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一人目

12 ぷいん

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🌙








「ねえ、お兄ちゃん。『こゆうまほう』と『すきる』のちがいって何ですか?」

 三階までぶち抜き目が眩むほど天井の高い、大量の本が納められた図書館にて。
 エイオットは勉強中だった。
 せっかく鑑定スキルを持っていても、文字が読めないのであれば意味がない。主人のことを詳しく知りたいエイオットは燃えていた。なんせ朝になると主人は魔女っ娘となり、またあの話が通じ辛い不気味な雰囲気に戻ってしまったのだ。
 昨日の仕返しだーっと言ってくすぐられそうになり、逃げたエイオットの避難先がキャットの部屋。

 「わーい。お兄ちゃんのベッドだ~」と部屋でごろごろしていると、図書館に連行され勉強を教えてもらう流れとなった。

 アラージュの衣装にもうツッコまないキャットと、今日もむっちりと食い込み、パンツがギリ見えそうな短パン白ソックス姿のごっちん。そして黒パンツを返してもらったエイオットの三人での勉強会。
 途中で、スキルの話になった。
 キャットはモノクルの位置を調整する。

「俺はスキルを持っていないのであまり偉そうなことは言えないのですが。この二つの違いは『魔力を消費するかどうか』ですね」

 魔法は幅広い力が使える分、代償も必要だし、魔力も必要になってくる。
 体力が身体を動かすのに必要なら、魔力は魔法を使うためのエネルギー源のようなもの。他にも魔力を持っていないものより老けにくいというおまけまでついている。恐らく魔力が人体に何かしらの良い効果をもたらしているのだろう。
 その点スキルは魔力も体力も消費しない。
 足をぶらぶらさせていたエイオットが挙手する。質問の際は手をあげろと言われたのだ。

「はい。お兄ちゃん」
「……もうお兄ちゃんでいいですよ。はい、エイオット」
「これだけ聞くと、すきるの方が便利そうに、思えますね」

 キャットは「スキルの書」と書かれた分厚い本を開く。

「そうですねー。代償無しで、しかも使えば使うほどスキルは成長、つまりレベルアップしていきますからね。神からの授かりものと呼ばれるだけはあります。それに対して魔法は魔法習得、魔力増加と言った修行がまず大変です。魔力が切れたら瀕死になる魔法使いからすれば、代償と修行なしで使えるスキルはまあ、ちょっとうらやましくはあるでしょう」
「しかし魔法の方が圧倒的に出来ることが多い。……どちらも一長一短、だな」
「いっちょう?」

 ごっちんは「あ……」という顔になる。自分も含め「見た目は子ども、頭脳は大人」な子どもが周囲にいるせいで、つい難しい言葉を。

「……どちらにも良いところと駄目なところがある、と言うことだ」
「すきるの方が優れているわけではない、ということ?」

 ごっちんは小麦色の頭を撫でてやる。

「そうだな。どちらも便利な力だ。優劣をつけるなどナンセンスな話……あーえっと、馬鹿馬鹿しい話だ」
「ふーん」

 撫でられて嬉しいのか、エイオットは座ったままキャッキャとはしゃぐ。兄弟のようでほほ笑ましい。ごっちんは生徒側に座っているが、彼は先生補佐のような立ち位置だった。なんせ魔王様は外国の言葉すら扱える。授業を受ける必要が無いので――それと教えるのが下手なので――補佐に回った。
 露出の激しい男の子を前に主人なら小躍りをしているだろうが、キャットはごっちん以外眼中になかった。
 本を脇に挟み、ぱんぱんと手を叩く。

「はいはい。では、読み書きの方に戻りますよ。でも質問があれば先ほどのようにどんどん聞いてくださいね。エイオット。自分の名前くらいは今日中に読んで書けるようになってください。俺も忙しいので。でないと尻叩きます」
「……ぴぇ」

 スパルタ先生のおかげで、エイオットはみるみる文字を読めるようになっていった。
 




「――時間です。今日はこれまでとしましょう」
「え? もう終わるの?」

 学校に通う以前に、学校と言うものの存在すら知らないエイオットは、学びの時間が思いのほか楽しかった。知らない知識、新たな知恵。世界が広がっていく感覚。なにより――

(お兄ちゃんたちがずっとそばにいてくれたのに……)

 しゅんと狐耳を垂らす。
 二対一。先生二人がずっと付きっ切り。厳しいがなんとも心に残る時間だった。
 勉強も楽しいが、エイオットは孤独ではない時間に陶酔していた。
 しかも二人とも見目麗しいうえに、間違えたからと言って暴力を振るってこない。物置に閉じ込めたりしない。飯抜きにもしない。
 もうちょっと甘えていたかった。
 唇を尖らすも、キャットは「はい終わり終わり」と出した本を仕舞っていく。
 エイオットも手伝いたいが、文字の読めない彼ではこの本をどこに仕舞えばいいのかすら分からなかった。

「エイオット? どうした?」

 後片付けなど自分の役目ではない、と言う文字が見えるほど堂々と座っているごっちんが話しかけてくる。椅子をずらし彼に近づけ、ぴとっとごっちんの腕にくっつく。

「おべんきょう。まだしていたい、のに……」

 紫の瞳がわずかに見開かれる。

「ほう。立派な心構えだ。だが休むのも大事だ。集中力と言うものは賞味期限が短い。子どもは十五分も続けばいいところだ。お前は一時間もよくやった」
「ん……」

 頬に手を添えられ、目を合わせられる。やさしい手つきだった。
 キスするかのように、至近距離で見つめ合う。
 エイオットはちょっとだけドキドキした。

「それと、単純にキャットも忙しいのだ。時間を作ってくれたこと、ひとまず礼を言っておけ」
「! う、うん。そうだよね」

 頷くと、頭を撫でてくれた。慣れていないのか、相変わらずぎこちなかったが。
 たたーっと走っていく。貴重な古紙とインクで練習したエイオットは、自分の名とごっちんとキャットと主人は書けるようになっていた。

「お兄ちゃん。ありがとう!」
「……え? ああ、いえ」

 ミミズがのたくったような文字を見て、ごっちんはふっと表情を緩めた。
 片づけを終えたキャットが出て行こうとする。

「では俺はこれから、夕飯の仕込みを」
「あ、まって」
「ぐお」

 燕尾を掴んだつもりが、間違って猫の尾のように揺れる黒髪を握ってしまった。グギッと不穏な音と共に駆け出しかけたキャットの顎が上を向く。
 キャットは首を押さえて三十秒ほどしゃがんだのち、般若の面で振り返った。

「ええ度胸じゃ。クソガキ」
「うえええええん! ごべんばじゃいいいいいっ」

 首を振りながら噴水のような涙を流すエイオット。後ろでごっちんが「何してんだ」と言いたげな目で見ている(助けない)。
 胸ぐらを掴みたかったがエイオットの服の生地が少ないので、ちょっと迷った挙句、わきの下に両手を入れて抱き上げた。
 チリリッといい音が鳴る。

「わざとじゃないんでじゅうううっ」

 逃れられるわけはないが本能からじたばたと暴れる。

「オオン?」
「ごしゅじんさまに、ごしゅじんさまが、キャットくんに、ご飯の作り方でも、おそわってきなさいって……えぐっ」

 ビキッと青筋がこめかみに走る。
 執事と言うものは案外、いやかなり忙しい。主が快適に過ごせるように働くのが基本である。ただでさえ貴重な一時間を勉強に使ったのに、料理を教える時間など残っていない。
 そっとエイオットを下ろす。

「とりあえずあのアホ(主人)は後で殴るとして、料理を教えろだぁ? 舐めてんのかあの金髪。いいように使いやがって」

 これは流石に断ろうとしたが、みんなでわいわいお料理というのんきな想像をしたごっちんが腰を上げる。

「私もやろう。よいな? キャット」
「御意にイイイイィィ!」

 百八十度のお辞儀を決めるキャットに、エイオットが一歩引く。
 でもちゃんとお礼は言った。

「ありがとう。お兄ちゃん」

 エイオットは腰に差していたとある物を引き抜く。

「? なんだそれは」

 ごっちんが近くに来てくれたのが嬉しくて、両手で持って自慢げに突き出す。

「ごしゅじんさまがくれたの」
(絶対まともな物じゃねぇな)

 キャットは瞬時に判断した。ろくでもない物と言うことだけは断言できる。

「呪物か?」
「爆発するかもしれん。捨てておいてやろう」

 ごっちんが手を差し出してくるが、エイオットは太さも長さも人差し指ほどの透明の筒を大事そうに抱きしめる。

「めっ、です! ごしゅじんさまがくれたんです」
「見たところ……魔法も呪いもかかってないようですが」
「持ってるだけで寿命が削れていくかも知れん。捨てておいてやろう」

 この二人のなかで主人はどういう生物なのだろうか。

「だーめですってば! ただの物だもん。鑑定したもん」
「なに?」
「お前、生物以外も鑑定できるのか?」

 主人と同じ反応をするキャットに、エイオットはふふんと尻尾を振る。

「今日、起きたら出来るようになってたんです。ごしゅじんさまの文字化けすてーたすも、ちょとだけ見えるようになってましたよ」

 ごっちんと執事は顔を見合わせる。

「これは……」
「スキルのレベルが上がったのだろう」

 村にいた時から、狩りの時や盗賊たちに使っていたというし。館に来てからもキャットや主人にもがんがん使っていた。それで上がったのだろう。

「ほんっとスキルってズルいですよね……」

 隣の芝は青いということか。キャットも随分、ズルい固有魔法を持っていると思うが。

「じゃあ、それは何なんだよ」
「ごしゅじんさまは、こうやって……」

 何を思ったのか、エイオットはぺろぺろとガラス製の物体を舐めだした。
 もしやお菓子だったのかと思ったが、全然違った。

「『俺に給仕するときは、これをお尻に入れてやってね』……って。使い方もおしえてもらいました。こうやって、んっ……いっぱいなめてから、おしりに……」

 それを取り上げると、キャットはイ〇ローのフォームで豪快に窓の外にぶん投げた。窓を突き破り音速の壁を超えたそれは空中に白い円環状の衝撃波を生み、隕石のように炎を纏いながら森の向こうへと消えて行く。

「「……」」

 額を押さえているごっちんとぽかーんと立ち尽くすエイオットを置いて、キャットは怒りの表情で部屋を出た。





 夕食時。
 食堂に現れた主人は頭に立派なたんこぶタワーを築いていた。そのせいで帽子がちょっと浮いている。
 真剣な顔で席につき、ゲンドウポーズでつま先を揺らす。

「おかしい……。なんで俺が怒られるんだ? お尻にエッチな玩具を入れた男の子に給仕してもらいたいというのは、全人類の夢だろう」
「全人類への風評被害やめろ」

 デザートを運んできたキャットにまた叱られる。
 エイオットが身を乗り出して主人のローブの裾を引っ張る。

「ねえねえ。ごしゅじんさま」
「ん?」
「この『ぷいん』ね。おれが作ったんだよ!」
「「「……?」」」

 三人の頭上にハテナマークが乱舞したが、すぐにごっちんがピンときた。

「プリン、だな」
「え? あ、そ、そうです! ぷいんです!」

 もしかしてちっちゃい子にプリンは発音しにくいんだろうか。
 銀の器に果物と一緒に盛られた黄色い物体に目を向ける。
 たしかにキャットが作ったにしては……カラメルも焦げて黒いし形もあれだなと思っていたが。

「そうか。エイオットが作ったのか。楽しかったか?」

 ぱあっと明るい表情になった主人に、エイオットは一瞬目を丸くしたが、元気に「うん!」っと頷く。

「大変だっただろ?」
「ううん。お兄ちゃんがおしえてくれたから。楽しかった。果物はごっちん君が切ってくれたんだよ」

 包丁はエイオットに使わせなかったのか。この子、九歳だし。包丁はもう使えると思うんだけど。まあ、その辺はキャットに任せる。

「そうかそうか。食べてみていいか?」
「もちろん! 食べて食べて」

 わくわくしながら見つめてくる。
 可愛いなぁと思いながらスプーンを握る。
 エイオットが作ってくれたお菓子。食べるのが勿体ないと感じたが、めっちゃ見てくるのでスプーンで掬う。
 つるりと舌の上に流れ込んだプルプルの物体。ううん。これこれ。さぞ甘いのだろう。歯で押し潰せばぐにゅぐにゅっとスライムを噛んでいるような音に、ざりざりと、ナニコレ? 砂? 漆黒のカラメルは涙が出そうなほど苦く、脳がこれは食べ物だと理解しなかった。

 ええっ⁉ 本当にこれ、キャットが監修したの?

 ちらっと目を向けると執事は気まずそうに顔を逸らす。オイ。
 正面ではごっちんがスプーンを曲げそうなほど握り締め、青い顔で咀嚼している。

「………………ぅぷ」

 脳が、飲み込むことを全力で拒否してくる。正直、口の中に入れているのもツラい。吐き出してお茶で口直ししたい……

「ごしゅじんさま。どうですか? おいしいですか? おれ、がんばって作ったんです。ごしゅじんさまに、おいしいって、言ってもらいたくって」

 なんて可愛い笑顔なんだ。これを曇らせるなど、俺が許さん。え? マジで? 許さん。飲め(脳内一人会話)。

 ――うおおおおおおぉぉおおっ! 飲み込め! 俺ええええええええ!

 全魔力を駆使し、主人は口内の謎物質を飲み込んだ。
 のどごしは最悪だった。
 親指を立てる。

「めっちゃ……おぶっ、おいしいよ。エイオット。今までオウッ、食べたものの中で、一番美味しい」

 血の気の引いた顔は土色で、立てた親指は残像が見えるほど震えているが、エイオットの瞳は輝く。

「ほんとう? うれしい! おれ、もっともっと頑張るね? このぷいんも最高においしいけど、もっとおいしいの作るよ!」

 エイオットの舌は、このぷいんは美味しいと感じるらしい。

「は、はは……、き、きき期待して、るぞ……」

 糸が切れたように主人はガシャンとグラスを倒して突っ伏し、ごっちんは泡吹いて椅子から落ちた。

「嘘。ごっちん様!」
「ごしゅじんさま?」


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