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3章 混線×混戦

●僕の洗剤になってくれ

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 そう、そんな顛末を経て、今こうして、男子生徒とご老人を目の前にしている。
 そういえば、戸田さんや幸太郎はどこにいったんだろう。
 わたしを気絶させてここまで連れてきたのは、きっと戸田さんだし、一枚噛んでいるのは間違いなさそうなんだけれど。

「おい、聞いていたのか?」
 わたしが考え事に頭を染めていたら、男子生徒から声がかかる。
「えーと……聞いてませんでした」
「では、僕の生い立ちについてまた最初から話そう」
「い、いや。そういうものは良いので、早く本題に入ってください」
 そうだった。
 さっきから、この男子生徒は、自分の出生の秘密から始まり新生児の成長からその他の細かい自分に関する事項を、時々ご老人の合いの手を受けながら、とうとうと話していた。
 それがあまりにも長いので、こうして考え事の世界にわたしは逃避していたのだ。
 だって、自分の出生したちょうどその時間に、アメリカのある夫妻が未確認飛行物体に出くわしたと証言している、なんていう類の話を何本立てでされてもどうしていいか分からない。
 しかも、そんなに長く話をしていても、肝心の名前や学年にはまだ触れていないのだからやってられない。

 わたしが切り出すと、男子生徒は顎に手を当て、少し考えると、
「そうだな、本題に入ろう。僕のことはこれから知ってもらえればいい」
 そう言った。
「どうして、わたしをここに連れてきたんですか?」
「それは、君とある取引をしたかったからだ」
 かりこまった調子で男子生徒は語り始めた。
「取引?」
「そうだ。僕には聞くこところによると、君は今、とても厄介な状況にいるらしいじゃないか」
「え、ど、どういう意味ですか?」
「今、思い当たっただろう。そのままの意味だ」
「……知ってるんですか?」
「昨日、サークルのメンバーが会長と話していた内容に聞き耳を立てたら、君のことだと知った」
「サークル。まさかアホマホサークルだったりして」
「その通りだ。良く知っているな。僕はまだビジターで本登録はしていないがな」
「あ、ああ、そうなんだ」
 本当にあったんだ、アホマホサークル……。

「君の厄介な状況とは、君の幼なじみ横堀幸太郎が犬になったことと、君の周りに君を狙う異性がたかるようになったこと、これで間違いないだろう?」
「はい。後者のほうは、ちょっと語弊がありそうですけどね」
「原因は、魔法の意思の交錯だ」
「そう、まほ、いや友達も言ってました。それに、コータローを元に戻る方法は愛とキス、だとも」
「その点は僕も同感だ。魔法も一種の意思だ。それを解くためには更に強い意思、愛が最も適している。その意思の表れとしてのキスならば、確かに魔法が解ける可能性は高いだろう」
 でも、保健室でのキスでは魔法は半分しか解けなかったし、すぐに戻ってしまった。
 それはわたしが幸太郎を愛している、というわけじゃないからだろうか。

「だが、見過ごされていることがあるようにも思う。意思はいつも一定ではありえない。感情や身体の調子にも意思は左右されるものだ。気分がのらないときにキスしたとしても、魔法が解ける可能性は低い」
「えーとつまり、どういうことですか?」
「君のいう友達のやり方の場合、感情や体調が万全に整い、気分が非常にのったときにキスしなければ魔法は解けないということだ」
「そ、そんな……」
わたしが、非常に気分がのって幸太郎にキスするなんて、実際問題ありえないと思う。
さっきだって、不可抗力でああなってしまっただけだし。
「じゃあ、実際には、魔法を解く方法はないってことですか?」
「方法はある。だが、それは、君が僕のとの取引に応じてくれれば教えよう」
「どんな取引なんですか?」
 わたしが尋ねると、男子生徒は口角を上げて微笑する。
「僕が君に魔法を解く方法を教える代わりに、君は僕のファム・ファタールになるんだ」
「ふぁむふぁたーる?洗剤の名前みたいですね……」
 つい茶々を入れると、男子生徒は、
「君は、僕の洗剤になってくれと言って、なるのか?どうやって?」
 淡々とそう返してくる。
「な、ならないですね、すみません」
 雰囲気が総じてシャープな人だとは思っていたけれど、ここまでシャープに返されるとは思わなかった。
「ファム・ファタールとは、運命の女という意味のフランス語だ」
「なぜそこでフランス語が?」
 わたしがそう言うと、男子生徒は目をギラリと光らせ、
「何だかかっこ良さそうだから使った、とでも言えば満足か!?君はそこまで僕を貶めたいというのか!?」
 とたん勢いづき立ち上がると、わたしの方へと迫ってくる。
「ごめんなさぃぃ!そんなつもりはありません!」
「坊ちゃま。あまり興奮なされませんよう。本題に入りましょう」
「そうだな。悪かった」
 傍らからご老人がフォローに入り、事なきを得る。
 しかし、心臓がど、ど、ど、と大きく波打っているのを感じる。
 ……言葉には気をつけよう。


 男子生徒は椅子に座りなおすと、居住まいを正し、それから再び口を開いた。
「先日通いつけの占い師に、強い運命の力を感じる、と言い呼びつけられた」
「通いつけの占い師……ですか」
 とても気になるワードが出てきたけれど、ここで引っかかっちゃいけないんだろうな。
「その占い師は、あらゆる占いの研究に励んでいるのだが、最近独自の占いを開発したらしくてな。その占いを伝えに、僕を呼びつけたのだというのだ」
「それで、その占いの結果と、わたしにふぁむたるになってくれというのが関係あるのですか?」
「ファム・ファタールだ。運命の女でも可」
 すかさず手厳しい修正が入る。
「じゃ、じゃあ、運命の女になってくれというのに関係が?」
「ああ。“ボクの古今東西すべての占いを混ぜ込んだブッコミ占いによれば、キミの席の北西の方角に運命の人がいるですぅ!一緒にいれば、金運、愛情運、学業仕事運うなぎのぼりのすんばらしい相手ですぅ!ソウルメイトと言っても差し支えないですぅ!今すぐその子のところに言って、愛をささやくですぅ!”」
 声色がツートーンくらい高く変わって、男子生徒は言った。
 ただ、きりりと引き締まった表情のまま言うので、声とのアンバランスさが際立っていた。
「……」
 ブッコミ占いってどういうセンス。
 ですぅって何だよ。

「何か言いたそうな顔だな?」
「いえ気のせいです」
「まあ、良いが。そのようにその占い師は言っていてな。僕はさっそくクラスの座席表を拝借し、角度を計測したところ、ちょうど北西にいた君を探し当てた」
「そ、そこまでするんだ」
「坊ちゃまは占いに全幅の信頼を置いているのです」
「はあ」
「その占い師の占いは良く当たるのだ。比較的最近人づてに紹介されたのだが、僕の身の回りで起こる事象すべてを言い当てている」
「例えば?」
「そうだな……“明日は8時20分に登校するですぅ、華道部の活動に参加するですぅ、夕食はベトナム料理の予定ですぅ”」
「それ占いじゃない!最後のなんてもう、予定ですぅとか言ってるし!」
 左手が縛られてなければ、額を弾いているところだ。
「君はやかましいな。そんな細かいことはいいんだ。当たっていたのだからな」
「何かもう、帰って良いですか?」
「何を言っている?本題はこれからだろう」
「だって、色々がめんどくさいです」
「占い師の言うとおり、君にすぐにでも愛を囁きに行こうとしたのだが、何分六曜との兼ね合いが上手くいかなくてな。今日の今日という日まで遅れてしまった」
 ああ、スルーされたよ。
 仕方なく、わたしも話しにのることにする。
 この場からされる方法があるとするなら、きっと、話が終わったときしかなさそうだ。
「六曜っていうと、あの大安とか仏滅とかいう?」
「そうだ。僕自身の予定と六曜上の吉凶とが上手くかみ合わなくてな」
 ああ、そういえば、昨日一昨日と、階段の辺りで変な声を聞いたっけ。
 先勝がどうの、友引がどうのと言って去っていった影。
 あれはもしかするとこの男子生徒なのかもしれない。

「今日は幸い先負、午後からは吉。出会いには少々ふさわしくはないが、大安までは待っていられないと、実行したまでだ」
「わたしに会いに来たのは、分かりましたけど、そのためにわたしを拉致する必要なんてないんじゃないですか?普通に会いにきてくれれば、いい話なんじゃ?」
「それでは、満足できないだろう。僕が」
「あー要するに、わたしはあなたの満足のためにみぞおちにパンチを食らったわけですか」
 戸田さんに殴られるなんて夢にも思わなかったから、完全に油断していたせいもあって、パンチはモロにわたしのみぞおちをえぐった。
今でもぴりりと痺れが残っている。
「食らったのか?」
「食らいました!」
 必至に訴えてみたものの、
「僕は知らん!」
 あっさり切り捨てられる。
「……」
「重要なのは、君が僕のファ……いや運命の女になり、その代わりに魔法を解く方法を得る、取引に応じるとどうかだ」
「ファム・ファタールって言うの、止めたんだね」
「どうなんだ?」
 余計なことは言うなとでも言いたげに、強い視線で射抜かれる。
「どうなんだ、って言われても。運命の女って具体的に何をするんですか?」
 というか運命の女って、なってくれと言われてなれるものなのか、って疑問がまずある。
 わたしが尋ねると、男子生徒の傍らでわたしとのやり取りを見守っていたご老人が、
「そのことについてはこのじいやめがお答えしましょう」
 そう言うと、何やらスケジュール手帳のようなものをジャケットの裏から取り出し、しおりが挟まっていたページを開いた。
「本田さんに坊ちゃまの運命の女性になっていただいた場合、即座にその立場は、マツシロコーポレーション次期社長夫人となります」
「しゃ、社長夫人?!」
 しかもマツシロコーポレーションって、この前ゆき姉が内定もらったという会社じゃなかったっけ?
「ご夫人には、坊ちゃまに付き添い各種パーティーにご参加いただくことになります。今日にでもご返事をいただけるようでしたら、明日はカイオウ物産、リンドバーグ社、西京電力など、エコロジーフレンズとして我が社が率先するエコ活動に協力くださる会社、団体の合同パーティーが予定されておりますので、そこに出席いただくことになります」
「ちょ、ちょっと待ってください!ひょっとして、運命の女って……フィアンセのことですが?」
 わたしがそう口にすると、水を打ったような静けさがやって来る。

「な、何で黙るんです?」
「今更なぜそんなことを聞くのか、と不思議に思ったのだ。なあじいや?」
「はい。面妖でございます」
「だ、だって、一言も教えてくれなかったじゃないですか?」
 わたしの言葉に、男子生徒は、くわあと目を見開く。
「ひぃぃぃ!」
「君は僕を、何でもないただの友人に運命の女と名乗らせるような変わった人間だと思っているのか!?」
「わ、分かりません!だって、さっきからわたし、あなたの基本的な情報一切聞いていませんし!」
「何だと!?生い立ちから何からすべて話しただろう?」
「確かに、出生時間とアメリカの夫婦の話をはじめ、色んな話(どうでもいい話)はしてもらいましたけど、肝心なあなたの名前と学年その他の情報はもらってません!」
「ああ、なるほど!君は人類に対する興味の範囲がものすごく狭いのだったな」
 男子生徒は納得がいったという風に、ポン、と手を叩く。
 何だか貶されている気もするけれど、反論は出来ない。
「それでは、自己紹介といこうか。僕は松代一誠、君と同じ2年c組に属している。先ほどじいやが言ったとおり、マツシロコーポレーションの次期社長だ。学内での所属部は華道部、校外ではアホマホサークルのビジターをしている。今後親しくしてもらいたい。――――これでいいか?」
 彼が同級生、しかも同じクラスの生徒でイケメンと有名な松代君だったとは……。
 彼を責めるのはお門違いもいいところだったのだ。
 クラスメイトの顔を覚えていないわたしがかなりおかしいだけで。
 ああ、わたしは愚かだ。
 頭を垂れていると、
「落ち込むのは後にしてくれないか。今は取引の返事が聞きたいのだ」
 松代君の辛らつな言葉が飛ぶ。
 踏んだりけったりだなあ、今日は……。
 ボールぶつかるわ、キスでパニックになるわ、みぞおちにパンチもらうわ、怒られるわ。
 ここのところ、結構大変な毎日だったけれど、総合的に今日が一番辛い気がするな……。

 けれど、そんな考えにも長くは浸ることもかなわず、
「答えてくれ。さあ高らかに叫びたまえ、イエスかノーか!」
 わたしに手を差し出す格好をすると松代君はそう言った。
「そ、そんな急に迫られても――――」

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