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Birthday

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 寝室のドアを閉めて、ようやくアシュリーはひと息ついた。
 今日、十六歳の誕生日を祝うために集まってくれた親戚や友人たちは、日が沈む前に帰って行った。アメリカでは、十六歳の誕生日を盛大に祝う習慣がある。親戚や知人、友人たちをゲストに招いて、家で派手にバースディパーティーを行うのだが、グラハム家もまた、一人息子の記念すべきパーティーを愛情たっぷりに開いた。家中を色とりどりな風船やバナーで飾り、料理も母親手作りのケーキやマカロニサラダ、ローストビーフにこんがり焼けたソーセージなどが、テーブルに所狭しと出され、みな口々にアシュリーを祝った。特に、数ヶ月前に起こった事件にアシュリーが巻き込まれ、無事に生還したものの、事件の後遺症を心配していた人々は、グラハム家の一人息子の変わらぬ笑顔に安堵した。

 ――みんな、楽しんでくれたみたいで良かった。

 アシュリーはベッドに腰かけ、今日のことを回想した。集まってくれたみんなが、自分のことを心配しているのはわかった。だからいつも以上に笑顔を見せて、みんなを安心させた。僕は大丈夫。何ともないんだよ、と。
 しかしアシュリーは心の底からは笑ってはいなかった。記念すべき誕生日に、一番来て欲しかった友人たちの姿がなかったからだ。

「可愛いアシュリー。ママは、どうしても賛成できないわ」

 前日の夜に、最後のお願いをした息子へ、母親は優しくそう言った。

「アシュリーが大切な友人だと思っているのはわかっているわ。けれど、あの子たちのせいで、アシュリーは怖い目にあったのよ。ママはそれが許せないわ」
「ママ、でもね……」
「あの子たちも怖い目にあって、気の毒だとは思っているの。けれど、一歩間違えていたら、アシュリーは死んでいたかもしれないのよ。そうしたら、ママは気が狂っていたわ」
「……ママ」
「お願い、アシュリー。ママを安心させて」

 それ以上、アシュリーは何も言えなかった。
 父親にはお願いもしなかった。ただでさえ仕事に忙殺されているのに、余計な心配をかけたくはなかった。

 ――二人とも、今何をしているんだろう。

 アシュリーはごろんとベッドに横になると、シーツに顔を埋めた。薄暗い部屋で、ベッドの脇にある電気スタンドだけが点いている。辺りの暗闇を追い払うように、目にも眩しい明かりは、アシュリーの寂しげな表情をはっきりと浮かび上がらせていた。
 レイジーに最後に会ったのは、一昨日だった。ハイスクールで、一緒にランチをとった。レイジーは祖母が退院して、家があった場所に程近い一軒家に移り住んだことを喋った。 

「これからどうするかは、まだ決めていないんだ。おばあちゃんが、今でもショックを引きずってて……」 

 ペプシコーラを飲みながら、レイジーは言った。

「だから、おばあちゃんの妹のアン大叔母さんが、一緒に住まないかって、誘ってくれているんだ」
「え? どこに住んでいるの?」
「ボストン」

 アシュリーは傍目にもわかるほど落ち込んだ。ボストンは東海岸にある都市だ。ロサンゼルスから行くには、アメリカを横断しなければならない。

「おばあちゃんは、おじいちゃんとの思い出がいっぱい詰まっている家がなくなってしまったのが、とても辛いんだ。僕はここにいるのが、おばあちゃんにとってはベストだと思っているんだけど」
「……そう?」

 レイジーは口許を手の甲で拭いた。ちらっと、視線をアシュリーへ投げる。
 アシュリーはドキッとした。レイジーに心の隙間まで覗かれたような気がした。

「どうするかは、おばあちゃんと相談して決めるよ」
「うん……そうだね」

 アシュリーは言葉を呑み込んで頷いた。行って欲しくないと、口には出せなかった。
 その日、翌日の誕生日のことを告げることもできず別れた。
 アシュリーは寝返りをうって、天井を仰いだ。

「レイジーは忘れているのかもしれない……」

 僕が十六歳になることを。 

「……仕方ないや」

 怖ろしい事件に巻き込まれ、九死に一生を得た。自分以上に命の危険が高かったのだ。それなのに、普段どおり授業を受けているレイジーはすごいと思う。ハイスクールのみんなにも普通で、そんな事件などなかったかのような態度だ。心理カウンセラーも驚いていたと聞いた。自分はまだカウンセラーの診察を受けているのに。

 ――寂しい……

 その時、コツンという音がした。
 アシュリーは起きあがって、窓の方を見る。薄手のブルーのカーテンで覆われた窓は、今日一度も開けてはいない。昨夜から鍵はきちんとかかっている。
 息を殺して、耳を澄ました。
 すると、ほんのちょっとの後で、またカツンという音がした。ガラスの窓に、外から何かが当たった感じだった。小石のような何かが。
 アシュリーは急いでベッドから下りると、窓に近づいた。カーテンを引いて、鍵を開け、格子状の窓を押し上げる。外は気持ちのよい夜風が吹いていて、窓の下は小さな庭になっている。身を乗り出したアシュリーは、下に誰かがいるのに気がついた。
 レイジーとミカールだった。

「レ……」

 叫びそうになって、慌てて口を閉じた。もう夜である。見れば、レイジーも口許にひとさし指をあてて、もう片方で手招きしている。
 アシュリーは大きく頷いて見せて、窓を閉めた。忍び足で部屋を出て、足音をたてないように階段をおりる。一階のリビングルームのドアからは、蛍光灯の明かりが洩れているので、両親がテレビを見ているのだろう。静かに素早く通り過ぎて、玄関の鍵を開けて、外に出た。

「レイジー! ミカール!」

 アシュリーは両手を広げて駆け寄る。

「アシュリ―」

 レイジーはアシュリーを抱きとめた。

「遅くなったけれど、十六歳の誕生日おめでとう」
「ハッピーバースディ、アシュリー」

 二人揃って、お祝いを言う。

「あ、ありがとう……」

 アシュリーは嬉しさを隠さずに、レイジーとミカールを交互に見た。

「こんな遅くに来てくれるなんて……ごめんね、今日のパーティーに呼ばなくて……」
「気にすることないよ。アシュリーこそ、ママのことを悪く思っては駄目だよ」
「そうさ。俺たちもママのことは理解しているさ。気にするなよ」

 二人は何てことのないように喋る。アシュリーはホッと息をついた。事情は話していないのに、二人にはお見通しのようだった。

「うん、ありがとう。でも……僕は二人にこそ来て欲しかったんだ」

 大勢の人に祝ってもらったのに……アシュリーは申しわけない気分になったが、自分の気持ちに嘘をつきたくはなかった。

「二人が来てくれたら、僕はそれで良かったんだ」
「馬鹿だな、アシュリー」

 レイジーは野球帽子をかぶった鍔の下から、茶目っ気たっぷりに笑う。

「僕たちはいつだって会えるんだから。今までも、これからも、ずっと」

 アシュリーの頭に手を伸ばして、優しく撫でた。

「僕たちはずっと一緒だ」

 レイジーは帽子を脱いだ。

「遅くなったけれど、僕からの誕生日プレゼントをあげる」

 そう言うと、顔を近寄せた。
 そのまま、アシュリーの唇にキスをする。
 アシュリーはびっくりした。しかし、キスはほんの一瞬で終わってしまった。

「ごめん、驚いた?」

 レイジーはアシュリーの頭を撫でる。それで、自分がからかわれたのだとわかった。
 けれど、不愉快には感じなかった。

「……あ、ううん。ありがとう……」

 アシュリーは頬が赤くなるのを感じた。何だか、気恥ずかしくなった。

「ミカールは?」

 レイジーは手を離して、振り返った。ミカールはそっぽを向いていた。

「いきなり、キスシーンなんかするなよ」

 アシュリーはますます頬が赤くなっていった。
 レイジーは何事もなかったかのように帽子をかぶる。

「妬いているの?」
「ばーか、俺はお前と違って、神の教えに歯向かう気はないって」
「ふーん、それってサヴォナローラみたいだね」
「誰だ、そいつ?」
「狂った馬鹿だよ」

 二人の軽口を聞きながら、アシュリーは必死になって自分を落ち着かせようとした。さっきのは、ほんのジョークなんだから。十六歳になった自分への、第一歩のジョーク。シリアスになることはないんだから。
 でも、どうして胸がこんなにドキドキしているんだろう?

「なあ、アシュリー。あとで俺のバイクに思いっきり乗せてやるよ。それが俺からのプレゼントだ」
「あ、ありがとう、ミカール。嬉しいよ」

 先に十六歳になったミカールがバイクの免許を取ったのを思い出して、アシュリーは早口になった。自分の心臓の鼓動が、二人の耳に届かないかと心配だった。おかしな奴と思われたくなかった。
 レイジーとミカールは、少しだけアシュリーの様子を確かめるように眺めてから、手を振った。

「じゃあね、アシュリー。明日、ハイスクールで会おう。ママに見つからないうちに、お家へ入るんだよ」
「またな。今度会うときは、いっぱい楽しもうぜ」

 二人はアシュリーを振り返りながら立ち去ってゆく。

「うん……ありがとう。本当に、ありがとう!」

 二人の姿は夜の空気に消えてゆく。この辺りの治安はそれほど悪くはないが、やはり夜なので心配になった。しかしやがて、バイクのエンジン音が聞こえた。その音は、流星が落ちてゆくように、遠ざかってゆく。
 アシュリーはまたそっと家へ入った。リビングルームからは、まだ明かりが見える。足音に気をつけながら、急ぎ足で二階にあがり、寝室へ戻った。
 ドアを後ろ手で閉めて、アシュリーは天井を見上げると、深く息をついた。

 ――どうしよう。まだドキドキしている。

 唇を、手のひらで触れる。指の先に、息がかかった。
 どうして僕は、こんなにドキドキしているんだろう……
 ……どうしてだろう。
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