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阿吽。

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「あ、え~とですね、話を元に戻しますけど、じゃあ社長的にはこの話は断るつもりだったってことですよね?」
ついついいつもの身内ネタになったところで、部長からのじりじりとした視線に気づき慌てて話を逸らす。
逸らされているのはわかっただろうが、このままでは話が進まないと感じたのか、ため息混じりに言葉を返す部長。
「……断っても構わないと思っていたようだが、受けたところで特に損はない話だからな」
「どっちに転んでも自分には損はないってことだよ。言っただろ?社長はタヌキだってさ」
「あ~……」
確かにあの時言われた気がする。
あれはそういう意味も含んでいたのかと今更ながらに納得だ。
「古狸は厄介だけど、あの古狸は一応身内には甘いからね」
「仮にもその身内の前で言うことじゃないと思いますよ、主任」
今更ながらの忠告だが、当の甥っ子が知らぬ顔をしているので問題にはならないのだろう。
「大丈夫大丈夫、これでも外面はいいんだよ?俺。
それこそ身内にまで仮面をかぶる趣味はないってだけでさ」
にこっと笑われ、高瀬がゆっくりと自分を指さした。
外面がいいのはもちろん知っていますが、それよりも気になるのは――――。
「身内?」
「高瀬君は俺の秘密を都合の悪い相手に暴露したりしないだろ?」
「それは最低限だと思います」
身内扱いとは関係なく常識レベルの問題だと思う。
しかしその身も蓋もない返答でも十分だったのか、主任は満足そうに笑いながら続ける。
「その境界がわからない連中ってのは意外と多いんだよ。
そういう奴らに限って堂々と身内ヅラしてくるから厄介でね」
「そういう時はレッツ縁切りですよ、主任」
「そうはっきり言える高瀬君が好きだよ、俺は。
世の中魑魅魍魎の集まりだからさ」
甘い顔をしてると、高瀬君なんてぺろりと食べられちゃうよ?といいながら。
「両脇に阿吽の鬼を従えてる高瀬君には、無用な心配かもしれないけど」
怖そうだよね、といいながらちらりと竜児に視線を向ける主任。
「魑魅魍魎の続きかもしれませんけど、いくらなんでも人の幼馴染を鬼扱いはどうかと思います」
「いいんじゃないの?本人たちも納得みたいだし」

納得……?

「僕は後鬼はゴメンですよ。それでは僕が賢治の妻ということになってしまいますからね」
『じゃ俺が竜児の妻か?それも相当寒い話だろ』

いつの間にか背後では、二人の間だけでなにか押し付け合いが発生している様子だが、ゴキ?とは一体。
語呂だけで言うとなんだか例の黒いやつを思い起こさせ、背筋がぞわぞわする。
言いっぱなしの主任に対し、ここでしっかりとした説明をしてくれたのが部長だ。
「……後鬼とは、役小角に仕える鬼のことだ。
役小角には常に2体の鬼が付き従い、その名を『前鬼』『後鬼』といって、伝承では後鬼は前鬼の妻であったとされており、この2体は『阿吽』の関係を意味するとも言われている」
「あ、どこかで聞いたことがあると思ったら、狛犬なんかのアレですか?
口を閉じてる奴と開いてる奴で一対なんですよね?」
「簡単に言うとそうなるが、仏教においては『阿』が全ての始まりを表し、『吽』が全ての終りを示す」
『意外と詳しいな?部長さん』
「これは一般常識レベルの話だろう」
『だってさ、タカ子』
「常識がなくてすみませんでした――――!!!」
でもこれ、本当に常識か???
残念なことに高瀬以外の全員が当たり前の顔をしているので多数決をしたら確実に負ける。
というか、このメンバーで世間一般の”常識”を語ってはいけない気がしてきた。
クイズ番組などで、視聴者の中から選ばれた一般回答者が、気づいたら東大出身者に周りを固められているようなものである。
「がんばれ、庶民の星……!!」
あれ、想像しただけでちょっと涙が出てきた。
「?なんで泣いてるのかわからないけど、その二人を従えてるのが高瀬君だって言ってるんだから、一番すごいのは高瀬君だってことだろ」
あ、そうか。
「一気に気分が良くなりました」
「今泣いたカラスがもう笑う、ってのは高瀬君にぴったりのことわざだな」
『それ、子供の機嫌はすぐ変わるって意味だったろ、確か』
「まあ、否定はできませんけどね」
後ろの方でぼそぼそ何か言ってる気がしたが、聞こえない聞こえない。
見ざる言わざる聞かざるリターンズ!!
最近では日光の三猿はご当地ヒーローに変身して戦っているという話だし、ぜひ頑張って欲しい。
――――って、話がまただいぶずれた。
「余計なこと言わないでくださいよ、主任!!」
「むしろ長くなるのは高瀬君のせいだと思うんだけどなぁ……。
まぁいいか。とりあえず、俺たちは今から「大口契約の商談」に向かうって事で」
いいんだよな?と部長を見れば、当たり前のように頷く部長。
「本当にいいんですか、部長?」
最後に一応聞いておけば、「パソコンがあれば十分仕事はできる」との頼もしいお言葉が。
つまりケンちゃん同様、持ち込んだパソコンを使って出先でも仕事をする気満々のようだ。
主任が運転すると言っているから、車の中でもきっと仕事を続けるつもりなのだろう。
「いつも思いますけど、よく移動中に仕事なんて出来ますよね」
「慣れだよ、慣れ。時は金なりって言うだろ?」
「子供の頃から車酔いをしていた私には無理な話です」
遠足に向かうバスの中でももれなく酔った。
もちろん修学旅行でもだ。
「残念ながら三半規管がご臨終してるんです」
「「ご臨終」」
そのあまりの言いように呆れる部長と主任だが、幼馴染二人にとっては当然の話である。
「とはいえ、車の中で本を読むとか画面を見るとかしなければ平気ですけど……」
パソコン仕事なんかは絶対に無理だ。
部長はよくやっているが、そういう時高瀬は断固として窓の外を見ているか、主任とあえての馬鹿話をしていることが多い。
話が一段落着いたと見て、「んじゃ、俺は先に車を回してくるわ」と、主任が動きだしたその時。

『ちょっと待ってくれ』

『幽体離脱なら一瞬だけど、車で来るとなると時間もかかるだろ?先にこっちへタカ子を預けて欲しい』
「その間に本体は僕が自宅へ連れ帰ります。そのほうが安全でしょう?」
阿吽の呼吸で畳み掛ける幼馴染コンビ。
確かに、今から車で移動していては到着までに軽く30分以上はかかる。
竜児の下心ダダ漏れ発言はともかく、賢治にとってみれば当然の要求だった。
だがそれに対し、こちらもまた阿吽の呼吸で否定する部長達。

「それはできない。行くというのなら彼女と一緒でなければ」
「そうそう。男二人で移動とかむさくるしくて仕方ないよね」

互いに相反する意見に、交渉は決裂かと思われた。
だが。

『男二人ってのはどうかな?どうせならあんたら二人には、ここに連れてきて欲しい人間がいるんだが』

そして賢治の上げた名前は、高瀬にとってもなじみの深い、2人の女性のものだった――――。

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