10 / 22
十
しおりを挟む
二件の貸本の回収が無事に済むと、余助は圓満寺への道を急いだ。
息を切らして寺の敷地内に入ると、蝉の声が一際大きくなった。
右手に芝居の掛小屋が見えた。
それは、堂々として、余助は威圧感に近いものを感じる。
小屋の入口は参道を向いていた。
入り口には畳表が暖簾のように掛けてあって、中は見えない。
小屋の左には、大きな銀杏の木がある。
木を回り込むように、余助は小屋の周りを歩いた。
小屋の奥は、舞台になっていて、出番待ちの役者の控えもあるため、幅が広くなっている。
もちろん、なぜそういう形になっているのかを余助は知らない。
不思議な形をしている、と余助は思った。
ここで、歌舞伎なるものが上演される。
どうすれば、観られるのか。
城下では、芝居の定小屋(じょうごや)を開くことを禁じていた。
風俗を乱す、という理由だった。
しかし、城下には活気も必要である。町の活気は、すなわち、為政者の力そのものだからだ。
時の新庄藩主は、二代目、戸沢正誠(まさのぶ)であった。
この年、城内では、血なまぐさい騒動があった。
正誠が権力を強化するために、家老の片岡理兵衛一族を殺害した、と言う。
これは単なるお家騒動ではなかった。
そこには、正誠の藩政改革への決意が現れていた。
これを皮切りに、正誠は事実、藩の改革を断行した。
検知の実施、税制の改革、銅山開発、寺社建立と、多くの偉業を成し遂げていったのである。
その一つとして、城下町の建設にも力を入れた。
正誠の治世は、六十年の長きに渡った。
藩は安定し、新庄藩は大いに栄えた。藩の最盛期と言われる所以である。
そういう時勢を背景に、高橋藤次郎は城下における興行関係の監視役を任されていた。
当然の成り行きで、旅の興行が来れば、請け元となり、小屋を準備し、役者たちの宿を手配した。
その藤次郎から歌舞伎の話を聞いてからというもの、余助は毎日のように芝居小屋を見に行っていた。
上演が始まれば、外からでも何かを見聴きできると思っていた。
まさか、入場して観劇することなど、考えてもいない余助だったが、そこに芝居小屋が現に在って、中の様子を想像するだけで、胸躍るものがあった。
そんな余助の思いが通じたのか、朗報が舞い込んできた。
芝居の稽古らしき音が聞こるようになって数日後のこと、木戸と余助は在方の百姓家に農機具の仕入れに行った帰りに、藤次郎の家に立ち寄った。
百姓家から、西瓜を貰ったので、届けたのだった。
「こんな大きい西瓜は、食べきれませんので」
「おお、おっきいやづだなあ」
大家は、早速、井戸に西瓜を冷やした。
「夕方、余助坊と来い」
日暮れ時、木戸と余助は大家の家に行った。
藤次郎の妻、文(ふみ)が明るく迎えてくれた。
「余助坊、ご飯食べていげなわあ」
「いつもかたじけない」
そう行って、はっと木戸は口に手を当てた。
武士の言葉が抜け切れず、時々こうやって出る。
藤次郎は、それを見て笑う。
「気にすっこどないちゃ、上がれあがれ」
裏の戸が開け放たれ、指首野川からの川風が抜けてくる。
木戸は、自然に落ち着いた気持ちになった。
余助は、大家の家に来ると、壁に掛けてあるものや、棚に置いてあるものなどに目が行き、そわそわする。
「ほうえば、余助坊、芝居小屋出来だな、見だが」
「うん、見だ」
「大っきがったべ」
「うん」
木戸には、何のことか分からない。
「あ、三郎兵衛どのには話してながったが」
文が大根のお付け(味噌汁)を運んできた。
「圓満寺塔頭のとごろさ、芝居小屋が建った」
「ほう」
「俺が、請け元になっていてな、いろいろ面倒を見ている」
木戸にも漸く話が見えてきた。
「それがな、この一座の主、太夫元が、前は侍でな」
藤次郎は、ここで話を切った。
皆まで言う必要は無かった。
同じ境遇、ということだけで十分。
飯が運ばれてきた。
それとアユ。
焼いたアユに、山椒味噌がたっぷり塗られている。
漬物は茄子の塩漬けだ。
「アユですか」
木戸は舌鼓を打った。
「さあ、食べて」
木戸は手を合わせて、まず、茄子に箸を伸ばす。
「これこれ、これが良い」
余助も木戸に習い、お付けの椀を大事そうに両手で持ち、すすった。
藤次郎は、いきなりアユへ。
文は、皆が食べる様子をしばらく見てから、自分の箸を進める。
「それでな」
ひとしきり食べてから、藤次郎は話を再開した。
「この二十四日に、その芝居の初演なのだが、招待されておる」
請け元としては、当然の成り行きだろう。
「家内と二人で行くつもりなんだが、三郎兵衛殿もどうだ、余助坊と」
余助は、一瞬箸を止め、飯から目を離し、藤次郎を見上げた。
「いやいや、そんなお気遣いは」
「なあに、遠慮するな、余助坊も行きたいだろ」
木戸は、余助を見た。
「なあ、余助坊」
余助も、木戸の顔色を伺っている。
「招待だがら、金の心配はいらねぞ」
「では」
木戸は、箸を置き、頭を下げる。
「そんな、堅苦しくするなあ」
文が吹き出して、藤次郎が笑った。
「おかわりは」
文が余助に尋ねた。
余助は、茶碗を渡す。
「三郎兵衛どのも遠慮すねで、たんと食べろ」
余助は、嬉しくて仕方なかった。
これまで生きてきて、これほどまでに、何かを心待ちにするような事があったろうか。
水無月の暑い盛りだった。
初演までは、その日から十日あったが、余助には、その十日が一月ほどにも感じられた。
そして、やっと、その日は来た。
暗く、囲まれているせいか、外から見るよりも、狭いように感じられた。
藤次郎が小屋について、あれこれ説明をする。
舞台の壁や天井は、大小幾つもの明かり取りが開いていて、それが照明代わりとなる。
それらは、この小屋の舞台装置としては、最も大事なものと言える。
客席は板敷きで、筵が敷いてあり、舞台よりも一段下がっている。
壁の最下が一尺ばかり開いている。
風窓だ。
虫が入らぬよう、蚊帳が張ってある。
立ち見はいなかったが、観客席に隙間はない。
百人くらいは入っているだろう。
余助は、小屋の内部の設え、舞台の構造に興味が尽きない。
これらは、藤次郎と太夫元の田村富久猿(ふくえん)が試行錯誤の上、やっと造り上げたものだ。
この芝居小屋は、掛小屋とは言え、初雪が降る頃まで使われる予定だったから、しっかりしたものにする必要があった。
せっかくだから何でも言ってくれと、藤次郎は富久猿の望みを全て聞き、職人たちが形にしていった。
富久猿は、以前一度、新庄城下を訪れたことがあった。
五年ほど前だったか。
その時一座は、三人だけだった。
それが今では、裏方も入れて、二十六人の大所帯。
諸国でも、一定の人気を博していた。
富久猿が、もともと武士だったこともあり、時代物の芝居を得意とする一座だった。
今回、新庄城下での初めての長期興行だが、どれだけの入りとなるか、未知だった。
演目も客筋に合わせる必要があった。
藤次郎と富久猿との間で検討がなされ、ひとまず一日で、時代物と舞踊の二演目をやることにしていた。
夏の暑さもあるので、午前の部のみ。
開演は、四つ(午前十時ころ)。
初日は、富久猿の口上がある。
待ちきれない客達のざわめきが一入となった。
そこへ、突然、大太鼓。
「ドドン」
拍子木の音が鳴り、明かり取り窓が一斉に開くと、横並びに勢揃いの役者に光が当たる。
拍子木の音が止み、太夫元が顔をあげる。
「これにありまするは、田村富久猿と申しまする。諸国を周り、芸を生業とする者。この度は、新庄藩のご温情を賜りまして、およそ四月に渡る興行の運びとなりました。ここに厚く御礼を申し上げ奉りまする」
裃姿の一同が礼をした。
観客は静まり返る。
「これに並びまするは、当座の役者の面々。合わせまして、ご贔屓のほど、よろしくお願い申し上げ奉りまする」
再びの礼。
拍子木。
小屋内に、唸り声とも、どよめきとも思える音が低く響いた。
再び、舞台が暗転した。
しかしここからは、さほど待たなかった。
まず、最初の書割(かきわり=舞台の背景の絵)が運ばれ、そこに一筋の光が当たった。
海原のようだ。
島影も描かれている。
「親方さま、親方さま、船が取り囲まれてござりまする」
「おのれ、源氏め、陸であらば、向こう三里までも近づかせぬものを」
三味線が静かに鳴り始めた。
それは海風のように、また、追い詰められた武将の心情のように響く。
下手を睨みながら、景清が続ける。
「想えば、大将、清盛の死から始まったのじゃ。その後の嫡子、重盛の死。平勢の足元さえ、盤石であらば、このような顛末にはならなかったものを。無念である、無念である」
そう言いながら、左足を大きく一歩踏み出す。
肩を落とす。
しかし、次の瞬間、再び肩を怒らせて、右足を外から回すように体を観客に向ける。
「おのれ、こうならば、最後は戦い果てるまでのこと」
黒子が面明かり(つらあかり=役者の顔をよく見せるために差し出す、柄の付いた燭台)を差し出し、景清の顔を照らした。
鎧兜からは、太い鬢(びん)が溢れるようにせり出す。
白塗りの上、左右の頬には血潮を表す紅が炎にように描かれ、景清の豪傑さを演出している。
目は大きく見開かれた。
間もなく、黒子が下がり、一気に舞台は明転。
「親方、源氏の兵に乗り移られました」
わあっと。
ここで、舞うような、大立ち回り。
太鼓と、摺鉦(すりがね)が鳴らされる。
時は平安末期。元暦二年。
長門国、赤間関、壇ノ浦。
源平、最後の戦いである。
余助は、身震いした。
開演からすぐに、肝に衝撃が走っていた。
まるで実際に目の前で起こっている事件を、まさに目撃している。
そういう心持ちだったろう。
劇が進むにつれて、それは最早、自分の心ではなくなっていくようであった。
舞台は再び暗転。
書割が変えられた。
音はなく、岩肌がぼんやりと浮かび上がった。
薄汚れた、着流し姿の男が座っている。
牢屋だった。
剃髪され、変わり果てた景清であった。
頬は痩せこけ、血気がない。
実際には、この短時間での化粧直しは不可能である。
富久猿に代わり、別の役者が演じる。
「壇ノ浦で死ぬことも叶わず、囚われの身。そののち、頼朝暗殺の企みも儚く散ったことよ。この屈辱に何とか耐え忍ぼうとも、源氏の栄えることを目の当たりにすることは、最早ここまでにしたい。この目さえなければいいのだ。この目を取ってしまえば。えっ」
景清は、木っ端で両目をえぐり取り、空へ投げつける。
そして、ああ、と叫び、その場に伏せる。
暗転し、しばらく三味線の音だけが静かに鳴った。
三味線が下げて、一人の娘が現れ、舞台上手側を彷徨う。
そのうち、下手の明かり窓が明けられ、庵の一室が浮かび上がる。
そこに景清がぽつねんと座っていた。
この娘は、幼き時に、鎌倉の長者に預けた、景清の娘、人丸(ひとまる)である。
庵に辿り着いた人丸は、訪いを入れる。
「このあたりに、一人、僧が住まわれていると聞き及びまして、探し歩いておりまする。ご承知ありませぬか。私はその娘にござります」
景清は顔をそむけ、また三味線の音曲がひとしきり流れた。
音が止み、景清。
「はて、聞いたこともござりませぬ。よそで聞いてくだされ」
娘は失意のもとにその場を去り、景清は泣き崩れる。
余助には、話の半分も分からなかった。
分からなかったが、完全に劇に入り込んでいる。
その初演以降、余助は、時間さえあれば芝居小屋横の銀杏の根下に座り、目をつむって耳を澄ました。
時々、劇の音が漏れ聞こえてくる。
夏が終わり、銀杏の葉が黄色に色づく、紅葉芳しい秋の夕暮れだった。
「芝居は好きか」
声を掛けたのは、富久猿その人だった。
歳のころは五十前。
背丈は大きくはないが、恰幅が良く、藍の着流しがよく似合っていた。
余助は答えに窮する。
一度しか観たことがないものを、好きだとは言えない。言いがたい。
その時、枯れ葉の匂いに混じって、甘い、なんとも言えない良い匂いがした。
もちろん、それが鬢付け油の匂いとは、余助は知らない。
その匂いで、この人は役者だろう、と直感した余助は、一転肯定してみせた。
「はい」
余助の目が輝いた。
「そうか」
富久猿は、余助に微笑みかける。
「毎日、ただで観られる方法があるぞ」
余助は身を乗り出す。
「下足番をやるのさ。さもなくば」
余助は次の言葉を待った。
「自分が役者になることだ」
富久猿はそう言って笑った。
余助も、それに釣られて笑う。
何でもない、立ち話だった。
しかし、それは、ただの立ち話では無かった。
後から考えてみれば、の話だが。
息を切らして寺の敷地内に入ると、蝉の声が一際大きくなった。
右手に芝居の掛小屋が見えた。
それは、堂々として、余助は威圧感に近いものを感じる。
小屋の入口は参道を向いていた。
入り口には畳表が暖簾のように掛けてあって、中は見えない。
小屋の左には、大きな銀杏の木がある。
木を回り込むように、余助は小屋の周りを歩いた。
小屋の奥は、舞台になっていて、出番待ちの役者の控えもあるため、幅が広くなっている。
もちろん、なぜそういう形になっているのかを余助は知らない。
不思議な形をしている、と余助は思った。
ここで、歌舞伎なるものが上演される。
どうすれば、観られるのか。
城下では、芝居の定小屋(じょうごや)を開くことを禁じていた。
風俗を乱す、という理由だった。
しかし、城下には活気も必要である。町の活気は、すなわち、為政者の力そのものだからだ。
時の新庄藩主は、二代目、戸沢正誠(まさのぶ)であった。
この年、城内では、血なまぐさい騒動があった。
正誠が権力を強化するために、家老の片岡理兵衛一族を殺害した、と言う。
これは単なるお家騒動ではなかった。
そこには、正誠の藩政改革への決意が現れていた。
これを皮切りに、正誠は事実、藩の改革を断行した。
検知の実施、税制の改革、銅山開発、寺社建立と、多くの偉業を成し遂げていったのである。
その一つとして、城下町の建設にも力を入れた。
正誠の治世は、六十年の長きに渡った。
藩は安定し、新庄藩は大いに栄えた。藩の最盛期と言われる所以である。
そういう時勢を背景に、高橋藤次郎は城下における興行関係の監視役を任されていた。
当然の成り行きで、旅の興行が来れば、請け元となり、小屋を準備し、役者たちの宿を手配した。
その藤次郎から歌舞伎の話を聞いてからというもの、余助は毎日のように芝居小屋を見に行っていた。
上演が始まれば、外からでも何かを見聴きできると思っていた。
まさか、入場して観劇することなど、考えてもいない余助だったが、そこに芝居小屋が現に在って、中の様子を想像するだけで、胸躍るものがあった。
そんな余助の思いが通じたのか、朗報が舞い込んできた。
芝居の稽古らしき音が聞こるようになって数日後のこと、木戸と余助は在方の百姓家に農機具の仕入れに行った帰りに、藤次郎の家に立ち寄った。
百姓家から、西瓜を貰ったので、届けたのだった。
「こんな大きい西瓜は、食べきれませんので」
「おお、おっきいやづだなあ」
大家は、早速、井戸に西瓜を冷やした。
「夕方、余助坊と来い」
日暮れ時、木戸と余助は大家の家に行った。
藤次郎の妻、文(ふみ)が明るく迎えてくれた。
「余助坊、ご飯食べていげなわあ」
「いつもかたじけない」
そう行って、はっと木戸は口に手を当てた。
武士の言葉が抜け切れず、時々こうやって出る。
藤次郎は、それを見て笑う。
「気にすっこどないちゃ、上がれあがれ」
裏の戸が開け放たれ、指首野川からの川風が抜けてくる。
木戸は、自然に落ち着いた気持ちになった。
余助は、大家の家に来ると、壁に掛けてあるものや、棚に置いてあるものなどに目が行き、そわそわする。
「ほうえば、余助坊、芝居小屋出来だな、見だが」
「うん、見だ」
「大っきがったべ」
「うん」
木戸には、何のことか分からない。
「あ、三郎兵衛どのには話してながったが」
文が大根のお付け(味噌汁)を運んできた。
「圓満寺塔頭のとごろさ、芝居小屋が建った」
「ほう」
「俺が、請け元になっていてな、いろいろ面倒を見ている」
木戸にも漸く話が見えてきた。
「それがな、この一座の主、太夫元が、前は侍でな」
藤次郎は、ここで話を切った。
皆まで言う必要は無かった。
同じ境遇、ということだけで十分。
飯が運ばれてきた。
それとアユ。
焼いたアユに、山椒味噌がたっぷり塗られている。
漬物は茄子の塩漬けだ。
「アユですか」
木戸は舌鼓を打った。
「さあ、食べて」
木戸は手を合わせて、まず、茄子に箸を伸ばす。
「これこれ、これが良い」
余助も木戸に習い、お付けの椀を大事そうに両手で持ち、すすった。
藤次郎は、いきなりアユへ。
文は、皆が食べる様子をしばらく見てから、自分の箸を進める。
「それでな」
ひとしきり食べてから、藤次郎は話を再開した。
「この二十四日に、その芝居の初演なのだが、招待されておる」
請け元としては、当然の成り行きだろう。
「家内と二人で行くつもりなんだが、三郎兵衛殿もどうだ、余助坊と」
余助は、一瞬箸を止め、飯から目を離し、藤次郎を見上げた。
「いやいや、そんなお気遣いは」
「なあに、遠慮するな、余助坊も行きたいだろ」
木戸は、余助を見た。
「なあ、余助坊」
余助も、木戸の顔色を伺っている。
「招待だがら、金の心配はいらねぞ」
「では」
木戸は、箸を置き、頭を下げる。
「そんな、堅苦しくするなあ」
文が吹き出して、藤次郎が笑った。
「おかわりは」
文が余助に尋ねた。
余助は、茶碗を渡す。
「三郎兵衛どのも遠慮すねで、たんと食べろ」
余助は、嬉しくて仕方なかった。
これまで生きてきて、これほどまでに、何かを心待ちにするような事があったろうか。
水無月の暑い盛りだった。
初演までは、その日から十日あったが、余助には、その十日が一月ほどにも感じられた。
そして、やっと、その日は来た。
暗く、囲まれているせいか、外から見るよりも、狭いように感じられた。
藤次郎が小屋について、あれこれ説明をする。
舞台の壁や天井は、大小幾つもの明かり取りが開いていて、それが照明代わりとなる。
それらは、この小屋の舞台装置としては、最も大事なものと言える。
客席は板敷きで、筵が敷いてあり、舞台よりも一段下がっている。
壁の最下が一尺ばかり開いている。
風窓だ。
虫が入らぬよう、蚊帳が張ってある。
立ち見はいなかったが、観客席に隙間はない。
百人くらいは入っているだろう。
余助は、小屋の内部の設え、舞台の構造に興味が尽きない。
これらは、藤次郎と太夫元の田村富久猿(ふくえん)が試行錯誤の上、やっと造り上げたものだ。
この芝居小屋は、掛小屋とは言え、初雪が降る頃まで使われる予定だったから、しっかりしたものにする必要があった。
せっかくだから何でも言ってくれと、藤次郎は富久猿の望みを全て聞き、職人たちが形にしていった。
富久猿は、以前一度、新庄城下を訪れたことがあった。
五年ほど前だったか。
その時一座は、三人だけだった。
それが今では、裏方も入れて、二十六人の大所帯。
諸国でも、一定の人気を博していた。
富久猿が、もともと武士だったこともあり、時代物の芝居を得意とする一座だった。
今回、新庄城下での初めての長期興行だが、どれだけの入りとなるか、未知だった。
演目も客筋に合わせる必要があった。
藤次郎と富久猿との間で検討がなされ、ひとまず一日で、時代物と舞踊の二演目をやることにしていた。
夏の暑さもあるので、午前の部のみ。
開演は、四つ(午前十時ころ)。
初日は、富久猿の口上がある。
待ちきれない客達のざわめきが一入となった。
そこへ、突然、大太鼓。
「ドドン」
拍子木の音が鳴り、明かり取り窓が一斉に開くと、横並びに勢揃いの役者に光が当たる。
拍子木の音が止み、太夫元が顔をあげる。
「これにありまするは、田村富久猿と申しまする。諸国を周り、芸を生業とする者。この度は、新庄藩のご温情を賜りまして、およそ四月に渡る興行の運びとなりました。ここに厚く御礼を申し上げ奉りまする」
裃姿の一同が礼をした。
観客は静まり返る。
「これに並びまするは、当座の役者の面々。合わせまして、ご贔屓のほど、よろしくお願い申し上げ奉りまする」
再びの礼。
拍子木。
小屋内に、唸り声とも、どよめきとも思える音が低く響いた。
再び、舞台が暗転した。
しかしここからは、さほど待たなかった。
まず、最初の書割(かきわり=舞台の背景の絵)が運ばれ、そこに一筋の光が当たった。
海原のようだ。
島影も描かれている。
「親方さま、親方さま、船が取り囲まれてござりまする」
「おのれ、源氏め、陸であらば、向こう三里までも近づかせぬものを」
三味線が静かに鳴り始めた。
それは海風のように、また、追い詰められた武将の心情のように響く。
下手を睨みながら、景清が続ける。
「想えば、大将、清盛の死から始まったのじゃ。その後の嫡子、重盛の死。平勢の足元さえ、盤石であらば、このような顛末にはならなかったものを。無念である、無念である」
そう言いながら、左足を大きく一歩踏み出す。
肩を落とす。
しかし、次の瞬間、再び肩を怒らせて、右足を外から回すように体を観客に向ける。
「おのれ、こうならば、最後は戦い果てるまでのこと」
黒子が面明かり(つらあかり=役者の顔をよく見せるために差し出す、柄の付いた燭台)を差し出し、景清の顔を照らした。
鎧兜からは、太い鬢(びん)が溢れるようにせり出す。
白塗りの上、左右の頬には血潮を表す紅が炎にように描かれ、景清の豪傑さを演出している。
目は大きく見開かれた。
間もなく、黒子が下がり、一気に舞台は明転。
「親方、源氏の兵に乗り移られました」
わあっと。
ここで、舞うような、大立ち回り。
太鼓と、摺鉦(すりがね)が鳴らされる。
時は平安末期。元暦二年。
長門国、赤間関、壇ノ浦。
源平、最後の戦いである。
余助は、身震いした。
開演からすぐに、肝に衝撃が走っていた。
まるで実際に目の前で起こっている事件を、まさに目撃している。
そういう心持ちだったろう。
劇が進むにつれて、それは最早、自分の心ではなくなっていくようであった。
舞台は再び暗転。
書割が変えられた。
音はなく、岩肌がぼんやりと浮かび上がった。
薄汚れた、着流し姿の男が座っている。
牢屋だった。
剃髪され、変わり果てた景清であった。
頬は痩せこけ、血気がない。
実際には、この短時間での化粧直しは不可能である。
富久猿に代わり、別の役者が演じる。
「壇ノ浦で死ぬことも叶わず、囚われの身。そののち、頼朝暗殺の企みも儚く散ったことよ。この屈辱に何とか耐え忍ぼうとも、源氏の栄えることを目の当たりにすることは、最早ここまでにしたい。この目さえなければいいのだ。この目を取ってしまえば。えっ」
景清は、木っ端で両目をえぐり取り、空へ投げつける。
そして、ああ、と叫び、その場に伏せる。
暗転し、しばらく三味線の音だけが静かに鳴った。
三味線が下げて、一人の娘が現れ、舞台上手側を彷徨う。
そのうち、下手の明かり窓が明けられ、庵の一室が浮かび上がる。
そこに景清がぽつねんと座っていた。
この娘は、幼き時に、鎌倉の長者に預けた、景清の娘、人丸(ひとまる)である。
庵に辿り着いた人丸は、訪いを入れる。
「このあたりに、一人、僧が住まわれていると聞き及びまして、探し歩いておりまする。ご承知ありませぬか。私はその娘にござります」
景清は顔をそむけ、また三味線の音曲がひとしきり流れた。
音が止み、景清。
「はて、聞いたこともござりませぬ。よそで聞いてくだされ」
娘は失意のもとにその場を去り、景清は泣き崩れる。
余助には、話の半分も分からなかった。
分からなかったが、完全に劇に入り込んでいる。
その初演以降、余助は、時間さえあれば芝居小屋横の銀杏の根下に座り、目をつむって耳を澄ました。
時々、劇の音が漏れ聞こえてくる。
夏が終わり、銀杏の葉が黄色に色づく、紅葉芳しい秋の夕暮れだった。
「芝居は好きか」
声を掛けたのは、富久猿その人だった。
歳のころは五十前。
背丈は大きくはないが、恰幅が良く、藍の着流しがよく似合っていた。
余助は答えに窮する。
一度しか観たことがないものを、好きだとは言えない。言いがたい。
その時、枯れ葉の匂いに混じって、甘い、なんとも言えない良い匂いがした。
もちろん、それが鬢付け油の匂いとは、余助は知らない。
その匂いで、この人は役者だろう、と直感した余助は、一転肯定してみせた。
「はい」
余助の目が輝いた。
「そうか」
富久猿は、余助に微笑みかける。
「毎日、ただで観られる方法があるぞ」
余助は身を乗り出す。
「下足番をやるのさ。さもなくば」
余助は次の言葉を待った。
「自分が役者になることだ」
富久猿はそう言って笑った。
余助も、それに釣られて笑う。
何でもない、立ち話だった。
しかし、それは、ただの立ち話では無かった。
後から考えてみれば、の話だが。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲
俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。
今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。
「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」
その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。
当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!?
姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。
共に
第8回歴史時代小説参加しました!
仇討浪人と座頭梅一
克全
歴史・時代
「アルファポリス」「カクヨム」「ノベルバ」に同時投稿しています。
旗本の大道寺長十郎直賢は主君の仇を討つために、役目を辞して犯人につながる情報を集めていた。盗賊桜小僧こと梅一は、目が見えるのに盗みの技の為に盲人といして育てられたが、悪人が許せずに暗殺者との二足の草鞋を履いていた。そんな二人が出会う事で将軍家の陰謀が暴かれることになる。
13歳女子は男友達のためヌードモデルになる
矢木羽研
青春
写真が趣味の男の子への「プレゼント」として、自らを被写体にする女の子の決意。「脱ぐ」までの過程の描写に力を入れました。裸体描写を含むのでR15にしましたが、性的な接触はありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる