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激変

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「…まぁ、あの子のことだ。
こっちがどんだけ気合を入れて守ろうとしたところで、ケロっとした顔で『危ないですよ?』なんて言われそうだがな」
「………違いないな」

詰めていきた息を吐き、互いにふっと力を抜く。
その上で、相原は改めて問いかけた。

「ーーーーーーー行くのか、谷崎」
「あぁ」

迷いのないその答えに、もうそれ以上の言葉は何も必要なかった。

「……よっし!!んじゃ、早く全部済ませて、約束通りうまい中華でも食いに行こうぜ!」
「そうだな。それが彼女との約束だ」
「店選びは任せろよ。あの子が大喜びするような店、探しといてやる」

だから。

「ーーーーーあの子を連れて、早く戻って来いよ、谷崎」
「わかった。ーーーーー後は、頼んだぞ」
「バッチリ任せとけ」

大船に乗ったつもりでな、と冗談めかして語る相原。
しかし谷崎にとって、相原以上に信頼する相手はいない。
自他ともに認める女房役は、ただひとり。

「ったく、この歳になるとやだねぇ。
自分の出来ることできないことが、はっきりと理解できちまってさ」

努力させすれば何にでもなれると信じていたあの頃の万能感は、もうどこにもない。
自分は特別な人間なんかじゃない。
ただの、ほんの少し人よりずる賢いだけの男なのだと、誰より自分がよく知っている。

「ーーーーあ~ぁ。30すぎの中二病かよ。
力が欲しい、なんて本気で思うのは中坊の頃くらいだぜ」

俺に力を、なんてな、と口を歪めて冗談交じりに話す相原。

「……力、か」

何も持たない自らの手のひらを見つめ、谷崎がポツリとつぶやいた、その時。

ーーーー力が、欲しいか。

ドクッ……!!

「……ッ!!」
「おい、どうした谷崎!?」

急に胸を押さえ、ぐっと苦しみだした谷崎に慌てる相原。

「……声が」
「声?」

体をぐっと内側に織り込みながら、くぐもった声で伝える谷崎。

「一回どこかに車を止めるか!?」
「いや……大丈夫…だ」
「大丈夫ってツラかよそれが!!」

叫びながら、どこか車を停車できるスペースを探し、慌てて視線をさまよわせる相原。

「クソっ……!!」
「…相原、俺は大丈夫だ」
「生憎な、俺は病人の大丈夫は信じないことにしてるんだよ!!」
「……だが、後ろの二人をまず病院にーーーーー」

無駄な寄り道をしている時間などない、と。
苦しげな息のまま声を絞り出す谷崎に、「病院……そうだよ、病院だよ!!」と、今それを思い出したかのように叫ぶ相原。

目測で言えば、目的地である病院まで後5分ほど。
確かに寄り道をするくらいなら、まっすぐ病院まで車を走らせたほうが早いかも知れない。


ーーーーー覚悟を示せ。


「ぐっ……!」
「おい、谷崎……!!」

その声とともに、まるで心臓を握りつぶされるかのような痛みを感じ谷崎は呻く。

ーーーーー失ったものを取り戻そうというのなら、その覚悟を示せ。

「……失った……もの?」

なんだそれは。
意味がわからない。


だが、相原を様子を考えれば、この声が聞こえているのは自分ただひとり。
声は外から聞こえているのではない。
自身の内側から聞こえているのだ。

「……覚……悟」

それは、一体何を示せば認められるというのか。

脂汗の浮かぶ額。
慌てた顔の相原。

そこで、ふっと気づいた。

後部座席に寝かせていたはずの矢部が閉じていたはずの目を見開き、ミラー越しにじっとこちらを見ている。

なんだ、あの目は。

まるで、全てを見ているぞと言わんばかりの、冷たい瞳。

「矢部君…!目が覚めたのか!?」

相原もまたそれに気づき、驚いて声をあげる。
だが、矢部の様子は相変わらずどこか奇妙で。
隣に寝かされた中塚の様子にも、以前と変わったところは何もない。
つまり、呪いは解けてはいないのだ。

しかし矢部は虚ろな瞳を前に向けたまま、すっと指を持ち上げ、谷崎を指差す。

そして。

『「示せ」』

矢部の口から漏れ出たのは、男友女ともつかぬ、奇妙な音の重なり。

何者かに憑依されている。
直感的にそう感じた。
だが、今矢部の中には既にアレキサンダーが………。

『「示せ」』

再び同じ言葉が聞こえ、どこからか聞こえてきたのは低い犬の唸り声。


「………まさか、アレキサンダーなのか……?」
「…‥お前の犬がどうしたって!?」
「高瀬君が言っていた。矢部君には、アレクをつけた、と」

つまり今の矢部を支配しているのは、アレキサンダーでしかありえない。

だが、一体これが何を意味しているのか。

「アレキサンダー。お前は俺に何を求めている」

ーーーーーー力とは、何だ。

後ろを振り向き、矢部の内側に潜むであろう存在に向かって語りかける谷崎。

未だ消えることのない胸の痛み。
覚悟を示せとはまさか、己の心臓を差し出せと、そういう意味なのだろうか、と。
ちらりと脳裏に浮かんだその答えに「まさか」と首をふり、下を向いたその時。

「……谷崎……!!逃げろ!!」
「!?」

谷崎に向け、指を伸ばしていたはずの矢部。
その手がすっと前に伸びーーーーーーー。

谷崎の首筋を、いまぐっと背後につかみ寄せた。

「………っ!!!」
「やめろ矢部君っ!!正気に戻れ!!」

正気を失った青白い顔のまま、虚ろな瞳で谷崎の首を締め上げる矢部。
女の細腕だというのに、その力は正に万力のようで。

引き剥がそうとしても、指先一つびくとも動かない。
白く血管の浮き出た腕。
血の気の失せた唇は、『「示せ」』と、尚も谷崎を責め立てる。

ーーーーーー息が、詰まる。

すぐそこにコンビニを見つけた相原が慌ててそこの駐車場に飛び込んだ。
そしてすぐさま運転席を降りるなり、後部座席のドアをあけ、矢部を谷崎から引き剥がそうと背中から彼女の肩を掴んだ。

「谷崎から手を離せよ……!!」

そこにいたのは既に、矢部ではなかった。

「飼い犬に手をかまれるなんざ、洒落にならねぇぞ……!!」

ゆらりと、矢部の背後で陽炎のように揺らめく気配。
朦朧としてきた意識の中、かすかに見えたその姿は、真っ白な毛並みをした、巨大な四足の獣。


ーーーーーあれは、アレキサンダーじゃ、ない。

お前は一体何だ。
力とは、なんだ。

薄れていく意識の中、脳裏に浮かんだのはただ一つの顔。

『部長……!!』

いつもの通り彼を呼ぶ彼女の幻に、しかし谷崎は未だ首筋を圧迫されたまま、弱々しく口を開く。

「ち…が…う」
「違う!?なんのことだ谷崎!!くそっ……!離せよ矢部君っ!!」
「あの~、店の前で騒ぎを起こされちゃ困るんですけ……ど……ヒィッ!!」

騒ぎを聞きつけ、店の中から様子を伺うようにやってきた店員。
谷崎の首を一心不乱に締め上げる矢部の姿に驚き、「け、警察を…!!」と泡を食う。
「警察なんてどうでもいいんだよ!!出てきたんなら力をかしてくれ!」と叫ぶ相原に、慌ててこちらへ駆けつけてくる姿が見えた。

意識が、落ちる。


彼女が呼ぶ己の名に、違和感を覚えたのはなぜか。
違う。そうじゃない。
君が呼ぶべき、俺の名はーーーーーー。


「✖✖✖✖」


ーーーーーーあぁ。
そうだ、ーーーーーーーー。


「谷崎ーーーーーーーーーーーーー!!!」
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