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最終章
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しおりを挟む突然蓮の口から爆弾が落とされた病室は、あれきりシンと静まり返っていた。
窓から差し込む橙は美しく、相も変わらず鳥は悠然と暮れかかる空のなかを泳いでいる。
しかしその景色にそぐわぬほど顔を青ざめさせた裕が小さく息を飲む音だけが、美しい景色を裂いて宙にさ迷い溶けていった。
体感としては永遠にも思えるほど長い時間だったが、しかし数分後。きゅっと拳を握った裕は夕陽に染まる蓮の顔をじっと見たまま、
「わか、れるって……」
と絞り出すよう、呟いた。
やっとの事で出した声は、ひどく乾いていて。
ああ、喉がカラカラで上手く言葉が紡げない。と唇を噛んだ裕だったが、しかし喉はますます気道を狭めゼェゼェと苦しく、これじゃあまるで溺れた魚みたいだ。なんて溺れる魚が居るかどうかも知らぬのに、そんな事をぼんやりと考えた。
「……なんで」
「……」
「冗談きついって」
「……冗談じゃない。俺と別れてほしい」
「っ、……昨日まではそんな素振り一切なかったじゃん。いつからそう思ってたんだよ」
「……いつからとか、そんなんはどうでもいい事でしょ」
歯切れ悪くそう呟いた蓮に、どうでもいいわけねぇだろ。と鋭く裕が返しじっと見つめれば、一瞬唇を噛み締めたあと、蓮は深く息を吐いた。
「言ってもいいけど、傷付かないでね。……今までと一緒だよ。最初から好きじゃなかった。からかってただけ。落とせたら終わりっていうただのゲームだよ。男だし今回はけっこう楽しめるかなって思ってたのに、簡単に落ちちゃってさ、拍子抜けだったよ。まぁ男と付き合うってのも面白いかなって恋人ごっこもしたけど、でももうそれも飽きちゃったんだよね」
そう裕を見下ろしはっきりと告げてくる蓮に裕はとうとう押し黙り、それから掌をぎゅっと強く握った。
病室に置かれた時計の秒針が進む音だけが、部屋に虚しく響いている。
そんな重苦しい沈黙を破り、
「……本気で言ってんだな」
とぽつり呟いた裕はそれから何かを言おうとしたが言葉にならず、口を一文字に結んだ。
「……そうだよ。本気で男を、裕を好きになるなんてあり得ないから。だからもうゲーム終了。店もつまんなくなってきたから辞めるし、もう会うこともないだろうけど、元気でね」
裕の様子にぴくっと眉を寄せた蓮だったが、しかしそれから抑揚のない声でそう切り捨て、裕を見ることもなく病室を出てゆく。
ガラッと開いた扉がそれからゆっくりと閉まる音がしたが、蓮の去ってゆく後ろ姿を見ることすら出来なかった裕はぐっと拳を握り、口の端をぐしゃりと歪めへなへなと震わせては苦しさで死にそうになりながらも、滲んでゆく視界をなんとか歯を食いしばって、耐えていた。
──それからどれくらい経っただろうか。
未だ微動だにしない裕を余所に、外はすっかり夜に覆われ、中庭の外灯がパッとつき始めた頃。
ようやくゆるりと腕を動かした裕は首元を飾るネックレスを力任せにぶち切り、
「嘘つき野郎……!」
とひきつったままの声で叫んでは壁にぶつけようと手を振りかざしたが、ハァハァと肩で息をしたあと深呼吸をして、やり場のない衝動を抑え込みゆるりと腕を降ろした。
その瞬間、プルルッと響く携帯の着信音。
それに裕はテーブルに置いたままだった携帯を手に取り、記されている『有さん』という文字を見てはピッと通話ボタンを押した。
「……もしもし」
『あ、裕、突然電話してごめんね』
「いや、気にしなくていいです」
『体調はどう?』
「全然大丈夫。明日退院できるってさ」
『そうなの? 良かったぁ』
「はい。……で、どうしたんですか? 有さんから電話してくるって事は、なんかあったんでしょ」
『あー……まぁそうなんだけど、』
「……蓮の事?」
『……うん。さっき蓮から電話があってさ、突然店辞めるって言ってそのまま切られちゃって。それから何回もかけ直してるけど繋がらなくて……。裕何か蓮から聞いてない?』
「……俺もついさっき辞めるとは聞いたけど、なんでかは分かんねぇ」
『そうなの? 裕にも理由言ってないんだ……。あいつほんと何考えてんだ』
電話口から困惑と呆れのこもった有人の声が聞こえ、裕は窓から見える枯れ木をじっと眺めつつ、小さく息を吸い込んだ。
「さぁ。ほんと何考えてんだろうね。俺もさっき、別れようって言われたし」
そうなんてことないよう呟けば、電話口から有人が息を飲む音がする。
それに小さく笑みを浮かべた裕はそれからそっと目を伏せ、口を開いた。
「悪いんだけどさ有さん、明日時間あるなら迎えに来てくんねぇ?」
「えっ? あ、それは勿論いいけど……」
荷物もあるし、出来れば来て欲しい。という裕のお願いに勿論と言いながら歯切れ悪く有人が答えたが、けど、に繋がる言葉は言わなかった。
そして裕もまた促すような事はせず、じゃあ明日。と電話を切った。
途端、しん。と静まり返った病室内。
手にしたままの引きちぎったネックレスが掌の中でやけにひんやりと冷たく、文字をゆるりと指で撫でた裕はまたしても窓辺に視線を投げた。
冬の空に煌々と灯る星だけが、とても美しい夜だった。
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