落ち葉と愛となき声と。

結月 希

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落ち葉と愛となき声と。

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 久しぶりに来た公園で、かさかさと枯葉を踏む音に気を取られて歩いていたら、大好きだった人と再会してしまった。半年前、私が一方的に別れを告げたあの彼が目の前に立っていた。

 しまったと思った時にはもう遅くて見上げるとあの頃より少し痩せてみえる彼の顔があった。彼は驚きと微かな期待が混じった顔をしていた。

「さち……?」
名前を呼ばれた。知らないフリをしようとしたけども、身体が勝手に反応してしまう。逃げれるのに、彼の目を見たら動けなくなった。がさりと葉の音がして前を向き直すと、彼が両手を小さく広げてそこにいた。

「さち……おいで」
自信なさげに彼はそう言った。
 そっちに行ってはいけない。彼と一緒にいてはいけない。そう、わかっているのに。頭の中でガンガンとダメだと警告がなるのに。

 私の足は勝手に動いた。その足は止まらなくて、どんどんの彼の方へ進んでいって、気づいたときにはもう彼が目と鼻の先になってしまった。
 ここまできたら、もうどうしようもない。私は諦めて、彼の身体に頭を預けた。久々の彼の体温は悲しくなるほど優しくて温かかった。

 ふわりと心地よい感触が頭にした。懐かしい感触。それは彼の手だった。

「さち……」
彼の声が弱く震えていた。上を向くと、彼の目には涙がいっぱい溜まって今にも溢れそうになっていた。

 相変わらず泣き虫だなぁ。そんなに泣くことないだろうに。…あぁ、でも、そっか。急にいなくなったから、無理もないのか。

 頭の中で鳴り響いていた警報音はもう諦めてしまって、私は優しくて弱虫な彼の手の優しさの中で懐かしさに浸っていた。


……
 そんな感じでぼやっとしてしまったさっきの自分を恨んでいる。

「ごめんね、昔より家散らかってるけど。」
 早く彼から離れないと、と思ってはいたし、彼が泣き止んだらそうしようと決めていたのに。
 泣き止むのを待っていたら、ぎゅっと抱きしめられて、そのまま成り行きで彼の家に連れてこられてしまった。

 自分に呆れつつも、辺りを見回してみると確かに彼の言った通り、前に私がいた時より物が散乱していた。懐かしいものから見慣れないもの、彼らしくないものと様々だった。

「さちが好きだったぬいぐるみ、まだとってあるんだよ。」
 そう言って彼は棚の上に飾ってあった、くまのぬいぐるみを手に取った。その横には見慣れない写真立てがあった。気になって、彼から差し出されたぬいぐるみを無視してよく見てみると、中には彼と知らない女とのツーショットの写真が入っていた。

「それ気になる?」
 そういって彼はまた私を触ろうとしたから、するりと避けてやった。

「これね、今付き合ってる彼女なんだ。」
 そんなんだろうとは思った。彼はぬいぐるみをソファーに置いて、今度は写真立てを手にもって話し出した。その目は私に向けるものとはまた違う優しい目だった。

「さちがいなくなった後に話聞いてくれてね……。いい子なんだ。」
 話聞いてもらったのがきっかけって随分とありきたりな恋の始まりだ。それも私きっかけとか、そんな感情と共に鼻で笑ってやった。別に彼は私のでもないのに、なぜだかもやもやしてしまう。一緒にいた時は他の人なんか眼中になかったのに。

「あ、でも、さちのことも同じくらい大好きだよ、今でも彼女にもさちの写真見せて自慢してるくらいに。」
 不機嫌そうにソファーに座ると、何か察したのかとんでもないフォローをいれてくる。それは随分と彼女さんに失礼じゃないか?そんな自慢なんかされても彼女さん嬉しくないどころか嫌な気持ちになるでしょ。頭悪いのはもともと知ってたけどまさかここまでおかしいとは……。

「彼女もさちのこと気に入ったみたいでね、会いたいって言ってたよ。」
 正気か?
おかしいやつを好きになる人はやっぱおかしいのか?それとも気に入られるための嘘か?

 呆れと訳の分からなさで一気に疲れて、そばに置いてあった先程のくまのぬいぐるみに顔を埋めた。さらさらと肌触りの良い毛並みと懐かしい匂いに包まれて、しばらくするといくらかはもうどうでもよくなった。彼が何か話している気がするが、それもどうでもよかった。

「さちー?寝ちゃうの?」
 無視されていることに気づいたのか、声が近づいてきた。構われ待ちの子犬みたいな雰囲気を出しているが、あいにく私は久しぶりのぬいぐるみを堪能していて忙しい。さっきの彼女さんの話で嫌な思いもしたし、寝たふりしてやろう。

 何度か名前を呼ばれたけれどそれも無視していると、今度はまた手の感触がした。彼は私を撫でるのが好きらしく、昔から暇さえあれば撫でに来るくらいだった。だからこの程度だったら慣れのおかげで全然無視できるし、むしろ心地の良いくらいだ。寝たふりのまま動かず、されるがままに撫でられていると安心して寝てしまいそうだった。

 意識がウトウトと微睡みだした、その時だった。急に体が重くなって驚いて目が覚めた。首筋に彼の息が当たる。どうやら彼が私に覆いかぶさっているようだ。ぎゅっと密着してくる。あまり体重をかけないようにはしているみたいで苦しくはないが、こうも密着されるとかなりうざい。思わず寝たふりするという決意を無視して、彼の顔を叩いてしまうくらいにはうざかった。

彼は少しびっくりした様子で私から離れたがすぐに顔を綻ばせた。

「怒った?ごめんねぇ。」
 謝りはしているものの、それは口だけのようで顔はにこやかだった。

 彼はいつもそうだった。今までも私が怒って叩いてたり、噛みついたり、蹴ったりしても同じ反応をして一向に改善されなかった。そのうちに私は彼が怒られるのが好きなんだろうと結論付けて諦めていた。

 この特殊性癖野郎め。
私は起き上がって彼を睨みつけた。

「ごめんごめん。もうしないよ。」
 そう言いながら彼は私のすぐ隣に座り直して、また私の頭を撫でた。

「もうしないから、もう少し一緒にいてよ。」
 声のトーンが一気に落ちたのに気付いて彼の顔を見ると、先程のにこやかな顔を一変させた悲しげな顔で、彼は笑ってみせた。

 改めて近くで彼の顔を見るとやはり前より瘦せていて、目の下にはクマが出来ていた。部屋の散らかりようもそうだが、私がいなくなった後の生活が乱れていることがなんとなく察せられる。それもよく考えたら必然のようなものだった。一緒にいた時は私が彼の生活の面倒を見ていたのだから。

 彼は自分の生活をどうでもいいと思ってるかのように雑で、帰ってからご飯も食べずに家でも仕事をしてまともに寝なかったり、かと思えば休みの日には一日中寝たきりだったり、洗濯物を床に散らかしたままだからシワシワのシャツを着たまま出かけて行ったり。そんな彼が見ていられなくて、私が少し世話をしていた。そうしていたら彼の顔色もよくなって安心していたのに。

 私はそんな頼りなく世話のかかる彼の横にピッタリくっついて、大きなため息をついた。
 もうここまで来てしまったら今更ここから離れたところで仕方ない。それならば今だけは彼の傍にいてやろう。いけないことだとはわかっているけれど、彼が私がいないとダメだからいけないのだ。なんて、そんな言い訳が後で通用するわけもないのにそう自分に言い聞かせた。

 そんな私を見て、彼はふわりと微笑んで、また私を撫で始めた。

 彼も私も何も話さず、ただ優しくも懐かしい時間だけが流れていった。私はこの時間が好きだった。きっと彼もそうだったと思う。

 この時間がいつまでも続いたら、なんていう馬鹿な願いを抱きながら心地よさに任せて私は目を瞑った。叶わないとわかっていても、今だけは願っていたかった。



 それから、どのくらいが経ったのか、目を覚ますと彼の手は止まっていて静かな寝息が聞こえていた。

 私は彼を起こさないようにそっとソファーから降りて、窓の外を見る。日はもう随分と傾いていて、ここに長居しすぎたことを告げていた。
 帰ったら、もうこっちには来れなくなるんだろうな。まあ、向こうは向こうで居心地は悪くないんだけど退屈なのがなぁ。私は窓の外の本来いるべき場所を見上げた。

「さち。」
 急に呼ぶ声がして驚いて振り返ると、彼はまだ寝ていた。寝言で私の名前を呼んだみたいだ。眠ったまま彼は薄く口を動かした。

「おいていかないでよ。」
 そう溢した彼の頬には涙が伝った。
本当に君はいつまでも弱虫で情けないなぁ。私は呆れて心の中で笑った。

 そんなこと言われたって急に逝ってしまったのは悪かったけど、連れて行くわけにもいかないだろう?全く、いつまでも引きずって彼女さんに愛想尽かされないかが心配になる。
 ……。心配にはなるけど、もう帰らなきゃ。

 その前に挨拶くらいしてやろうと私は泣き虫な彼のところへ戻って彼の足を叩いた。

「んん……。」
 彼は小さく呻きながら目をうっすら開けた。そしてすぐハッとして私の方を見て、安心したかのように微笑んだ。

 でも安心しているところ悪いのだけど、もうお別れの時間だよ。私は撫でようとしてきた手を避けてまた窓のところへ行って空を見上げた。

 すると彼はその意味を察したのか悲しげな顔をした。

「もう、帰らないといけない?」
 耐えるような声で彼はそう言った。私は何も答えずただ、彼の目をじっと見つめた。悲しそうに揺れてはいるけれど、それ以外は前から変わらない、大好きな優しい目のままだった。

「そっか。」
 彼は諦めたようにわざとらしく明るい声を出した。

「その前に行きたいところがあるんだけどさ、ダメかな?」
 無理して明るくしても言葉の終わりは震えていた。そんなだからダメなんて、とてもじゃないけど言えなかった。



 そして、彼に連れてこられたのは再会の場となってしまったあの公園だった。

 彼は寂しさを耐えるのに必死なのか何も言わず木の生い茂る奥へと歩いて行った。

 私も何も言わず彼の横について歩いた。

 秋の静かな夕暮れにただ落ち葉を踏む音と時折吹く風が無情にも葉を散らす音が聞こえるだけだった。

 そんな物悲しい空気が少しだけ続いたころ、彼は足を止めた。目線の先を見ると木の下のベンチに少し汚れた黒猫が丸まっていた。

「ああいう子見るとなんだか懐かしくなるね。」
 彼はようやく口を開いたかと思うと、また耐え切るのが苦しそうにキュッと唇を噛んだ。

 きっとあの猫と私が似ているから昔を思い出しているのだろう、そう思うとなんだかイラついた。あんな汚らしいのと私を重ねないでいただきたい。

 私は一歩その黒猫の方に進んで、睨みつけると居心地が悪くなったのか、その猫は足早にどこかへ去っていった。

「もしかしてさちの知り合いだった?」
 どこをどう見たらそう見えるんだ。

 彼はさっきの黒猫と比べ物にならないくらい艶々な私の『黒い毛並み』を撫でた。毛色が一緒だからってみんな仲間なわけがないだろうに。そんな抗議の意を示すために私は尻尾を荒々しく揺らした。

 彼は私を撫でたまま静かに口を開いた。

「ねえ、さち覚えてる?」
 彼は懐かしむような寂しがるような声を出して、私に尋ねた。何のことかはすぐわかったが、初めから返事を求めていない彼は話を続ける。

「ここで俺たち出会ったんだよね。」
 うん。覚えてるよ。死んでも忘れられない。

 彼は何か心に決めたかのように、大きく息を一つ吐いた。そして、一言一言を大事に、懐かしむように言葉を紡ぎだした。

「あの時はびっくりしたなあ。歩いてたら、ここにカラスが集まっててなにかと思ったら、衰弱したさちがいてさ。急いで保護して、病院連れて行ったんだよね。」
 そう言いながら彼はベンチに腰掛けた。それに続いて私も隣に飛び乗った。

 ベンチに座って彼の声を聞いていると、その日のことが次から次へと頭の中に浮かんでくる。
 すごく寒くて、痛くて、苦しかったこと。カラスの鳴き声がうるさかったこと。そして、差し出された君の手は何よりも温かかったこと。

「もう手遅れかもしれませんって言われてさ、最期くらい安心できる場所にって家に連れて帰ったのが始まりだったよね。ほんの数日のつもりだったから、こんな何年も一緒に過ごすことになるとは思わなかったけど、元気になってくさちを見るの嬉しかったし……毎日、楽しかったよ。」
 明るかった彼の声は、次第に小さく弱く震えだした。目には涙がどんどんとため込まれていく。
 私はただ隣で彼の話に耳を傾けることしかできなかった。

 私も楽しかったよ。まさかそんなに生きれるとは思わなかったし。けれど、やっぱり運命は変わらなかったね。なんてそんなことを思いながら。

「病院の先生もびっくりするくらい回復してたから、このままずっと生きてて傍にいてくれるもんだと思ってたんだよ。……だからあんな急にお別れなんて」
 とうとう彼は涙で話せなくなってしまった。
 ぼろぼろと大粒の涙が服を濡らしていくのも気に留めず、彼は嗚咽交じりそうなくらいに泣いていた。

 私はそっと彼の膝に乗った。その時に見えた自分の手は少し半透明になっていた。

「もう、時間なんだね。」
 それに彼も気づいたらしく、すすり泣きながら私の頭を撫でた。

「やっぱりずっと一緒にはいれないか。」
 彼は無理に笑ってみせた。

 ざあっと風が吹いて葉がはらはら落ちていく。

 落ちた葉は二度とは木に戻れないように、私はもう彼と一緒にはいられない。それは、彼も私もわかっていたのに、いざこの時が来ると張り裂けそうなほど心が痛くなる。

 でもそれでうだうだしている時間はないんだ。私は彼の顔をじっと見つめる。私を愛してくれた優しい彼に、このままだとまた悲しみの渦に飲まれてしまいそうな彼に、私は何を伝えられるのだろう。

「あの時助けてくれてありがとう」?「たくさんわがまま言ってごめんね」?「ちゃんと休んで無理しないでね」?「いつまでも悲しまないで」?「彼女さんを大事にしなよ?」それとも……。

 ……いや、そんなに難しく考えなくてもいいのか。私のそのままを伝えたらきっと大丈夫。

 最期の別れに覚悟を決めて、けれども名残惜しくて彼の手に擦り寄るとほんのわずか温かさと手ごたえがあったがすり抜けてしまった。

 彼は驚きと悲しみの混じった目でそれを見ていた。かと思うと驚きの感情は消え去って、今度は深い悲しみと寂しさに飲まれてしまいそうな目をした。

 そんなに悲しまなくてもいいのに。相変わらずの彼に私は優しく笑った。

 確かに最期に君の温かさを充分に感じれないのは残念だけどさ、その温かさだけで私は、きっと、君を何十年でも待っていられるから、大丈夫なんだ。君が老いて、私のところへ来るくらいまでなら、充分だから。


――だから、

君はゆっくり来るんだよ。


 本格的に時間がないのを悟った私は彼の顔を見て、それから

「んにゃぁ」

と一声だけ鳴いてみせた。

 枯葉が舞い散る、秋晴れの空に、私の『なき声』が響いた気がした。



 ざあっと風が吹いたかと思うと、もうそこにはさちの姿はなかった。最期に声を残して、行ってしまったようだ。

 俺はしばらく優しいような苦しいような色々な感情に襲われてその場から動けなかった。 

 それからどれくらいかたったころに誰かに名前を呼ばれた。顔を上げるとそこにはさちではなく、恋人の姿があった。彼女は顔を上げた俺が酷く泣いているのを見て驚いたようだった。

「たまたま通りかかって、見かけたから声かけたんだけど…、なにかあったの?」
 彼女はハンカチを差し出しながら、ためらいがちに尋ねた。

「……さちに会えたんだ。」
「さちっていつも見せてくれる猫ちゃん?」
 彼女は思ってもいなかった名前を聞いて、少し目を見開いた。

「うん。信じられないかもしれないけど本当にさっきまでここにいたんだ。」
 自分の口から出た声は自分でも想像以上に弱くて、それなのに明るく聞こえた。

 そんな俺を見て彼女はふっと笑った。

「さちちゃん、何か言ってた?」
「うん。」
 俺はさちが最期に放った、たった一言のさちの思いが全て詰まった言葉を思い出して胸がぎゅっと温かくなった。

「なんて言ってた?」
 彼女の問いにそのまま答えようと口を開いたが、思いとどまってふっと口を閉じた。不思議がる彼女にいたずらっぽく

「…内緒。」
とだけ言ってみせた。 

「えー!」
 彼女は不満げに声を上げたが、それを軽く流しつつ、ようやくベンチから立ち上がった。

「勝手に言うとさちに怒られちゃうから。」
 涙を拭いて笑ってみせると、さぁっと切なくて寂しくて、それでいて清々しい風が頬を撫でて空へと通り抜けていった。
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