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礎の怨嗟

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 気づけばそこは知らない部屋だった。肘に痛みが走って、簡単には動かすことが出来ない。オレは部屋の中央に寝かされていて、どうやら後ろ手に紐のようなもので縛られているようだった。

 防具は外されており、肘の部分には包帯がまかれている。
 天井と明り取りの窓、そして埃をかぶったテーブルと、椅子。確認できるのはそれだけだったけれど、学園は天井の色で階数が分かるようになっている。
 緑が1階、青が2階で赤が3階のように。
 緑色の天井を見て、ここが1階だということだけは分かった。

 琉来とのデュアルはどうなったんだっけ?と思っていると、部屋の戸が開いて、琉来が入ってくる。

「デュアルは?」
 とオレが聞くと、
「疲労による昏倒で、お前は棄権。オレの不戦勝だよ」
 と言うのだった。

「2勝2敗1無効か」とオレは呟く。どんな風に評価されるんだろう、と思う。
 オレの言葉を聞いている琉来の表情には力が感じられない。

「どうしたんだよ、琉来。それに、なんで短剣を?」
 オレの言葉に琉来は顔をしかめる。そして、オレの方に手を伸ばしてきた。抱き寄せられるが、手を縛られているオレはなされるがままだ。

「柳壮也がお前をそそのかしているって聞いた。お前はだから変わったんだって」
「誰がそんなこと言ったんだよ?」
 オレの問いに琉来は首を横に振る。言えないってことだろう。

「パートナー候補として柳をライバル視してるうちは良かった。でも何で、お前あいつと仲良くなってるんだよ」
「何でって言われても。魔法のこととか調べてるうちに仲良くなったって感じか」
「仲良く、で。婚約するのか?」
 琉来はオレの手の甲をかざす。柳の紋章、そして麗史様の紋章が浮かび上がった。

「げ」
 と思わず声が漏れたのは言うまでもない。
「お前の魔法のこと、ある人から聞いたんだ。二人の愛を受けるっていう。そうすることで、コントロール出来る魔法だって。愛する者として、オレだってそこに入りたかった」
 オレを抱き寄せる琉来の腕に力がこもるのが分かった。

「え、いや、何言ってんだよ。お前はオレの友達で」
「お前の友達の定義は広いんだろ?接合もするほど」
「いや、そんな解釈はなかったはずだけど」
 琉来の言葉に柳に対する皮肉がこもっているのは分かった。

「何でオレは、愛する側になれないんだ?葉のことを、こんなに思っているのに」
「あ、あのさ、琉来。なんか変じゃないか?」
「変じゃねーよ、ずっとこうしたかった」
 力強く抱きしめられて、その後、手がオレの下腹部に伸びてくるのを感じた。
 何かがおかしくないか?とたびたび思う。
 この魔法が発動してから、こういう展開が多くないか?と。

「なにお前、欲求不満なわけ?」
「欲求不満なんて言葉で片づけてくれるなよ。お前のこと好きなんだって」
「ふーん」
 オレは魔法の種に念じてみる。

 女になれ、と。
 シャツに違和感を覚え、オレに触れていた琉来の動作が止まったのを感じた。
 身体を離して、オレの身体を見おろして、うわッと短い叫び声をあげたのちに、サッと後ろへ飛びのく。

「お前の故郷では結婚前提じゃなきゃ、触れられないって話だったか。もし触れたら、どうなるんだ?」
 とオレが聞けば、
「簡易裁判にかけられる。関係性を問われて、合意じゃなければ罰せられる。男女の操には厳しいんだ」
 と及び腰で返してくる。
 男相手ならいいのか?と問いたくなるが、その対応には、麗史様にも近しいものを感じた。オレがじりじりと琉来に近づいていくと、露骨に視線が胸元に向かっていく。

「なあ、琉来。縄をほどいてくれないか?」
「その姿で、それ以上近づくなよ、葉!まずいんだ」
 と言う。
「ほどいてくれればいい話だろ」
「それは、困るんだ。ある人に頼まれているから」
「それじゃ、オレがお前に近づくのをやめるってのも、無理な相談だな」
 近づいて行けばいくほど、琉来の顔が紅潮していく。後ろ手に縛られているせいで、胸を突きだすかっこうになっているのが、琉来にしてみれば効果的なようだった。

「分かった!縄はほどく。でも、この部屋からは出るなよ?そうじゃないとオレが困るんだ」
 琉来の提案に頷いてはおく。
「それでいーからさ。ほどいてくれよ」
 オレの答えに、琉来は頷いて縄を短剣で切り落としてくれた。こうなればしめたもので、オレは立ちあがると部屋のドアに一目散と駆けていく。

「おい、葉!」
 と琉来が声をかけてくるのを、無視してドアを開けるのだが、開けた先には二人の人物がいた。

 一人目の人物がオレの腕をねじりあげ、二人目の人物が粉のようなものを振りかけてくる。
 吸い込んだからダメだ、と本能的には思うのに、甘い香りがして鼻腔を心地よさが駆け巡って来た。一気に吸い込んでしまい、オレは身体のコントロールを失う。間もなく布で目隠しをされて、視界を覆われた。

「まんまとそそのかれそうだった、ということだな。麻野目琉来。この魔法の持ち主は古来より魅惑の技を持つ。気をつけろと言っただろ」
 と一人目の声。
「初心な学生にまかせたのが、間違いですよ。始めからこうしておけば、良かったのです」
 と二人目の声。
 再びきつく縄で縛られていくのが分かったけれど、身体に力が入らなかった。

「葉は……花菱はどうなるんですか?」
 と琉来。
「学内の風紀を乱したとして、調査委員会にかけられて学外追放が、最もマシなルートだな」
「最もマシじゃないルートは?」
「それは、「我ら」の花嫁、ああ正しくは娼妓でしょうか?この魔法を使うものはいつだって権力とともにあります。「我ら」のもとには降りてきません。よい思いをしたってよいでしょう?」

「学外追放とか、その、囲い込みみたいなのは。それは、話が違うんじゃ?柳壮也や蓮見様のたくらみから、花菱を救うために手伝って欲しいというお話だったと思います」
 琉来の言葉に二人の中音、低音の笑いが重なった。

「愚か者というのは、君のような者のことですね。少し前の花菱葉がそうであったように、直情的で近視眼的だ。「我ら」のことも、あるいは蓮見のことも、君は何も知らないでしょう?だからこそ、利用価値があった。しかし今のように少しでもものを知った場合、価値はありますか?」
「否、ないな」
 話の流れが見えてきた。こいつらは、琉来を利用してオレを始末しようとしているんだ。そして今、琉来も始末しようとしている。
 身体はコントロールこそ効かないが、五感はすべて機能していた。


 オレは今、一つの仮説を立てている。
 柳の魔法がなぜか使えるようになっていたことと、この魔法にまつわる伝説のことを踏まえて、オレと琉来の命の危険が迫っている中で、一つの打破策を導きだそうとしていた。

「葉を危険視する理由って何ですか?こいつはかなりひたむきに頑張っていると思います。柳とか蓮見様とのことはオレからすれば面白くないけど。客観的に見れば、かなり努力してきているはずです」
 琉来の声から位置関係を把握する。琉来はオレの左隣にいるようだ。

「努力すべきことと、すべきでないことがある。知るべきこととそうでないことがあるように」
 一人目の声が言った。こいつは琉来の前方にいるようだ。

「学び舎で努力すべきじゃないなんて、皮肉ですが事実です。多くの生徒は何も知らないまま、知力と武力とを手に入れて、ここを去り、各地で力を発揮することでしょう。知った者だけが、学園や国の礎になるか、あるいは」
「屍になる」
 哄笑がおこった。
 
 二人目の位置は一人目から見て左隣。
 つまりオレの前方だ。十分な好条件だと思う。おしむらくは、さっき魔法を使ってしまったことで、一手間増えたことだ。
 一度チャレンジをしてみよう、と思う。オレは魔法の種に意識を集中して、
「琉来、オレの身体を裏返してくれ」と念じてみた。
 以前、柳の声が聞こえてきたことがあったのを覚えていたのだ。柳の魔法は意図的に思念を送り込むことができるのかもしれない。
 隣の琉来が身じろぎする気配を感じたが、二人に気づかれてはいけないと思う。

「あ、あの。少し呼吸が苦しそうなんで、体勢を変えてやってもいいですか?」
 琉来が二人に問う。
「呼吸が?そうは見えませんが」
「葉の奴、鼻に病を持っているらしいんです。仰向けは苦しいとかいつも言っていて。病が悪化しては、その、娼妓としても、力を発揮しにくいのでは?」
 難しい言い訳だとは思ったが、優勢を確保していると過信している相手にとっては、ささいなことのようだ。

「なるほど、位置を変えるくらいなら良いでしょう。ただ、余計な真似をしたら、そのときは分かっていますね?」 
 二人目の声が剣吞を帯びる。
「はい」
 琉来はオレのそばに来ると、脇腹に手を入れて身体を動かしてくれた。腹部が床に触れる感覚があったので、オレは即座に念じる。

「5秒後、オレから離れろ」
 琉来の反応を気にしている場合はなかった。魔法の種に「男にしろ」と念じ、即座に麗史様の魔法をイメージした。
 コントロールが難しいとはいえ、足止めくらいは可能だろう。

 そして再び念じようとしたときに、「ひざまずけ」と二つの声が重なった。
 琉来の動く気配とだけ感じたところで、オレの身体から激しいエネルギーが放たれる。皮膚が波打つような感覚があった。

 二人のうめき声を聞き、事前にイメージした状態になっていることを確認する。
 ただ、想定外だったのは、その後まもなくドアを開け複数の人が入ってきたことだ。

「葉、麻野目、無事か?」
 と言う聞き覚えのある声。
「このような事態が許されるとお思いですか?」
 と低く咎める声にもまた、聞き覚えがあった。

 近づいてくる気配があり、縄をほどかれる感覚がある。
 その後目隠しを外されて、オレは数時間ぶりにその顔と再会した。ありがとう、柳、と口にしたかったが、何分身体に力が入らないのだ。

 柳と麗史様のほかにも、桐峯、そして離音先生もいた。桐峯と離音先生は、倒れている羅千先生と瑠磨先生を鎖のようなもので捕縛していく。

「調査委員会にかけて、どれほどの効果があるか分かりませんが。少なくとも学園長のお耳に入れば、早速、システムを刷新するに違いありませんね」
 離音先生のこんなに冷え冷えとした口調は初めて聞いた。

「お前は悔しくないのか?力を持つにもかかわらず、一教師として、ただ学園の礎となることが」
 と羅千先生が問う。
「何も悔しくはありません。礎は必要です。私は学生たちがこうして育っていくことが楽しいです」と離音先生は答えた。
「愚か者は、どれだけ月日が経過しても愚か者なんですよ」
 と瑠磨先生。
「その通りですね」
 と離音先生は笑った。
 オレには分からない事情がこの三人にはあるようだ。

「いずれにしても、生まれながらの性質や生い立ちを笠に着て怨嗟の声に転化するのは、愚かです。ですので、あなた達には罪を償っていただきます」
 と離音先生は言い、二人を立たせる。付き添っていた桐峯が鎖に触れたことで、二人が身体を硬直されるのを感じた。
 桐峯が何かをしたはずだ。
「葉、手当てをする。麻野目、お前は身体に問題がないなら、離音先生に付き添え」
 と柳が言った。
 琉来はオレに「悪い、また後で話そう」と言って離音先生の後について出ていく。

 残されたのはオレと、柳、そして麗史様だ。オレに注がれる眼差しは実に厳しい。
「無茶をしたな。捕縛されたとて、大人しくしておけば、瑠磨先生の能力に触れることはなかっただろう。しばらくは、そのままだ」
 と麗史様。
「都合がいいんじゃないですか?少し大人しい方が、可愛がりやすい」
 と柳。

「何悠長なことを言っている。あの二人が花菱に触れていたら、剣を抜いていただろうに」
「当たり前ですよ。どんな能力を持っているのかは知りませんが、首を切れば大抵は即死でしょう」
 柳が腰に差していた鞘を揺らしてみせる。

「恐ろしい奴だな。私も首がヒヤッとしたよ」
「八億歩ほど譲って、蓮見様は許します。ただ、注ぐ愛情の量だけは負けるつもりはありませんが」
「言っておけばいい」
 額に口付けをされ、頬に麗史様の髪が触れた。

「あれ、抜け駆けですか」
 と言い、今度は頬に柳が口付けをしてくる。
「医務室に連れて行かなければ」
 と麗史様は言い、抱きかかえられた。
「運ぶまではお任せします。その後はぜひオレにお任せください」
 と柳が言うのを、麗史様が鼻で笑う。
 呼吸の合う二人だ。
 パートナーとしてはピッタリだと思う。

 ひとまず、この予想外の騒動は片が付いたと思っていいのかもしれない。
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