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☑夜とぎの手習い☑
お仕事紹介
しおりを挟むスーツと、それに合わせた同色のネクタイ。
朝、目を覚ますとオレはそれらに身を包みベッドに横になっていた。
何だこの恰好は?
としばらく呆けてから、オレは体を起した。
細かい刺繍を施されたレースのカーテンの向こうがわから、淡い朝の日の光が漏れ入ってきている。オレは辺りを見渡す。
彰人はいなかった。
昨晩彰人が空けたワインは新しいものに取り替えられていたし、潤沢なローションや口に出せない色々で、当然汚れているだろうベッドの上も一式取り替えられていた。
彰人が昨晩ここに本当にいたのかも怪しく思えるほど、形跡というものが消されていた。だ雄弁なのは、腑抜けてしまったオレの腰くらいのもんだ。
「さんざんヤリまくっておいて、放置?ナニサマですかって感じだな」
オレはそう呟いて、首の後ろからドッグタグのチェーンを指で触る。
手繰りよせて、タグをワイシャツの上に引っぱりだした。2枚のうちの1枚目を親指で撫ぜる。
「AKIHITO YAMATA」
ジュエリーデザイナーをしているという、彰人の母親がかつて企画した新商品がこのドッグタグだったらしい。米軍の認証票を参考にして、犬の首輪の札を作ったものだ
元々2枚組のそれを、1枚ずつ恋人同士で交換するとその愛は永遠になるとかなんとか、そういったジンクスがいつの間にか囁かれ、ペットのためへというよりも、恋人のためのアイテムとなったのだという。オレはそういう方面には疎いから、当時、クラスの女子に聞いてはじめて知った。
しかし今思えば、親父が獣医、母親がジュエリーデザイナー、叔母が芸能プロダクションの社長。一体どんな血統だよと、言いたくなる。個性のごった煮状態といってもいいすぎじゃない。だから彰人はあんな変なやつに育ってしまったのだ。
彰人はこのドックタグをオレの首にかけて、こう言った。
『お前は俺の犬だ。お前が尻尾を振っているうちは可愛がってやる』と。
あんまりな台詞にオレは憤慨して、チェーンを引きちぎろうとした。
でも、しただけだ。結局貧乏性が祟って、できずじまいで今に至る。
だって、チェーンは白金、タグの表面の字はプラチナで描かれているのだ。売れば、結構な値がつくだろうと、その場で打算が働いた。
金に困ったら売ればいい。
そう思ってから早3年。オレは、これを肌身離さずつけている。理由は自分でも良く分からない。金に困ったことは結構あったけど、これを質屋に入れることは頭になかった。すっかり自分の一部として一体化していたのだ。
彰人が勝手に着せたらしいスーツを脱ごうと、オレはベッドから降りる。新しいスーツはカチカチとしていて、動きづらい。
コンコン。
オレがボタンを外そうとすると、ノックされ、答える間もなくドアが開いた。
「彰人、勝手に」
彰人が入ってきたのだと思って、オレは悪態をつく。
「失礼いたします、狩野様」
しかし、実際に入ってきたのは、ホテルの従業員の制服を着た青年だった。
「八俣様から、メッセージをお預かりしております」
そう言って青年はオレに白い封筒を手渡してきた。オレは訝しがりながらも、それを受け取り、開封して中の手紙を読んだ。
パソコンで打ち出された文面には、まるでどこかの会社の企画案かのように、箇条書きで細かな字が並んでいた。
ぺらりぺらりと紙をめくっていくと、最後のページには、彰人の署名があって、その横や下には、これでもかという程の印が押されていた。
彰人には不似合いな、キャラクターもののかわいすぎるスタンプもあった。
「押しすぎだろ」と思わず呟きがもれる。
あいつの凄いところは、好きなものに関して、見境がないということだ。このスタンプ然り、聞いた話だと、小学生の頃、BCG注射を医者にねだって断られたことがあるとかないとか。
でもまあ、彰人がマジメくさった顔をして、こんなファンシーなスタンプを押していたところを想像すると、少し……かわいいかもしれない。
想像に、頬がゆるんで、慌てて顔を作りなおす。
「今日のお仕事の内容です。情報が外部に漏れないために、アナログな方法でお伝えするようにと言われております」
青年は言う。
「仕事?」
「はい。今日狩野様がお相手なさる方についての情報です」
「お相手って、何のことだよ」
「はい。夜伽のお相手でございます」
柔和な青年は屈託なくそう言った。
「よ、夜伽っ?」
YOTOGI。
穏やかじゃない単語に、オレは耳を疑った。そして同時に昨晩彰人が言っていたことを思い出した。
お前は男娼になるんだからな。
彰人のつれなさに気をとられ、完全に忘却の彼方だったが、オレは彰人にトンでもないことを予告されていたのだ。
「心配ありません。狩野様のような麗しい方なら、きっと巧みに成し遂げてしまうでしょう。その、スーツと同色の髪も、きっと橋本様は気に召されることでしょうし」
スーツと同色の?
オレは首を曲げて、自分の着ているスーツを改めて確認する。黒だ。
昨日彰人が着ていたものと、デザインは違うが同色のようだった。ハッとして、オレは入り口脇の姿見を見た。
漆黒のスーツに暗黒の髪のオレが、そこには映っていた。
「嘘だろ」
「昨晩。狩野様がぐっすりと眠っておられた間に、八俣様が美容師を急遽お呼びになって、染色を行われたようでございます。とてもお似合いですよ」
「こんなの、冗談じゃねぇ」
鏡に映ったオレは、自分のイメージよりもはるかに幼く見える。
若返ったと言えば聞こえはいいが、自己イメージとのギャップが大きい。
もう少し大人っぽくなかったか?と思う。
「本日のお客様は、愛らしい少年をご所望していらしました。狩野様はそのままでも十分端正でいらっしゃりますが、橋本様の好みとは少々違っていたご様子なので、スタイリングさせていただきました。ピアスも本日のお仕事が終わるまで外していただくようにと、申し付けられております」
慌てて耳朶に触れてみると、銀の丸ピアスは既に外されていた。
「橋本様は夜十時、このホテルにいらっしゃいます。それまでに狩野様には、八俣様からのメッセージにお目を通していただく事をお勧めいたします」
「帰る。野郎の夜伽なんてできるかよ!」
「面妖なことを仰りますね。しかし無駄です、狩野様。この完全なるセキュリティーシステムを駆使した、男娼館から逃れることは叶いません」
やんわりとしつつ、青年は辛辣な言葉を吐いた。しかしオレも貞操がかかっているのだ。気圧されてなどいられない。
「アンタ、ナニサマだよ?オレはただ彰人に連れてこられて、ここで一泊しただけだ。男娼だとか、なんだとか。そんな突拍子もない話に付き合わされる義理はねぇよ」
「これはこれは失礼いたしました。私は、チャーリーと申します。八俣様から、狩野様のお世話を言い付かっておるものです」
「チャーリー?外国籍?」
「いいえ、茶亜莉伊と書きます。純日本人でございます」
「どこまでが苗字で、どこからが名前だよ?」
素朴な疑問をぶつけてみた。
「そのような瑣末な区別は不要だと私は存じております」
さっぱりと茶亜莉伊は言い、オレにニコリと笑いかける。このとらえどころのない感じ、苦手なタイプだ。
「さて狩野様。あなたは、男娼をしないと仰いましたね?」
「だからなんだよ。当然だろ」
「そうおっしゃられましても狩野様。狩野様はあの額面どおりの金額を、即金で捻出することが可能ですか?」
「できるわけないだろ。あんな金額、テレビドラマとかでしか見たことねぇし」
「困りましたね。それでは、若頭に指示を仰がなくては」
「若頭?」
空気が剣呑さを帯びる。
眼前の柔和そうな男は、表情一つ変えてはいないが、空気は確実に緊迫した。青年は制服のポケットからスマホを取り出すと、どこかに電話をかけた。
「ああ、佐久間さんですか。今、例の取立てに来ているところです。それでですね、困った事にこちらサマ、大分強情でして。今、若へ取次ぎできますか?」
青年は冷ややかな瞳でオレを見つつ、会話をしている。
まさかこいつ、取り立て屋なのか?
「若頭。どうします?●△金融からの催促が頻繁になってきてますし、この辺で、決めてしまった方がいいと思いますが。信用をなくしてしまうと後々始末が面倒ですし。ああ、成る程。保険金ですか」
なんだって?
「元来、それほど重要視されていない模様ですし。問題はないかもしれませんね、消えても」
ぞくぅ、と背中を冷脈が駆けた。青年は淡白に返答しているが、とんでもないことを言っている。保険金殺人をしよう、と明言しているようなものだ。
「ま、待てよ!」
玲二は思わず声を上げた。
「どういたしました?」
「そ、そんなことしていいと思ってんのかっ?は、犯罪だぞ!」
青年は華々しく笑う。
「勿論でございます」
「カ、カタギには手は出さないとかなんとか。そうゆう信条とかねぇのかよ」
「いずれにしても、借りたものは返すというのがどこの世界でも鉄則でございます。さもなくば」
青年は懐をゴソゴソとさせる。
け、拳銃を出す気かっ?
「わ、わ、わ、分かったよ!やればいいんだろ。たっ、頼むから、殺さないでくれっ」
男娼なんてのはとんでもないが、殺されるなんてもっととんでもない。
「助かりました。狩野様が物分りの良い方で」
「それで。その話は無しになるんだろ?」
「その話、でございますか?一体なんのことでございますか」
「だから、始末だとかなんとか」
「さぁ存じ上げません」
「だから、今アンタが電話してる相手ってのは」
オレは青年の手のスマホを捕まえて、画面を見る。画面は真っ黒だった。
「は?」
「ちょっとした小芝居です。楽しんでいただけましたでしょうか?」
「楽しめねぇよ」
「それでは狩野様。しばらくしたら、指導員がやって参ると思いますので、しばらくの間、ごゆるりとお過ごしくださいませ」
オレが何か言う間もなく、青年は慇懃に会釈すると、部屋を出て行ってしまった。
「いったい何なんだ」
さっきの従業員は抜け目なく、鍵をかけていったらしい。オレは苦肉の策で、窓からの脱出を試みようとしたが、眼下に広がっていたのは米粒のような人間の往来だった。一体何メートルの高さにいるのか、目測でも測りきれない高さだった。
昨日このホテルに来たときは、ここの豪華さに右往左往するばかりで、彰人が何階までエレベーターを進めたのか確認する余裕もなかった。
しまったな。
もっと警戒しておくべきだった。どうみてもこの大きさ、ビジネスホテルじゃない。そう思ってももう遅いのだ。
やっぱりろくなことがない。彰人と関わりあうと。
しばらくして、彰人から外線で部屋に電話がかかってきた。
『怜二』
「彰人、どういうつもりだよ!」
オレは電話機に噛みつく勢いで言った。
『ぎゃあぎゃあ耳元でわめくな。煩い』
「オレの知らないところで話がおかしな方向に進んでるのは何でだ!」
『お前には顔くらいしか取り得がないだろう。あるいは意外に筋肉質な肉体か。それを活かさずしてどうする』
「悪かったな!」
『なぜどなる?褒めているんだ。とにかく、床入りが嫌なら、巧くお預けにするんだな。精々演技で翻弄してな。もと演劇部だろう?』
「サッカー部だ!」
『何にせよ、後はお前次第だろうな』
「おまえは。オレが野郎にやられても構わないっていうことかよ」
『どうだろうな』
「あいかわらず、ちゃんと答えてくれないんだな。おまえ、いやだ」
『怜二』
諭そうとするでもなく、単に、彰人はオレを呼ぶ。
「おまえにどうこう言われないでも、やるさ。それしか方法がないなら。じゃあな彰人」
オレは彰人の返答を待たないで、受話器を置いた。
そして、ああ、やってしまった。と思う。
こんな変な場所に閉じこめられた身としては、外部の彰人の存在は唯一の命綱といえるのに、どうしてこう感情に走ってしまうのか、自分でも分からない。
オレは結構、面倒くさい性格なのかもしれない。
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