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第3章 モナ・リザに拘る私

脱線してはいない。全ては、肝心な訴えに基づく。

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脱線してはいない。

肝心な訴えが、私に常に内在しているから。


現代は、テクノロジーを使用して色々な操作が可能になった。


結果は、自分に都合が良いように導かれる。



例えば、AとBは、同一人物であるという証明は、あらかじめパソコンにて、平均顔を作成し、その平均顔(Bの要素を持つAの顔)からBに近づけていけば良い。


目は2つ

鼻は1つ

口は1つ



基本、このパーツで成り立っているのだから、顔は、いかようにも作り変えられる。




メイク一つでも、かなり変身が可能である。


ましてや、パソコンだと、どんな操作でも可能である。



「Aは、Bである」

はやし浩司氏がよく言われている内容も、テクノロジーによる操作を疑う必要がある。

(個人を攻撃しているのではない。あくまでも、レオナルドの尊厳を守る為に記す。)





テクノロジーが進歩したぶん、当たり前に分かることでも、我々人間は、視覚における、判断力が鈍っている。



そう言う私も、「テクノロジーの恩恵を受けている」という矛盾もある。


私は、【スマホというテクノロジーの賜である道具】


を手に入れたから、パソコンが使えなくても、様々な画像処理が出来るようになった。



しかし、根本は、
視覚に基づく経験から端を発している。



「子供の頃に見たモナ・リザと、ルーブルに今存在するモナ・リザの顔が違って見える」




これを、証明する手立てとして、スマホを利用させて頂いた。



視覚に忠実に、レオナルド絵画を見たら、サルバトール・ムンディは、かなり稚拙な描写力だ。



科学的にレオナルドの痕跡が見られるからといって、
レオナルドの真作として君臨してよい絵ではない。




まだまだ訴えは続く…
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