはお前が我の存在を不要などとたわけたことを申したからであろう……!!」
「そんなの当たり前よ。狐憑きの女なんて嫁の貰い手がなくなるじゃない」
「目当ての男一人落とせぬくせに、生意気なことーーーーーーぐはっ……!」
振り返った矢部が無表情で繰り出したヒールに思い切り足を踏まれ、ぼとぼとと両手に掴んでいた荷物を取り落とす狐。
「荷物持ちもまともにできない、口の利き方も満足に覚えられないくらいなら今すぐ帰ってくれて結構よ。
及川さんには、「役に立たなかったから追い返した」と後で連絡をしておくから」
「なーーーー!!!」
「役立たず」
「!!」
腰に手を当ててふん、と笑う矢部。
「わ、我は役立たずなどではないわ……!!」
取り落とした荷物を再びかき集め、「行くぞ…!」と歩き出す。
うまく乗せられていることには気づいているが、ここで追い返され無能のレッテルを貼られては堪らない。
人型を維持できるだけの霊力を分け与えられた上、自信満々で「我にお任せを!」と胸を張って主の同僚であるこの女の護衛を引き受けた以上、それをあっさり解かれるわけにはいかないのだ。
「ーーーーー単純ね。さすが狐」
「何か言ったか!?」
「いいえ、何も」
大人しく荷物持ちをしてくれるならそれで構わないと、あっさり狐を追い越し先をゆく矢部。
その姿はまるで若い男を侍らせた女が男を利用している姿そのもので、たまにすれ違う同年代の同性から浴びせられるのは、何とも言えない羨望混じりの嫉妬の視線。
心のどこかでその視線に優越感を覚えるのは事実だが、所詮これは借り物の下僕だ。
「次はそこの店に行くわ。
入口にロッカーがあるから、荷物は一旦そこに預けて」
大量の荷物を抱えていては目障りだと、自らの買い物を棚に上げてのたまう矢部。
まだ買うのかと呆れた顔の狐は、ぶすっとした表情のまま一度荷物を床に下ろすと、「おいお前」と偉そうに矢部を指さした。
「なによ」
「どうせ男を誑かすなら、あの男をどうにかしろ。主の側をうろつくあの谷崎とかいう目障りな男だ」
「は?」
突然何を言い出すのかと呆れる矢部。
だが狐はすっかり訳知り顔でフンと鼻を鳴らし、大量の荷物を見下ろし指摘する。
「女が服や装飾品を買うのは男を誑かすためであろう。
このほど多くの品を手に入れたのだ。せいぜい美しく装い、媚を売ってあの男に取り入るがいい」
「ーーーーーーー余計なお世話よ!!」
「ぐっ!」
一瞬絶句した矢部。
直後、反射的に繰り出した拳が、生意気なことをのたまう狐の腹にドスンと重く打ち込まれる。
「無駄口ばっかり立派ね………!!」
イライラと爪を噛むと、床に膝をついた狐に振り返りもせずさっさと歩き出す矢部。
そこへ置いていかれては大変と慌てて追いすがる狐。
さすがに言い方が悪かった事は理解したのだろう。
「も、元はそれほど悪くないのだ。
その趣味の悪い化粧と匂い、性格のキツささえなんとかすればーーーーー」
それは、狐にしては珍しくフォローのつもりだった。
だが、女性に対して禁句のオンパレードであったことには間違いない。
その場でぴたりと歩みを止めた矢部。
「今すぐああなりたい?」
たまたま近くを通った初詣帰りの客と思われる着物姿の女性を指さす。
その首に巻かれているのは、おそらく狐の毛と思われる、ふさふさのマフラーだ。
「ーーーーー剥ぐわよ」
「!!」
紛れもない本気を感じた一言に、彼は敗北した。
もちろん大した霊力もない矢部にそんなことができるはずはないのだが、主に泣きつかれては一大事。
それこそ本気で毛皮を剥がれかねない。
「口の利き方のなっていない狐よりは、まだ喋らない小鳥の方がマシね」
「ぐぅ……」
「あっちを貸してって頼めば良かったかしら」
あの一件の後から高瀬の側をちょこちょこと飛び回っている白い小鳥。
唯の小鳥ではない事は、一見して直ぐにわかった。
元はお気に入りの霊能力者が作った式神だったと聞かされ、興味が沸いていたのも事実だ。
憎まれ口半分、「今からでも交換して欲しいわ」とつぶやく矢部。
「やめておけ」
「ーーーなによ、文句でもあるの?」
「あれは八咫烏。お主程度に操れるものではない」
「……八咫烏?」
名前を聞いたことがないわけではないが、白い小鳥とその禍々しい鴉のイメージとが全く結びつかない。
「愛らしい小鳥の姿などをとっておるのは唯の擬態。
主にとって不利益とみなされれば、お前のような生意気な小娘、あっという間に奴に食われるぞ」
「ーー小娘」と、何とも言えない複雑な顔で呟いた矢部だったが、直後にあっさりと開き直り、「ありえないわね」と胸を張る。
「そんな事あの及川さんが許すわけがないでしょ」
なんだかんだ言ってお人好しの塊のような彼女が、そんな事を認めるはずがない。
そう告げる矢部に、狐は真面目な顔で首を振る。
「主の許しなどなくても構わぬのだ、あれは。
あれの存在意義そのものが主を守ることであり、そこに主の意思は関係ない。
不要どころか害をなすとみなされれば、消されるは必定。
それは我とて同じ」
「つまり、及川さんに害を及ぼすと思われれば私もあなたも消されると言うこと?」
「しかり」
だから我にしておけ、と真顔で忠告をする狐。
思ったより真摯なその答えに、気まずそうにそっぽを向きながら、ボソリと返事を返す。
「――――別に平気でしょ」
「なに?」
「今更あの子に何かしようなんて更々思っていないし、あの子から男を奪うだけの気力も残っていないってこと!要するにあの子の邪魔をしなきゃいいだけでの話なんでしょ!?」
つまりは敵と認識されるだけの理由がないと言いたかったのだが、受け取り側が驚いたのはそこではない。
「あの谷崎とかいう男はもう諦めたのか!」
「驚くのはそこ!?」
「なぜだ、なぜ諦める!?」
「うるさいわねっ!私に後輩の男に手を出す趣味はないのよ!!」
売り言葉に買い言葉、はっきり口にすれば思ったよりもすっきりした。
「ならこの荷物はなんだ!?あの男を化かすのではなかったのか!?」
「人聞きの悪いこと言わないで頂戴!!ただ安売りで買いすぎただけでしょ!?」
女ならこれくらい当たり前だと言い張る矢部。
「主がこのような買い物をしている姿は見たことがないが」
「お金をかけるところがあの子と私とでは違っているのよ」
恐らくだが、化粧や装飾品にお金を使うくらいなら趣味につぎ込みたいと考えるタイプだ、あれは。
「元がいいからできるのよ。そういうことは……」
ブツブツとぼやく矢部に、「顔の造作ならお前も十分恵まれておるだろう?」と首を傾げる狐。
「お前は上塗りしすぎなのだ。
たまには主を見習うといいぞ」
「ほとんどスッピンみたいなナチュラルメイクで仕事をしろって言うの?私には無理よ」
化粧とは女の鎧だ。
がっしり着込んでしまったその鎧を今更脱ぐことはできない。
矢部にとっては当然のその理屈に、狐は全く理解できないと眉を寄せる。
「折角あの鼻が曲がりそうな臭いの香を止めたのだ、ついでに全て止めてしまえはよいだろう。
素顔のお主の方が、我には美しく見るが」
「なっ………!!」
狼狽する矢部の顔、目に見えてが赤く染まった。
「香水は………貴方が臭い臭いとうるさいからっ………!!」
「ならばその派手な化粧もやめてしまえと申しておるのだ。
頼りない幼子が似合わぬ虚勢を張っているようにしか見えぬ」
「!」
キツイ性格と化粧に騙され、殆んど誰も気づくことのなかった素顔の幼さを初めて指摘され、驚く矢部。
「これまでに何があったかは知らぬが、それほど気を張っていて心が休まらぬであろう。
そこは主を見習えとまでは言わぬが、もう少し楽に生きてみたらどうだ」
「………………………」
周囲から愛されているあの娘と私とでは生き方が違う。
そう答えるのは簡単だ。
だが、初めて指摘されるその言葉に、心が動かさてているのも事実で。
「まぁ、我には関係のない話だがな」
思い悩む自分ををよそに、あっさりそう切り捨てた狐をじろりと睨む矢部。
「…………狐の分際で」
「いっておくが女狐はもっと狡猾だぞ」
ふんと狐らしい生意気な顔で鼻を鳴らす。
そして。
「ーーーーお主には似合わぬ」
妙に優しげなその言葉に、ぴたりと矢部の歩みが止まり、そのまま踵を返し、一言。
「行くわよ」
「…………どこへ?」
「―――――帰るのよ!!」
「………ならばどこかで我に稲荷寿司の一つも」
「作ればいいんでしょ!作れば!?材料ならもう家にあるわよ!」
「それは、重畳」
満足げに頷いた狐。
「やはり、お主には女狐は似合わぬな。
ーーーーー毛を逆なでた子猫にしか見えぬ」
くつくつと笑う狐。
「無駄口叩いてないでさっさとついて来なさいよ、馬鹿ギツネ!!」
たとえ若い男の見た目をしていようとも、中身は中身は老獪な化け狐。
どこまでが本心かなどはわからないけれど、それでも……。
ーーーーー馬鹿げてるわ。こんな狐の言うことを間に受けるなんて。
浮かれた年始の人混みを颯爽と歩く矢部の耳が、真っ赤に染まっている。
後ろを歩く狐の顔が、存外優しげなものであったことを指摘するものはーーーー残念ながら、この場には誰もいなかった。
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