ニケの宿

水無月

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第九話・酷いことをしたような

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「ニケ君。起こしてくれるかな?」
「は、はい!」

 手を掴んで、キミカゲを引き起こす。

「翁。だ、大丈夫ですか……?」

 大丈夫なわけないだろうが、訊ねずにはいられなかった。
 キミカゲは幼子を安心させるように微笑むと、フリーの顔を見下ろす。汗で分かりづらかったが、フリーの頬には涙の跡がある。

 ――泣かせてしまったね……。

 苦しかったのだろう。どうしようもなく辛かったのだろう。
 それを思えば首を絞められたくらい、どうってことないし、どうでもよかった。

「ごめんね。楽にすることも、痛みを誤魔化してあげることもできなくて。ごめんね。ごめんね……」

 声を震わせて謝罪の言葉を繰り返す薬師に、ミナミを除いた全員が――呆れて目を据わらせた。

 ――このヒト、なんで謝っているんだろう……。

 思い返せばキミカゲは最近よく誰かに謝っている。フリーの生霊でも乗り移ったのだろうか。
 キミカゲが患者のために手を尽くしてくれたことは知っている。だからみな感謝しているというのに。というか、そもそも誰も責めていない。
 キミカゲがキミカゲ自身を許せないというのなら、まず自分に謝るべきだろう。フリーに謝ってどうする。
 まあ、翁も歳だからなと思い、ニケはミナミを振り返る。

「あの。ミナミさんの容態は……?」

 その言葉で、ホクトもミナミの様子に気づいたのだろう。足に直撃した桶を拾うと、声を荒げて部屋に入ってくる。垂直に落ちたので、お湯はあまりこぼれていなかった。

「おい、ミナミ! 誰が昼寝の時間つったんだよ」
「ホクトさん」

 ニケがなだめるような声を出す。狭い。全員入ったら、この部屋狭い。ただでさえガタイのいい竜に加え成人男性二名が追加されたのだ。精神的にも窮屈。
 オキンがやかましそうに耳の穴に指を突っ込む。

「鎮まれ。何かあったのか説明してやるから、その白い者の汗を拭いて着替えさせ、違う布団に寝かせてやるがいい」
「……結局全部、あっしがやっている気がするっす」

 肩を落としながらも、てきぱきと動き始めるのだった。



 二日後。
 やっと地獄のような目眩がおさまったらしいフリーが、頭を押さえながらのろのろと起きてきた。速攻でニケがその足にしがみつく。

「俺今、汗だくだよ……?」
「うるさい」

 かすかに嬉しそうな表情を見せるが撫でる体力気力はないようで、倒れないように柱に手を添えている。
 部屋では急須を持ったミナミと湯呑を掴んだキミカゲと羊羹に手を伸ばしていたホクトが、全員動作を止めてフリーに視線を向けている。
 ちょうどおやつの時間。
 ホクト達が持ってきてくれたお土産に舌鼓を打ち、感想の言い合いをしていたのだ。その声が聞こえ、起きてきてしまったのだろうか。そう思うと申し訳なく感じる。
 色々とよれよれだがしっかり二本の足で立っているフリーを見て、キミカゲは安堵の息を吐いた。

「フリー君。もう起きて平気かい?」
「は、はい……」

 頷いながら、その青年ふたりは誰なのだろうと疑問に思う。同じ黒羽織を身につけているし、患者さんではなさそう。
 キミカゲは自分の座布団をフリーに渡し、「全然平気そうじゃないね」と思いながらここに座りなさいと床をぽんぽん叩く。
 そんなキミカゲに、ミナミは自分が使っていた座布団を差し出す。年長者だけが座布団に座っていない居心地の悪い空間は嫌だ。

「ありがとう。良い子だねぇ」

 礼を述べるキミカゲに笑い返しながらホクトが尻を乗せている座布団を、力の限り引っこ抜いた。

「あわぁ?」

 下手なテーブルクロス引きをされたグラスのように、ホクトは正座した姿勢のままこてんと真横に倒れる。
 あきれ顔でキミカゲは耳を塞ぐ。
 カーン。喧嘩開始の音(ゴング)が聞こえた。

「おまあああ! なにしてくれとんじゃ。表出ろゴラアアッ」

 どれだけ頭にきても、0.75倍速。

「うるさい! 年上に気を遣えや。俺の方が年上なんやぞ」
「百回聞いたわ! 丸めて蜜柑の代わりに鏡餅に飾り付けてやろうか」

 鏡餅の上に乗っかっているのは、蜜柑ではなく橙である。

「どういうことなのっ? 下っ端のお前が座布団を真っ先に差し出さないからだろうが」
「それはそうだが、お前の下っ端になった覚えはない!」

 真夏。こもる暑さを逃がすために入り口を全開にしているので、通行人が何事かとちらほら中を覗いてくる。が、言い争いをしているのが黒い羽織だと知ると、「またか」みたいな顔で去って行く。

「あの……。俺何か、キミカゲさんと誰かもうひとりに、何かしませんでした?」

 座布団に座ってしばらくぼうっとしていたフリーが口を開く。子亜楽(こあら)のように腹にしがみついているニケを上の空で撫でつつ、視線はキミカゲ達に向けられていた。
 互いの頬を掴み合いしている青年の動きがぴたりと止まる。

「朧げなんですけど……、なにか、キミカゲさんにとても酷いことをしたような、記憶が、あって……」

 頭を押さえて思い出そうとするも、脳みそが回らない。下手をすると眠ってしまいそうだった。

「いいや? なにも?」

 いつもの笑顔で応え、キミカゲは切り分けた羊羹を一口頬張る。うん。甘さ控えめすぎてまったく甘くない羊羹が美味しい。
 砂糖は高級品だが、ちょっと節約しすぎではなかろうか。これでは痛むのも早い。
 ミナミも素知らぬ顔で、冷ましまくったお茶に口をつける。

「うなされていましたし、悪夢でも見られたのでは?」

 うんうんとホクトが頷く。

「あっしも熱出た時、意味不明な夢をみたことがあるっす。貴方もきっとそれっすよ」
「お前、熱なんて出るんか? 馬鹿が風邪引かないって、デマだったんですー?」
「歯ぁ食いしばれ貝野郎」
「……そう、でしょうか?」

 ふたりの会話は聞こえていないようで、フリーはキミカゲに目を向ける。

「キミカゲさん。その首の包帯は? どうなさったんですか? 眼鏡もちょっと、歪んでいるような……」
「んぐっ」

 おじいちゃんは羊羹を吹き出しかけたが、根性で堪える。

「こ、これは虫に刺されたところを引っ掻いちゃって、げほげほっ。ちょっと血が、えほえほ! ちょっと待っ……ゲホゲホッ」

 羊羹が変なところに入ったらしい。真面目に咽ているおじいちゃんの背を、手を伸ばしたミナミが撫でる。
 ニケはそっと被害者其の二を見た。
 放電に吹っ飛ばされ心配だったが、一分後にけろりと目を覚ました。
 これには驚いた。話を聞くに、彼らの黒い羽織は市場で買える安物とは違い、上物の魔九来来防具だという。ミナミに火傷ひとつなかった。
 これはボスからの贈り物で、自分の下についた者に必ず渡しているのだとか。





 余談。
 X百年前。オキンが魔九来来防具を作ったと、自慢げに見せてくれた時のこと。

『嘘だろう? 古くなって自然に落ちたものとはいえ、竜の鱗が使われているじゃないか。他にも貴重な差材がたくさん……。この羽織一枚で城が建つよ?』

 じいっと見つめられ、自慢するんじゃなかったとオキンは狼狽えたような声を出す。

『そ、それがなんだ?』

 キミカゲははあとため息をつく。

『過保護だねぇ、お前は。あの子(妹)そっくりだよ』
『ぐっ』

 恥辱に顔を赤くするが、母似と言われたことはまんざらでもないようで、怒るべきか喜ぶべきか分からないという顔だった。
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