ニケの宿

水無月

文字の大きさ
上 下
93 / 260

第三十六話・置き手紙

しおりを挟む
 雪が弱まり、気温が高くなっていく。
 安全圏の夏エリア。
 打って変わってあたたかな空気に、フリーは顔をあげた。

「この雪山の一部に夏が居座っている感じ、懐かしいね」
「おっ、フリーさん。起きたっすか」

 ここまで運んでもらった礼を言い、ホクトの背中から下りる。あったかいので笠と半纏はすぐに脱いだ。

「ホクトさん。疲れていませんか? 重かったでしょ?」
「このくらい平気っす」
「そうですか。あの、ニケとミナミさん。なにかありました?」

 白目剥いているミナミを引きずるニケを指差す。

「気にしなくていいっすよ……」

 もう説明するのも馬鹿らしいといった声音で、被っていた笠を外して雪を払う。
 首に巻いていたやわらかな長布も巻きなおし、ミナミの首根っこを掴んで立たせる。

「こら! しっかりしろ」
「身体削れた。ダイエットに成功したかもしれん……」

 目を回しながらよく分からんことを言うミナミに呆れつつ、ニケに続いて宿の方へと歩いていく。
 久しぶりに見る畑は荒れ果てており、雑草の侵略速度と生命力に驚かされる。
 フリーは悲しい面持ちでニケの横に並ぶ。

「畑……草ボーボーだね。作物駄目になっちゃったかな?」
「いや? そうでもないぞ。空芋(そらいも)は普通に無事だった」
「え? そうなの?」

 驚くフリーに頷いてみせる。
 風流風船(ふうせん)の好物。空芋を取りに一度宿へ戻った際に、少し土を掘り返して確認した。風流風船にあげたのは、食糧庫に保管されていた空芋。畑の空芋ともども平然としていたのには驚いたが嬉しかった。

「だが、湯煙花(ゆけむり)の方は、駄目だな……」

 ちらりと赤い目をもう半分の畑へ向ける。湯煙花はすっかりしおれ、謎の草が畑を呑み込むように生い茂っていた。これはちまちま雑草を抜くより、まとめて焼き払った方が早いかもしれない。

「そっか……」

 フリーも世話を頑張っていたため、少なからずショックだった。

「ん?」

 辛くてなるべく直視しないようにしていた宿の残骸に、何か白いものが落ちているのを目の端に捉える。
 駆け寄ると、それは手紙だった。飛んでいかないように上に石が乗せてある。拾い上げると「宿の修復の件で相談がある。今度くすりばこへ行く。レナ」と美しい字で書かれていた。
 フリーが手元を覗き込んでくる。

「なになに? レナさんからの、手紙?」
「そう……らしい。前回来た時はなかったから、ここ数日のものか」

 見れば、その他にも手紙はたくさんあった。雨に濡れない屋根になっている下にまとめてあり、中には子どものおもちゃが置かれている紙片もある。
 すべて拾い上げ、ざっと目を通す。

『ニケちゃん。なにがあったの? 無事なの? あの従業員の人は? 連絡ください』
『私たち、いつでも力になるから。また元気な顔を見せて』
『ご飯食べてるの? 家がなくて困っているなら、私の家に来なさい』
『ニケちゃん。おうまさん。またあそぼうね』

 子どもが書いたような丸っこい文字もある。

「これって……」

 衣兎(ころもうさぎ)族の村人のものだ。この紙全て。ニケの安否を気遣うものばかり。壊れた宿。居ないニケ。荒らされた畑を見て、彼らは何を思っただろう。

「だから……」

 力が入り、手紙がくしゃっとなってしまう。
 なんで優しいの? ぞっとするような習わしを大事にしているくせに。わからない。わからない。
 スミから聞いたのか、ニケが死んだとは思っていないようだ。
 思えば、彼女たちはいつでもニケに優しかった。冷たい目を向けてくるのはいつだって年寄り連中ばかり。だが手紙の中には、そんな年寄りたちの名前もあった。信じられないくらい達筆で、

『私の孫に心配をかけさせないで』
『墓掃除だけはしておいてやるから、早く帰ってきなさい』
『婆さまが風呂に入りたがっているぞ』

 勝手な内容が多かったが、ニケのために筆を執ったのは事実だ。
 感情がぐちゃまぜになり放心していると、ぽんと頭に手のひらが乗せられる。

「心配かけちゃったね。達筆すぎて所々読めないけど、俺のことも書いてある。不謹慎だけど、嬉しい。……馬じゃないって言ってんだろ」

 あったかいフリーの言葉に、じわりと視界が滲む。胸が痛い。自分はこんなに泣き虫だっただろうか。ホクトとミナミは何も言わず、見守ってくれた。
 ごしごしと袖で目元を拭って、やや乱暴に手紙を纏めて折りたたむと、懐へ仕舞う。

「あ、俺の懐に仕舞うんですね」
「なんか文句あんのか?」

 鼻をすすりながら睨んでくるニケに、フリーはふふっと笑う。

「ふんっ。宿の修繕はレナさんに任せるとして、その資金は僕たちが集めないといけない。これからもっと働かないといけなくなるぞ」
「任せて。涼しくなれば今以上に働けるだろうし。借金なんてあっという間さ」

 腕を曲げて力こぶを作って見せるフリーに、ニケは冷笑した。

「はっ。モヤシが」
「ごふっ……」

 地面に倒れたフリーの背中に尻を乗せ、ふうとため息をつく。

「疲れたっすか?」
「休んでる間、俺らは畑の草抜きでもしてましょうか?」

 畑を指差すミナミに首を振る。

「いえ。ちょっと椅子があったから座っただけです。ていうかミナミさん……お兄ちゃん。草抜きする元気はあるんですね?」

 ホクトはミナミの頬にどすっと指を差す。

「こいつ。回復が速いんすよ」
「いてぇぞ、こら」
「さ、出発しましょう」

 喧嘩が始まる前にぴょんと椅子から下りると、墓参り道具一式を持って花壇の裏へ回る。再び森に入り夏エリアと凍光山の境目ぎりぎり、うっすら雪の積もる拓けた場所。
 ぽつんと、お墓が建てられていた。
 石が重ねられただけの簡素なものだが、石は磨かれ、花が添えられ、周囲には雑草一本もない。本当に墓掃除をしてくれていたようだ。
 墓石に近づき、そっと膝をつく。

「ただいま帰りました。お爺様。父さん。母さん」

 拳を作り、胸の前で腕を交差させる。赤犬族特有の冥福の祈り。フリーもニケを真似て、ニケの半歩後ろで膝をつく。
 墓石にはアビゲイル。ニドルレッド。ルビー。ニケの家族の名前だろう。三名の名前が刻まれている。

「……」

 名前じゃなかったらどうしよう、という不安が湧き出たので、黒い三角の耳に唇を近づける。

「ねえ、ニケ」
「ぴゃっ」

 驚かしてしまったようだ。耳を押さえ、ニケは目をぱちくりさせて振り返る。

「なんだお前さん」
「この石に刻まれているのって、名前なのかなって思っぶええ、ごめんふぁふぁい」

 怒った(それほど怒っていない)ニケにびよーんと頬を伸ばされる。
 手を放すと、呆れたようにニケは前髪をかき上げた。名前をひとつずつ指差していく。

「アビゲイルが祖父の名で、ニドルレッドが父。ルビーが母だ」
「な……ぶほ!」

 ナターリアさんのはないんですね、と言いかけた自分の顔を咄嗟にビンタして黙らせる。

「いって~」
「な、なにやってんだ。お前さん……」

 突然の奇行に全員の視線が集まる。フリーは誤魔化すように笑う。

「ちょ、ちょっと、蚊がいたんで。えへへ」
「雪山に?」
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

傷だらけの僕は空をみる

猫谷 一禾
BL
傷を負った少年は日々をただ淡々と暮らしていく。 生を終えるまで、時を過ぎるのを暗い瞳で過ごす。 諦めた雰囲気の少年に声をかける男は軽い雰囲気の騎士団副団長。 身体と心に傷を負った少年が愛を知り、愛に満たされた幸せを掴むまでの物語。 ハッピーエンドです。 若干の胸くそが出てきます。 ちょっと痛い表現出てくるかもです。

完結・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら、激甘ボイスのイケメン王に味見されました

美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!

金色竜は空に恋う

兎杜唯人
BL
その都市には言葉を解し、まるで人のような生活をする獣族と、その獣族に守られともに生きる人族がいた。 獣族は大きくわけて四つの種族に分かれて生活していた。 さらにその都市の中心には特別な一族が居た。 人族は人族と、獣族は獣族と、同じ種族同士が番となり子供を産んで生活するのが当たり前のなか、時折2つの種族の間に番ができ子供が生まれた。 半人半獣のその存在は奇跡であり、だが同時に忌み嫌われてもいた。 ある時恋人同士であった虎族と人族がひとりの半人半獣に出会う。 交わるはずのなかった三人が紡ぐ甘く優しい運命の物語。 オメガバースを主軸とした、獣人と人が暮らす世界の出来事であり、『小説家になろう』から転載中『世界は万華鏡でできている』と同じ世界の話。 ★=がっつり行為描写あり

孤狼のSubは王に愛され跪く

ゆなな
BL
旧題:あなたのものにはなりたくない Dom/Subユニバース設定のお話です。 氷の美貌を持つ暗殺者であり情報屋でもあるシンだが実は他人に支配されることに悦びを覚える性を持つSubであった。その性衝動を抑えるために特殊な強い抑制剤を服用していたため周囲にはSubであるということをうまく隠せていたが、地下組織『アビス』のボス、レオンはDomの中でもとびきり強い力を持つ男であったためシンはSubであることがばれないよう特に慎重に行動していた。自分を拾い、育ててくれた如月の病気の治療のため金が必要なシンは、いつも高額の仕事を依頼してくるレオンとは縁を切れずにいた。ある日任務に手こずり抑制剤の効き目が切れた状態でレオンに会わなくてはならなくなったシン。以前から美しく気高いシンを狙っていたレオンにSubであるということがバレてしまった。レオンがそれを見逃す筈はなく、シンはベッドに引きずり込まれ圧倒的に支配されながら抱かれる快楽を教え込まれてしまう───

婚約破棄したら隊長(♂)に愛をささやかれました

ヒンメル
BL
フロナディア王国デルヴィーニュ公爵家嫡男ライオネル・デルヴィーニュ。 愛しの恋人(♀)と婚約するため、親に決められた婚約を破棄しようとしたら、荒くれ者の集まる北の砦へ一年間行かされることに……。そこで人生を変える出会いが訪れる。 ***************** 「国王陛下は婚約破棄された令嬢に愛をささやく(https://www.alphapolis.co.jp/novel/221439569/703283996)」の番外編です。ライオネルと北の砦の隊長の後日談ですが、BL色が強くなる予定のため独立させてます。単体でも分かるように書いたつもりですが、本編を読んでいただいた方がわかりやすいと思います。 ※「国王陛下は婚約破棄された令嬢に愛をささやく」の他の番外編よりBL色が強い話になりました(特に第八話)ので、苦手な方は回避してください。 ※完結済にした後も読んでいただいてありがとうございます。  評価やブックマーク登録をして頂けて嬉しいです。 ※小説家になろう様でも公開中です。

【完結】運命さんこんにちは、さようなら

ハリネズミ
BL
Ωである神楽 咲(かぐら さき)は『運命』と出会ったが、知らない間に番になっていたのは別の人物、影山 燐(かげやま りん)だった。 とある誤解から思うように優しくできない燐と、番=家族だと考え、家族が欲しかったことから簡単に受け入れてしまったマイペースな咲とのちぐはぐでピュアなラブストーリー。 ========== 完結しました。ありがとうございました。

悩める文官のひとりごと

きりか
BL
幼い頃から憧れていた騎士団に入りたくても、小柄でひ弱なリュカ・アルマンは、学校を卒業と同時に、文官として騎士団に入団する。方向音痴なリュカは、マルーン副団長の部屋と間違え、イザーク団長の部屋に入り込む。 そこでは、惚れ薬を口にした団長がいて…。 エチシーンが書けなくて、朝チュンとなりました。 ムーンライト様にも掲載しております。 

処理中です...