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6章 パニックの終焉
●手の甲からホラー
しおりを挟むそう思い至った瞬間に、左手の甲が熱を帯びた。
「え?」
唐突に手の甲に緑色のマークが浮かび上がると、次の瞬間、そこから虹色の光が吹き出してくる。
「しまった……!」
穂波君(偽)は何かを悟ったようで、そう言った。
わたしには何のことだか分からず、目の前の出来事を見守ることしか出来ない。
虹色の光の尾がじょじょに先細りになっていき、そこから――――
つむじが出てきた。
ん?
と怪訝に思う間もなく、わたしは目を見開き、口をあんぐり開けることとなる。
ずずずっと人間の――――生首が出てきたからだ。
手の甲の上に突如現れた人の頭部に、驚かないわけがない。
だいたい、面積的にありえない。
「ぎゃあああ!」
思わず手をぶんぶんと手を振り、その生首を払おうとするけれど、それどころか首から下の部分までが現れてくる。
白目を剥きそうになりながら、わたしは必死で手を振る。
すると、
「ちょ、ちょっと止めろ、ミサキ!むち、むちうちになるから!いてぇ……っ、舌かんだ!」
その生首が顎をがくがく言わせながら、わたしの名を呼ぶ。
「ん?」
この品のない話し方には、覚えがある。ものすごくある。
けれど、そんなわけはないのだ。
その人物は今、THE MAKAIに……。
やにわに、生首と目が合う。それからわたしは、その人物の目だけではなく鼻、口そして顔全体をたどる。
「ど、どうして!?」
わたしがそこにいた。そして、わたしは、わたしの手の甲からずるずるとはい出そうとしている。
そんなホラーな光景を理解しようとするのは難しいけれど、わたしの姿をしている人物が誰なのかは、理解できるつもりだ。
つまり、
「コータロー!?」
なのだと思う。
わたしがそう口にすると、
「よぉ、ミサキ。元気だったか?」
幸太郎は、能天気にもニコッと笑い、片手を挙げてそんなことを言ってくる。
「元気だったかって……」
それはこっちの台詞だ、とわたしが口を開く前に、幸太郎は、
「プリンス、お前!キングに俺の馬と足並み合わせろって言われてただろ!?何でとんでもねー速さで去ってくんだよ!お陰で俺は、魔の樹海をさ迷う羽目になったんだからな!」
一連の出来事を見ていた穂波君(偽)へと不平不満をぶつける。
「君を普通に帰したんじゃ面白くないじゃないか。それに、君が樹海をさ迷うファントムに、魂を食べられでもしたら、もっと事は面白くなる気がしたんだ」
「面白くねーっつの!てか、何でカズシのかっこしてるんだよ?」
「ビジュアル的にも俺につり合うちょうどいい器が、この者くらいだったからね」
「いや、お前、それはさすがに鏡見ろよ……」
まるでクラスメイトと話すかのように、魔界のプリンスと話す幸太郎。
わたしの手の甲の上で話す幸太郎。
何でだろう、とても不服に思うのは。
奴は、突然出てきて、人の手の甲の上で、なに呑気に人の手の甲に居座っているのだろう。
わたしはこれでも心配したし、幸太郎を取り戻すために奔走していたというのに、挨拶もそこそこになに魔界トークに花を咲かせているのだろう。
むくむくと湧きあがる不満を、わたしの素直に発散する。
つまり、ぶんぶんと腕を振り回してみる。
「んがっ!ミ、ミサキ!?」
「何でこんなところから出てくるわけ?何で魔界のプリンスと知り合いなの?というか、早く手の上から下りてくれない?」
矢継ぎ早にそう言うと、幸太郎は不思議そうにわたしを見る。
「何か、機嫌悪い?」
「別にー。ほら、早く下りてよ」
そう促すと、分かったよ、と言って幸太郎は肋骨の辺りまで出ている身体をよじって、残りの身体を出そうとする。
もぞもぞもぞもぞ……。
しばしそうしていて、一向に外に出る様子のない幸太郎を見ていると、とつもなく嫌な予感がした。
本人は大分早くそれに気がついていたらしく、より豪快に身体をよじる。
もぞもぞもぞもぞ……。
けれど、動きもじょじょに投げやりになってゆき、
「ダメだ出れねぇ……」
の一言で締めくくられてしまう。
「そ、そんなバカな……」
かろうじて出ている幸太郎の手を取り、引っぱってみるけれど、
「いででででで!」
そう幸太郎が痛がるだけで、びくともしない。
思わずわたし達は顔を見合わせる。
「嘘でしょ、こんなの……」
「どうやらマジらしい……」
よりにもよって、どうしてわたしの手の甲から出てきたのだろう。
別の場所から帰って来たなら、まだどうにかしようもあったかもしれないのに。
「どうやら面白いことになっているようだね。けど、残念だ。これじゃせっかくのお土産にけちがついてしまった。何か他のものを探さなくては」
わたし達のやり取りを興味深そうに眺めていたプリンスは、そう言うと、きざな所作で指を鳴らした。
すると、辺りが一瞬にして駐車場に変わる。
合宿の駐車場に戻ってきたみたいだ。
そしてプリンスは空に指で輪を描き、そこに現れ出た黒い穴の中に身体をすべらせ消えていった。
「げ……っ。やべーぞミサキ」
「え?」
「あいつの親父が、俺を人間界に送るついでに見聞を広められると良いって言って、あいつを供につけてくれたんだけどさ。人間界行きはずっと禁止されていたせいもあって、あいつ、人間界に憧れているらしいんだ。だから、あるもの手当たり次第に土産にするかもしんねーぞ」
「そ、そんな!」
思えば、龍の玉のかけらも持っていかれてしまっている。
「けど、あの移動方法だとそんな遠くには行ってねーと思う」
「それじゃ手当たり次第にこの辺を捜してみようか――――」
そう動き出そうとすると、急に空が暗くなる。
何だろう、と頭上を見上げると、
『娘よ。我の力をしかと見たであろう。お前の幼なじみを取り戻してやったぞ』
お腹に響く声とともに、龍が頭上に現れた。
さっき見た時よりは何回りも大きいけれど、元々の大きさよりは大分小さい姿をしている。
まだプリンスの持っているかけらの分の力が足りないせいだ。
『約束は果たした。我の花嫁になる気も少しは生まれたのではないか』
「……」
これは、お前の仕業か……。とわたしは心で呟いた。
幸太郎は現に、口で呟く。
意気揚々と現れた龍は、わたし達の姿を見て、
『……』
絶句する。
絶句しないで欲しい。
寧ろこういう場合、何でもない風に振舞って欲しいところだ。
「あの……焔ちゃん。まだ一つかけらが足りないのに、何で力を使ったの?」
『特に意味はないのだが、我が身にほとばしる力を感じたら……ついな』
「そうついね……」
こめかみの辺りが脈打つのが分かる。
「ミ、ミサキ……顔が……」
『我も、羽目を外したくなるような時があるらしくてな。つい』
つい。その言葉は言って良いときと良くないときがあります。
今は勿論……。
「ついじゃねぇえええ!この姿どう見ても化け物でしょ!?手から人が生えてるなんて!しかもそれが自分の体だなんて!こんな悲劇見たくなかった……!」
『な、中々に器量が良いとは思うが……』
そう言う声は震えている。
「はあ……」
ため息に、
「ひ、しゃこっ!はほはあ……!」
入れ歯の抜けたおじいちゃんのような声が重なる。
つい腕を振って力説したせいで、幸太郎の頭ががくがくと上下してしまっていたらしい。
ボサボサになった髪を顔に絡ませながら、はあはあ息を弾ませている。
「あ、ごめん……」
『中々に難儀であるな……』
「焔ちゃんのせいだけどね……」
「つーか、ミサキ。何で龍と仲良くなってるんだよ?焔ちゃんとかって……」
「いや……利害の一致で協力していたって言うか」
「利害の一致って何だよ?」
そう尋ねてくる幸太郎の顔を見て、思う。
そっか、帰って来たんだ、と。
姿はわたしのままだし、わたしの手の甲から生えている怪しい姿だけれど、一応は帰って来た。
「お帰りコータロー」
自然にそう口をついて出た。
幸太郎は、驚いた顔をして、
「こ、答えになってねー……」
にわかに顔を赤くする。けれど、すぐにいつもの調子に戻って、
「ただいま、ミサキ。ハグしとく?」
そんなことを言いながら、両手を広げてみせる。
「しない。それよりプリンスを探しに行こう。焔ちゃんも協力してよね!」
『ああ』
「な、何かミサキ、たくましくなったな?」
「そんなことないよ。ちょっとだけ、分かったことがあるだけ」
「分かった?」
「うん――――」
そのとき、不意に何かに呼ばれたような気がして、空を見上げる。
龍の鱗のような雲が、青く高い空へと広くたなびいている。
すっかり秋の空だ。
夏の終わりは、近い。
夏の間のパニックは夏の間に解決しなくちゃね。
きっと、去年の秋よりいい秋が来るはずだから。
「それと、コータロー」
「ん、何だよ?」
「全部終わったら、話があるから」
ちょっとだけ、勇気を出してみてもいいよね。
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