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覚悟を問う
しおりを挟む彼とのデートは大学図書館やカウンセリングルームが多い。付き合う前に私が行きたがった流れもあって、大学に行くことが多かった。
彼の友達に会うことも多く、私と一緒にいるのを見つけて、
「岸井に人間的な欲求ってあるの?」
「人と付き合いたい欲ってある?」
「そもそも人間に興味あったっけ?」
とひどい言い草でからかわれるのを目撃する。
そこまでの濃いキャラクターになっているとは思いもしなかった。でも、確かに彼からは人間的な欲求が見えることは少ない。彼は何を言われても、
「いつも欲求をむき出しにするのが、最良とは思わないけどね」
とサラリと流してしまう。その日も一緒に大学に行ったら、「恋人っぽいことしようって感覚あるの?」とたまたま居合わせた男友達に茶化されていた。
「恋人っぽいことの定義は?」
と彼は聞いて、煙にまいている。
相手はハイハイまたいつもの理詰めですね、と流してくるのだった。
いつもなら気にならないやり取りだったけれど、その日は妙に気になってしまう。
だから、カウンセリングルームに行って、箱庭や描画をやってみた後に、つい、
「岸井さんは恋人っぽいことしたい気持ちある?」と聞いてしまった。
彼は私の方を見て、「さっきの話?」と聞いてきくるので、私は頷く。
彼が重視していない部分をつつくのは、心苦しい。でも、自分の気持ちに蓋をするのも苦しかった。
「あまり、今まで考えたことがなかったのが正直なところで。温度差があると言われたこともある」
過去の恋愛のことを聞いたことがなかったから、少しドキッとしてしまう。
「私は、けっこう欲まみれなんだよ」
「したことは、ある?」
勉強のわからないところがあるか、と聞くように彼は聞いてくる。私は少し考えてから、首を振った。
「でも、岸井さんには触れたいし、触れて欲しいし。もっと」
別の人じゃないんだよ、と思う。
彼は手を差し出してきて、私の小指に自分の小指を絡めた。私は彼の目を見る。
「村瀬さんが欲しいのは……。イメージ自体がとても難しいけど。例えば、勢いにまかせて身体を重ねるとか、そういうこと?」
「岸井さんに勢いはないよね?しなそう」
彼は頷いた。
「そういうのが欲しければ、今のオレには無理だと思う」
「今?」
「今は、この凪を気に入っているし、欲に流されて痛い目を見たくはないから。でも」
フラれる?と思った。
でもそうじゃなかった。
「まったく欲がないかといえば、そうじゃない。村瀬さんに触れたいとは思う」
絡めた指を少し動かす。
「もっと興奮して、強引に奪うように求めて欲しい。そう言われたこともあったよ」
「あんまり、聞きたくない話かも」
「でも、それはカピバラに生肉を食べろって言ってるようなもので。無理があると思う。遺伝子に刻まれた食性が違うんだから」
「もし逆なら。興奮しないで、優しくソフトになら、求めるの?」
彼の人差し指が私の唇をゆっくりとなぞる。そして、口唇の間から少しだけ人差し指を差し込んできた。何をされたのか分からないまま、私は彼の目を見る。静かな目だけれど、その奥にはチラチラと青い炎のような揺れが見えた。
「オレは重いよ。激しく求めて、風のように去って行ってくれた方がありがたかったって思うと思う」
上下の唇の間を、人差し指が滑っていく。それだけなのに、私の心臓はドキドキと言っていた。
「どういうこと?」
「オレと結ばれる覚悟っていうのは、生殖する覚悟だよ。簡単には切れなくなる、長く重い関係」
「求めてくれるなら、嬉しいけど」
口の中に指が入っているせいか、発音が悪い。
「もし、そのときがくれば。全部求めるし、全部あげるよ」
彼はそう言って、指を引き抜く。名残惜しさが顔に出たらしい。
「そういう顔、外ではあまりしない方がいいと思うよ」と彼は少し意地悪に笑っていった。
岸井さんってこんな人だっけ?と思う。
「村瀬さんは、オレと結ばれる覚悟はある?」と彼は聞いてきた。
「あるよ」
とわたしは言う。
「じゃあ、準備をするよ」
と彼は言った。
彼の意外な一面にドキドキしたのは確かだけれど、私フラれるわけじゃないんだ、とホッとしたのも事実だ。
生殖。
結構な重めのワードが出た気はするけれど、もし結婚するなら考えることだよね、と私は割と気軽に考えていた。彼の方から触れてくれたことだけで、私は満足だったのだ。
絡めていた小指を離し、彼は箱庭道具を片付けていく。
何かすごいことをしたわけじゃないけれど、胸がドキドキしていた。彼の別の面を見てしまったからかもしれない。
落すというよりも、私が落とされているんじゃないかって思った。
本当に彼はカピバラかな?とは思ったけれど、私は彼との未来を期待していた。少なくともこのときは。
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