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3章 混線×混戦

●犬男との攻防!

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 わたしは慌てて幸太郎の上から退く。

 白い体毛はあっという間に今の幸太郎の大きさを遙かに超え、徐々に人のような形を作っていった。
目の前の出来事を平行して、わたしは、右手の甲がじりじりと焦れていくのを感じる。
何が起こっているのかは分からなかったけれど、甲の熱さから、魔法に関係のあることだとは分かった。

 ひょっとしたら、元に戻るのかな?
 キスをしたら戻るってまほりは言っていたし。
 その考えは甘いものだったこと、わたしは数秒後に知る。

 光が消え去り、元に戻ったに違いない、とわたしがそこに認めたのは、
「な、な、な、なーっ!?」
 狼男ならぬ犬男だった。
 制服の上下に身を包み、その身だしなみは十分人間的だけれど、犬の顔をして犬の手足を持つ犬男だ。
 しかも、小さな頭部と大きすぎる身体のバランスや、目だけが人間の目で他は犬の顔、指先だけが人間で他が犬のもの、とバランスがおかしく、そのあまりのシュールさに恐怖を覚えてしまう。
 何かが間違っているとしか、思えなかった。

『お、戻ったのか?手足が長い』
 と言いながら幸太郎は、自分の手足を動かしてみせる。
「い、いや、中途半端に戻ったというか。これなら戻らないほうがましというか……」
 わたしは目の前の現実を受け入れる勇気がなく、無意味に視線をあちらこちらへと動かしながら、少しずつ後ずさる。
『ミサキ、目が泳いでるぞ?』
 幸太郎は自分の異変にまだ気づいていないようだった。
「こ、コータロー、これで顔見れば?」
 わたしは、台の上においてあったピンセットやはさみなどが立てかけてあるアルミ製の缶を手にして幸太郎に渡す。
『お、サンキュ。じゃあさっそく……』
 幸太郎は起き上がると、缶を受け取り自分の顔を確認する。
 その瞬間、ぴくりと止まり、幸太郎は一切の身じろぎをやめた。
 それから、カチカチカチっとロボットのような動きで顔をこちらに向ける。
 ビクッとしてわたしは後ろに飛びのく。

『み、ミサキ。俺は自分の顔が犬に見えるんだけど……』
「き、奇遇だね、わたしもコータローの顔が犬に見えるよ」
 そう言ったが最後、幸太郎がぐわあ、と襲いかかってきた。
「ぎゃああ!」
 わたしはすんでのところで交わして、ベッドのわきに退く。
「な、何で襲ってくるの!?」
『半分しか戻ってねぇぇ!もう半分戻してくれミサキ!』
 犬歯をむき出しにして幸太郎は叫ぶ。
「そんな怖い顔にキスなんか出来るか!」
『目をつぶれば一瞬だろ。チョコレートやるから!』
「こ、この状況でお菓子につられると思うの!?」
『このままじゃ研究所行きだ!何が何でも、やってもらうぜ!』


 犬男VS女子高生。
 何でこんなことになった!?
 わたしは、ベッドわきのカーテンの束をスライドさせ、幸太郎へぶつける。
『うわっ!』
 その隙に、向かいのベッドの並びへと逃げ込む。
 こちら側はベッドとベッドとの間が広いので、逃げやすいと思ったからだ。
 けれど、
『は、は、はっ!チャンスを失ったなミサキ!』
 犬男になって体積の増した幸太郎が立ちふさがると、思いのほか逃げ回るスペースがないことに気がつく。
「しまった!」
 幸太郎は徐々にわたしににじり寄ってきて、とうとうわたしは壁に追いつめられる体勢となる。
『短い戦いだったな』
 芝居かかった台詞をはきながら、犬男が迫ってくる。
 こうなったら、血路をひらくにはバイオレンスな方法しかわたしには残されていない。
 鉄拳を食らわせるか、足で急所を蹴り上げるか……。
『ミサキ。観念して俺をもう半分戻すんだな!』
 可愛い小犬にキスするのとはわけが違う。
 二本足で歩く、毛むくじゃらの犬男にキスをするなんて恐ろしすぎる。
 こうして向かい合っているだけだって、中身が幸太郎だと分かっていなければ、涙目必至だ。
 ずいずいと寄ってきて、文字通り目と鼻の先になった犬の顔を前に、わたしは左手の拳と右足の足裏とに力を入れる。
「コータロー、考え直す気はないの?」
『ない。そりゃ俺だって、ミサキとこんな形でキスなんかしたくねーけど……。本当は、もっと、ちゃんと……』
「コータロー?」
 そのとき、

 ――――ガラガラガラ。
 戸が開く音がして、
「ごめんなさい本田さん、他に熱中症の子が出てきちゃって。席を外してい――――」
 白衣を着た保健の先生がやって来た。
 ハッとして、わたしと幸太郎の視線がいっせいにそちらに向かう。
 けれど先生はわたしの方には目もくれず、まっすぐに幸太郎を見つめると、目を白黒させる。
 や、やばい。
 ――――きゃああああああああああ!ば、化け犬ぅぅぅ!
 絹を裂くかのような黄色い悲鳴が響き渡る。

 同時にボン、と間の抜けた音がして、わたしの目の前から幸太郎が姿を消す。
「え!?コータロー?」
『世界がでかい……。も、戻ったのか?』
 見ると、マルチーズの姿の幸太郎がそこにうずくまっていた。
「魔法が戻っちゃった……」
 わたしのキスじゃ、半分戻るのがせいぜい、しかもすぐに効き目が切れるみたいだ。
『また、この高さか……』
 わたしを見上げながら、幸太郎はしんみりと呟く。
 そういう様子を見ていると、何だか居たたまれなくなる。
 何か言葉をかけられないかな、とわたしが考えていると、
「だ、誰か!来てくださいぃぃ!」
 床に腰を抜かしていた保健の先生が、ドアから顔を出し廊下へと声をかけ始める。
『まずいな』
「だね」
 周囲を見渡すと、校庭へと繫がる引き戸が目につく。

「あそこから逃げよう」
 わたしはさっきまで眠っていたベッドの下から体育館履きを拾うと、靴下を脱ぎその中に入れた。
『はだし?』
「靴下汚れるのやだしね。行こう」
『今更だけど、ミサキ。寝てなくて平気なのか?』
 幸太郎のぼやけた発言に、わたしはずっこけそうになる。
「い、今それを聞くの?散々追いかけ回したでしょーが!」
『そうだけど』
 幸太郎は浮かない表情だ。
「どうしたんですかー!?」
 廊下をパタパタと走ってくる音がしたので、わたし達は顔を見合わせ頷きあう。
 わたしは引き戸を開け、外に飛び出した。幸太郎も後に続く。
 逃走するよりいい方法があったような気もするけれど、先生に上手く説明できるは自信がないし、しょうがない。
 果たしてわたし達は、逃げることにしたのだった。
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