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第二話⑫

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 一成はさりげなく歩く速度を落とした。伝馬が自分へ向かって来るのがわかったからだ。

「先生!」

 伝馬は文字通り突進してきた。

「どうした」

 自分の手前で慌ただしく足を止めた教え子を温かく見やる。あの相談室での出来事からまだひと月も経ってはいないが、一成は普通に接している。伝馬がガンを飛ばしてこようが、俺は絶対に負けないと宣言しようが、担任としての責務と気持ちを疎かにはしなかった。ただ殴ったのはちょっと悪かったかなと罪悪感もどきがちらりと心を掠めたが。

 ――だいぶ落ち着いたな。

 伝馬は部活動から抜け出してきたのだろう。真新しい紺色の道着と袴姿を視界におさめながら一成は一息つく。あの一件以降荒れていたように感じたが、最近は態度が平常に戻ってきた。自分の手荒い返答が原因なのは重々承知しているので、一成は担任として本当に良かったと胸を撫でおろしている。

「先生、あの」

 伝馬は両脇に垂らした手で拳を握り周囲を軽く見回すと、いきなり大きく頭を下げた。

「すみませんでした!」

 一成は面食らったように腰からきっちり九十度の直角で上半身を前に倒した短髪の頭を眺める。今度は何が起きたんだという素朴な疑問が脳内を駆け巡った。

「どうした、桐枝」

 もう一度訊いてみる。

「頭を上げろ。どうして謝ってくるんだ?」

 素早く今日一日を振り返る。特に問題は起きてはいなかったと認識しているが、自分の知らないところで何かあったのか。

 ――桐枝は問題行動を起こす生徒じゃないのにな。

 ただし直球でリアルな感情をぶつけてはくる。
 そんなことを考えながら見守る一成の前で伝馬は遠慮がちに上半身を起こすと、些かの躊躇いもなく担任を直視した。

「俺、反省しました」
「――何か反省するようなことがあったのか?」

 どんな時でもまっすぐに相手を見つめる伝馬に多少苦笑いしながら首をかしげる。伝馬に頭を下げられて反省しましたと言われる要件など浮かばない。
 すると伝馬の張り詰めていた頬がややゆるんだ。

「あの、この前の、相談室で」
「……ああ」

 一成は油断なく相槌を打った。相談室での一件ならば下手な態度を取ってはならない。せっかく気持ちが収まってきたようなのだ。伝馬に察せられないように気を引き締めて、当の伝馬が何を言おうとしているのか注意深く窺う。

「俺、先生に迷惑をかけてしまったと考えました」

 すみませんでしたと、今度は斜め三十度くらいで頭を下げる。
 一成はとっさに押し黙る。だがすぐに表情を和らげた。
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