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02 狐獣人の男の子

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「出かけてくるぞ。留守は任せる」

 洋館玄関ホールにて。
 大きな鞄を帽子の中に仕舞い、お出かけ準備を整えた主人は何故か自信満々で腰に手を当てている。
 中身を知らなければキャットも素直に可愛いと言えただろうに。嫌そうに顔を歪め「さっさと行け」とばかりにしっしっと手を振っている。

 見送りに来たのはキャットとごっちんだけ。

 広さに対して住民が少ないのでこれでもほぼ全員集結したようなものだ。
 キャットは見送る気などさらさらなかったが、王が見送りに行くと言ったのでついてきただけである。

 ごっちんは一歩前に出る。

「時に主人殿。いつもどちらへ行かれるのか?」
「今日はロージンという片田舎さ」

 これだけ見れば姉弟の会話にも見えなくない。

 ロージン。
 王都から馬車で数ヵ月の距離にある何もないがのどかで小さな村だったような……。
 人間の土地の地理など、キャットはこの程度しか知らない。いや、「違う世界」の知識がサッと出てくるだけ、彼の優秀さが伺える。

「そんなところに何しに行くんだよ。外来種は館でじっとしとけ」
「外来種って……面白い例えをするな。キャット」

 からから笑う主人。キャットの目は凍るように冷たい。

「主人殿。良ければ同行しても構わぬか?」
「ん?」
「なっ!」

 誰よりも鋭く反応したのはキャットだ。

「ゴルド――ごっちん様! 何を?」

 主人は首を小鳥のように傾げる。

「ごっちん?」
「ああ。主人殿も私のことはそう呼んでくれ。良いあだ名だろう?」
「……了解」

 こいつこんな奴だっけ? という主人の心の声が聞こえる様だ。

「で? ついてくるって、マジなの?」
「ごっちん様。何故こんなイカレと同行なされるのです? 同じ空気を吸っているだけで内部から腐っていきますよ?」

 ごっちんは喚く青年に目をやる。

「なんだ? キャットはついて来ないのか?」
「はっ! 地の果てまでご一緒させていただきます」

 こいつもこんな奴だったっけ? という主人の心の声が(略)。

「では、ついてこい」

 ゴギイィィィっと耳が痛くなる音を立て、天井に届きそうなほど巨大な扉が独りでに開く。
 風が吹き込む扉の先に地面はない。

 主人が崖から身を宙に投げ出すと、どこからともなくブーメランが飛んでくる。
 黄金に輝くそれは三日月のようで、その上に着地した主人はベンチに座るように腰掛けた。

「……そこまで魔女っぽい見た目しているなら、箒に乗れよ」

 ふわふわ浮遊する三日月に腰掛ける主人はにこっと口だけで笑う。

「ところでごっちん。きみは移動手段を持っているのかな? 無いなら後ろに乗せてやるぞ?」

 ゆるやかなUの字になっているとはいえ、子ども二人くらいなら乗れるスペースはある。
 見下ろしてくる主人の提案を一蹴するのはキャットだ。

「結構だ。そんな得体のしれないものにごっちん様をお乗せできるか」

 モノクルを外し、胸ポケットに仕舞う。
 執事風の青年が消え、一匹の猫が現れる。
 月光を弾く黄金の毛並み。その体躯は獅子より遥かに大きく、小屋くらいなら体当たりで粉砕できそうだ。

「……」

 ごっちんは悲しげに瞳を揺らしたが、瞬き一つでそれを消し去る。

『お乗りください。ごっちん様』
「うむ」

 伏せた猫の毛を掴み、外見十歳児はよじよじと背中に登っていく。
 よいせっよいせっ。

「……もうちょっと待ってくれ」
『はっ! 百年でも二百年でも』
「手伝おうか?」
『貴様! ごっちん様に指一本触れるな。許さんぞ!』

 シャーッと威嚇してくる。
 「過保護猫」とぼやきながら主人は月の上で項垂れた。
 よいせっよいせっ。
 カシミアに匹敵する毛に埋もれるように、ごっちんは背に跨る。

「ふう。待たせたな。主人殿」
「きみ、それで落ちないのか?」

 猫の尾がシートベルトのようにごっちんの胴体に巻きつく。

『貴様の心配など、無用だ』
「そうみたいだな。では、出発だ」

 くるりと向きを変えると、三日月は流星の如き速度で夜空を滑りだす。

『しっかりお掴まりください』
「うむ」

 王が頷くと、黄金猫もまた走り出す。崖の上から音もせず着地すると、森の木々の間を風の速度で走り抜け、瞬く間に上空の三日月に追いつく。

『何をしに行くのやら。絶対良からぬ理由に決まっている』

 ブツブツ呟く猫に、ごっちんは「そうだな」とのんきに思案する。
 尻尾ベルトがしっかりしているので、かなり快適だった。






 馬車で二か月の距離を二日で走破した主人と猫。
 降り立った地は――

「なんだこりゃ。廃村か?」

 ごっちんが背から飛び降り、猫から青年の姿に戻ったキャットが顔をしかめる。
 木造の民家は全て壊れ、竜巻でも通り過ぎた後のようだった。広場らしきところにポツンとある井戸は苔むし、ちょろちょろと蜥蜴がヒビの隙間に入り込む。
 だが、住んでいる者はいるようで、村を歩くと視線があちこちから突き刺さる。

「おい。変態。こんなさびれた場所に何の用だ」

 すっかり敬語を忘れたような彼に苦笑する。まあ。魔王の側にいるのだから無理もない。

「退屈ならその辺でゴル――ごっちんとピクニックでもしていたらどうだ? きみのことだ。どうせお茶やお菓子など持ってきているんだろう?」

 質問に答えない三角帽子にイラッとする。

「なんと。お菓子を持ってきているのか?」

 ごっちんのキラキラ輝く瞳に苛立ちがすべて吹き飛ぶ。

「はっ! もちろんでございます。あとでお茶に……こんな辛気臭いところでごっちん様にお茶など出せるか。ええい。せめて更地にしてくれるわ」

 謎の理由で暴れ出そうとするキャットを主人が片手で制する。

「更地にするのは用事が済んでからにしてくれ」
「ぐうう……」

 村の中央まで来たところで建物の影から染み出るように、数人の人影が道を塞ぐように姿を現す。

「ぐっへっへっへっへっ」
「見ねぇ顔だな……」
「お嬢様にお坊ちゃんか。好奇心から足を踏み入れたってところか……? 護衛は執事一人か。舐めてるな。攫ってくれと言っているようなものだぜ」

 すべてが手に錆びた斧や鉈、短刀と言った武器を持っており、いかにもといった風体だった。

(武装した村人、じゃないな。賊か)

 主人は魔女帽子のツバを指で弾く。

「すまないね。きみたちのような者に用はない。そこをどいてもらえるか?」

 一瞬ぽかんとなった野郎どもは、一斉に大笑いし出した。

「可愛い声だねぇ、お嬢ちゃ~ん。危ないところに近寄っちゃ駄目って、ママに教わらなかったんでちゅかぁ~?」
「ぎゃはは。イイじゃねぇか。身ぐるみ剥いで売っぱらっちまおうぜ! ふたりとも上玉だぁ。いい値がつきそうだ」
「売る前にヤらせてくれよ。いいだろ?」
「おいおい! ロリコンだったのかオメェ」

 大声で笑う賊たちに飽きたのか、キャットが音もなく前に出る。

「不快なので殺します。少々お待ちを」
「ふむ。だが相手はただの一般人だ。どう考えてもこちらが過剰戦力。命は許してやれ」

 武装した盗賊相手でも、元魔王からすればこの程度の評価だった。
 主人は「へぇ?」と感心した風な声を出す。

「殺した方が良いと思うがね? 生かしておけば被害者が出る」
「それは貴公が人間だからだ。私たちにとってはどうでもよい」
「……やっべ。何も言い返せねぇ」

 武器を構えた数人が飛び掛かってくる。

「何のんきにくっちゃべってやがる!」
「死ねぇ!」
「殺すなって。売るんだって!」

 キャットは突っ立ったままだった。
 ただ――ほんのわずかに奴らを睨んだだけ。

「あふぅ?」
「はへぇ……」

 糸が切れたように、ぼとぼとっと賊たちは倒れた。膝をついてゆっくりと倒れたのではない。この瞬間に命を刈り取られたかのように。額や顔面を、地面に打ち付ける頃には賊全員が絶命していた。
 冷や汗にまみれたキャットは魔王の足元まで走ると、スゥーっと流れる動作で土下座した。

「死にます」
「いや……よい。お前は手加減した」

 魔王とその臣下。冗談でもなんでもなく、この二人だけで世界を崩壊させられる。
 人間がどれだけ愛しても、蝶を触れば羽を潰してしまうのと同じ。
 キャットが睨んだだけで命の糸は切れた。まさか戦闘態勢に入っただけで死ぬとは、予想できなかった。人間のもろさを舐めていた。

 隣で主人が上機嫌にげらげら笑っている。

「っはぁー。笑かすなよキャット。人間の弱さを甘く見たな? だがよくやったぞ?」
「屈辱ッ……」

 結果、この主人の言うとおりにしてしまったことになる。歯を食いしばるキャットにそれ以上言わず、主人は死体の中を平然と歩いていく。
 迷わず進む主人について行く。

「ここに来たことがあるのか?」
「ああ、まあ。何度かね。村の中には入らなかったけど」

 すると村の奥に一際大きな家があった。恐らく村長の家だろう。だが花壇の花は枯れ落ち、掃除もされていないところを見るに、先ほどの賊がアジトとして使っていたのだろう。

「邪魔するよ」

 躊躇いなく扉を開けると中にまだ数名、賊が残っていた。

「! なんだテメェら」
「おいおい……。ここをどこだと思っていやがる。つーか、表の奴らは何をして」

 目線を上げ、三角の帽子の向こうから外を見る。
 扉の外には、倒れた仲間の姿が。

「テメェら! なにッ」

 まだ何か言いかけていたが、キャットは手刀で首を飛ばした。
 殺しちゃったからこいつらも殺そう、という考えなのだろう。賊とは言え人を殺したというのに、まったくいつもの表情だった。
 賊は悲鳴を上げる間もなく血の海に沈んだ。

「容赦ないところが素敵だよ」
「ケッ」

 ぴちゃ、ぴちゃっと先のとんがった魔女の靴で、赤い水溜まりの上を進んでいく。主人が向かったのは物置のような部屋の前。

「開けるよ」

 声をかけてから小さい手が頑張って引っ張るが、物置の扉は動かない。

「くっ、くっ!」

 ぎしぎし鳴るだけで、扉は開かない。

「何やってんだ」

 主人は何故かかっこつけてやれやれと肩をすくめる。

「見ての通り。俺はか弱く非力だからね」
「では、私が開けよう」
「ごっちん様のお手を煩わせるわけには! ここはお任せを」

 そう、言ってくれると思ったが、

「ぶち破ってはいかんぞ? 中に小さな気配を感じる。そっと開けてやれ」
「はっ!」

 キャットは扉に手をかけ、お子様二名はなんとなく後ろに下がる。
 ガラッ。
 扉は普通に開いた。途中『バキッ』という音がしたような気はする。

「ふぇ……うええ……」

 狭い物置に押し込まれるように、擦り傷まみれの小さな男の子が泣いていた。
 嫌な予感がしたキャットの横を、主人がツカツカと通り抜ける。

「おやおやおや」

 確かに笑っていたと思う主人の顔を見たくなくて。また、王に見せたくなくて、キャットはごっちんの元まで下がる。

「こんにちは。可愛いね。――君はアラージュの衣装が良く似合いそうだ」
「……?」

 よく分からにことを口走る少女に、小さな男の子は困惑した表情だ。

「ひぐっ……、お姉ちゃんも、連れてこられた、の?」

 十二歳の少女を「お姉ちゃん」という。それもそのはず、獣人の子は身体が大きいものだ。そこそこ年齢があるように見えて、子どもだってことも珍しくない。


 ♢主人メモ♢
 獣人とは身体に獣の特徴を宿した者たちのことを指すよ。
 ただ人に獣の耳や尾をくっつけたような外見の方もいれば、獣がそのまま二足歩行したような見た目の方もいるよ。その差は血の濃さとか言われているけど、はっきりとはしてないよ。
 腕力や体力が人間より秀でていて、一対一じゃまず勝てないね。
 でも数は人間の方が圧倒的に多いよ。
 蟲人(ちゅうじん)もいるよ。
 終わるよ。


 まず「怪我は無いか?」や「怖かっただろう。助けに来たよ」と声をかけるべきだろう。キャットでも思うことを言わない主人に、執事は内心ため息をつく。
 小さな男の子は『狐』の獣人だった。
 茶色い髪から突き出す大きな三角の耳。ぼろぼろの衣服に、大きな尻尾。擦り傷に加えて泥だらけ、顔は真っ黒。そうとう酷い扱いをされてきたようだ。
 見た目年齢は人間でいうところ、十五歳くらいだろう。実年齢はもっと下か、一桁と言うこともあり得る。
 主人はうっとりと頬を染め、汚れるのも構わず狐男子の頬を撫でる。

「ああ――実に俺好みだ。さ、一緒に帰ろう」

 狐の男の子はぱちくりと瞬く。目じりに溜まっていた涙が星屑のようにこぼれる。

「か、帰るって――?」
「俺の家さ。おいで」

 くるっと背を向け、家を出ていく。

「……説明と言うものをしない奴だな」

 苦々しいキャットの声にふっと笑うと、ごっちんは男の子の前でしゃがむ。


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