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☑疑わしきはダレ?☑
食えない男たちと美味しいごはん
しおりを挟む立食パーティも酣になり、オレは、皿によそったビーフストロガノフをフォークで突いていた。
美味しいけど、山ほどある食べ物は全部食べきれるもんなのか?残ったなら、持ち帰れないのか、と庶民的なことを思う。
出来るだけ食材そのものが高そうなものや、手がかかっていて滅多に食べられなそうなものをメインに、皿によそった。
その背後には、宮廷音楽みたいな優雅で麗らかな音楽が、室内楽編成されたオーケストラによって演奏されている。
ここはオレが昼間ダンスの練習をしたばかりのホールだ。
いつのまにかテーブルが運び入れられていて、パーティ会場に整えられていた。
壮観なのは、そこに集まっているのが全部男だっていうことだ。
それに、その男の中には、テレビで観たような顔がいくつも見受けられる。
米化流が言っていたように、それはいかにも絵に描いたような社交の場所だった。そこここで、世辞や、わざとらしい笑い声が重なる。
オレには、正直無関係な世界だな、と頭の片隅で思って、目の前の皿から、イカ墨のパスタをフォークでくるりとまわしとって、口に運ぶ。
むちゃくちゃ美味い。
「玲二くんは、お酒は飲めるの?」
おもむろに横の橋本が言った。
「え?並には飲めると思いますけど。どーしてですか?」
「さっきから、アイスティばかり飲んでいるから、気になっただけだよ」
「お酒は、もう少ししてから飲もうかなって思っているんです」
オレは言い訳をする。
酒に弱いわけじゃないけれど、このうさんくさいパーティがどんなものなのか様子を見る段階で、酔ってはまずいと思ったのだ。
「そうか。それじゃあ君は、普段何を飲んでいるの」
「えーと」
オレは逡巡する。確か、橋本の酒の好みは、カクテルとかワインとか、だったはずだ。オレは専らビールや発泡酒だけど、その辺は合わせておいたほうがいんだろうな。
「ワインを良く飲みます」
「そう。俺と一緒だ。そういう嗜好が合うと良いね」
橋本はそう言って笑う。
「益々、俺のものにしたくなったよ」
「一喜さんのものって」
「そのままの意味だよ。俺の家に来て欲しいってことだ。どうかな?」
茶亜莉伊にはぐらかされた件だ。
「い、家に行くってどういうことですか?おれ、まだそういう説明を受けていないんです」
「ここにいる男娼はほとんどが、借金を抱えているとはさっき話したよね?」
「はい」
「そういう男娼達が、切に望んでいるのは、早期の借金返済さ。だから、その借金を肩代わりしてくれるパトロンを、ここで探すんだ。まあ、言ってみれば、自分を飼ってくれるご主人様をゲットするということかな」
「ご、ご主人様」
まったくもって知りたくない世界だ。
「俺が君のパトロンになれば、君が背負わされた借金を全て返済してあげることができる。いい話だと思わないか?」
「ありがたい話は、ありがたい話ですけど、オレは」
「あ、ちょっとじっとしていて」
橋本は、胸元からハンカチを取り出すと、オレの口もとを拭く。
「え?」
「イカ墨が付いているよ」
「あ、ありがとうごさいます」
「君は、少し隙があるね。それに、反射神経がよくて、健康的で健全な雰囲気がある。それゆえに、いつか不健康なまでに服従させてみたいと思わせる。そういうところが、彰人も気に入っているのかな」
「は、はあ」
橋本は冗談めかしてそう言うと、ハンカチをポケットへしまう。
オレは、橋本の真意が測れないでいた。橋本はどこか、人を試しているようなところがある。
「まあ、強要はしないよ。でも、君が来たくなればいつでも歓迎するということだ」
「はい、考えておきます」
い、のところで笑顔をつくる。考える気なんて、さらさらないけどな。
「そうだね、考えておいて。それじゃあ、俺はちょっと挨拶に回ってくるよ。知った顔もけっこうあるから。君はその辺でまだ食事をしていてくれるかな。デザートも沢山でているみたいだし」
「はい」
「悪いね。すぐに戻るから」
橋本はそう言って、会場の中央で話の中心になっている輪へ行くと、中に入っていった。
笑顔でそつのない挨拶をし、すぐにその輪に溶け込んでいく。こういう場所に慣れているみたいだ。この男娼館の館主、もとい【cour】の社長の息子なわけだから、当然は当然かもしれないけど。
なんにしても、オレには遠い世界だよな。そう思ってオレは、橋本に言われたとおり、フルーツでも食べて時間をつぶすことにした。
星みたいな形をしたフルーツを皿に2、3個とった。そして、デザート用のスプーンで、サックッと刺し、口に運ぼうとして、オレはそれを取り落とした。
テーブルの向こう側を通った人物に驚いたからだ。
「彰人?」
見慣れない白いタキシードで、一瞬分からなかったが、その嫌味なくらいに均衡よく整ったスタイルや顔は、どう見ても彰人だった。オレが声をかけても、彰人はこっちを向こうとしない。
「なあ、彰人」
もう一度、声をかける。まるでオレの声が聞こえなかったかのように、彰人はオレの前をつうっと通り過ぎていく。
「おいっ。無視するんじゃねぇ!」
痺れを切らしたオレが、一際大きく呼ぶと、鷹揚に彰人は振りかえる。
「口の利き方がなっていないな。それに、男娼は、相手から声をかけられない限り、コンパニオン以外と会話をすることが許されない。そう聞いていないのか?」
「聞いてねぇよ。それより、彰人、聞きたいことがあるんだ」
橋本が話していたことの真偽を確かめたいと思った。
「悪いが、今はお前と話をしている暇はない」
「どういうことだよ?」
「そのままの意味だ。それと、この会場に居る間、俺に話しかけるのは止めろ。お前に過度な演技力は望めないだろが、できるなら、他人のフリをしろ」
命令口調でそう言いたいことだけ言い、彰人は踵を返す。
「待てよっ。納得できるように説明しろよっ」
オレが言っても彰人は振り返らず、そのままスタスタと行ってしまった。
「なんだよアイツ、腹立つな」
オレはなすすべもなく彰人の後ろ姿を見送りながら、あくたれ口をたたく。
「さっきのは、彰人かな?」
橋本は戻ってくると、彰人の背中に視線を投げつつ、薄い緑の、まったりとした色合いのカクテルの入ったグラスを渡してくれた。
「ああ、ありがとうございます。なんていうお酒ですかこれ?」
「うん?」
あ、まずい対応だったか。ワインやカクテルが好きとか答えたのに、酒の名前も判らないなんて、橋本が不思議に思うかもしれない。
でも橋本は特に変に思うこともないようで、からっとした笑顔で答えてくれた。
「グラスホッパー。口当たりが中々まろやかで、俺は好きなんだ。君の舌に合うと良いんだけど」
俺は舌先で、舐めてみる。香ばしい風味と、舌ざわりの柔らかい甘味が舌を撫でる。
「美味しい」
ペパーミントで味を引き締めているから甘すぎないし、そんなに癖もなく飲みやすい感じだ。
「そう、良かった」
橋本はからからと笑って、自分もグラスを取って一口。所作にそつがない。この辺には彰人と似たところを見つける。さすが、いとこだ。
「彰人は何か言っていた?」
「いえ、特には何も。なんだか、忙しいみたいでした」
「うん、忙しいだろうね、彰人は」
「一喜さんは、彰人が何で忙しいか知ってるんですか?」
オレが聞くと橋本は不思議な笑顔でオレを見て、それから言った。
「彰人のことが気になる?」
「あ、えーと、知り合いとしては、少し気になります。あくまでも知り合いとして、ですけど」
念を押すと、橋本は笑う。
「じゃあ、俺もいち知り合いとして言うなら。彰人は今、この男娼館の責任者だからね。男娼と客との交流に関して一切の責任を負う。まあ、ちょっとした監視代わりの社交に忙しいのだと思うよ」
「そう、ですか」
オレはカクテルを飲む。
忙しいにしたって、勝手にこんな場所に放り込んでおきながら、他人のフリをしろとかオレと話してる暇はないとかいうのは、あんまりな対応だと思う。
彰人のヤツ、そういうところは、高校のときから変わってない。そしてそんな彰人に一喜一憂しているオレも――全然変わってないんだろうな。
ゆるゆる、と高校のときの、記憶の部屋の扉が開く。
のに。
たのに。
嫌なことを思い出しそうになって、その記憶の部屋の扉をばたんと閉める。
記憶の中の嫌なことっていうのは多分、もう諦めたこと、もう自分の中で処理したはずのことだから、今見てもきっと良いことがない。今じゃどうしようもない、歯がゆい後悔に襲われるだけに違いないから。
「どうかした?」
「え?」
橋本に声をかけられて、ここがどこで、自分がどういう立場なのかという色んなことが、一気に意識に戻ってくる。
「なんだか、ぼんやりしていたみたいだから」
「ごめんなさい。なんでもないです」
「ここに来たばかりで、疲れたのかもしれないね。パーティはこの辺で切り上げて、部屋で休もうか?」
「や、休む、ですか?」
休むってのは、そのつまり、やるってことなのか?
だってここはホテルで、そうじゃなくたって、男娼館なんていういかがわしい名前を賜ってるわけで。いくら紳士的な社交の場とか言ったって、結局最後には、そう、なるわけだろ?
そんなオレの狼狽っぷりは完全に橋本に読まれていたようで、橋本は、はははっと軽やかに笑う。
「大丈夫。今のところは、何もしないよ。あ、何もしないというのは正しくないか。でも少なくとも、君が今想像して困ってしまっているようなことはしないと思うよ?」
「想像。オレ考えを声に出してました?」
「いや、君は全部顔に出るから。俺に羽交い絞めにされて、強引にベッドに引き倒されでもしたら、というようなことを想像したんじゃないかな?」
「いや、流石にそこまでは想像出来なかったですけど……。想像したくないっていうのが正しいかもしれませんけど」
「あはは、そっか」
橋本は楽しそうだ。
ていうか、今橋本が言った例というのは、実はつい昨日彰人にされたことそのものだ。へんに勘のいい橋本がなんか怖い。
「昼間のこともあるし、警戒しないでとは言わないけど……。あれについては反省しているんだ。いくら彰人が相手でも、君には失礼なことをしたと思っているよ」
彰人相手でも。彰人が無闇に橋本を敵視するように、橋本にもそれに似た感情が彰人にあるみたいだ。
ただ、違うのは、彰人ほどあからさまじゃないってこと。
「彰人と昔、何かあったんですか?」
この会話の文脈から、こう聞くのは、不自然なのかもしれない。でも、彰人に聞いたとしても、語る舌が惜しいとか言って、橋本とのことについては何も語ってくれない自信がある。そこいくと淡白な橋本は、サービス程度に口を割ってくれるかもしれないと思った。
橋本は、端的だった。
「特に何があったわけでもないよ」
笑顔のオブラートの裏に、何か透けて見えないかとオレは注意して橋本を見る。でも、橋本はオレよりもよっぽど役者が上で、すぐに、
「どうしてそんなことを聞くの?」
と切り返してくる。これじゃ探りを入れるどころか、逆にオレのみっともない好奇心をただされているみたいだ。
「オレの勘違いだったら、失礼だと思うんですけど。昼間のやり取りが、何だか少し険悪に見えた気がしたから。それだけです」
「うん」
橋本は言う。
「え?」
「大嫌いだ」
快晴の空を見て、いい天気だ、とでも言うように、橋本はすがすがしい顔で一言言った。
言葉と表情が乖離している。
オレの聞き間違いなのか?
「一喜さん、今なんて?」
「俺は、八俣彰人が大嫌いだって言ったんだよ。虫唾が走るほどね」
ますます笑みを濃くして、橋本は言うのだ。
「だからね。例えば彰人が俺の間に立ちふさがるのなら。俺はどんなことをしてでも彰人を屈服させる。その自信が今の俺にはあるんだよ。これは、いわく、どんなものも望めば手に入れて来たやつに、とうとうやって来た紛れもない敗北の予感だ。彰人の悔しがる顔を漸く拝むことができると思うと、今から嬉しくて嬉しくて仕方がないんだよ」
そして、あはははと乾いた笑いがつづく。
橋本にしてみれば、ウキウキ気分の吐露なのかもしれないけど、オレにとっては、災難の兆候でしかなかった。こいつもヤバいっていう。
「君もきっと、楽しくてしょうがなくなるはずだ。尊大で正直であることが美徳なあの男の嘆く姿なんて、土星食が起こるよりも遙かに珍しく、見物なのだからね」
引き合いに出された例えもよく分からない。オレはどこに同調していいのか、それともこういう場合は放っておいていいのか、判断に困っていた。
だから、
「は、はあそうなんですか?」
と曖昧な返事をするだけ。
こういう時の対処法こそ、最初に渡された橋本の書類の中に入れておくべきだと思う。
そして、よく理解出来たのは、前言撤回して、橋本の評価を改めないといけないっていうことだ。
橋本は、オレが彰人の嘆く姿とやらに関心を示したと思ったらしく、次から次へとよく分からない例え話で、その貴重さを示してくれる。
正直なところ、聞きたくない。だからって、客を邪険にするわけにもいかないわけで。
こういう状況のことはつまり、途方に暮れているというんだろう。
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