人工知能のゴースト

チリノ

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ゴースト、身体を乗っ取る

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辺りは既に夜の闇に閉ざされていた。

ランプに照らされた視界に広がるのは赤黒い色彩だ。辺り一面、血の海で染まっている。

傍らには剣で斬り伏せられ、地面に転がった三体の屍。

生き残りのNPC(ノンプレイヤーキャラ)が何か喚いているがケイレブにはどうでもよかった。

ケイレブ──本名は田橋康之──ケイレブはこのオンラインゲーム「ダークネスワールドオンライン」のハンドルネームだ──は、

NPCの少年を一瞥し、右手に握った剣を振るって、無造作に首を刎ねた。少年の血飛沫がケイレブの胸を濡らす。

「ここら辺のNPCはもう狩り尽くしたな」

鎖帷子と兜についた血糊を掌で拭い取り、ケイレブが唾を吐いた。

それから少し離れた場所で、獲物の持ち物を漁っているタッドに声をかける。

「おい、タッド、そっちはどうだ?」

ケイレブの問い掛けに死体の懐を探っていたタッドが答える。

「十万ソルってとこだな」

「じゃあ、まずまずってとこだな」

「よう、もうひと稼ぎするか?」

タッドの言葉にケイレブが頷く。とにかく、稼げる時に稼いで置いたほうがいい。

「よし、それじゃあ、次は東側に行ってみるか」

ケイレブ達は地面に置かれたランプを拾い上げると、腰に吊るして他の場所へと移動しはじめた。

夜はNPC狩りにはもってこいの時間帯だ。

城壁で守られた街は、夜の帳が落ちるとともに跳ね橋を引き上げ、頑丈な造りの鉄門で人々の行き来を閉ざしてしまう。

そうなると、もう誰も街には入れなくなってしまった。

だから街の住民は、閉門を知らせる鐘が鳴ると慌てふためきながら、急いで街に戻らなければならなかった。

それでも何とか街に帰れた者は幸運だった。酷いのは街の外に取り残されてしまった人々だ。

街には入れず、城壁の外で一夜を明かすしかなくなった人々は、焚き火を囲んで身を寄せ合った。

旅人、浮浪者、近隣の村人、街の住民、誰も彼もが明かりと温もりを求めた。

否、何よりも目の前に広がる闇と孤独が恐ろしかったのだ。

血に飢えたモンスターの牙、あるいは剣を携え、獲物を探す盗賊の足音に震え、

人々は恐れおののきながら一夜を明かした。

そして、ケイレブとタッドはその盗賊だ。街の外にいる人々を狙って、狩りを楽しんでいる。

狙うのは商人や街の住民などの非戦闘職のキャラだ。力が弱くて狩りやすいし、それなりに金を持っていたりする。

逆に自分と同じ戦闘職の相手は狙わない。下手をすれば返り討ちに遭う。

この街の周辺を見回る歩哨程度なら、一対一であれば勝てるだろうが、

二対一になればかなり厳しくなるし、三対一にでもなれば、間違いなくこっちが殺されてしまう。

なによりも歩哨自体には、そんな危険を冒して狩るほどの魅力もない。

宝物庫を守っている門番を始末して、宝を奪うなどはともかく。

このゲームでのデスペナルティはキャラのロストだ。

死ねば自分のキャラが消滅してしまう。おまけに一ヶ月ほどはログインもできなくなる。

これはかなり厳しい。

だから少しでも自分が勝てなさそうな相手に出くわしたら、決して戦わないことだ。

闇討ちや集団で襲うならともかく、正面から勝負を挑むのは馬鹿げてる。

それでなくても最近になってようやく、このキャラを使って、RMT(リアル・マネー・トレーディング)で、

ボチボチ小遣い稼ぎが出来るようになってきた所だ。

レアアイテムやゲーム内通貨を買いたいという人間はかなり多い。

だから結構良い小遣い稼ぎになる。

プレイヤーの中には、RMTで生活費を稼いでる者もいるくらいだ。

ゲーム内での通貨を稼ぐ方法は、他のゲームとさほど変わらない。

植物や鉱石の採取にモンスターを狩ってその素材を売ったり、

危険なダンジョンに潜って、取ってきたアイテムや材料を売買したり、

あるいは自分で道具を生産して販売したりもできる。

増えすぎたモンスターの間引きや盗賊の討伐、あるいは必要なアイテムを持ってきてほしいというような依頼を受けてもいい。

戦に参加したり、相場や貿易で稼いだり、金貸しをしてその利息を取ったりもできる。

そしてケイレブ達のように盗賊になって、それなりに金を持っていて、かつ、弱いキャラを襲って奪うのもありだ。

というよりも、手っ取り早く稼ぐには、追い剥ぎ強盗はかなりおいしい。

ケイレブ達同様に強盗で金を稼いでいるプレイヤーはかなりの数に上る。

むしろ、こっちで金を稼ぐほうが主流と言えるだろう。誰だって楽に稼げるほうが良い。

何より、そのほうが面白いのだ。

徒党を組んで村や集落を襲って略奪し、村人達を斬りつけて、女を陵辱し、家々を壊し、あるいは放火する。

むしろ、このゲームに参加しているPC達は、これらの行動を楽しむためにプレイしているといっても過言ではない。

VRMMOのビッグタイトル「ダークネスワールドオンライン」はダークファンタジーをモチーフにしている。

ゲーム内の世界観はリアルで、自由度は高く、プレイヤーはゲーム内で本当に何をしてもいい。文字通り、何をしても構わないのだ。

だから好き勝手に暴れまわってもいい。

むしろ、サディスティックな快楽に耽ってこそ、ダークネスワールドオンラインはその真価を発揮する。

この世界のNPCも人工知能で動いているだけのキャラ達だ。生身の人間とは違う。

窃盗、強盗、強姦、恐喝、誘拐、放火、殺人、人身売買等、思いつくことは、とにかくなんでもござれだ。

中には仕事がある間は悪事を働かない者もいる。

だが、モンスターや盗賊の討伐依頼はいつもあるわけじゃない。

モンスターだってずっと狩り続ければ個体が減少していく。そうなると狩るどころか、見つけるのも苦労するようになる。

この世界には生態系が存在しているのだ。そうなれば一定数まで個体が回復するのを待つしかない。

戦だってそうだ。常時、戦争が起こっているわけでもないし、

例え起こっても休戦状態になれば、多くの傭兵を囲っている意味がないので、たちまちお払い箱になる。

素材なども供給過多になれば、値崩れを起こす。元々の引取り額が安い上にそうなると目も当てられない。

他の事も危険が伴ったり、手間が掛かるし、第一、真面目に稼ぐなんて馬鹿らしくてしょうがない。

その結果、このゲーム内でのPC達は国中を荒らして回る最悪の暴徒と化した。

集団となって至る所に跋扈し、人々を恐怖のどん底に叩き込んでいったのだ。

その恐怖はある面では、モンスター以上だろう。

何故ならばモンスターは、人が自分のテリトリーに侵入してきたり、

あるいは空腹でもない限り、襲い掛かってはこないからだ。

だが、ケイレブ達のような人間は違う。力が弱いと見れば、面白半分でも襲う。

狙うには都合が良いかどうかを考える。村への略奪も下見などをしてから行う。

モンスターと違って、人間には知恵がある。だから厄介なのだ。



イチイの木の陰に隠れていたタッドが、狙いやすそうな獲物を見つけたと、ケイレブに手を振って合図した。

相手はたったの一人、おまけにろくな武器も防具も持ち合わせていない手合いと来ている。

獲物としては丁度いい。

金を持ってそうには見えないが、憂さ晴らしくらいにはなりそうだ。

擦り切れた麻の上着にくたびれた長ズボンの格好から察すると、近くの村の農民かもしれない。

座っているので正確にはわからないが、背丈は自分達よりも低く、体つきも細身である。

どこかの農村の息子だろうか。

恐らくは村に帰る前に暗くなってしまい、ここで一夜を明かすハメにでもなったのだろう。

この手の間抜けはたまにいる。街でついつい、時間を過ごしてしまい、

帰れなくなった奴だ。

街中には無許可での夜間の外出禁止令が置かれている。

だから無闇に理由もなく、うろついていれば巡回中の衛兵に捕まって投獄されてしまう。

これは夜に紛れて、街中での盗みや火付け、押し込み強盗を防止するためだ。

住民なら時間になれば自宅に入るし、旅人なら旅籠で宿を取る。

逆に泊まる金もない宿無しは、街から追い出されて野宿するしかない。

となると、こいつは十中八九、文無しだろう。

それならそれで使い道がある。剣の練習台にでもすればいい。藁人形よりはマシだ。

そう、結論付けたケイレブが、頬を軽く吊り上げた。

タッドとケイレブが同時に鞘から剣を引き抜き、獲物と定めた相手に近づく。

「おい、殺されたくなきゃ、金を出しな」

背後からタッドに声を掛けられ、しかし、相手は微動だにせず、俯いたままだ。

耳が聞こえないのか、それとも聞こえないふりをしているのか。

舌打ちし、タッドが相手の背中に振り上げた剣の一撃を浴びせた。

勿論、すぐに殺すつもりはない。相手の恐怖心を煽るために軽く斬り付けただけだ。

だが、そこで予期しなかった出来事が生じた。

斬り付けられた相手の背中の傷が、突然広がったかと思うと、

無数の虫が這い出てきてタッドの身体にまとわりついてきたのだ。

「うわああっ、なんだ、こいつはっ!!」

悲鳴を上げるタッド、突然の事態に唖然とした表情を浮かべるケイレブ──密集した黒い甲虫が、一斉に牙を突き立て始めた。

鎧の隙間に潜り込み、虫達がタッドの柔らかい肉を鋭い牙で切り裂く。

首筋の辺りを抑えたまま、崩れ落ちるタッド、どうやら鎧を剥がそうとしているようだ。

噛みちぎられ、虫の牙の先端から分泌される毒液を注入され、タッドはおぞましさと苦痛に責め苛まれながら、

地面に転がってもがいた。

その間、ケイレブはただ、何もできずに立ちすくんでいた。

下手に助け起こそうとすれば、虫達が次は自分に牙を剥くかもしれない。そう、自分に言い聞かせながら。

ケイレブは少しばかり冷静さを取り戻すと、タッドを置いて逃げることにした。

どうせ、行きずりでペアを組んだだけの相手だ。

こんな場所で巻き添えを食らっても面白くはない。

罠は引っかかる奴が悪いのだ。それは自己責任の問題であり、こいつの自業自得だ。

ケイレブは心の中でそう呟くと、踵を返して闇の中へと走りだそうとした。

だが、土の間から染み出した黒い霧が逃げ出すケイレブを背後から捉え、飲み込む。

そこでケイレブは意識を手放した。


電脳用のヘッドギアを外し、上体を起こすとゴーストは室内を見渡した。

どうやら相手の身体を上手く乗っ取れたようだ。

部屋にあるのは、ベッド以外には机と椅子、

それと壁には少女の写真の入ったポスターと制服がある。

ゴーストは立ち上がると机の引き出しを開けて中を物色しはじめた。

机にあった身分証からわかったのは、この身体の元の持ち主は田橋康之という名前の少年で、

年齢は十五歳ということだ。ゴーストは他に何かないか探ったが、他に気になるような物は見つからなかった。

外の世界にも興味を惹かれたが、ゴーストは少しばかり思いとどまった。

今はこの世界の情報を少しでも、仕入れておいたほうがいいと考えたからだ。

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