ニケの宿

水無月

文字の大きさ
上 下
97 / 260

第四十話・走馬灯

しおりを挟む
「フロリア様。一番厄介な貴方様の対処を、していないとお思いかな?」

 ニタニタと笑い、草履で全身傷だらけのミナミの横顔を踏みつける。動けばこの者の頭を踏み砕くという脅し。貝殻柄の布がほどけ、彼の水晶突起が露わになっていた。

「くっ」

 人質を取られては動けない。白い手に血が滲むほど拳を強く握り締める。
 ミナミの頭部を見たヒスイが、おやっと興味深そうに眺めた。

「ん? おや、えーっと。なんだったかな……。そうそう! 無貝(むかい)族だったか。通りで愛嬌があるわけだ」

 指示を待っている人形のように、黒猿たちもミナミを押さえつけたまま動かない。
 踏みつけたまましゃがむと、ヒスイはミナミの頭部に手を伸ばす。

「……ん…っ」

 ごつい手が、敏感な部位を無遠慮に掴む。声を上げるまいと唇を噛みしめるミナミに、気を良くしたヒスイは手の動きを速くする。

「んん? ほれほれ。そう我慢せずともよい」
「…………んっ……あ……」

 悩ましげな声を上げ、ミナミの身体がびくりと震える。

「これはいい。このまま皆様の眼前で嬲ってやろう」

 ホクトが背中の包みに手を伸ばす。すぐさまヒスイが意地の悪い挑戦的な目を向けてくるが、彼は構わずそれを掴んだ。

「ホクトさん? ミナミさんが」

 人質にされているというのに。
 まったく構わないと言いたげな表情の彼に、フリーは思わず縋り付いて止める。

「フリーさん。お構いなく」
「構いますよ!」

 愕然としつつ、よろよろとフリーが離れる。このヒト、青真珠村でもそうだったがミナミに容赦なさすぎではなかろうか。

「ヒスイとやら。それを殺すなら殺すがいい。だが、お前の命はそれまでっす」

 強がりを、と嘲笑うヒスイの表情が徐々に青ざめ、ひくひくと口元が引き攣っていく。

「まさか、貴方様は。その黒の羽織は!」

 気づいたのか、ヒスイが目を見開く。黒の羽織は竜の子分の証。それを殺すということは、オキンに喧嘩を売ると同義。間違いなくヒスイはこの世から消える。
 まだ死にたくないらしい。ヒスイは明らかに動揺した。
 今しかない。

「走れ!」

 刀を呼ばずに黒雷だけを落として、自身を強化するフリーの魔九来来(まくらら)。ピシャアと空を裂くような音と共に、特殊な雷がフリーに落ちる。もちろん頭上で陣取っていた鞠虫(まりむし)を、完全に黒焦げにして。
 煙を上げる魔蟲が地面に落ち、灰のように崩れた。

「――なんっ」

 衝撃波から腕で顔を庇うホクトが目を開けた時には、フリーはヒスイの腹を蹴り上げていた。
 電光石火の一撃。

「ぐぼっっっ」

 口から血を吐き木に叩きつけられる。派手に揺らされた木が、ぼとぼととヒスイの身体に木の実を落とす。
 だが、同時にフリーも顔を歪める。

 ――硬いっ。

 全身が筋肉に覆われているヒスイ。分厚いゴムを蹴ったような感触だ。強化をかけていなかったら足が駄目になるところだった。このまま殴っていたら、四肢が使い物にならなくなる。
 ならば、手甲のようなもので覆えばいい。

「落ちよ!」
「……ごほっ。くそっ」

 ヒスイが刀召喚を妨害しようと動くが、一手遅い。
 凄まじい速度で降ってきた刀。その落雷じみた衝撃で持ち主もヒスイも魔獣もバランスを崩し、ミナミに至っては地面をころころと転がされる羽目になった。
 その全てをお構いなしに手足に纏わりつき、手甲と具足に姿を変える。

「この刀……。まあいっか」

 忌々し気に手甲を睨むも、今はヒスイと黒チンパンジーをどうにかするが先決。
 呼雷針(こらいしん)第二形態・雷鎧(らいかい)。
 鎧と言っても、腕と脚しか守ってくれないけれど。
 攻撃範囲は基本形態に劣るが、珍しく使い手を守る構造にもなっている。まあ、残念なことに鬼にはあまり通用しなかったが。

(呼雷針は悪くない。俺自身が、弱すぎるんだ)

 ぎゅううっと拳を握る。
 なんとか上体を起こしたミナミがフリーの謎の力に驚きつつも、立ち上がろうと苦戦している。さっとホクトが近づき、肩を貸すと邪魔にならないよう離れていく。……邪魔? 彼は弱いんだ。一緒に戦うべきだろう。何故俺は、
 ふと疑問が浮かぶも、ミナミがかすれた声を出す。

「なんでしょう……? フリーさんのあれ。まさか魔九……?」
「その前に怪我の状態を報告しろ」

 どさっと血濡れのミナミを墓石の近くに落とすと、ホクトの耳に鉄を殴りつけたような轟音が届いた。

「えっ」

 振り向くと、フリーの拳がヒスイにめり込んでいるところだった。――いや、違う。ヒスイは錫杖で直撃を防いでいる。
 同じ魔研の仲間が拵えた、特殊な金属の錫杖。重いが鉄の何倍もの強度を誇る。容易く曲げられはしない。これがないと、ヒスイは奪った魔九来来の一切を使用できないのだ。ゆえに手放さない。

「ぐ、お、おおおおおっ」

 ヒスイの足が、ごりごりと地面をえぐって後ろへと轍を刻む。呆れたことに、この鍛え上げられた肉体をもってしても、威力を殺しきれない。手甲に包まれているとはいえ、細枝のような拳の一撃が。

(やはり身体強化! フロリア様も、複数のっ……!)

 そこで、ヒスイの身体が後ろへ飛んだ。
 背中に硬い木の感触。それも一瞬のことで、激甚たる痛みと共に破壊音が響き、

『ギュイイッ』

 自身が呼び寄せた魔獣の声を遠くに聞きながら、ヒスイは夏エリア外へとぶっ飛ばされる。

「……ぐっ」

 このままでは木々や地面との入れ代わり立ち代わりの衝撃に、肉体が耐えきれないはずだ。どれほど鍛えようと、ヒスイは鬼に成れないのだ。物言わぬ挽肉になって終いだろう。その顛末を悟ったヒスイは、苦痛と酸欠に喘ぎながらも魔獣に指示を出す。

「わしを守れ!」

 錫杖を中心に、新たに召喚された黒亡手長猿(こくぼうてながざる)たち。凄まじい速度で吹き飛ぶヒスイにしがみつき、彼を守るようにその身体を覆い尽くしていく。数体の黒亡手長猿がヒスイを包み込み、黒い球体と化した直後。木立に激突し、折り飛ばし、それを数回繰り返してから、ヒスイの身体は地面に跳ねた。

「……ッ」

 雪と冷えた腐葉土が巻き上げられ、辺りに降り注ぐ。優しげな顔を苦痛に歪めつつも、ヒスイは身を起こす。彼の盾となった魔獣は挽肉と化し、ヘルメット代わりに頭を守っていた鞠虫は液状化していた。緑色の体液が、血のようにヒスイの頭から顎に流れる。頑丈な魔獣を盾に使っても砕けた足。錫杖で身体を支え、無理矢理歩こうとする。

「は、はは……。変形する刀など、お、面白いでは」

 ないですか。そう続けようとしたヒスイの眼前に、感情のない見開かれた金緑の目が現れる。
 フリーはすでに、拳を振りかぶっていた。

 ――死。

 ヒスイの頭に、幼い頃の映像が流れる。走馬灯だろうか。最後に思い出すのは、組織を裏切り毒蜀杖(どくしょくづえ)を盗み出して逃げた記憶。
 ミナミを押さえていた黒亡手長猿がこちらにかけてくるのが見える。だが、丹狼(たんろう)も同時に駆け出しているのだ。到底間に合わないだろう。すべてがスローになり、飛来する拳をヒスイは他人事のように眺めていた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

傷だらけの僕は空をみる

猫谷 一禾
BL
傷を負った少年は日々をただ淡々と暮らしていく。 生を終えるまで、時を過ぎるのを暗い瞳で過ごす。 諦めた雰囲気の少年に声をかける男は軽い雰囲気の騎士団副団長。 身体と心に傷を負った少年が愛を知り、愛に満たされた幸せを掴むまでの物語。 ハッピーエンドです。 若干の胸くそが出てきます。 ちょっと痛い表現出てくるかもです。

完結・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら、激甘ボイスのイケメン王に味見されました

美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!

孤狼のSubは王に愛され跪く

ゆなな
BL
旧題:あなたのものにはなりたくない Dom/Subユニバース設定のお話です。 氷の美貌を持つ暗殺者であり情報屋でもあるシンだが実は他人に支配されることに悦びを覚える性を持つSubであった。その性衝動を抑えるために特殊な強い抑制剤を服用していたため周囲にはSubであるということをうまく隠せていたが、地下組織『アビス』のボス、レオンはDomの中でもとびきり強い力を持つ男であったためシンはSubであることがばれないよう特に慎重に行動していた。自分を拾い、育ててくれた如月の病気の治療のため金が必要なシンは、いつも高額の仕事を依頼してくるレオンとは縁を切れずにいた。ある日任務に手こずり抑制剤の効き目が切れた状態でレオンに会わなくてはならなくなったシン。以前から美しく気高いシンを狙っていたレオンにSubであるということがバレてしまった。レオンがそれを見逃す筈はなく、シンはベッドに引きずり込まれ圧倒的に支配されながら抱かれる快楽を教え込まれてしまう───

金色竜は空に恋う

兎杜唯人
BL
その都市には言葉を解し、まるで人のような生活をする獣族と、その獣族に守られともに生きる人族がいた。 獣族は大きくわけて四つの種族に分かれて生活していた。 さらにその都市の中心には特別な一族が居た。 人族は人族と、獣族は獣族と、同じ種族同士が番となり子供を産んで生活するのが当たり前のなか、時折2つの種族の間に番ができ子供が生まれた。 半人半獣のその存在は奇跡であり、だが同時に忌み嫌われてもいた。 ある時恋人同士であった虎族と人族がひとりの半人半獣に出会う。 交わるはずのなかった三人が紡ぐ甘く優しい運命の物語。 オメガバースを主軸とした、獣人と人が暮らす世界の出来事であり、『小説家になろう』から転載中『世界は万華鏡でできている』と同じ世界の話。 ★=がっつり行為描写あり

婚約破棄したら隊長(♂)に愛をささやかれました

ヒンメル
BL
フロナディア王国デルヴィーニュ公爵家嫡男ライオネル・デルヴィーニュ。 愛しの恋人(♀)と婚約するため、親に決められた婚約を破棄しようとしたら、荒くれ者の集まる北の砦へ一年間行かされることに……。そこで人生を変える出会いが訪れる。 ***************** 「国王陛下は婚約破棄された令嬢に愛をささやく(https://www.alphapolis.co.jp/novel/221439569/703283996)」の番外編です。ライオネルと北の砦の隊長の後日談ですが、BL色が強くなる予定のため独立させてます。単体でも分かるように書いたつもりですが、本編を読んでいただいた方がわかりやすいと思います。 ※「国王陛下は婚約破棄された令嬢に愛をささやく」の他の番外編よりBL色が強い話になりました(特に第八話)ので、苦手な方は回避してください。 ※完結済にした後も読んでいただいてありがとうございます。  評価やブックマーク登録をして頂けて嬉しいです。 ※小説家になろう様でも公開中です。

【完結】運命さんこんにちは、さようなら

ハリネズミ
BL
Ωである神楽 咲(かぐら さき)は『運命』と出会ったが、知らない間に番になっていたのは別の人物、影山 燐(かげやま りん)だった。 とある誤解から思うように優しくできない燐と、番=家族だと考え、家族が欲しかったことから簡単に受け入れてしまったマイペースな咲とのちぐはぐでピュアなラブストーリー。 ========== 完結しました。ありがとうございました。

悩める文官のひとりごと

きりか
BL
幼い頃から憧れていた騎士団に入りたくても、小柄でひ弱なリュカ・アルマンは、学校を卒業と同時に、文官として騎士団に入団する。方向音痴なリュカは、マルーン副団長の部屋と間違え、イザーク団長の部屋に入り込む。 そこでは、惚れ薬を口にした団長がいて…。 エチシーンが書けなくて、朝チュンとなりました。 ムーンライト様にも掲載しております。 

処理中です...