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☑くんずほぐれつのお仕事☑
食べて、食べられ?
しおりを挟む移動するのはいいとする。
けれど、その後連れていかれた場所はオレの予想外の場所だった。
マンションの前にタクシーがとまったときに、ほのかに感じた違和感が、マンションのエントランスに入り、高層階へのエレベーターのボタンを押されたところで確信と変わる。
「まさかとは思いますけど、ここは」
「そうオレの家」
と橋本はなんのことはなくいう。
それって規則には違反してないのか?
とこれまでは男娼館のシステムに何の関心もなかったくせに思う。
「それってアリなんですか?」
「ナシかもしれないね。けど、来る?」
と橋本はエレベーターの乗降中に言う。
行かなくてもいいのだろうか。
正直行きたくなんかない。
でも、オレの任務としては橋本と「懇ろ」にならなければいけないんだ。そうなると、ここで逃げるのは任務放棄になる。
「行きます」
とオレは言う。
「そう、それならよかった」
エレベーターを降り、橋本の後についていき、角部屋の前で止まった。
指紋と虹彩の認証で部屋のドアが開き、橋本は部屋に入っていく。オレはシステムに気おされながらも、後に続いていった。
単純に言えばワンルームマンションの一室だが、入って正面と左右にある大きな窓によるパノラマビューやとにかく広いワンルーム部屋を見て、自分の住んでいる部屋との違いを思い知る。
IT系の企業が乱立する中で、ミニマリズムに傾倒し、住まいには頓着しない起業家も多いと聞くが、橋本は家にも金をかけるタイプのようだ。
ダイニングテーブルやリビングテーブル、テレビボード、本棚などの最低限の家具しかないために、とても広く見える。ワンルームではあるが、ロフト状になっていて、2階部分があるようだ。2階部分が寝室になっているのかもしれない。
オレがぼんやりと部屋の中を見まわしていると、「たぶん、そんなに見ても変なものは何も出てこないよ」と橋本は笑って言う。
ジャケットを脱ぎ、ダイニングの椅子に掛け、カウンターキッチンの中に入っていく。
適当に座っていて、と言われたので、リビングのソファに座り、窓の外を眺めていた。こんなところから街を眺めることになるとは思わなかったな、と思う。オレのアパートはどの辺だろう、と本格的に窓の外に集中し始めたあたりで、ほのかにいい匂いがしはじめた。
「トマトと牡蠣のえせリゾットだよ」
と橋本がテーブルの上にスーププレートを置く。
牡蠣の身と細切れトマトの入ったオレンジ色のライスには、イタリアンパセリの緑が映える。米から作ってないから、えせリゾットなんだけど、割とイケると思うよ、と橋本は言った。ガーリックの香りがほのかにして、まったくなかった食欲がむくむくと湧いてくる。
つい「いただきます」とスプーンを手にして食べ始めてしまうのだ。あっさりとした味付けは二日酔の胃にもすんなりと入っていく。橋本は自分は食べずに、オレが食べている様子をずっと見ていた。結局おかわりまでしてしまう。
「見事な食べっぷりだね。見ていて気持ちがいい」
口の端に指が触れてきた。
橋本はオレの口元に残った米粒をとり、自分の口に入れる。マジかよ、と思うが、満たされた腹を抱えていると明晰な判断や素早い動きには不向きだ。
一瞬の判断が遅れて、オレはソファの上に押し倒される。
「食休みは?」
オレは言う。
「その時間はあげるよ。ただ、このまま話をしよう」
橋本は自分のネクタイを緩め、それからオレのネクタイも緩めてきた。こういう事態は想定内ではある。
「きっと、こういうのは初めてじゃないよね?」
「初めてじゃなくても、まったく慣れませんよ。慣れたくもないですし。高校以降は女の子と普通に付き合ってきてます」
「へぇ。たしかに普通にモテそうだよね。爽やかなスポーツ青年。ノリもいいし。彰人に目をつけられなければ、きっと高校時代も華やかな青春を過ごせただろうね」
「ど、どこまで知ってるんですか?」
「結構調べたよ。そして、最も重要なのは、君が彰人にとってはかなりのキーパーソンだってことだね」
ワイシャツのボタンが外されていく。
「キーパーソンだから、こういうこともするんですか?」
橋本は彰人に対して、並々ならぬ感情を抱いているようだ。オレがキーパーソンかどうかは分からないけど、橋本がそう思っているということはきっと突破口になる。
オレが尋ねると、橋本の表情が一瞬固まった。
「たしかに、そうなのかもしれないね。君が彰人とまったく関係がなければ、ここまで接近しようとはしなかったのかもしれない。俺もどちらもイケるクチでね、あえて男を選ぶ機会はそう多くない。ただ、どちらもイケるというのは、一番冷徹だといわれるけれど」
「じゃあ、オレに利用価値がないと思えば、こんなことはしないってことですよね」
「それは、どうだろう。君のことが気になるのは本心だと思う」
ドッグタグのチェーンを橋本は弄ぶ。チョーカーの不在を気づいただろうか。
「彰人もきっと、そうなんだろうね。器用に浮世を泳ぐ君を、自分のものにしたいのかもしれない」
「あいつはきっと、そんなこと、思ってません」
「そうかな。いずれにしても、君のことは俺が落札してあげるよ。そうすれば、責任をなすりつけられた今の立場から救ってあげることができる」
首筋に口づけられ、背筋がぞわぞわっと粟立つ。
これはヤバいと思う。
橋本のことが好きとか嫌いとか以前に、刺激を受ければ反応してしまう機能がある。そして、妙に勘のいい橋本は、内腿をそろそろと触ってくるのだ。
「こうしてしっかりと筋肉がついているのも、俺は好みだな」
橋本の手の動きが怪しい。
同じ筋肉を触るにしても、ジムのトレーナーとはまるで違う。
とはいっても、このままなされるがままというのは、どうだろう。何かぶち込むものがないか?
仮にハッタリでも。
「一喜さんが前に言っていた、彰人が【ティアラ】を陥れたっていう説に客観的な証拠はあるんですか?一喜さんが一方的に彰人を意識しているだけってことは、ないですよね?」
オレが彰人の話題を口にしたとたん、橋本の目つきが変わった。基本的には柔和な印象のある橋本の視線が鋭くとがってくるのだ。ただここで負けてはいけない。
「オレは彰人に全幅の信頼をおいているわけじゃないんです。自分の身を守るためにも、状況を客観的な事実に基づいて判断したいっていうのもあります」
胸が少し痛んだ。
全幅の信頼をおいているわけじゃない。それは事実だ。
けれど、信じたいとはずっと思ってきたはずだった。高校生の頃から。ただ、彰人がいつも信頼になるだけの証拠をくれないだけなのだ。
「たしかに、客観的な証拠としては弱いのかもしれない。俺は彰人のことが嫌いだからね。君の事務所の社長が借金を作るきっかけとなったのは、ネットゲームへの課金だったらしい。もともとの話は、ネット上に楽園を作るという共同企画者による持ちかけ話のようだよ。その実が、ネットゲームの課金でしかなかったというオチみたいだ」
「ネットゲームの課金で、本当にあれだけの金額の借金をするものですか?」
「いくつものアカウントを作らされて、あちこちで課金していればどんどん膨らんでいくよ。さらに日常的にギャンブルを楽しんでいたらしいしね。問題なのは、その荒唐無稽な企画を持ちかけた共同企画者が誰かということだよ」
「誰か分かっているんですか?」
「まずは、考えてみて欲しいな」
「彰人だと言うつもりですか?」
橋本の目に悪戯な光が差す。
「君はきっと、彰人よりの情報源の近くにいるんだろうね」
「どういうことですか?」
「君が得ている情報は、彰人に優位なものなのかもしれないということだよ。けど、それはいい。君が彰人を全幅に信頼できないないとするなら、俺にも分がある。【ティアラ】の社長を陥れた共同企画者は君塚浩二だとリサーチャーから情報を得ているんだ」
「え?」
まさか、ここで橋本が君塚の情報をあっさりと手渡してくるのは思わなかった。
「俺からその名前が出てくることは、想定内じゃないのかな」
「いや、そんなことは」
「君塚浩二は芸能事務所から、あくどい方法で人材を引っ張ってきているとの情報を得ているんだ。このことは、きっと君の耳にも入っているんだろうね。君の場合には、俺と君塚とのパイプがないのかどうかという点に関心があるのかもしれないけど。まあ、いい。君塚浩二は自分のお眼鏡にかなうものをどうしても手に入れたいという悪癖を持っていてね。そのためには方法を厭わないらしい。まだ証拠は得られていないけれど、彼は【ティアラ】も【cour】にも手をつけているのだろうね」
「なんで一喜さんはそんな話をオレに?」
「君塚もまた、協力者を求めているらしくてね。俺はその協力者候補のようだ。そして、俺もまた協力者を求めている。それが君ってことだね」
「オレが?」
橋本はうなずいた。
「君は【ティアラ】の関係者だ。君塚の悪事には大いに関係しているだろう?協力してもらうのは、もってこいの人材だと思う」
「それだと、一喜さんと彰人の目的は一緒だということになりますけど。それは【cour】を救うことに協力するってことですよね?」
「まあ、【cour】はもともとは俺の母親の会社なわけで、俺の会社も【cour】から人材を派遣してもらっているということもある。俺にとって重要なのは、【cour】が崩壊することじゃない。彰人が【cour】を管理しきれていなかった、ということを証明することだよ」
「そうすることで、一喜さんは【cour】の次期代表取締役におさまりたい」
「ずいぶん、屈託のないもの言いをするね。でも、たしかにそうだ。俺の方がふさわしいことを母に証明しなければ」
結局のところ、自分の母親が彰人を高く評価していることが気に入らないのか?
と思うと、橋本はただのマザコンなんじゃないだろうか。
そんなこと、本人には口が裂けてもいえないけれど。
「俺に協力してくれるかな」
「正直、【cour】の内情にオレは関係したくありません。だから、君塚さんを探る範囲内でだけなら、協力できます。彰人も同じことを目的にしているようですし」
「それは彰人のため?」
「どうでしょう。知り合いが困っていたら、協力したいと思う程度のことじゃないですか」
「へぇ」
橋本はオレの顔を覗き込んできて、どうやら入り込む隙間はありそうだね、と笑う。
「それじゃあ、協力してもらおう。君には特殊メイクで顔を変えてもらい、君塚の会社の面接を受けてもらう。無事採用されたら、会社内で証拠集めに動いてもらおう」
「はあ」
作戦がずいぶんと強引だ。さすが彰人のいとこってところか。
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