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七
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重蔵と長一郎が市川を出立したのは、まだ陽も昇らない丑四つ頃(午前三時頃)だった。
萬治二年(一六五九年)は、弥生(三月)のことだった。
その月末(つきずえ)に近いとは言え、まだまだ寒い季節だった。
幸いなのは、風がほとんど無いこと。
未亡人は、膝が悪いところをわざわざ起きてきて、二人を見送ったのだった。
差し出す両手を、長一郎はしっかりと握った。
長一郎の後の住み込みは、重蔵が手配済みだったが、長一郎は未亡人の行く末を案じた。
「達者で、海老蔵」
いつからか、未亡人は長一郎を、そう呼んでいた。
色白の長一郎は、熱気を帯びてくると、頬が紅を指したように、桃色になった。
それが桜海老の色を思い起こさせたようだった。
「お師匠さんも」
長一郎は言葉に詰まった。
たった二年足らずの縁ではあったが、長一郎には生涯忘れることのない二年になった。
後ろ髪を引かれながらの旅立ちだったが、大川(隅田川)を渡りきった頃には、長一郎の覚悟も決まったようだった。
もっとも、大川に来た時、ある出来事が起こったのだが。
川を見た瞬間に、長一郎がしばらく、一歩も歩くことができなくなった。
大火の記憶が突然、恐怖とともに蘇ったのだった。
呼吸が荒くなり、長一郎は、その場にしゃがみこんでしまった。
発作のようだった。
しばらくたって、呼吸が落ち着いても、長一郎はしゃがんだままだった。
まるで呆けてしまったようである。
「お前、大丈夫けえ」
長一郎は、言葉もなく頷いた。
最早、考えることさえも無駄なように思えていた。
諦めのような、そういう境地だったのだろう。
四半時ほどして、ようやく長一郎は立ち上がって歩き出した。
重蔵の元の店(たな)は、筋違橋(すじかいばし=現在の昌平橋と万世橋の中間にあった橋)の御門外にほど近かったから、今度の店はそこから遠くなかった。
到着したのは、明五つ(午前八時頃)を回った頃だった。
町は既に、朝の活気である。
日本橋は、和泉町(いずみちょう)。
その地に、重蔵は住居を兼ねる新しい店(たな)を構えた。
表二間ほどの小さな店で、小間物(日用品や化粧品や装飾品の類)を商う店だった。
と言っても、小間物屋はほんの慰み程度だった。
重蔵の本業は、塩売りの元締めである。
元締めの株を持っている。
北新堀町には、店とは別に塩売道具などを置く蔵も新築していた。
元締め株を持つことができたのも、重蔵が若年より世話になった市川の旦那が筋道を付けてくれたお陰だった。
行徳の塩田で財を成した市川の旦那は、当然、江戸の塩問屋を商売相手としていた。
当初重蔵は、市川の旦那と問屋の繋ぎ役などをしていた。
そのうち、商売の中身にも自然に関わることになっていったのだ。
性に合っていたのだろう。
重蔵はすぐに、問屋筋より信頼を得ることとなった。
当時、塩の生産と流通は、幕府によって厳密に管理されていた。
そのため、密売は厳罰に処された。
密売をする者が出てくるということは、裏を返せば、塩売株が簡単に持てないということを意味する。
重蔵は、持って生まれた商才もあっただろうが、その前に強運の持ち主だったと言えよう。
普通であれば、天涯孤独な重蔵が江戸に店を持つことなど、到底無理な話だった。
重蔵は、幼くして親に捨てられ、一人の侠客に拾われた。
だから、重蔵も当然、任侠の世を渡っていく運命だった。
しかし、重蔵には商いの才能があった。
その才能を見出したのが、市川の旦那だった。
火事で前の家は無くなってしまったが、蔵の中の物は無事だった。
しかも火事は、重蔵には好機となった。
この大火によって、前の店があった筋違橋近くにあった、長屋の土地が手に入ったのだ。
その長屋の持ち主は、大火で亡くなった。
重蔵は、その持ち主に大金を貸していたのだ。
長屋はその抵当に入っていた。
再建された長屋は、重蔵の物となる。
つまり、大家となるわけだ。
いつの間にやら重蔵が苗字を名乗るようにまでなれたのは、こういう幸運が重なったゆえである。
堀越重蔵。
「今日から、ここに住むんだ」
重蔵は、店の前に立ち、つくづくと眺めながら言った。
一階が店で、二階が住居である。
日本橋本町通りから何本も入った横丁にあった。
同じような店が軒を連ねていて、すべてが開店すれば、並んだ庇が庇通りを成すだろう。
少し離れて立っていても、木の香りが漂ってきた。
長一郎は、複雑な気持ちで店を見つめていた。
また、江戸での暮らしが始まる。
一瞬目眩を感じたのだった。
大火の記憶は、そう簡単に忘れ去られるものではなかった。
「おい、聞こえてるか」
重蔵の声に、長一郎は我に返った。
「あ、はい」
重蔵が、長一郎の肩に手をかけた。
「大丈夫か」
長一郎は再び、店を見上げた。
「心配するな、お前の居場所もある。二階が住まいだ」
重蔵は、歩いて行き、表戸を引いた。
長一郎も後に続いた。
店に入ると、更に、木の新しい香りが鼻を突いた。
「さあ、一服したら、問屋に挨拶回りだ。おめえも一緒にきてくんな」
「はい」
二階は決して広くはなかったが、二間(ふたま)あり、長一郎は通り側の部屋を与えられた。
長一郎の居室の窓からは、道の往来が見下ろせた。
表通りに面していないことは救いだった。
腹をくくった長一郎だったが、不安は残っている。
再会しても、もう親でも子でもない。
長一郎がこの一年の間、自分に言い聞かせてきたことだ。
自分の身寄りは、重蔵、ただ一人だ、と。
重蔵の店の仕入れ先は、ほとんどが日本橋界隈にあった。
長一郎は覚悟を決めて重蔵に付いて行った。
一方、重蔵も長一郎の反応を気にしてはいた。
下調べをして、長一郎の生家は日本橋本町から引っ越していると分かっていた重蔵だった。
先のことは重蔵には分からないが、まあ、しばらくは大丈夫だろう、と踏んでいる。
明暦の大火で、江戸は大規模な都市改造を行った。
外見上、ひと目で分かるのは、通り。
道幅が、防災の観点から大胆に拡張された。
例えば、日本橋通りで十間(約十八・二メートル)。本町通りが七間(約十三・八メートル)。
それだけではない。
通りと通りの間の幅も規定され、要所には、広小路や火除地が設置されたのだ。
再び訪れた日本橋は、長一郎の記憶にある日本橋ではなかった。
全く別の場所。
それが長一郎には幸いだった。
さらに、長一郎が、大火の記憶に留まっていられるほど、時は緩やかには流れなかった。
十一歳、という年齢は、ある意味、物事に染まるためにある歳と言ってもいい。
見ることなす事、すべてが新しかった。
幼少の自分が見ていた景色とは、まるで違った世界が繰り広げられていたのだ。
もちろん、それは、重蔵と行動を共にしたということも大きかったろう。
再び江戸の生活が始まって程なく、重蔵は兼ねてより約束していた芝居見物に、長一郎を連れて行った。
少しずつ興味を持ってくれたらいい、重蔵はそれくらいに思っていたが、予想に反して、長一郎には衝撃だったらしい。
歌舞伎自体に感激したのはもちろんなのだが、それ以前に、芝居小屋の中の世界そのものに吸い込まれていくような感覚だった。
この空間に再び自分の身を置きたい、そういう気持ちだった。
それ以来、重蔵が芝居に行く、というのを長一郎は心待ちにするようになった。
和泉町という地の利もあった。
現在の日本橋人形町三丁目界隈である。
和泉町は通りを挟んで、堺町(さかいちょう)に隣接していた。
堺町、葺屋町(ふきやちょう)は、後に「江戸四座」と呼ばれる芝居小屋のうちの二座、中村座と市村座があるだけでなく、人形劇の結城座、古浄瑠璃の薩摩座、小芝居の玉川座などの、中小の芝居小屋が軒を連ねていたため、それらの観客をあてにした茶屋や、芝居に関係する者たちの住居が多く、いわゆる江戸の一大芝居町を形成していた。
芝居小屋に行かずとも、店の近所を歩くだけで、長一郎の心は踊った。
そんな少年が、芝居にのめり込まない訳がなかった。
その長一郎を横で見ながら、重蔵は密かに旧知の者を介して、入座の筋道を整えていったのである。
始めるなら早いに越したことはない。
重蔵が相談した相手は、そのように後押しした。
江戸へ来て、一年。
萬治三年(一六六〇年)、卯月(四月)、数え十二歳で、長一郎は市村座にて初舞台を踏んだ。
芸名は、堀越海老蔵だった。
萬治二年(一六五九年)は、弥生(三月)のことだった。
その月末(つきずえ)に近いとは言え、まだまだ寒い季節だった。
幸いなのは、風がほとんど無いこと。
未亡人は、膝が悪いところをわざわざ起きてきて、二人を見送ったのだった。
差し出す両手を、長一郎はしっかりと握った。
長一郎の後の住み込みは、重蔵が手配済みだったが、長一郎は未亡人の行く末を案じた。
「達者で、海老蔵」
いつからか、未亡人は長一郎を、そう呼んでいた。
色白の長一郎は、熱気を帯びてくると、頬が紅を指したように、桃色になった。
それが桜海老の色を思い起こさせたようだった。
「お師匠さんも」
長一郎は言葉に詰まった。
たった二年足らずの縁ではあったが、長一郎には生涯忘れることのない二年になった。
後ろ髪を引かれながらの旅立ちだったが、大川(隅田川)を渡りきった頃には、長一郎の覚悟も決まったようだった。
もっとも、大川に来た時、ある出来事が起こったのだが。
川を見た瞬間に、長一郎がしばらく、一歩も歩くことができなくなった。
大火の記憶が突然、恐怖とともに蘇ったのだった。
呼吸が荒くなり、長一郎は、その場にしゃがみこんでしまった。
発作のようだった。
しばらくたって、呼吸が落ち着いても、長一郎はしゃがんだままだった。
まるで呆けてしまったようである。
「お前、大丈夫けえ」
長一郎は、言葉もなく頷いた。
最早、考えることさえも無駄なように思えていた。
諦めのような、そういう境地だったのだろう。
四半時ほどして、ようやく長一郎は立ち上がって歩き出した。
重蔵の元の店(たな)は、筋違橋(すじかいばし=現在の昌平橋と万世橋の中間にあった橋)の御門外にほど近かったから、今度の店はそこから遠くなかった。
到着したのは、明五つ(午前八時頃)を回った頃だった。
町は既に、朝の活気である。
日本橋は、和泉町(いずみちょう)。
その地に、重蔵は住居を兼ねる新しい店(たな)を構えた。
表二間ほどの小さな店で、小間物(日用品や化粧品や装飾品の類)を商う店だった。
と言っても、小間物屋はほんの慰み程度だった。
重蔵の本業は、塩売りの元締めである。
元締めの株を持っている。
北新堀町には、店とは別に塩売道具などを置く蔵も新築していた。
元締め株を持つことができたのも、重蔵が若年より世話になった市川の旦那が筋道を付けてくれたお陰だった。
行徳の塩田で財を成した市川の旦那は、当然、江戸の塩問屋を商売相手としていた。
当初重蔵は、市川の旦那と問屋の繋ぎ役などをしていた。
そのうち、商売の中身にも自然に関わることになっていったのだ。
性に合っていたのだろう。
重蔵はすぐに、問屋筋より信頼を得ることとなった。
当時、塩の生産と流通は、幕府によって厳密に管理されていた。
そのため、密売は厳罰に処された。
密売をする者が出てくるということは、裏を返せば、塩売株が簡単に持てないということを意味する。
重蔵は、持って生まれた商才もあっただろうが、その前に強運の持ち主だったと言えよう。
普通であれば、天涯孤独な重蔵が江戸に店を持つことなど、到底無理な話だった。
重蔵は、幼くして親に捨てられ、一人の侠客に拾われた。
だから、重蔵も当然、任侠の世を渡っていく運命だった。
しかし、重蔵には商いの才能があった。
その才能を見出したのが、市川の旦那だった。
火事で前の家は無くなってしまったが、蔵の中の物は無事だった。
しかも火事は、重蔵には好機となった。
この大火によって、前の店があった筋違橋近くにあった、長屋の土地が手に入ったのだ。
その長屋の持ち主は、大火で亡くなった。
重蔵は、その持ち主に大金を貸していたのだ。
長屋はその抵当に入っていた。
再建された長屋は、重蔵の物となる。
つまり、大家となるわけだ。
いつの間にやら重蔵が苗字を名乗るようにまでなれたのは、こういう幸運が重なったゆえである。
堀越重蔵。
「今日から、ここに住むんだ」
重蔵は、店の前に立ち、つくづくと眺めながら言った。
一階が店で、二階が住居である。
日本橋本町通りから何本も入った横丁にあった。
同じような店が軒を連ねていて、すべてが開店すれば、並んだ庇が庇通りを成すだろう。
少し離れて立っていても、木の香りが漂ってきた。
長一郎は、複雑な気持ちで店を見つめていた。
また、江戸での暮らしが始まる。
一瞬目眩を感じたのだった。
大火の記憶は、そう簡単に忘れ去られるものではなかった。
「おい、聞こえてるか」
重蔵の声に、長一郎は我に返った。
「あ、はい」
重蔵が、長一郎の肩に手をかけた。
「大丈夫か」
長一郎は再び、店を見上げた。
「心配するな、お前の居場所もある。二階が住まいだ」
重蔵は、歩いて行き、表戸を引いた。
長一郎も後に続いた。
店に入ると、更に、木の新しい香りが鼻を突いた。
「さあ、一服したら、問屋に挨拶回りだ。おめえも一緒にきてくんな」
「はい」
二階は決して広くはなかったが、二間(ふたま)あり、長一郎は通り側の部屋を与えられた。
長一郎の居室の窓からは、道の往来が見下ろせた。
表通りに面していないことは救いだった。
腹をくくった長一郎だったが、不安は残っている。
再会しても、もう親でも子でもない。
長一郎がこの一年の間、自分に言い聞かせてきたことだ。
自分の身寄りは、重蔵、ただ一人だ、と。
重蔵の店の仕入れ先は、ほとんどが日本橋界隈にあった。
長一郎は覚悟を決めて重蔵に付いて行った。
一方、重蔵も長一郎の反応を気にしてはいた。
下調べをして、長一郎の生家は日本橋本町から引っ越していると分かっていた重蔵だった。
先のことは重蔵には分からないが、まあ、しばらくは大丈夫だろう、と踏んでいる。
明暦の大火で、江戸は大規模な都市改造を行った。
外見上、ひと目で分かるのは、通り。
道幅が、防災の観点から大胆に拡張された。
例えば、日本橋通りで十間(約十八・二メートル)。本町通りが七間(約十三・八メートル)。
それだけではない。
通りと通りの間の幅も規定され、要所には、広小路や火除地が設置されたのだ。
再び訪れた日本橋は、長一郎の記憶にある日本橋ではなかった。
全く別の場所。
それが長一郎には幸いだった。
さらに、長一郎が、大火の記憶に留まっていられるほど、時は緩やかには流れなかった。
十一歳、という年齢は、ある意味、物事に染まるためにある歳と言ってもいい。
見ることなす事、すべてが新しかった。
幼少の自分が見ていた景色とは、まるで違った世界が繰り広げられていたのだ。
もちろん、それは、重蔵と行動を共にしたということも大きかったろう。
再び江戸の生活が始まって程なく、重蔵は兼ねてより約束していた芝居見物に、長一郎を連れて行った。
少しずつ興味を持ってくれたらいい、重蔵はそれくらいに思っていたが、予想に反して、長一郎には衝撃だったらしい。
歌舞伎自体に感激したのはもちろんなのだが、それ以前に、芝居小屋の中の世界そのものに吸い込まれていくような感覚だった。
この空間に再び自分の身を置きたい、そういう気持ちだった。
それ以来、重蔵が芝居に行く、というのを長一郎は心待ちにするようになった。
和泉町という地の利もあった。
現在の日本橋人形町三丁目界隈である。
和泉町は通りを挟んで、堺町(さかいちょう)に隣接していた。
堺町、葺屋町(ふきやちょう)は、後に「江戸四座」と呼ばれる芝居小屋のうちの二座、中村座と市村座があるだけでなく、人形劇の結城座、古浄瑠璃の薩摩座、小芝居の玉川座などの、中小の芝居小屋が軒を連ねていたため、それらの観客をあてにした茶屋や、芝居に関係する者たちの住居が多く、いわゆる江戸の一大芝居町を形成していた。
芝居小屋に行かずとも、店の近所を歩くだけで、長一郎の心は踊った。
そんな少年が、芝居にのめり込まない訳がなかった。
その長一郎を横で見ながら、重蔵は密かに旧知の者を介して、入座の筋道を整えていったのである。
始めるなら早いに越したことはない。
重蔵が相談した相手は、そのように後押しした。
江戸へ来て、一年。
萬治三年(一六六〇年)、卯月(四月)、数え十二歳で、長一郎は市村座にて初舞台を踏んだ。
芸名は、堀越海老蔵だった。
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