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2章 蒔かれたよ、変の種

●リセットボタン、クダサイ

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 朝ごはんを食べて、身支度を整えていたら、玄関のチャイムが鳴った。
「ミサ~まほりちゃんが来てるわよ~」
 戸口に出たお母さんから声がかかる。
 あれ?今日約束していたっけ、と頭に疑問符が浮かぶ。
 まほりは補習ないんじゃなかった?
 ああ、部活があるからかな?
 そう思いながら、玄関に出て、わたしは現実に打ちのめされた。

「おはよーミサー!」
『はよーミサキ!』
 両手に本のいっぱい詰め込まれた手提げを持つまほりと、足元の白い犬。
 しかもその犬はしゃべると来ている。
「二人とも、おはよ。はあー……」
 一晩寝てすっかり忘れていた現実が、目の前にばんっと突きつけられた感じがする。
 見なかったことにしようと、わたしはドアを閉める、が。
 がっと僅かな間にまほりが足を挟み、閉めそこなう。
「まほり、邪魔しないで……!」
「ミサ。ゲームじゃないから、リセットはないんだよ。オートセーブ機能付いてるんだよ?これがミサの現実」
 そしてむやみに優しい顔で諭されてしまう。
「わたしの現実……」
「それはともかく、魔法についての本、いっぱい持ってきたから、昼休み研究しようね!」
 語尾にハートマークが付きそうなくらいうきうき調子で、まほりは言う。
 寧ろその高いテンションに気が引けてくる。
「りょーかい……。カバン取って来るから待ってて」
 去り際、ドアの合間から幸太郎を見る。
 そうすると、気づいた幸太郎が見上げてくる。
『ん?何だよ、ミサキ』
 今朝の夢を何となく思い出していた。
 そういえば、出会った頃の幸太郎って、あんな感じだったんだよね。
 良く笑って、目が明るく光って、いつも楽しそう。
 でもそう並べてみると今とそう変わってないのかもしれない。
 いやいや、犬だし、変わってるか。
「何でもない。取ってくるね」

 教科書の入っているカバンの他に、午後の自主トレのために着替えの入ったスポーツバックも持参した。
「俺が犬になっちゃったっていうのに、部活に出る気なのかー」とか幸太郎にはぼやかれそうだけれど、出れるのに出ないと顧問に怒られるからしょうがない。


 案の定、わたしがスポーツバックを背負って出て行ったら、
『ミサキの裏切りものめ!俺が犬になって、大変だっつーのに、部活出るなんて!』
 と叫ばれてしまう。
「うるさいなあ……」
『俺なんかこのままじゃ補習にも出れねーし、後期の通知表がものすごい危機なんだからな!』
 幸太郎は体育やその他の実技科目が全然駄目なのだ。
 わたしも人のこと全然言えないけれど、幸太郎ほどではないと思う。
「仕方ないでしょ、顧問に怒られるのやなんだもん」
「確かに、女子バスケ部の鰐淵先生、ものすごい怖いもんね。ヒステリーが」
「そうそう。特にこの前婚約破棄されて、その後はマッチングアプリで出来た彼氏にふられたらしくてね……」
 シュートが決まらないと、金切り声で怒るのだ。スポーツウェアの裾噛んで、キィィィーって。
そんなのを見ていると、大抵の怖いものなんて大したことないと思えてくる。思い出すだけで、背筋がぷるぷるして来た。
 そんな思いを払拭するため、わたしは別の話題をふる。
「ところで、コータロー。まほりの家、どうだった?めちゃくちゃ広かったでしょ?」
 幸太郎は昨晩、まほりの家に泊めてもらったのだ。
 幸太郎の家にはまほりから、しばらくわたしと幸太郎とまほりの三人で勉強合宿をすることになった、と連絡を入れてもらった。
 まほりの家は動物大好き一家で、ゴールデンレトリーバーのベスを初めとしてニシキヘビのベルガモット、イグアナのジョナサンなどなど、たくさんの動物を飼っている。
 犬の一匹くらい増えても平気、とまほりが言うので、幸太郎は犬の間そこに置いてもらうことになった。
 わたしが尋ねると、幸太郎はぴしり、とその場で固まる。
『胴が……ぎゅぎゅぎゅうっと締まって……すげえ苦しくて……。た、助けてくれ……』
 黒い目をどんどん曇らせ、淡々と言う。
 何か、怖い。
「な、何があったの?」
『……』
「あー、コータロー君何か言ってる?」
「う、うん。なぜか、心に大きな傷を負ってるっぽいんだけど……」
 わたしがそう言うと、まほりは苦笑いをする。
「なんかね、コータロー君、妙にベルガモットに気に入られちゃって……。すごくじゃれついてたんだけど、ときどきコータロー君を気絶させちゃったりして……あは」
「あは、じゃないよ!まほり!」
「大丈夫、ベルガモットだって手加減してるよ。たぶん……」
「い、いやいや、現に気絶してるんでしょ!?」
「ベルガモットにはきつく言っておくから」
『その前に、蛇は水槽の中に入れてくれ!』
 まさかニシキヘビを……放し飼いなの?
 ベルガモットって確か、体長10メートル、直径20センチの大蛇じゃなかったっけ。
 ……深く考えるのはよそう。

「ま、まあ、気に入られたなら、良かったね。コータロー」
『ミ、ミサキ?』
「もしも、犬のまま戻れなかったら、まほりの家にお世話になれるね」
『ぜ、ぜぇってぇ戻る!戻ってやる!』
 わたし達の足元をキャンキャン跳ね回りながら、幸太郎は叫ぶ。
 歩いている足元でそうされると、その小さな体を踏みそうになって足の行き場に迷う。
「ちょ、コータローあぶな――」
 踏み出した足を下ろそうとしたそばに幸太郎が来るから、踏まないように足を引こうとしてバランスを崩す。
『え?やべっ、ミサキ!』
 やばい、と瞬間思ったけれど、後ろに傾いた体はもう自力では戻らない位置まで来ていて、わたしは背中への衝撃を覚悟した。

 けれど、やってきたのは、トン、と肩を支えられる感覚だった。
「え?」
 そのままふわっと体が引き戻される。
「大丈夫?」
 後ろから声がして、振り返るとそこには、えーと……そう、穂波君がいた。
 クラスメイトの名前がぱっと出てこないのは、ちょっとまずい。
「あ、ありがとう。穂波君」
『あ、カズシ』
「どういたしまして。改めておはよう、本田さん。朝早いね」
 穂波君は柔らかい物腰で、そう笑いかけてくる。
「あー補習でねー」
「おはよー、穂波君。穂波君こそ早いじゃん」
「ああ、椎名さんもおはよう。俺は部活なんだ」
 そう穂波君が言ったので、そういえば彼は何部だっけという疑問が生まれてくる。

 そんなわけで、
「そーいえば、穂波君って何部だっけ?」
 わたしは何ていうことなくそう聞いたわけだけれど、とたん、空気がピタっと止まる。
 穂波君の顔には苦笑いが張り付いていた。
「え?何、みんなして……」
『ミサキ、さすがにそれはねーよ……』
「空気ストッパーミサキ……」
 まほりに至っては、そんな変なあだなをつけてくる。
「な、何なの?わたし何か変なこと言った?」
「ごめんね、穂波君。ミサって興味のないものについて感度がものすごく低いから」
「し、椎名さん、それってフォロー?」
 穂波君、わたしの発言以上に傷ついている様子なんだけど……。
「まあ、しょうがないかな。俺きっと、存在感薄いんだよ」
 穂波君の非常に傷ついた様子を見て、ハッとした。
「……まさか、穂波君、同じバスケ部だったり……?」
「ははは……」
 穂波君は乾いた笑い声をあげてらっしゃる。
 ……当たりだ。
「う、嘘だよ嘘嘘嘘ー。同じ部活なのに知らないわけないよ。1年以上活動してて、全然覚えがないなんてそんなことあるわけないって……」
 取り繕うが既に遅し、
「本田さん、大丈夫だよ。本田さんの本音は良く分かったから……」
 穂波君は呆れた顔でこっちを見ている。

 ああ、やってしまった。
 いくら男子全般に興味ないとは言え、こういうのは良くない。一応自分の周辺くらいは認識しておかないといけないよね。
「まあ、今覚えてくれたなら、それで良いよ」
「ホント、ごめんね……」
『……』
「それより、さっきから少し気になっていたんだけど、その犬って本田さんの飼い犬?」
 わたしの足元へと穂波君の視線が降り注ぐ。
「うん、まあ……そう」
「そうなんだ。かわいいね。撫でてもいい?」
「う、うん」
 と言いつつ幸太郎をうかがうけれど、
『……』
 反応なし。
 穂波君が撫でている間、ずっと幸太郎はそっぽを向いて不機嫌そうにしていた。
 あまりにもあからさまなので、ひょっとしたら幸太郎は穂波君と仲が悪いのかな、と疑ってしまう。
 そんなわけで、感じ悪いよ、と心の声で幸太郎に話しかけると、
『そんなことねーよ』
 と気のない返事だ。
 やっぱり、穂波君と仲悪い線が有力?
『え、カズシ?仲良いけど?』
 今度は別に話しかける気じゃなくそう思うと、勝手に返事が返ってくる。
 何なのかな、このわたしの心の声ばかりだだ漏れ状態。
 仲が良いのに、撫でられて不機嫌って言うのがちょっと理解できなかったけれど、
「この子、良く吠えるね。俺、警戒されてちゃってるのかな?」
 と穂波君が言うので、これ以上心の声を通して話すのはやめることにした。


「ねえねえ3人と――いや2人とも。そうやってなごやかーに戯れてるの楽しそうだけどー」
 まほりが割ってはいる。
「ん?何まほり」
「ち、こ、く」
 わたしは腕時計を見る。始業開始2分前。ここから学校まではあとおおよそ5分の距離……。
 そう言えば、周りに生徒が見当たらなくなったと思った。
 とそんな場合じゃなくて!
「は、走るよ、3人とも!」
 と言うが早いか、わたしは駆け出していた。
「わ、ミサ。抜け駆けー!」
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