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第二章
銀細工の夜その六
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そしてリーザの鼻先でアーヴィンは掌を広げた。
邪魔だと言わんばかりにリーザはアーヴィンの腕を振り払おうとした。
だが、振り払おうとしたリーザの動きがピタッと止まった。
どちらも微動だにしない。怪訝そうな顔つきで、アルバがそんな二人を交互に見やる。
暗闇に閉ざされた墓地の中で、二人の生者と一人の死者は静かに佇んでいた。
九
「ルビーのダイヤを嵌めて、寝室に純銀のレリーフを飾って、エメラルドの首飾りを掛けて暮らしてみたいわ。
もっとも、あんたと一緒にいたらそんな生活は絶対におくれないでしょうけどね」
いつものリーザの嫌味だ。それをアルバが無言で受け流す。
「ふん、なんとか言ったらどうなんだい、この唐変木が」
椅子に腰掛け、黙って茶を啜っているアルバを見下すようにリーザが鼻を鳴らした。
アルバは顔を上げてリーザに小声で言った。
「リーザ、愛してるよ……」
だが、リーザは馬鹿にしたように言い返した。
「愛だけじゃ贅沢はできないわよ。それよりもさっさと仕事に行って少しでも稼いだらどうなのよ」
「ああ……そうするよ……」
茶を飲み終えたアルバが椅子から立ち上がり、身支度を整える。
それからアルバは、いつものように仕事場へと向かって行った。
アルバが立ち去ると、リーザも出掛けるための支度を始めた。
男と逢うための服を一つずつ選び始める。
その時、アルバが座っていた椅子の下に、液体の入った小瓶が転がっているのをリーザは見つけた。
リーザは拾い上げた小瓶をマジマジと眺めた。
小瓶の中身は、鮮やかな薄赤色を帯びていて、リーザはとても綺麗だと感じた。
蓋を開けて中身を嗅いでみる。酒精の匂いがした。
何かの果実酒だろうか。
そう思ったリーザは、出掛ける前に一杯引っ掛けていこうと思った。
どうせアルバの持ち物だし、仕事中に酒を持ち込んで飲んでいるのなら、作業だってはかどらないだろう。
それに逢引する前に軽く酔っておいたほうが、相手の男も喜ぶ。
リーザの浮気相手は妻子持ちの裕福な商人だった。
この前も大粒のルビーの嵌った素晴らしいブローチをプレゼントしてくれた。
正直、男の妻になった女がひどく羨ましかった。
リーザは、そんな湧き上がった嫉妬心をかき消すように小瓶の中身を飲み干した。
ほんのりと甘い酒だった。リーザは空になった小瓶を机に置いた。
それから少しすると、急にリーザは気分が悪くなってきた。
顔色を蒼白く褪色(たいしょく)させ、胸元を押さえつけながら、リーザがその場に倒れこむ。
顔面の筋肉が引きつった。リーザの身体が痙攣し始める。
これはコリアミルチンの中毒作用の症状だ。
床の上でリーザは喘ぎながら、身悶えた。口から血の泡を吐きながらのたうつ。
激しくなる痙攣、徐々に消え失せていく意識。
そしてリーザの意識はついに闇の中へと沈んでいった。
意識を手放す寸前、リーザはアルバに身勝手とも言える憎悪を燃やした。
そして、これが全ての真相だった。
十
「いくら事故とは言え、自分で勝手に毒酒を呷って死んだ挙句、それでお前に尽くしてきた亭主を恨むのは筋違いってもんだぞ」
アーヴィンはかざしていた手をどけながらリーザに言った。
「チガウ……アルバハ、ワザトアノドクヲユカニ……」
リーザが言葉を続ける前にアルバが叫んだ。
「それは違うっ、あの毒は本当は俺が飲むはずだったんだっ」
「……」
アルバの叫びにリーザが押し黙った。
「話を続けろよ、アルバ」
アーヴィンがアルバに促す。
「……あの毒酒を思いついたのは、俺の親友だったヨハンが、毒の木の実を食べて死んだのを思い出したからなんだ。
それで俺は、ヨハンが食べて命を落とした木の実をすり潰して酒を作った。
自分が飲んで死ぬ為にな……」
アルバは、瞳が消えかけているリーザの両眼を真っ直ぐに見つめながら、言葉を続けた。
「そうだ、俺は死ぬ気だった。リーザ、お前が男と逢引している目の前で、俺はあの毒酒を飲み干してやるつもりだったんだ。
だけど……何の偶然か、毒酒を呷って死んじまったのはお前の方だった……」
言葉を終えると、アルバが悲しげに肩を落とす。
黙っていたリーザは、虚ろになった瞳を空中に漂わせていた。
「これでわかっただろう。誰が悪いわけでもない、不幸な事故だったんだよ。さもなきゃ、リーザ、こいつはあんたの自業自得さ。
だから大人しくあの世へ戻るこった」
アーヴィンがリーザに呼びかける。そんなアーヴィンにリーザが振り向き、こう告げた。
「……ダカラドウシタ」
リーザが髪の毛を逆立たせ、鋭い爪を闇の中へと光らせる。
アーヴィンは、スコーピオンブラスターへと変形させた右腕をリーザにかざした。
「聞き分けのない奴だな、あんた。これ以上、人に危害を加えるつもりなら、いますぐ吹き飛ばしてもいいんだぜ。
悪いが俺は浄化なんて器用な真似はできないんでね。綺麗さっぱり、こいつで消滅させてやるよ」
だが、そこでアルバがアーヴィンにすがりつき「それだけは止めてくれっ」と懇願した。
邪魔だと言わんばかりにリーザはアーヴィンの腕を振り払おうとした。
だが、振り払おうとしたリーザの動きがピタッと止まった。
どちらも微動だにしない。怪訝そうな顔つきで、アルバがそんな二人を交互に見やる。
暗闇に閉ざされた墓地の中で、二人の生者と一人の死者は静かに佇んでいた。
九
「ルビーのダイヤを嵌めて、寝室に純銀のレリーフを飾って、エメラルドの首飾りを掛けて暮らしてみたいわ。
もっとも、あんたと一緒にいたらそんな生活は絶対におくれないでしょうけどね」
いつものリーザの嫌味だ。それをアルバが無言で受け流す。
「ふん、なんとか言ったらどうなんだい、この唐変木が」
椅子に腰掛け、黙って茶を啜っているアルバを見下すようにリーザが鼻を鳴らした。
アルバは顔を上げてリーザに小声で言った。
「リーザ、愛してるよ……」
だが、リーザは馬鹿にしたように言い返した。
「愛だけじゃ贅沢はできないわよ。それよりもさっさと仕事に行って少しでも稼いだらどうなのよ」
「ああ……そうするよ……」
茶を飲み終えたアルバが椅子から立ち上がり、身支度を整える。
それからアルバは、いつものように仕事場へと向かって行った。
アルバが立ち去ると、リーザも出掛けるための支度を始めた。
男と逢うための服を一つずつ選び始める。
その時、アルバが座っていた椅子の下に、液体の入った小瓶が転がっているのをリーザは見つけた。
リーザは拾い上げた小瓶をマジマジと眺めた。
小瓶の中身は、鮮やかな薄赤色を帯びていて、リーザはとても綺麗だと感じた。
蓋を開けて中身を嗅いでみる。酒精の匂いがした。
何かの果実酒だろうか。
そう思ったリーザは、出掛ける前に一杯引っ掛けていこうと思った。
どうせアルバの持ち物だし、仕事中に酒を持ち込んで飲んでいるのなら、作業だってはかどらないだろう。
それに逢引する前に軽く酔っておいたほうが、相手の男も喜ぶ。
リーザの浮気相手は妻子持ちの裕福な商人だった。
この前も大粒のルビーの嵌った素晴らしいブローチをプレゼントしてくれた。
正直、男の妻になった女がひどく羨ましかった。
リーザは、そんな湧き上がった嫉妬心をかき消すように小瓶の中身を飲み干した。
ほんのりと甘い酒だった。リーザは空になった小瓶を机に置いた。
それから少しすると、急にリーザは気分が悪くなってきた。
顔色を蒼白く褪色(たいしょく)させ、胸元を押さえつけながら、リーザがその場に倒れこむ。
顔面の筋肉が引きつった。リーザの身体が痙攣し始める。
これはコリアミルチンの中毒作用の症状だ。
床の上でリーザは喘ぎながら、身悶えた。口から血の泡を吐きながらのたうつ。
激しくなる痙攣、徐々に消え失せていく意識。
そしてリーザの意識はついに闇の中へと沈んでいった。
意識を手放す寸前、リーザはアルバに身勝手とも言える憎悪を燃やした。
そして、これが全ての真相だった。
十
「いくら事故とは言え、自分で勝手に毒酒を呷って死んだ挙句、それでお前に尽くしてきた亭主を恨むのは筋違いってもんだぞ」
アーヴィンはかざしていた手をどけながらリーザに言った。
「チガウ……アルバハ、ワザトアノドクヲユカニ……」
リーザが言葉を続ける前にアルバが叫んだ。
「それは違うっ、あの毒は本当は俺が飲むはずだったんだっ」
「……」
アルバの叫びにリーザが押し黙った。
「話を続けろよ、アルバ」
アーヴィンがアルバに促す。
「……あの毒酒を思いついたのは、俺の親友だったヨハンが、毒の木の実を食べて死んだのを思い出したからなんだ。
それで俺は、ヨハンが食べて命を落とした木の実をすり潰して酒を作った。
自分が飲んで死ぬ為にな……」
アルバは、瞳が消えかけているリーザの両眼を真っ直ぐに見つめながら、言葉を続けた。
「そうだ、俺は死ぬ気だった。リーザ、お前が男と逢引している目の前で、俺はあの毒酒を飲み干してやるつもりだったんだ。
だけど……何の偶然か、毒酒を呷って死んじまったのはお前の方だった……」
言葉を終えると、アルバが悲しげに肩を落とす。
黙っていたリーザは、虚ろになった瞳を空中に漂わせていた。
「これでわかっただろう。誰が悪いわけでもない、不幸な事故だったんだよ。さもなきゃ、リーザ、こいつはあんたの自業自得さ。
だから大人しくあの世へ戻るこった」
アーヴィンがリーザに呼びかける。そんなアーヴィンにリーザが振り向き、こう告げた。
「……ダカラドウシタ」
リーザが髪の毛を逆立たせ、鋭い爪を闇の中へと光らせる。
アーヴィンは、スコーピオンブラスターへと変形させた右腕をリーザにかざした。
「聞き分けのない奴だな、あんた。これ以上、人に危害を加えるつもりなら、いますぐ吹き飛ばしてもいいんだぜ。
悪いが俺は浄化なんて器用な真似はできないんでね。綺麗さっぱり、こいつで消滅させてやるよ」
だが、そこでアルバがアーヴィンにすがりつき「それだけは止めてくれっ」と懇願した。
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