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第一部
第二師団長の退団
しおりを挟む王立騎士団の第二師団長であるフィア・リウゼンシュタインは、本日をもって騎士団を退団することになっている。
シルバーブロンドの髪を持ち、エメラルドグリーンの瞳を持つフィアは、騎士団において、非常に目を引く容姿をしていた。
容姿とその振る舞いとが相まって、現在では話題をさらう第二師団長として知られている。
そんなフィアが退団し、遊離騎士団へ異動するとなれば、挨拶もなしにこそこそと出ていくわけにもいかない。
まず城へと向かい王への謁見をすませる。王と直接相まみえる機会はそうない。王と対面したフィアは肝を冷やした上に、心臓が委縮しそうだった。
「リウゼンシュタイン団長、今回のことはまことに残念だな。西方地域に明るい貴殿には、西方征伐の際にはぜひ尽力してもらいたかったが」
西方征伐の単語に、フィアの中に若干苛立ちが生まれたが、懸命に押し殺す。
「ご期待に沿えず申し訳ございません。この期に見聞を広めてまいります。もし、今後、ご入用の際には、すぐに駆け付けてまいります」
「その時、貴殿はどの役割で戦うのだろうか?」
王の言葉に、フィアの背筋がシュッと冷える。王の黄金の瞳の眼差しには、無言の圧力があった。
「もちろん、王立所属の騎士として尽力させていただきます。しかし、今はまだ、争いの火種は見かけませんね」
「だとよいな」
王は簡潔に述べたあと、フィアへの息災の言葉を口にした。フィアは敬礼し、王の間から退席する。
王の放つ威圧感に耐えがたく、フィアは王との一対一の謁見は避けてきた。
王を警戒する理由はもう一つあった。フィアの出自に関わることだ。王都の中で唯一王は、魔法の気配が感じられる人物だった。魔法を封じられている王都においては、異様なことだ。
そして、王はフィアの正体に気づいているのか?と思う節がある。騎士団の就任式や城で行われる式典においては、折に触れてフィアの出身地である西方地域について触れてくるからだ。とはいえ、王は決定的なことを口にするわけではなく、上手く見逃されているようである。
王都から離れれば、そうして王と接触し肝を冷やす機会も減るだろう、と思う。
その後、城の回廊でアリーセに鉢合わせして、フィアは心臓がさらに引き絞られる思いをした。
「アリーセ様、お久しぶりです」
「フィア様この度はとても残念です。強く美しいフィア様は、王宮内外の侍女の中でも話題をさらっておりましたよ。私もフィア様のご活躍をいつも楽しみにしておりました」
アリーセは柔らかな仕草でドレスの裾をあげ、挨拶した。白く透明な柔肌に、金色の柔らかな髪、薄茶の瞳が柔らかく光る令嬢だ。美しい方、とフィアは思った。
「お呼びだていただければ、いつでも参ります」
「ぜひいらしてください」
「けれど、もっとも近い機会であれば、婚礼式でお会いすることになりそうですね。シュレーベン団長との婚約おめでとうございます」
傷口に塩を塗り込むどころか、ナイフを刺しこむのはフィアの悪い癖だ。フィアの言葉にアリーセは面を喰らった顔をする。
「ええ、ありがとう」
アリーセがなぜか心のこもらない返事をしたのかが気にはなったが、フィアは自分の自傷行為の痛みに耐えるのに必死だった。
人の婚約者とバカな夢を見ておきながら、何を祝福の言葉を白々しく口にしているの?とフィアは思う。
「それでは、失礼いたします」
フィアは頭を下げ、逃げるようにその場を立ち去った。
騎士団の屯所である広場には、各師団長や副団長、そして補佐役などが集まり、フィアを送りだしてくれる。当然その場には、第一師団長であるゼクスもいるのだが、フィアは直視できない。
「フィア、本当に行ってしまうの?寂しくて眠れない!」
と補佐役のベルタが抱擁を求めてきたので、フィアは抱擁に応える。ベルタ・ヤンセンはとりわけ仲のいい友人だ。
「ありがとう、ベルタ。でもせっかくだし、挑戦してみる。それにまた連絡するから」
遊離騎士団が人材を求めているとのことで、フィアが名乗りをあげたのが数か月前のことだ。名乗りをあげた理由は三つ。
一つ目は首都中心から辺境までを幅広く見聞するチャンスだということ、そして二つ目はゼクスの婚約だった。国王の縁戚である、宰相令嬢・アリーセ・アドラースヘルムとの婚約だ。
ゼクスとはもう何年もにわたり同僚として信頼し合っている関係ではあるが、今後の進展は見込めない上に、自分の心情的にも同じ師団内でことを起こそうとは思えなかった。
三つ目の理由は「期限切れ」だ。これは騎士団の誰にも説明できない理由である。
よって、大義名分を得て、王立騎士団から退散することに決めたのだ。
ベルタをきっかけに、抱擁と求めてくる同僚が複数いて答えていたが、
「誰一人、リウゼンシュタイン団長を落とすことは出来ませんでしたね」
と口の軽いライマー・ホフマンが余計なことを言ったのをきっかけに、フィアには望ましくない流れが来る。
「落す。人を射的の懸賞のようにいうのはやめてくれない?」
「退団したら、いくらでも相手をしてくれると言うのは本当ですか?」
「後朝待たずの、第二師団長の噂は?」
と団員が次々と、下世話な話題をぶち込んでくるのだった。
たしかに、騎士団入団直後に、女性であるフィアを色眼鏡で見て来た団員に対して、半ばやけになって、「同僚や関係者は絶対にごめん。退団後ならいくらでも相手する」と一時嘯いたことはある。
けれど、まさかそれが今になって言われるとは思わない。そして「後朝待たず」は、フィアは朝を待たずに去ってしまう、と恨み言を言った、いつぞやの逢瀬相手から漏れた情報だろう。
いずれにしても、本人にとっては不名誉な評判だ。
「後朝待たず、か」
とよく知った声が呟いたのが耳に響いた。
顔をあげると、ゼクスと目が合う。相変わらずの温度の低い眼差しは、昨夜の印象とは全く異なる。フィアはすぐさま逸らし、
「過去の言動を持ち出して、最後に評判を落とすのはやめてくれる?」
と誰にともなく言った。
これで終わるかと思えば、
「昨夜はお部屋にいらっしゃらなかった様子ですが、どこかにお出かけでしたか?」
とロータル・ホイヤーが言う。
なぜ、いなかったことを知っているのか、どの段階で知ったのか、とすぐさま問いたくなるが、
「何か用だったの?」
ヒヤヒヤしながらも冷静を装って聞く。
「そりゃ、麗しき団長が出立する前夜となれば、会っておかなければ損ですよ。慌てて事を起こそうとする者もいたのでは?」
と言うロータルのその視線が首元に向かい、目を見開いたので、フィアは思わず首を横に振った。
「慌てていたのは私。昨夜は訓練室で酩酊して眠っていたようで。帰り際にアチコチぶつけたみたい」
と首元をさすって見せる。
「へぇ、そうなんですか」
とロータルはどこか半信半疑な呟きをしたきり、追及しては来なかった。これ以上ぼろが出る前に、立ち去らなければ、と思った。
とはいえ、入団当初より懇意にしていた仲間との別れには思うところがある。
「フィア、身体の具合はどう?どこか痛いとか動きにくいとかはない?」
とルインが聞いてきた。
ルインは王立研究所の研究員だ。強化剤や魔法のリキッドの開発や研究をメインに行っている。
フィアは特殊な生まれゆえに、少々他の人と異なる部分を持っていることもあり、しばしば実験に協力したり、一方でルインから協力をしてもらったりしていた。こうして身体の具合を問われるのは、挨拶のようなものだ。
「何も問題ないわ」
「そう、ならいいよ。じゃあ昨夜の記憶はある?」
「え?」
「ルイン」
とゼクスが諫めるような声をかけた。
「あ、何でもないよ。フィア、困ったことがあれば研究所にいつでもきて。メンテナンスにもぜひ。あとこれはいつもの、道中では必要になると思うから」
ルインはそう言って、細身のビンを何本も差した革製のケースを渡してくれる。
「ありがとう」
「シュレーベン団長は抱擁しておかなくていいですか?リウゼンシュタイン第二師団長の退団で一番寂しいのは、団長じゃないですか?」
とライマーが言うけれど、
「そんなわけ」
ここでゼクスから無反応にあしらわれたら、恐らく立ち直れない。フィアは保険のために口をはさみたくなる。
「ああ、寂しくなるな」
しかし、そうゼクスが言ったのでフィアは驚いた。視線がこちらに向き、革製のパスケースを渡される。中には黒字に金の縁取りをされたパスカードが入っていた。
「名誉団員に渡されるパスだ。これで騎士団施設へ自由に出入りできる。いつでも来い」
「ありがとう」
受けとる瞬間に目が合ったので、本当に抱擁されるかと思ったけれど、そんなことはなく、握手を求められた。答えたときに、不意に手のひらに何か置かれた感覚と、ピリッとほのかな痺れが来て、フィアは思わずゼクスを見る。
――――え?
けれど、
「では、またな」
と言って視線を逸らされた。
少しだけ手の平を開いて中身を確認してから、フィアはあわてて自分の耳に触れる。右側にしか、カフスははまっていなかった。
ゼクスから渡されたのは、一族の紋が刻まれたカフスの片割れだ。思い当たるものは、耳朶を甘くかまれた願望夢の記憶だが、この場には全くふさわしくない記憶だった。
あれは、特殊な訓練だし、やはり夢の可能性が高い、と思い込もうとしているフィアにとっては寝耳に水なのだ。
どういうつもり?
部屋に証拠物品を残すなと言いたい?
あれは夢ではないと言いたいの?
そもそも昨夜は何があったの?
聞きたいことはたくさんあったけれど、この場で聞くことは不可能だ。
何があったとしても、二人は現状同僚であり、それ以上の関係ではない。フィアはそう結論付ける。
恋心はすり切れているし、結ばれることはない。
「みんなありがとう。またこちらに派遣されることがあれば、よろしくね」
とフィアは集まってくれた皆に声をかけ、馬車に乗り込んだ。「また」があるかどうかは分からない。恐らくはお父様しだいね、とフィアは思う。
モントリヒト公国立のスクール入学時には、5年だけと念を押されていたが、2年目に第二師団副団長、3年目に第二師団長の座を与えられたことで、予想外に動きにくくなり、期間がのびた。フランツに協力してもらい、何とか凌いで7年。恐らくはこれ以上は限界なのだ。
車窓の向こうにいる皆の姿を見る。フィアは胸に手を当てて頭を下げた。馬車が動き出した瞬間に、ゼクスの姿が目に入り、その口が何かを囁いたのを見た。何?と思うが、馬車は動き出し、遠ざかっていく。
――――俺の敗けだ。
そう言ったような気がした。ただ、ゼクスがフィアに負けることなんてない。
剣術の訓練でもゼクスに勝ったためしはなかった。
読唇術の読み違いだし、恐らくは見間違いだ。
王都を出て、都がどんどん遠ざかっていくのを車窓に見て、フィアは5年間の騎士団での記憶をざっと頭の中でさらっていく。
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