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肆意
11 龍人
しおりを挟むごっちんは馬鹿になった耳を押さえる。
「うっせぇ……」
「申し訳ございません。喜びが爆発しました」
到着した浴衣レンタル店『ゆかたれんたる』。店名がそのまますぎて笑った。
座敷に靴を脱いで上がり、色とりどり柄さまざまな浴衣を眺める。
キャットはそんな主を眺める。
(ごっちん様には安物だが……。浴衣を着たごっちん様も見たい)
ひとり口角を上げていると手招きされる。
「はっ」
満面の笑みでそそそっと近寄る。
「いかがなさいました?」
「薔薇柄は……無いかな?」
「店の者の胸ぐら掴んで聞いてまいります」
「普通に訊いてこい。普通に」
そんな会話をしていると店員の方からやってきてくれた。水色にイロカオ(朝顔に似た花)の浴衣を着こなし、優しげな雰囲気を放っている。
「ようこそ。どのような浴衣をお探しで?」
キャットはピシッと踵を合わせた。
「薔薇の浴衣はございますか?」
水色店員は困った顔で頬に手を添える。
「薔薇……ですか? 申し訳ございません。当店では取り扱ってませんねぇ」
「左様ですか。ありがとうございます」
にこやかに対応させたおかげか、店員が気遣って色んな花柄の浴衣を持って来てくれる。
帯との色合わせや浴衣の着方が分からなかったので、店員が来てくれたのは嬉しい。横の万能執事なら浴衣の着方も知っているだろうが、今日のキャットに「浴衣着せてくれ」と言ったらまた倒れそうだ。
黒地に紫の花弁が舞う浴衣。好みだがこの姿には大人びているだろうか。
「キャットはどう思う?」
「とてもお似合いだと思います。ごっちん様は世界一紫が似合います」
……うんまあ。キャットはそう思ってくれているんだろうな。
「キャットも選ぶがいい」
「あっはい」
私の浴衣はにっこにこで選んでいたくせに……。気合の抜けた顔でばさばさと雑に探す。気が抜けすぎだろう。
「これでいいか」
気の抜けた声でキャットが手に取ったのは地味な色の浴衣に笹色の帯。ふむ。
「それもいいがお前も黒い浴衣にしてみないか?」
「俺のなどどうでも……」
首を傾げてみる。
「お揃いにしてみないか?」
「御意っっっ!」
九十度通り越して百八十度のお辞儀を……これもうお辞儀と呼んでいいのか? 身体やわらかいなお前。でも店員さんが「あわわわわ……」と驚いているからやめろ。
着付けしてもらい(キャットは自分でパパっと着ていた)ふたり並んでほんのり薄暗くなってきた夏の夕暮れを歩く。
「浴衣も大変お似合いでございます」
「……そうか。ありがとう」
礼を言っただけででへでへと照れている。うーん。愛いな。
少しだけ風が出てきた。ぬるくて重い風。
もう少しすれば月が見えるだろう。もし雲で見えなくとも、私は常に満月と共にいる。残念な気持ちはない。
靴のままなので(草履の貸し出しはしていなかった)木の板で作られた遊歩道を歩きたかったが、柵があるとはいえ湯に落ちては危険なので通れるのは足元が明るい時間帯までだそうだ。
『通り抜けは朝から夕方まで』と書かれた看板が立ち塞がる。
「また来る口実が出来てしまったな」
「はい。また来ましょうね」
ゆったりしながら夜の温泉街を通る。
日中とは少し雰囲気が異なり、居酒屋のオレンジの明かりが多くなる。土産物店もお祭りの屋台のように内装を変え、小さな子が大人と射的をしたり輪投げをしたりして楽しんでいた。これで花火でも上がればお祭り会場にいるような錯覚を覚えただろう。
「賑やかだな」
「ごっちん様も、やってみますか?」
「ん……。いや、いい。見ている方が楽しい」
「かしこまりました」
お祭りと違うのは香ばしいソースの香りなどが漂ってこないことだ。硫黄のにおいは……慣れてしまったのか気にならない。あの卵のようなにおいも好ましいのだが。慣れてしまうものは仕方なし。
「おにいさ~ん。良かったら一緒に遊ばない?」
「わっ。かっこいいじゃん! ……あら」
途中、華やかな二人組に声をかけられるも。子連れだと分かった途端「しつれいしました~」と娘たちはそそくさと去っていく。
ごっちんはくっと小さく笑う。
「今度は親子と間違われたな」
「俺的には、光栄なことではございますが……」
むむっと片目を閉じて、喜べばいいのか怒ればいいのか、複雑そうな表情。
「親子なら、手でもつないでおくか?」
腕を組んでいたキャットは神速で腕を伸ばしてきた。
自分より大きな手のひらをしっかりと握る。
「あったかいな……」
「おおお温泉にはっはは入ってましたから。ごっちん様の手も、やわ、あったかいですよ」
何を言いかけたのやら。
更に歩くと温泉街からは外れたようである。一気に暗くなり、人の数もぐんと減る。
月明りと、二メートルはある棒の頂点に設置されたフローライト(光る石)が等間隔で並ぶ以外、明かりはない。しかし二人の目ならば暗闇だろうと問題はない。
「閑散としてきましたね。戻りますか?」
「静かで好ましい。もう少し歩く」
「はっ」
恭しく頭を下げるキャットに微笑み返すと……臣下は赤くなってうつむく。危ない危ない。危うく「今夜は寝かせないゼ」と言う所だった。
『―――』
『―――てめぇ……!』
どこもそうだが、夜になると治安というものは一段と悪くなる。
道の隅で寝ている者や、路上で騒いでいる者たちが目立ってきた。一段どころではないかもしれない。ぱっと見では分からないが、薬の売人も見かける。売春婦などは露骨で、下半身丸出しで客引きをしている娘もいる。流石に下着は身につけているが、ちょっと温泉街から遠ざかっただけでこれである。
子連れが珍しいのか、キャットたちにじろじろと視線が集まる。
「誰の許可を得てごっちん様を見ているのか……。ちょっと分からせてきます。具体的に言うと眼球抉ってきますね」
ごっちんは眉を八の字に下げる。
「弱い者いじめはよせ」
眼球の無い変死体が見つかると温泉街自体封鎖されかねない。少し物足りないが、引き上げるか。
「宿に戻ろう」
「かしこまりました」
「おっ? お? なになに? 手なんて繋いじゃって。可愛いじゃないの」
ごっちんが普通に、キャットが舌打ちしながら振り向くと、酒臭い二人組が話しかけてきた。じろじろとキャットとごっちんを交互に見つめる。
「なんかすげー気品があるなお前ら。もしかしていいとこの坊ちゃんか?」
「あー……ヒック。……あーお金ぇ……恵んでくれよ」
右はともかく左の男は意識がもうろうとしているようだ。呂律が回っていないし、手を前に出してゾンビのように近寄ってくる。
「お金ぇ……。くれたらヒック、きもぢーこと、してやうえ?」
キャットの両肩に手を置いて顔を覗き込んでくる。体臭と酒と汗のにおいがしてツラい。どうやったら殺さずに追い払えるか……。ごっちん様がゴーサインを下されば赤い水溜まりに変えてやるものを。
殺り方で悩んでいると大人しいと勘違いしたのか、右の方の男も手を伸ばし、長い髪に触れてくる。
「お? 怖くて固まっちまったか? なーに安心しろって。ちょっとそこの茂みで一発させてくれりゃあ」
『整列』
ギョッとしてキャットが下を見れば、主君の瞳が淡く光っていた。紫の薔薇のように濃くも優しく。
ごっちんが唇の前で人差し指を立てると、酔っ払い二名は人形のように整列した。その虚ろな瞳と半開きの口からは、自我を感じない。
言葉を乗せ、人差し指をくるっと一回転させる。
『家に帰れ』
「……ふぁい」
「りょうかい……ですぅ」
下手くそな操り人形のように身体を左右に揺らしながら、それでもきっちり整列したまま遠ざかっていく二人。
自分でやっておいてその様子がおかしかったのか、ごっちんはくく……っと唇を震わせて笑うのを堪えている。
キャットはすぐさま膝をついた。
「申し訳ございません! 貴方様に力を使わせるなど……」
「良い。それよりも」
さらっとキャットの髪を手で掬う。
「私以外の者に気安く触らせおって。これは宿でお仕置きせねばならん。なあ?」
「……ッ」
ぼっとキャットの頭から湯気が噴き出す。動揺しているのかしきりにモノクルをカチャカチャ鳴らしている。
「浴衣を返却して、宿に戻るぞ?」
「ふぁふぁっふぁひふ」
何を言ったのかは分からないがよろけているキャットの手を引いて、来た道を戻った。
「あれ?」
「ここ、ですよね?」
主人にもらった地図と宿を交互に見比べる。
あの前方にやや傾き、内部は外と変わらず、お風呂場は墓場になっていた宿が消えている。その代わり、同じ場所にとんでもなく立派な宿が建っているのだ。
三階建てなのは同じ。屋根からずらりと赤提灯が並び、オレンジの輝きで満ちている。雅なローズウッド制の木の壁に、磨かれ光を反射している屋根瓦。おまけに日中には無かった、確かに無かった大きな川が宿をぐるりと取り囲んでおり、赤い豪奢な船が浮かんでいる。
「なにが、どうなって……?」
「ふむ。面白いな」
紫眼はこの不可解な状況を一発で見破っていた。
「幻術の類だな」
正確には、昼間のぼろい姿が幻術だったのだ。これは幻術が解かれた本来の姿。
さしずめ、夜にだけ現れる宿、といったところか。
隣の店の者は慣れた顔をして、旅行客は口を開けて見上げている。
眼前に伸びるのは、宿へと続く広くて大きな橋。その両サイドにはずらりと二十人ほどが並び、客を歓迎するように、着物と呼ばれる豪華な衣装に身を包んだ踊り子が舞を披露していた。船の上では同じ着物を着たものが、雅楽楽器を奏で舞を彩っている。
通行人はその幽玄の世界に足を止めて見入っている。
「幻術……? 嘘だろ。まったく気がつかなかった」
「私もだ」
「え……?」
しれっと言う主を信じられない思いで見つめる。紫眼に見破れないクラスの幻術……。
舞を見ながら並んで橋を渡ると、従業員が宿の前で突っ立っていた。
「おかえりなさいませ」
「誰だお前」
こちらも安物の制服から、艶やかな着物姿へと変わっていた。人差し指ほどの角に、着物から龍の尾がはみ出て地面の上でとぐろを巻いている。
「龍種か⁉」
「ああ、はい。お客様。見事に幻術に引っかかっていて、面白かったですねぇ」
龍人はキャットのデコピンで吹き飛んだ。
――龍人族。
強大で長命ながら繁殖力に乏しく、幻獣種入りをしている。鼠獣人とは正反対の種族だ。
「レア種だな。縁起の良いものが見れましたね、ごっちん様」
「お前が吹き飛ばしたせいで見えなくなったがな……」
はしゃいでいるキャットにため息を返す。怪我を治してやろうと近づく前に、龍人は起き上がってきた。
「え?」
これには吹き飛ばした本人も引いたような表情だ。しかもどこも折れていないのか、ぽんぽんと着物に付いた砂汚れを払っている。
龍人はくるっと背を向けるた。
「さっ、こちらへ。お部屋に案内いたしますよぉ」
提灯の火でオレンジに染まる銀の髪を振り、宿の中へと進んでいく。
「……行きましょうか」
「ああ」
少し緊張気味なキャットと、のほほんと頷いている魔王様。
宿の中は別世界だった。
靴を脱ぐ玄関に、客を出迎えるホールは吹き抜けて天井が見えないほど高い。おかしい。外から見た建物は三階建てだったのに、明らかに三階以上ある。
ひらひらした着物の女中たちが一糸乱れぬ動きで頭を下げていく。
「たかしらす」
「みこころやすけく」
「いましませ」
歌うように紡がれる言葉。
ハテナを浮かべるキャットに、スマホ魔王様が説明する。
「簡単に言うと『いらっしゃいませ』だな。とても古い言葉だが」
「そんな……古い言語なのですか?」
「うむ。龍人がまだ龍神を名乗っていた頃のものだ。絶滅した言語のひとつ。正しい発音で耳にできる日が来るとはな」
知識を蓄えることが大好きなごっちんはそわそわと女中たちを眺めていく。姿に見惚れているのではない。もっと喋ってくれないかな? と顔に書いてある。
「さすがです。ごっちん様!」
「……お前は興味なさそうだな」
目を輝かせる魔王以外興味無い生命体(キャット)に、ごっちんは口角を上げながらもげんなりする。
そこでふと思い出したのか、前を歩く緑の鱗を纏った龍尻尾に声をかける。
「おい。龍人。聞きたいことがある」
「……これは申し遅れました。あちしの名前はシュリンと申します」
「そうか。シュリン殿。俺たちは……」
「ごっちん様にキャット様ですよね? 存じておりますよぉ?」
朱色の瞳がにこっと妖しく細められる。
「で、聞きたいこととは?」
「昼間、俺が膝蹴りした盗人も幻術だったのか? 貴方のところの従業員だった、とか……?」
龍の青年は着物の袖で口元を隠し、にょほほと面白く笑う。
「ご心配には及びませーん。あれは本当の盗人でした~。なので、お客さまには感謝しておりますぅ」
キャットはイラっとした。
「盗人に入られてんじゃねぇよ」
「にょほほ。申し訳~」
扉の前で立ち止まったシュリンがガコンとレバーを下ろす。すると歯車が回転するような音がして、扉の向こうに大きな箱が降りてくる。
チンッと可愛らしい音がして、扉が自動的に開く。
「中へどうぞ~」
さっさと入り込むシュリンだが、初めての物体にキャットとごっちんは目を点にして見上げている。
「なんだこれ……」
機械系モンスターの魔石が大量に使われていることだけは分かるが。
答えたのはシュリンだった。
「昇降機(エレベーター)です~。お父様の話を参考に作ってみたんですよぅ」
嫌な予感がした。
とっても。
「おい……。お前のその『お父様』って……」
「蛾h@♬弩ですよ。あなた方には主人や〈黄金〉と名乗っているはずでーす」
「お前の話し方がムカつく」
「申し訳ないですぅ。これは人を乗せたまま上下する箱でして。とりあえず乗ってみてくださーい」
早く早く、と手招きしてくる龍人。
二人は顔を見合わせると、キャットから中に入ってみる。
少し揺れるが、大丈夫そうだ。キャットが場所を開けたのでごっちんも踏み入る。
「上へ参りま~す」
ガコンと内側のレバーを上げると扉が閉まり、三人を乗せた箱が結構な速度で上昇した。
掴まるところが無いので、ごっちんはキャットのシャツに捕まる。
「ぴやぁ!」
「愉快な発想だ。主人殿らしい」
呟くと緑の尾が左右に揺れた。ごっちんはシュリンに話しかける。
「シュリン殿。貴殿は主人殿の……」
「初代ハーレム子ってやつでーす。もう百年以上前の話ですが」
ダブルピースして自慢げに教えてくれる。キャットはイラっとした。
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