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部長と主任の珍道中。

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――――時はわずかに遡る。

「矢部君と中塚くんを……?中塚君はともかく矢部君がなぜ関係があるんだ」
訝しげに尋ねる谷崎。
それは便利屋にだけではなく、事情を知っていると思しき相原にも向けられたものだったが、その相原も特に心当たりはないらしく、「矢部君は確か高木くんの同期のはずだけど……?」と曖昧な様子だ。
「そう睨むなよ谷崎。そもそも俺はその頃まだ秘書課の所属じゃなかったんだぞ。そこまで詳しく把握しているわけがないだろ?」
要領を得ない相原に対し、咎めるような視線を向ける谷崎を嗜める。
『その二人は今回の件に関する重要な因子だ。連れてくれば必ず何かが起こるはず』
そういい、二人を説得した便利屋は『ってことで席は既に一杯だろ?』と、初めからそれが目的だったとしか思えないような発言をしていたが――――。
「本当に良かったのか?高瀬君をあっちに行かせちまって」
「……仕方がないだろう。あの男の言っていたことは確かに最もだ」
あの男――――葉山竜児。
あくまで高瀬が自分たちと同行する事を望む二人に対して、涼しい顔で。
『タカ子を連れていかがわしい店に出入りするなど、僕が許しません』と。
それが絶対の決定であるかのように言い切った。
『そもそもあなた方のおかげでタカ子にとって不利益な噂が流れているというのに、これ以上タカ子の名誉を汚すつもりなら僕が相手になりますよ?』
「不利益、ね……」
谷崎との婚約話が高瀬にとってなにか利益があるかといえば、それは確かにその通りなのだが。
「嫁入り前の娘を連れて勤務時間内にラブホってのは、確かにまずいよな……」
誰も見ていないから大丈夫、という問題ではない。
あの弁護士はいざとなれば隠しカメラでもなんでも使って証拠を撮影し、それを持って二人を訴えてくるだろう。
「まぁそれでいうと中塚くんと矢部君も同じことなんだけど……。
――――そこはあの彼、どうでもいいらしいね」
「……だろうな」
取り繕う必要性すら感じていなそうだ。
本当に、彼女以外どうでもいいのだろう。
『タカ子の身柄は責任を持って僕が自宅に連れ帰ります』と、一人漁夫の利を得るがごとく颯爽と彼女の身体を抱いて去っていったあの弁護士――――。
「あぁなっては、あの男に任せるしかないだろう」
「高瀬君本人がなんの危機感も感じてないんだから、あっぱれというか、哀れというか――――」
確かにあそこまで信頼されていれば、なかなか手も出せないだろうなと納得した。
「実体がない方が安全、と言われれば確かにその通りだしな」
少なくとも実際に怪我をする危険性は少ない。
「便利屋の方も高瀬君になにか害が及ぶようなことをさせるとは思えないし、まぁ至善策とまでは呼べずとも、仕方の無いところなんじゃないか」
あそこらへんが引きどきだったと相原に諭され、感情的にはわかっているのだが、谷崎の中に不愉快な思いが残る。
「最後は高瀬君に押し負けた感じだけど」
「………」
二人の脳裏に浮かぶのは、いつもの如く能天気な彼女の顔。
『心配ありませんって部長。ケンちゃんと竜児がいて、私に何かあるわけないじゃないですか』と、自らの幼馴染に対し全幅の信頼を寄せて宣言する彼女の顔を、あれほど憎らしいと思ったことはない。
『それに竜児に関しては今更ですよ、今更』
己の体を他人に任せる事に対して、なんの危機感も感じていない彼女。
「あそこまで信頼されるには、やっぱり時間が必要なんじゃないのか?」
幼馴染達と同等の信頼をすぐに得るのは難しい、それは谷崎にもわかってはいるのだが――――。
「信頼されすぎるっていうのも厄介な問題だろうしな」
どちらかというと、今は信頼されるよりも男として意識をされる方が先だろと言われれば、確かにその通りだと頷くしかない。
「とにかく、さっき内線で二人をこっちに呼んだからもうすぐ到着する頃だろ。
――――それまでにその顔、なんとかしろよ」
人殺しでもしかねない凶悪ヅラだぞ、といわれ、ひどく苦い思いでため息を吐く。
なんだか損な役回りばかりやらされているような気がしてならないが、今は一刻も早く彼女のもとに向かうことが先決だろう。
「説得は俺がする。直接高木くんのことを知ってるのは俺だしな。話も早いだろう」
そう言って自ら説得役を勝手出た相原に全てを任せ――――を乗せた車が社を出たのは、それから15分後のことだった。


                ※
――――助けて、高瀬君。
相原の運転する車内は、今カオスを極めたといっていいだろう。
思わずここにはいない高瀬に救いを求めた相原は、隣に座る中塚にちらりと視線を寄せ「車酔いとかは大丈夫かい?」とできるだけ明るさを装って声をかける。
だが、その答えは沈黙。
『高木真理子』の名前が出た時からずっと、彼女の表情は硬い。
そして反対に後部席の矢部はといえば。
「ぶ、部長とご一緒なんて光栄ですっ。私でお役に立てるならなんでも――――」
若干顔を引きつらせながらも、やる気溢れる発言をする矢部。
「そうか、頼んだぞ」と素っ気ない言葉を返す谷崎に「はい」と若干頬を赤らめ、そっとその腕に触れようとして――――見事なまでにスルーされる。
なんだろう、このワンサイドゲームのお見合でも見せられているかのような光景は。
よく見れば谷崎の目は既に死んだ魚のようだ。
あれだけ「臭い」と断言していた相手と至近距離。しかも密閉空間だ。
さりげなく空調を全開にしてみてはいるが、後でファブリーズ必須である。
高瀬が配属されるまでは谷崎と二人、無言での移動も多かったが、ここ最近は彼女を含めた3人でのトリオ漫才のような会話にすっかり馴染んでしまった。
高瀬と相原がくだらないバカ話に興じ、それに対して時折谷崎がツッコミを入れるというルーティンだが、今はそれが無性に恋しい。

――――本当、人生に癒しは必要だよね。

特にストレス社会に生きる自分達のようなサラリーマンには。


無言のままの中塚にもう一度視線を向けると、その肩で何か黒い靄のようなものが動いたような気がし、思わずゴシゴシと目をこする。
気のせいかと思ったその直後。
「き、狐!?い、今狐が肩から……!!」
それまで熱心に谷崎に対してアピールを続けていた矢部が、初めてそれ以外のことを口にし、靄が見えるあたりをぴったり指差す。
――――狐?あぁ、そういえば確か、中塚くんにはこの間の白狐を付けてあるとかなんとかって……。
すぐに心当たりを思い出すが、残念ながら今の自分にそれを視認することはできないようだ。
つくづく惜しい。

――――なんとかもう一度、見えるようにならないものかなぁ……。

ないものねだりだというのは重々承知だが、一度知ってしまった世界を忘れることはできない。
高瀬いわく、力を分け与えたのはあのハムスターという話だから、交渉するなら”彼”とだろう。
ひまわりの種一年分で手を打ってくれないかな、と妙なことを考えながら軽く現実逃避をする相原。
「狐?一体何をおっしゃってるんです?」
「だ、だからそこにっ!!あなたのすぐそばに狐がっ……!!」
「そんなものどこに……」
全く霊力を持たないらしい中塚は、やはり自分同様何も見えていないらしい。
谷崎はと見れば、険しい表情で靄のあたりを見つめている。
その直後だった。

――――靄が、消えた?

一瞬靄の色が変わったかと思うと、ふっとその気配が霞のように消えてしまった。
もう一度よく見てみても、そこにはもはや何もない。
それを証明するかのように、後ろの矢部もまた。
「消えた……?」と呆然とつぶやいている。

――――中塚君に例の白狐をつけたのは高瀬君だ。
その白狐が姿を消したとなると………彼女の方に何かがあったのか。

嫌な予感がする。

「悪いけど、ちょっと飛ばすよ」
ミラー越しに谷崎と視線を交わし、迷いなくアクセルを踏み込んだ相原。


――――無事でいてくれよ、高瀬君。

何もなければいい。ただ、それだけの思いで現場へと急いだ。

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