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五
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蝉しぐれが降り注ぐ昼下がりだった。
「先生、肌ジュバンは洗っておきました」
「はい、ありがとう」
まるで、孫娘のように朝から良く働く。
朝の踊りの稽古が終われば、洗濯、掃除、そして飯炊き。
何を隠そう、これはあの大火で焼け出され、菰の重蔵に拾われた長一郎だった。
重蔵は、あの大火で、女子一人を含む四人の子供を拾った。
他の三人がどうなったか、長一郎は知らない。
あれから一年が経った。
重蔵に拾われて、重蔵と一緒に暮らすものと思い込んでいた長一郎だったが、すぐに一人暮らしの老女のところに預けられた。
年の頃は六十ばかり。未亡人だった。
二十くらい歳上の夫は、五年ほど前に他界した。
製塩業で財を成した男だった。
羽振りがよく、若く貧しかった重蔵は大変世話になった。
義理堅い重蔵は、旦那の用であらゆることをした。
それこそ簡単な買い物から、女の世話、商売に関する裏の交渉まで。
その報酬は、十分以上だった。
重蔵は、今の自分があるのは旦那のお陰だ、と感謝を忘れていない。
だから、旦那亡き後、残された妻が不自由がないように目を配っていた。
市川を離れてからも、金を払い下男を雇い、身の回りの世話をさせた。
子の無い未亡人は、独り身には大き過ぎる屋敷で、踊りやお茶などを教えて暮らしていた。
膝を悪くしていて、歩くのはさほど問題ないが、座ったり立ったりが難儀だった。
女手が必要だった。
重蔵は、長一郎にその代わりをさせようと思ったのだ。
「給金はいりません、その代わり、踊りなどの手ほどきをしてもらいたいんで」
つまり、それが、重蔵が出した条件だった。
未亡人は、喜んで引き受けてくれた。
身の回りの一切をやることの報酬が、住まい、飯、稽古ということだ。
長一郎は、その暮らしにすぐに慣れた。
生家の商いよりも、よっぽど性に合っていたようだ。
家事をすることも、踊りも。
最初は、両親のことを恨んでふさぎがちな長一郎だったが、穏やかな老女との暮らしの中で、心は自然に洗われ、開かれていった。
もちろん、長一郎は、この先に自分にどんな運命が待っているのかなど、考えもしなかった。
重蔵は、そんな長一郎の様子を、一月に二回ほど見に来る。
自分の目に狂いは無かった、と思った。
無かったのだが、もっと早ければ、であった。
重蔵は、長一郎をいずれ衆道の道に入れようと考えていたのだ。
そういうものは、幼い時に仕込むほうがいい。
長一郎は、細面の長身で、色白。
これは美少年の部類に入る、と重蔵はひと目見た時から思っていた。
長年、男娼の手配でも稼いできた重蔵の目であった。
筋が悪くなければ、表向きは役者にすればいい。
万が一、将来、役者として大成したら、それはそれで重蔵に不利益はない。
明暦の大火の五年前、承応元年(一六五二年)には、若衆歌舞伎の禁令が公布されていた。
刃傷沙汰も起きていたことが背景にあった。
歌舞伎の草創期を形作った、二つの歌舞伎形態は同じ末路となったわけである(もう一つは歌舞伎の起こりと関係する女歌舞伎)。
一方で、男色は、江戸時代に花開いた、と言われる。
儒教思想の役人たちは、それを毛嫌いした。
しかし、民衆の中の男色の需要は無くなるどころか、あの手この手で生き残っていく。
男娼相場も、明暦、萬治の頃から上がっていく。
客層は、萬治、寛文あたりまでは、武士や僧侶であったが、延宝、天和、元禄と下るにつれて、町人へと広がっていった、と云う。
その男色と、歌舞伎は、切っても切れない関係であった。
若衆歌舞伎が駄目なら野郎歌舞伎だ、と形を変えて行ったに過ぎない。
そういう社会背景をして、重蔵のような手配師は珍しくなかった、と言えよう。
未亡人の世話役は、一石二鳥であった。
長一郎の修行にもなるからだ。
未亡人は、富豪の妻の道楽で、茶道、華道、琴、三味線、長唄、清元、と、一通りのことはそれなりの腕前だった。
若衆が駄目なら、女形という手もあろう。
まあ、いずれ役者は表向きのこと。
いろいろ考えをめぐらしてはいたが、重蔵は心配していなかった。
最悪でも、男娼としては稼げる。それだけは確信できたからだ。
そんなこととは知らずに、長一郎は重蔵を命の恩人だと思い、未亡人を「お師匠さん」「先生」と慕っている。
実際、重蔵は長一郎にとって命の恩人だろう。
後に舞台に上がって、客と取るようになっても、長一郎のその気持は変わることはなかった。
「筋は悪く無いですよ」
未亡人は、重蔵にそう言った。
長一郎を預けて、二月過ぎた頃だった。
その言葉があって、重蔵は、いよいよ長一郎の役者への道筋をつけ始めた。
その日、重蔵は暑さも少し和らいだ七つ頃に現れた。
長一郎は、井戸水で冷やした甘酒と、自分が作った大根の味噌漬けを運んできた。
前回の訪いから、二十日ほども経っていたから、長一郎は嬉しさを隠さなかった。
「お前もすっかり、慣れたようだな」
そう言うと、重蔵は、よく冷えた甘酒を一口飲んだ。
長一郎は、微笑むと頭を下げた。
「さっき、女将さんには話しておいたが、近々江戸に行く」
「はあ」
ついにこの日が来たか。
とぼけたような素振りを見せた長一郎だが、内心では、はっとした。
「お前も行くんだ」
重蔵は、長一郎に目を据えていった。
長一郎の脳裏に、忘れていた重蔵との約束が蘇った。
「落ち着いたら、お前の家を探してやる」
それは、重蔵の本心ではなかったが、長一郎が重蔵を信用するには十分過ぎる言葉だった。
しかし、自分は親に捨てられたのだ、というのが長一郎のただ一つの思いだったから、重蔵が約束をすっかり忘れていることを願っていた。
実際は、重蔵がそれを忘れるはずもなく、大火の後、しばらくして江戸に足を運んだ際、密かに探った。
生家へ返すつもりは無くとも、知っておく必要はあった。
その結果、長一郎の生家である油問屋「田島屋」は、日本橋本町通りから新川端に場所を替えて再建したことを突き止めた。
日本橋を離れたことは、重蔵には好都合である。
それでも同じ江戸市中。
いずれ、それは長一郎に分かることかもしれない。
それでもすすんで教えてやることはない、そう重蔵は思っていた。
「おめえも家のことが気にかかるだろ」
重蔵は、試しに聞いてみた。
長一郎は、すぐには返答できない。
顔を曇らせて、うつむいてしまった。
親兄弟への未練は完全に断ち切れたわけではない。
会いたいが、会いたくない。
真実は知りたくない。
そういう複雑な思いが、長一郎を本能的に黙らせた。
大火で負った心の傷は、長一郎には大き過ぎたのだった。
できれば思い出したくない。
このまま知らずに、ここで暮らしていたい。
それが長一郎の素直な気持ちだった。
「まあ、それはそうと、芝居でも観に行こうじゃないか」
こちらの方が本題である。
「芝居、ですか」
「そう、歌舞伎、好きじゃねえか」
今回の江戸行きは、重蔵の新居の下見が本目的だった。
大火から一年が過ぎ、そろそろほとぼりも冷めた頃だと、重蔵は判じていた。
家ができれば、長一郎もそこに住むことになる。
「歌舞伎ですか」
「そう、観たことあるだろ」
長一郎は実際、歌舞伎を一度も観たことが無かった。
役者絵を何度か見たことがあるくらい。
「いえ、一度も観たことがありません」
「そうか、楽しみにしときな」
重蔵は、そう言うと、残りの甘酒を飲み干して帰っていった。
長一郎は、そのまま縁側に座り、しばらく庭を眺めていた。
陽も傾きかけ、蜩が涼しげに鳴きはじめていたが、長一郎の耳には入らなかった。
歌舞伎を観るということは、日本橋界隈に行くということだろう。
まさに、長一郎の生家があった場所だ。
本当に、生き別れた父母兄妹に会うかも知れなかった。
そうなったら、自分はどうすればいいのだろう。
会いたくない。
会わなければ、真実を知らずに済む。
念じるしか無かった。
その日から、長一郎は念じ続けた。
と同時に、自分に言い聞かせた。
自分は捨てられたのだ、捨てた親に会っても仕方ない、と。
幸いなことに、長一郎の強い念が通じたのだろう。
その後の長一郎の人生において、親兄弟との再会らしきものと言えば、たった一度きりだった。
舞台の上からだった。
十六の春だった。
面影がしっかり残っていた。
運命を分けた、弟だった。
弟は、すっかり手代の形をしていた。
「先生、肌ジュバンは洗っておきました」
「はい、ありがとう」
まるで、孫娘のように朝から良く働く。
朝の踊りの稽古が終われば、洗濯、掃除、そして飯炊き。
何を隠そう、これはあの大火で焼け出され、菰の重蔵に拾われた長一郎だった。
重蔵は、あの大火で、女子一人を含む四人の子供を拾った。
他の三人がどうなったか、長一郎は知らない。
あれから一年が経った。
重蔵に拾われて、重蔵と一緒に暮らすものと思い込んでいた長一郎だったが、すぐに一人暮らしの老女のところに預けられた。
年の頃は六十ばかり。未亡人だった。
二十くらい歳上の夫は、五年ほど前に他界した。
製塩業で財を成した男だった。
羽振りがよく、若く貧しかった重蔵は大変世話になった。
義理堅い重蔵は、旦那の用であらゆることをした。
それこそ簡単な買い物から、女の世話、商売に関する裏の交渉まで。
その報酬は、十分以上だった。
重蔵は、今の自分があるのは旦那のお陰だ、と感謝を忘れていない。
だから、旦那亡き後、残された妻が不自由がないように目を配っていた。
市川を離れてからも、金を払い下男を雇い、身の回りの世話をさせた。
子の無い未亡人は、独り身には大き過ぎる屋敷で、踊りやお茶などを教えて暮らしていた。
膝を悪くしていて、歩くのはさほど問題ないが、座ったり立ったりが難儀だった。
女手が必要だった。
重蔵は、長一郎にその代わりをさせようと思ったのだ。
「給金はいりません、その代わり、踊りなどの手ほどきをしてもらいたいんで」
つまり、それが、重蔵が出した条件だった。
未亡人は、喜んで引き受けてくれた。
身の回りの一切をやることの報酬が、住まい、飯、稽古ということだ。
長一郎は、その暮らしにすぐに慣れた。
生家の商いよりも、よっぽど性に合っていたようだ。
家事をすることも、踊りも。
最初は、両親のことを恨んでふさぎがちな長一郎だったが、穏やかな老女との暮らしの中で、心は自然に洗われ、開かれていった。
もちろん、長一郎は、この先に自分にどんな運命が待っているのかなど、考えもしなかった。
重蔵は、そんな長一郎の様子を、一月に二回ほど見に来る。
自分の目に狂いは無かった、と思った。
無かったのだが、もっと早ければ、であった。
重蔵は、長一郎をいずれ衆道の道に入れようと考えていたのだ。
そういうものは、幼い時に仕込むほうがいい。
長一郎は、細面の長身で、色白。
これは美少年の部類に入る、と重蔵はひと目見た時から思っていた。
長年、男娼の手配でも稼いできた重蔵の目であった。
筋が悪くなければ、表向きは役者にすればいい。
万が一、将来、役者として大成したら、それはそれで重蔵に不利益はない。
明暦の大火の五年前、承応元年(一六五二年)には、若衆歌舞伎の禁令が公布されていた。
刃傷沙汰も起きていたことが背景にあった。
歌舞伎の草創期を形作った、二つの歌舞伎形態は同じ末路となったわけである(もう一つは歌舞伎の起こりと関係する女歌舞伎)。
一方で、男色は、江戸時代に花開いた、と言われる。
儒教思想の役人たちは、それを毛嫌いした。
しかし、民衆の中の男色の需要は無くなるどころか、あの手この手で生き残っていく。
男娼相場も、明暦、萬治の頃から上がっていく。
客層は、萬治、寛文あたりまでは、武士や僧侶であったが、延宝、天和、元禄と下るにつれて、町人へと広がっていった、と云う。
その男色と、歌舞伎は、切っても切れない関係であった。
若衆歌舞伎が駄目なら野郎歌舞伎だ、と形を変えて行ったに過ぎない。
そういう社会背景をして、重蔵のような手配師は珍しくなかった、と言えよう。
未亡人の世話役は、一石二鳥であった。
長一郎の修行にもなるからだ。
未亡人は、富豪の妻の道楽で、茶道、華道、琴、三味線、長唄、清元、と、一通りのことはそれなりの腕前だった。
若衆が駄目なら、女形という手もあろう。
まあ、いずれ役者は表向きのこと。
いろいろ考えをめぐらしてはいたが、重蔵は心配していなかった。
最悪でも、男娼としては稼げる。それだけは確信できたからだ。
そんなこととは知らずに、長一郎は重蔵を命の恩人だと思い、未亡人を「お師匠さん」「先生」と慕っている。
実際、重蔵は長一郎にとって命の恩人だろう。
後に舞台に上がって、客と取るようになっても、長一郎のその気持は変わることはなかった。
「筋は悪く無いですよ」
未亡人は、重蔵にそう言った。
長一郎を預けて、二月過ぎた頃だった。
その言葉があって、重蔵は、いよいよ長一郎の役者への道筋をつけ始めた。
その日、重蔵は暑さも少し和らいだ七つ頃に現れた。
長一郎は、井戸水で冷やした甘酒と、自分が作った大根の味噌漬けを運んできた。
前回の訪いから、二十日ほども経っていたから、長一郎は嬉しさを隠さなかった。
「お前もすっかり、慣れたようだな」
そう言うと、重蔵は、よく冷えた甘酒を一口飲んだ。
長一郎は、微笑むと頭を下げた。
「さっき、女将さんには話しておいたが、近々江戸に行く」
「はあ」
ついにこの日が来たか。
とぼけたような素振りを見せた長一郎だが、内心では、はっとした。
「お前も行くんだ」
重蔵は、長一郎に目を据えていった。
長一郎の脳裏に、忘れていた重蔵との約束が蘇った。
「落ち着いたら、お前の家を探してやる」
それは、重蔵の本心ではなかったが、長一郎が重蔵を信用するには十分過ぎる言葉だった。
しかし、自分は親に捨てられたのだ、というのが長一郎のただ一つの思いだったから、重蔵が約束をすっかり忘れていることを願っていた。
実際は、重蔵がそれを忘れるはずもなく、大火の後、しばらくして江戸に足を運んだ際、密かに探った。
生家へ返すつもりは無くとも、知っておく必要はあった。
その結果、長一郎の生家である油問屋「田島屋」は、日本橋本町通りから新川端に場所を替えて再建したことを突き止めた。
日本橋を離れたことは、重蔵には好都合である。
それでも同じ江戸市中。
いずれ、それは長一郎に分かることかもしれない。
それでもすすんで教えてやることはない、そう重蔵は思っていた。
「おめえも家のことが気にかかるだろ」
重蔵は、試しに聞いてみた。
長一郎は、すぐには返答できない。
顔を曇らせて、うつむいてしまった。
親兄弟への未練は完全に断ち切れたわけではない。
会いたいが、会いたくない。
真実は知りたくない。
そういう複雑な思いが、長一郎を本能的に黙らせた。
大火で負った心の傷は、長一郎には大き過ぎたのだった。
できれば思い出したくない。
このまま知らずに、ここで暮らしていたい。
それが長一郎の素直な気持ちだった。
「まあ、それはそうと、芝居でも観に行こうじゃないか」
こちらの方が本題である。
「芝居、ですか」
「そう、歌舞伎、好きじゃねえか」
今回の江戸行きは、重蔵の新居の下見が本目的だった。
大火から一年が過ぎ、そろそろほとぼりも冷めた頃だと、重蔵は判じていた。
家ができれば、長一郎もそこに住むことになる。
「歌舞伎ですか」
「そう、観たことあるだろ」
長一郎は実際、歌舞伎を一度も観たことが無かった。
役者絵を何度か見たことがあるくらい。
「いえ、一度も観たことがありません」
「そうか、楽しみにしときな」
重蔵は、そう言うと、残りの甘酒を飲み干して帰っていった。
長一郎は、そのまま縁側に座り、しばらく庭を眺めていた。
陽も傾きかけ、蜩が涼しげに鳴きはじめていたが、長一郎の耳には入らなかった。
歌舞伎を観るということは、日本橋界隈に行くということだろう。
まさに、長一郎の生家があった場所だ。
本当に、生き別れた父母兄妹に会うかも知れなかった。
そうなったら、自分はどうすればいいのだろう。
会いたくない。
会わなければ、真実を知らずに済む。
念じるしか無かった。
その日から、長一郎は念じ続けた。
と同時に、自分に言い聞かせた。
自分は捨てられたのだ、捨てた親に会っても仕方ない、と。
幸いなことに、長一郎の強い念が通じたのだろう。
その後の長一郎の人生において、親兄弟との再会らしきものと言えば、たった一度きりだった。
舞台の上からだった。
十六の春だった。
面影がしっかり残っていた。
運命を分けた、弟だった。
弟は、すっかり手代の形をしていた。
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