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「ギャロウェイ副長官?」

 一ヶ月前、エイブラハム・ホワイト副長官が体調不良を理由にFBIを退職した。どうも太り過ぎが原因らしいというゴシップが出回ったが、FBI長官が後任に指名したのは、サラ・ギャロウェイだった。まだ女性がFBI本部ビルの廊下を歩くのも珍しかった頃からキャリアを積み、五年前には諜報部門の次官に任命され、FBI内でも最もパワーのある女性と噂されている。そのサラが女性初の副長官に指名されたのは、野望を隠さないアリスンとは違い、長官職に興味がないからだと囁かれている。
 トラヴィスは新しい副長官と直接的に関わったことは一度もなかった。面識もない。実は顔もよくわからないので、どんな人物か想像もできない。

「そう、君を指名したのはギャロウェイ新副長官だ」

 パトリックはパイプ椅子に深々と座ると、デスクに両肘をついて、組んだ両手の上に顎をのせ、部下を見上げる。

「それも忘れると、ひどい目にあうのか?」 

 トラヴィスは面倒そうに訊いた。何やらFBIお得意の陰謀の臭いがぷんぷんとしてきた。だが、命令が出た以上は捜査へ行かなければならない。新しい副長官が自分を選んだ真意はどうであれ。

「そうかもしれない」

 パトリックは他人事のように頷いた。

「事件自体は、シンプルだ。しかし、それゆえに難しい」

 トラヴィスは分厚い書類をもう一度睨んだ。

「こいつも、シンプルにまとめて欲しかった」
「それでも頑張ってまとめたんだよ。省略された部分もあるからね」
「俺が生きているうちに、その省略されたって部分も教えて欲しいもんだな」

 本部の秘密主義にはうんざりだという顔をして、トラヴィスは書類を片手に退出しようとした。

「ああ、トラヴィス」

 パトリックは何気なく呼び止める。

「何だ?」
「君はラッキーだ」

 トラヴィスはうろんげに振り返って、思いっきり首をかしげてみせた。

「何がラッキーなんだ?」
「今、その省略された部分を思い出したよ。君がまだ生きているうちで良かった」

 しれっとそう言うと、穏やかだが何を考えているかわからないという評判の上司は、口をへの字を曲げた部下へ、おいでおいでと言うように手招きした。




 車は、一時間以上遅れて到着したFBI特別捜査官を乗せて、ハイウェイ285を走り、保安官事務所へ向かっていた。
 トラヴィスは後部座席に座り、窓から見える景色を眺めていた。空港はフォートストックトンの外れにあり、車が町へと近づいてゆくにつれて、ハイウェイ沿いに建つ家が見えてきた。しかし小型飛行機に乗っている最中に上空から目に焼きついたのは、周辺に広がる乾燥した光景だった。テキサス州の西部に位置するこの辺りは、半砂漠地帯で、車の中からでも遠くに岩山が見える。ハイウェイも乾いていて、平坦なアスファルトが地平線の果てまで一直線に伸びていた。

「テキサスはどうですか? ヴェレッタ捜査官」

 ロイドは助手席から背後を振り返って、にっこりとした笑みを顔に貼りつける。
 トラヴィスはそのもったいぶった言い方に、銃口の標準を当てるように振り向いた。

「ああ、子供のようにワクワクしている、フローレス副保安官」

 空港でお互い名乗って握手したのだが、トラヴィスとトラヴィスを迎えに来た二人の関係は、今のところ最悪だった。

「ロイドと呼んで下さい、ヴェレッタ捜査官」
「俺もトラヴィスと呼んでくれ、フローレス副保安官」

 先程から白々しい会話が繰り返され、非友好的な空気が車中に充満している。カートなどは口を動かすのも億劫だというように、黙って運転している。
 トラヴィスはシートにどっしりと寄りかかると、自分を出迎えた二人を改めて観察した。副保安官のロイドは、フローレスという姓のとおり、ラテン系の男だった。肩まで伸びている黒髪に濃いエメラルドの瞳。背は高く、大柄で引き締まった体型の持ち主である。顔立ちもラテン系らしく甘くセクシャルで、トラヴィスから見ても非常に魅力的な男性だった。年齢は二十代後半のようで、その若さで副保安官職を務めているということは、大変に優秀なのだろう。女性を情熱的に口説くような雰囲気に騙されると、犯罪者たちはもれなく手酷い目にあうに違いない。
 反対に保安官助手のカートは、金髪碧眼の白人男性で、ロイドと同様に背も高いが、肉体はどちらかというと細身だった。容貌も正統なハンサム顔で、まだ若い。きちんとハンドルを握って運転している様子から、基本的に真面目な性格が見て取れる。
 この二人の関係は、職務上は保安官を上司に、副保安官、その下の助手という形だが、そういう関係にはこだわっていないようで、気のあう良き同僚という空気が流れている。年齢が近いせいもあるのだろう。
 ――FBIのくそったれめ。
 トラヴィスは昨日丸一日かかって書類を読んだために、いまだに頭が眩暈をしていた。加えて、保安官たちの手痛い歓迎ぶりである。八つ当たり先は、当然頭痛の原因をつくった本部になった。
 ――ここに着く前からひどい目にあっているぜ。
 ここぞとばかりに罵りまくる。
 ――あんな分厚い書類を読ませやがって、あやうく窒息死するところだった。しかも、半分くたばっているあの飛行機は一体何だ。俺を殺す気満々だ。
 胸の中で一気に吐き出したら、少しは気分がすっきりしたので、今回の事件の簡単なあらましをもう一度確認することにした。

「ところで、ロイド。俺が呼ばれたこの事件について、概要を確かめたいんだが」

 いい加減に白々しい呼び方の応酬にも飽きたので、トラヴィスはあっさりと空気をひっくり返した。

「それはウォーレン保安官が説明します」
「保安官からも、お前たちからも聞きたい」

 ロイドは、この小うるさいFBIめと言うように、耳穴に指を入れて軽く払った。

「事件が起きたのは、約一週間前です。フォートストックトンの郊外にあるモーテルで、死体が発見されました。死亡解剖した結果、死因は銃殺です。頭を二発撃たれていました。被害者はトビー・ギブン。テキサス大学に通う学生です」

 トラヴィスは書類に書かれていた通りの説明に、先を促すように頷く。

「モーテルのオーナーに事情聴取したところ、被害者は夜の八時を過ぎた頃、男性と車で現れ、チェックインしました。そして翌日、チェックアウトの時刻を過ぎてもフロントに現れないので、オーナーが部屋を訪ねてみると、トビーはベッドの上で死んでいました」
「一緒にいた男はいなかったんだな?」
「そうです。車もありませんでした」
「車のエンジン音を聞いた奴はいないのか?」
「いません。残念ながら」

 全く残念そうではない口調で、ゆっくりと首を横に振る。

「死亡推定時刻はいつだ?」
「深夜の零時。ちょうど日付が変わる時です」
「被害者は服を着ていたのか?」
「いいえ」

 ロイドはトラヴィスの知りたいことを続けて言った。

「性的暴行の痕はありません。綺麗な裸でした」

 トラヴィスはその言葉の意味を考えるように外に目をやった。テキサスの大地は広く、空もまた雄大である。青いペイントで塗りたくったようなキャンバスに、その殺人事件が起きた夜の光景が浮かんできて、思わず開いた襟元を息苦しそうにいじった。

「使用された銃は見つかったのか?」
「いえ、ただ、銃の種類は使われた銃弾から判明しました。スミス&ウェッソン製の三十八口径です」
「購入者をリストアップできないか?」
「できますが、あなたはクリスマスになってもここにいなくてはならないかもしれません」

 非常に時間がかかるということをロイドに指摘され、トラヴィスは小さく唸った。確かに別の州で購入した銃ならば、テキサス内でリストアップしても無駄である。
 トラヴィスはロイドたちの妙に落ち着いた態度に気づいていた。先程から説明させていても、事件に対する焦りも恐れも見られない。
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